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在宅ホスピス奮戦記13
JUGEMテーマ:病気
 

鈴木亘を読む。

   国民的議論の必要性について。「赤ひげ診療制度」

 

私が父の在宅療養に踏み切った理由は3つあります。

父の療養生活のクオリティを考えた。

末期がん患者を本当に家で看取ることが出来るのかを確かめてみたかった。

在宅が進めば医療費の削減につながる。

 私は貧乏なので、在宅が公費節約になるのなら、これも社会貢献だと思った。父は入院保険もがん保険にも入っていたので、知り合いの病院に無理を願っての療養生活も考えられたが、それでは公平ではないとの思いで、周りの心配をよそに家族を説得することになったのです。

 

 超高齢社会で医療費の問題は国民的課題となっています。今回はこの医療費削減の問題に少し触れてみたいと考えています。

 

 私たちは資本主義社会で生活しているので、政策は金銭的なインセンティブを主にしたものが有効であることに間違いはありません。みんな損をすることは嫌なのです。

 医療崩壊が言われていますが、これも金銭的なインセンティブを主にした政策で解決することは出来ないのかが論点になります。

 

 「医療崩壊」とは「立ち去り型サボタージュ」等で急性期病院の医師が不足していることで問題化させた小松秀樹先生の言葉です。

 医療への過度な安全要求や、診療報酬引き下げの政策の失敗や、コンビニ受診といわれる患者側の問題や、新医師臨床研究制度のマッチングの偏向や、医師と患者の情報の非対称性や、とにかく色々といわれていて、さまざまな対策が講じられているが、これで解決できるという決め手には欠けている。

 私は、医療は崩壊しないと思っている。言うなれば患者地獄が待っている。の方が正しい表現ではないだろうか?医療が崩壊すれば困るのは患者です。

 

 私は4年前に赤松正雄元厚生労働副大臣に診療報酬のことで、近所の喫茶店でお話をさせてもらったことがある。保険免責制度で外来受診1回分、たとえば500円保険適用外とするならば、「その500円は地域に還元したらどうでしょう、医療問題は地域によって微妙に異なる問題を抱えているので、地域で話し合ってもらって、医療危機への対応費としてはどうでしょうか?」と言ったことがある。その際に赤松議員は「いや、保険免責制度はね皆が反対して話にもならなかったんだ、だからその件は無理だろうな。」と話された。

 国民は負担増に敏感になっているので、将来を考えた政策であっても、負担を多くする政策は困難なようだ。

 保険免責制度とは以下のようなものです。

 

『だまされないための 年金・医療・介護入門』

鈴木亘著 東洋経済新報社 20092月発行

256p

・・・2006年の医療制度改革の際に、経済財政諮問会議から提案された「保険免責制度」も検討に値します。保険免責制度というのは、一回の外来診療にかかる医療費の一定額を患者負担とする制度で、たとえば、経済財政諮問会議案では、外来受診一回につき5001000円を保険適用外とするとしていました。

 たとえば、現在の制度では、病院で3000円の医療費がかかったとすると、その三割にあたる900円が自己負担となります。ここで500円の免責制度が導入されると、自己負担はまずこの500円を支払った上で、残りの2500円の三割に当たる750円が追加され、合わせて1250円の負担となるというわけです。これは、アメリカ等の国々で、「デダクティブル」として一般的に実施されている制度です。

 

 負担増の政策が難しいのであれば、負担減になり尚且つ医療危機を回避できればよいのだろう。そのことを提案したい。

 

 以下の文章には様々な意見があり、受け入れがたい人も多いと思うが考えてもらいたい。

 

197p 市場経済では医師不足は存在しえない

 さて、もしわが国の医療分野が、普通の産業と同様に、価格が自由化された市場経済(自由経済)の中にあるのであれば、医師不足という問題が生じることは絶対にないと断言できます。そもそも「不足」というのは、現在の価格の下で、そのサービスを利用したいと考える消費者の「需要」に対して、生産者側の提供可能なサービスの「供給」が追いつかないという状況が、「持続的に」生じているということです。

 しかしながら、通常の市場経済で、もしこのような状態が生じれば、(1)そのサービスの価格がただちに上昇する、(2)価格上昇に反応して生産者の供給量が増える、(3)価格上昇に反応して消費者の需要量が減る、という三つのメカニズムによって、需要と供給は調整され、不足状態が持続することはありえません。

 

201p 問題は価格統制

 しかしながら、問題は、第2章で説明したように、医療という分野には価格や参入の規制があり、このような市場メカニズムが機能しないということにあります。特にこの場合、診療報酬単価による価格規制の問題が重大です(診療報酬単価については109ページを参照)。病床規制や医学部の定員といった参入規制のほうは、一国全体のマクロ的な医師の総量が不足しているかどうかが、今のところ不明ですので、それがネックであるかどうかも、実はよくわかりません。

 第2章で説明したように、病院の診療価格は、診療報酬制度によって統制され固定されています。つまり、病院の医療サービスの需要や供給の変化に応じて、診療価格を自由に変化することができない状況にあります。この場合、何か起きるか想像してみましょう。

 まず、安全要求の高まりによる供給減ですが、診療価格が上昇しませんから、病院は、勤務医が開業医にシフトするのを、そのまま指をくわえて見ているほかありません。すなわち、医師不足の問題が顕在化します。

 ・・・略・・・ 次に、コンビニ受診や高齢者の病院志向の高まりといった需要増について考えてみましょう。

この場合にも、価格統制によって医師不足が顕現化します。つまり、こうした病院の医療サービスの需要増に対して、診療価格が上昇しなければ、いつまでたっても需要は減りませんし、供給を増やす努力も行われません。結果として、医師不足問題はいつまでたっても解消しないのです。

 

205p 医師不足問題への正しい対応方法

 以上の考察から言えることは、需要面や供給面に生じたさまざまな医師不足の原因は、本来、市場経済の下では医師不足として顕現化する問題ではないということです。それが顕現化したのは、診療報酬という価格統制が行われているからにほかなりません。また、診療報酬自体の変化が医師不足の原因ともなっています。したがって、この問題への対策は明らかです。一義的には、「診療報酬単価を自由化して、市場経済の下で価格調整できるようにすれば良い」ということになります。

 しかしながら、この医療の分野では、医師と患者間の「情報の非対称性」(患者の病状に対して医師のほうが患者よりも詳しいため、患者は医師の言いなりになりやすい)という現象があるために、価格を自由化すると、全体として診療価格が一気に上昇してしまう危険性があります。

 

 価格が上昇する自由化は国民に認められない。

 だとすれば、価格が下がる規制緩和は理解が得やすいのではないだろうか。

 

 例えば、3000円の診療費がかかったとする。しかし、当院では3000円も要らない2000円で十分だという医師もいるだろう。そうすれば、個人負担も公費投入も少なくなる。価格が安いほうは自由化して市場経済の論理を取り入れる。

 これを「赤ひげ診療制度」と呼べばどうだろう。

 地元姫路には和辻哲郎生家がある。和辻は古寺巡礼の後書きにこのようなことを書いていたように思う。故郷に帰って父に会うと、今何をしているのだと聞かれた。こういうことをしていると説明すると、それは人の役に立つことかと聞かれたそうだ。和辻の父は医師で、金のないものからは金を取らない赤ひげのような医師であったらしい。現在も和辻医院は存在していて当時の松の木もあるらしい。和辻は父の言葉が刺さり、帰りの夜行列車のなかで眠れぬ夜を過ごした、というものだったような気がする。読んだのが40年近く前なので不確かな記憶で申し訳ない。

 そんな赤ひげ医師は現在でも多くいる。

 

 この規制緩和による削減を反対するのは医師会だけだと思えるが、医師会が真っ向から反対すれば、医師会への市民感情からの反発は大きなものとなるだろう。

 この「赤ひげ診療制度」を開業医に取り入れて、患者負担が軽くなってきたと思える時点で、年金・医療・介護を「積み立て方式」へ転換していってはどうだろうか。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 医療と介護 | 16:00 | - | - | - | - |
在宅ホスピス奮戦記12
JUGEMテーマ:病気
 

鈴木亘を読む。

   国民的議論の必要性について。1

 

父の容態が二日前の朝から急に悪くなってきた。主治医が連日の往診をしてくださって、少し安定し安堵した。今のところ在宅治療は親切な訪問看護師さんや、在宅を良く知る主治医のおかげで満足度は高い。

かかりつけ医が主治医になる。かかりつけ医が病院や施設や薬剤師や訪問スタッフと連携をして、治療計画を立ててくださっている。しかも24時間であることが心強い。

 

以下が、父の主治医である田中先生からいただいた

1月末での「在宅療養計画」書です。

簡単なものだが、家族はこれで満足できる。

 

在宅療養計画

 

患者氏名 

小嶋・・様  昭和7年1120日生

患者住所 

姫路市若菜町・丁目・・・・ Tel  079・・・・・・

傷病名 

肝臓癌、門扉腫瘍塞栓、腹水、肝硬変、食道静脈瘤

気管支喘息、慢性肺気腫

病状 

(1)食欲不振、倦怠感、歩行困難があったが改善傾向

(2)運動時息切れ、咳は安定、吸入療法中

診療計画 

(1)訪問診療は基本的には2週毎に行うが病状の変化により、24時間

   体制で往診を行う。訪問看護(24時間体制)と連携をとる。

(2)最後は在宅看取りを行う予定で診療を行うが、在宅で療養困難と

   判断したとき相談の上入院の手配をする。

(3)苦痛緩和の治療を最優先とした薬物療法を行うが、コントロール

   困難時には鎮静を行う場合がある。

(4)急変時の心肺蘇生は行わず、自然経過をみることとする。

注意点

(1)食道静脈瘤破裂による出血性ショック、急変がありうる。

(2)癌の進行に伴い、疼痛、呼吸困難、倦怠感などの苦痛が強くなる。

(3)予期しない癌に伴う合併症や病状の進行により急変がありうる。

 

平成23年1月24

  田中クリニック院長 田中 明

姫路市飾磨区三宅 1 192 079・・・・・

 

緊急時の連絡・対応について

 

当院は24時間対応をしております。

診療時間内はクリニックに連絡をしてください。病状をお間きして対応を判断いたします。

診療時間外は、クリニックに電話をすれば、院長の携帯電話に転送されますので、院長が直接電話に出ます。

 

往診対応

(1)基本的に可能な限り院長が往診します。

(2)院長が往診不可能な場合、連携医療機関の医師に往診の依頼をいたします。

(3)病状から判断して入院が必要な場合、連携医療機関に連絡を取り、

入院の手配をいたします。

(4)訪問看護ステーションと24時間連携体制をとっていますので、

主治医の依頼および家族の要望により訪問看護が可能です。

 

連携医療機関(往診)

 大頭クリニック 大頭信義先生

 姫路市白銀町20 しらさぎビル4F TEL ・・・・・

 

連携医療機関(外来・入院)

 姫路赤十字病院外科  ・・・先生

 姫路市下手野1丁目121  TEL ・・・・・

 

連携医療機関(入院)

 ツカザキ記念病院内科  ・・・先生

 姫路市南車崎1丁目55  TEL ・・・・・

 

連携訪問看護ステーション

 訪問看護ステーション姫路南 ・・・看護師

 姫路市飾磨区下野田4-649  TEL ・・・・・

 

院長連絡方法(クリニック電話以外)

携帯 ・・・・・(クリニック) ・・・・・(個人)

自宅 ・・・・・

 

以上のものをいただいている。

 

姫路赤十字病院外科  ・・・先生からは

次のような診断経過をいただいているので箇条書きでお見せします。

・・・・・

傷病名・主訴 肝細胞癌

 

・当科平成1912月よりHCCにて診させていただいております。

・初診時Multiple HCC に対して4回TACE施行いたしました。

・本年8月には経皮的ラジオ波焼灼術も施行しています。

・食道静原瘤ありますが当院内科で診ていただき肝機能の問題なく経過しているので予防的EVLの適応なしで、経過観察としています。

・先日経過観察目的でCT検査を施行いたしました。

・門脈腫瘍栓が出現しており門脈本管に進展しています。このため食道静脈瘤の拡張、肝機能の低下、難治腹水の存在を認めます。

・現在の肝予備力ではHCCに対する積極的治療は困難です。

・また今後静脈瘤の破裂なども危惧されます。

・また静脈瘤破裂時など当院で処置必要時には対処させていただきます。

・・・・・

HCC・・・

肝細胞に由来する悪性腫瘍

Multiple・・・複数の

経皮的ラジオ波焼灼術・・・

従来の経皮的エタノール注入療法や経皮的マイクロ波凝固療法と同じように経皮的(皮膚から体内に針を直接穿刺して)に腫瘍に対してラジオ波電極針を直接穿刺します。この電極針から発生するラジオ波エネルギーにより、腫瘍とその周囲を熱凝固壊死(がん細胞が死ぬこと)させて治療します。外科的な切除術では身体に大きく切開した傷あとが残ります。ラジオ波治療では皮膚表面に小さな針の跡が残るだけの、侵襲性の低い治療法です。

EVL・・・

内視鏡的治療は、内視鏡的硬化療法(EIS)と

視鏡的静脈瘤結紮療法(EVL)の2つに大別される。

門脈腫瘍栓・・・

肝細胞癌が進行すると、しばしば門脈内へ腫瘍塞栓として浸潤が認められる。

 

急性期病院の医師の説明では

 病院で吐血しても、血を止めることは難しい状態です。

吐血した場合は病院で引き受けるから、来てください。というものだった。

 医師は24時間対応の往診医チームがあることに「すばらしい方々が居られるのですね」と称賛されていた。そして、がん連携パスの成功を望まれていた。

 在宅介護に、病院と主治医の連携は心強い。

 

そして、在宅ホスピス奮戦記を書くことになった。

そして介護の問題点も新たに見えてきたことも多い。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 医療と介護 | 15:42 | - | - | - | - |
在宅ホスピス奮戦記 11
JUGEMテーマ:病気
 

介護者慰労金について 4

※財政健全化の第一歩は国民の意識改革に投資せよ

 

前回、公費をどう使うべきかは現状を社会学的・経済学的に分析し、将来の問題を的確に把握し、解決策を示した提案を行い、予想される混乱を避けることにも使わなければならないことが、重要だと述べた。混乱は多くの犠牲者を生む。

 

鈴木亘の「社会保障の不都合な真実」日本経済新聞出版社

には、介護問題でこのようなことが書かれている。

私もまったくの同じ意見です。

 

146p〜 現実的な待機老人対策

・・・三施設、特に特養は、建設費、運営費ともに非常に高コストであり、自治体財政に余裕がない中では、特養の新規増設は現実的ではない。今後の特養は、要介護度四や五の重度要介護者の施設として特化し、重度者の受け入れ先をとにかく確保できるように注力すべきである。多額の公費補助を投じられている社会的使命から考えても、特養の重度施設化は合理的である。

 高コストの特養増設に代わり、有料老人ホームやグループホームなどの総量規制を撤廃し、擬似的な施設の増設を図ることが現実的な対策である。こうした擬似的な施設は、建設費にほとんど補助金がなく、NPOや株式会社が設立・運営主体であるから、運営費も格段に低コストである。

 ただ、いくら低コストとはいえ、施設利用者が増えればその分だけ、介護保険財政が苦しくなることも事実である。それもある程度はやむをえない面があるが、介護保険財政への影響を極力やわらげるために、次の二つの手段をとることが考えられる。

 一つは、入居費や利用料に対する自己負担分を高めることである。有料老人ホームやグループホームは、現在でも入居費や利用材に対する自己負担分か三施設よりも高く、実質的に保険支払いと自由支払いが混合している「混合介護」の状態になっている。それをさらに進めて自己負担分を高めることにより、保険財政への影響を少なくするのである。もちろん、低所得者へは、特定入所者介護(予防)サービス費の擬似的施設への適用などで配慮する。混合介護については、さらに4節で詳述する。

 第二の手段は、逆説的ではあるが、家族介護への「現金給付」を導入することである。日本の介護保険制度は、ドイツのように家族介護への現金給付がなく、在宅介護で使える介護保険は施設に比べて格段に量的に乏しい状況である。このため、家族が自宅で介護を行うインセンティブが乏しく、そのことが過剰な施設への需要を生み出す基本的な背景となっている。

 現金給付の金額については今後研究が必要であるが、たとえば、ヘルパーの市場賃金の半分ぐらいでも大きなインセンティブになるのではないだろうか。現金給付によって、家族介護の動機付けを行えば、施設への需要は減少し、現金給付を上回る財政縮減が図られる可能性が高い(ホリオカ(2008))。

 また、たとえば現金給付ではなく、家族介護の場合には、消費税(払いすぎた消費税を還付する形で免除)、固定資産税、相続税を免除するという措置でもよいかもしれない。三施設でこうした税が非課税であることを考えれば、家族介護にもそれを適用することは不自然ではない。

 家族への現金給付については、家族介護は現金を得るほどのヘルパー資格を保有していない、という批判がある。しかしながら、たとえば地域包括支援センターなどにおいて、何回かのセミナー受講と実習を行い、受講後、ヘルパー資格に準ずる資格を与えればよい。ヘルパーよりも低い現金給付を得るのであるから、ヘルパーと同等な資格がある必要はないだろう。

 

 家族介護への「現金給付」を導入

 ドイツのように家族介護への現金給付

 家族が自宅で介護を行うインセンティブ

 現金給付を上回る財政縮減

 

 家族介護への「現金給付」を、ドイツのように家族介護への現金給付まではいかなくても、給付することによって家族介護の動機付けを行えば、施設への需要は減少し、現金給付を上回る財政縮減が図られる可能性が高い。

 ここで「介護者慰労金」を思い出してほしい。給付条件を緩和し、給付金額を上げて、認知症だけでなく難病や末期がんの看取りに「介護者慰労金」が利用出るようになると、財政縮減になるのではないだろうか。

 また、慰労金を地域限定の商品券で配布することも考えられる。地域の活性化にも少しは役に立つだろう。地域振興券と違うところは、「介護者慰労金」を必要とする人々は決して余裕のある人々ではないことと、医療と介護の崩壊への歯止めとなること、財政縮減につながるという公平さによるものです。

 

 待機老人対策と待機児対策、似ているような気がする。

 

50p〜 子ども手当は子どものためか

「子ども手当」自体を待機児対策に活用してはどうであろうか。

すでに、上武大学の池田信夫教授や、NPOフローレンス代表理事の駒崎弘樹氏、東レ経営研究所の渥美由喜氏や筆者が早くから提案している「子ども手当をバウチャー化する」というアイデアである。バウチャーとは平たくいえば地域振興券のような切符のことであり、各世帯に現金を給付するのではなく、金額の入った切符を配布することにする。そのバウチャーは、保育所の保育料や幼稚園の月謝、学童保育利用料、学習塾の月謝、私立小学校の学費などに使途を限定し、それを利用者から受け取った保育所、幼稚園などが自治体に持っていって現金に換金する。

 これにより子育て世代の保育料の支払い能力は増すから、今までの低すぎた認可保育所の保育料を引き上げ、公費・補助金をその分カットする。子ども手当は児童一人あたり月2万6000円であるから、たとえば、現在の認可保育所の月額保育料を2万円程度引き上げ、平均4万円にすることが可能である。各自治体は、保育料引き上げを行った分だけ、補助金をカットできるから、それにより生まれた財源をもとに、新たな保育所増設を行うことができる。中高所得者に対する認可保育所の保育料引き上げも合わせて行えば、待機児童数減少とともに、保育所増設に回せる財源がさらに多くなる。

 一方、一定の最低基準を満たすことを条件に、無認可保育所にもこのバウチャーの受け取りを許可する。たとえば、東京都の認証保育所程度の質基準を満たす無認可保育所に、バウチャー利用を認めれば、現在月額6万円程度の高い保育料負担が、バウチャー分を差し引いて、実質4万円以下の家計負担となる。こうなれば、認可保育所と無認可保育所の保育料格差が縮小して、競争原理が働き、お互いに効率化が進むことが期待できる。また、質の高い無認可保育所の採算性が増すことから、無認可保育所の質の底上げと、供給量拡大が同時に図れる。

 さらに、営利法人やNPO設置の認可保育所や、認定こども園が、保育料収入の増加を通じて実質的に施設補助金を手にすることができる点も重要である。採算性がよくなれば、多種多様な主体による認可保育所への参入が進み、民間活力によって、さらに待機児問題が改善されることが期待できる。

 最後に、使途が限定されたバウチャーであれば、日本に多い専業主婦世帯の中には使い切れない世帯も出てこよう。その場合には、無理をして5.3兆円もの財源を作らなくてもよくなる。子ども手当はもともと、子どものための支援が目的なのであるから、現金の代わりに使途限定のバウチャーを配布しても公約違反ではないのである。

 

 使途が限定されたバウチャーが有効であることは誰もの認めるところでしょう。

 バウチャーによる直接補助方式への全面的構造転換

 

「介護者慰労金」はパート主婦にも給付されるようにしたい。パートに出る人は生活が楽ではないからパートに出るのです。パートに出ながらも、子育ての合間にも、出来る介護はある。子育て世代に、近所の高齢者への介護にも支給されるようにすれば、生活費を一番必要とする主婦にお金が回り、内需の拡大につながる。ドイツは実際に家族介護への現金給付が内需を、効率よく引き上げている。政府紙幣発行のような害毒もない。

 子ども手当のバウチャー化は業界の構造が急変するだろうから、慎重な取り組みを時間をかけて行われなければならないが、「介護者慰労金」はどことも競争はない。合理化といっても待機老人の数の多さから考えれば、このことで損害をこうむるところはないので、子ども手当のバウチャー化よりも導入は難しくはないだろう。

 反対があるとすれば、思考停止した楽観論者ぐらいでしょう。

 また後日に(来月中ごろ)広井良典を読むで、語りたいが、前期高齢者と後期子どもが協同することで地域のコミュニティを再生する可能性も考えたい。前期高齢者と後期子どもが子育てや介護を地域で見守る体制にも触れて見たいと思っています。 

 

 「介護者慰労金」給付に当たって何回かのセミナー受講と実習を行う必要はある。その際に救急の利用の仕方や生活習慣病やがん検診についても学んでもらい、国や地域の財政の現状にも理解をしていただくことが必要であるだろう。「介護者慰労金」は持続可能な福祉社会のための、国民の意識改革への投資の第一歩としたい。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 医療と介護 | 08:25 | - | - | - | - |
在宅ホスピス奮戦記 10
JUGEMテーマ:病気
 

介護者慰労金について 3

※財政健全化の第一歩は国民の意識改革に投資せよ

 

公共投資が必要であるが、予算に限界があるので、闇雲であってはならないだろう。

 

例えば道路を作るならば、人が歩きやすい道、自転車が安全に通行できる道、「車の道より人の道」をコンセプトに設計されなければならない。運動することの大切さを強調して、住民の健康促進が必要なのです。高齢者が歩いていて気持ちが良い道は、街そのものが元気になる、未来型であるのです。

姫路の街を歩いていて、この道は歩行者のために作られていると感じる道は少ない。姫路城周辺は観光客の為に比較的整備されているが、歩いてみて分かるが、歩行者の為とは言いがたい。手柄山などは動物園を移して、家族で歩く一日を実現できる場所である必要がある。動物園跡地は時代村のような庭園にして、緑豊かなスペースにする。各地の時代村とは違うコンセプトで、「日向ぼっこ」をコンセプトにしたい。お土産物や食堂は周辺の民間が経営しているものと競争になるので作らない。三橋の述べていたように競争による効率化はデフレ状況下では返ってマイナスになるのです。

広峰、増井山周辺はクロスカントリーコースを作って日本最大のクロスカントリー大会を実現する。マラソン大会だけでは面白くない。姫路競馬場は馬ではなく人が走ったり歩いたりする場所にしたい。陸上競技場ではない。アーサー・リディヤードはランニング革命でトレーニングには3分の1が登りで3分の1下り(緩やかな)で3分の1が平坦なコースが理想的だといっている。ロング・スロー・ディスタンスの提唱者はテニスコートの周りを走ることを言っていたが、あまりに狭くて退屈なので競馬場ぐらいの広さが良い。スポーツクラブと競合しないように会員書を持っていれば無料にしておけばよい。利用率も高まるし、運動好きに勝手に宣伝もしてくれる。中央保健所は駐車場が狭いという使い勝手の悪さがあるので、そこへ移転する。現在の建物は姫路独協大にお願いして、将来のまち造りのための環境芸術学部の増設と学部スタッフによる、まち造り事業を立ち上げるのが適当ではないだろうか。実践教育ということです。

住民の健康を支えるために、広畑病院・姫路循環器病院・日赤病院の三角地帯は医療と介護の特区にして、先進的な医療と介護を進める。姫路循環器病院の老朽化による立替に際し「癌の予防とリハビリセンター」も併設する。マリア病院のホスピスには多額の公費投入が必要だろう。姫路医療センターは広畑へ移設して、病院間の連携を力強いものとしたい。残された建物は「姫路特産品研究開発販売促進事業所」とすればよい。

野里から寺前までと飾磨から赤穂までに、サイクリングロードを整備する。飾磨、網干、野里を「ぶらぶらお買い物街道」として大きな駐車場を用意する。駅前商店街には公費で有能なコンサルタントを入れて、姫路城までの間に「城下町おもしろショッピングゾーン」として、見ているだけでも面白い商品構成の指導を行い、独自の地場産品の開発も徹底的に進めていく。店を覘いて、歩いて、楽しい商店街でなければ競争力はない。

自動車のための大きな道路を作って、大規模店舗を促進する政策はもう古いのです。哲学的にも「人の道」を考える政策でなければなりません。

 私の、姫路における今後20年間の公共投資素案は五百項目を超えていて、きりがないので、今はこの辺にしておきたい。

 

公共投資・インフラ整備は必要だが、人口減少にあわせた削減はしなければならない。そして急速な削減と変化は混乱をもたらすものであるので避けなければいけない。変化は緩やかでなければならない。政策が失敗すると変化が急になり、大きな混乱が起こり、対応がより困難なものとなるのです。但し、医療や介護等については急がれるものもある。

医療と介護における公費投入は、その一部を予防とリハビリのカテゴリーへスライドさせて、医療メディエーターへの公費投入で患者とその家族の満足度を高め、医療と介護資源の浪費防止や救急の利用の仕方を説く啓発への大規模な予算投入が必要です。

 

デフレ下では民業を圧迫するものはいけない。競争を煽るものはいけない。煽らなくても競争は自然に起こる。官民の護送船団方式でもない、効率化でもない、協力体制が必要。

 

私の方法は現状を社会学的に分析し、将来の問題を的確に把握し、解決策を示した提案を行い、予想される混乱を避けることです。

 

 社会学的な取り組みもあれば、経済学的な取り組みもある。

 鈴木亘の論が抜群に面白い。絶対に読むべきです。

 「財政危機と社会保障」 年金・医療・介護・育児

 借金日本で安心してくらせるか? 講談社現代新書

 

 第8章 「強い社会保障」ではなく「身の丈にあった社会保障」へ

 213p 日本の社会保障制度は高度成長モデル

 まず手始めに、第一章から第七章の要点をもう一度振り返っておきましょう。ここまで

詳しく論じてきた「高度成長時代」に形作られた日本の社会保障制度は、人口構成が若く、高い経済成長率によって分配の「パイ」が広がってゆくことを前提としたシステムとなっているために、現在の低成長、少子高齢化社会には適応できず、あちこちで「制度疲労」を。起こしています。

すなわち、医療、介護、保育に共通する(1)公費漬け、補助金漬けの「高コスト体質」、(2)参入規制、価格規制に守られた悪平等の「護送船団方式」、(3)多額の公費投入による見せ掛けの「低料金」、(4)天下りや利権を介した業界団体と官僚、政治家の強固な「既得権益の結びつき」といった「高度成長モデル」は、急速な高齢化や女性の社会進出に伴う需要急増と、低成長と労働力減少による財政難から、そのシステムがもはや維持できなくなっています。その表れが、医療分野の医師不足・医療崩壊問題であり、介護分野の介護労働力不足や待機老人問題、保育分野の待機児童問題であると言えるでしょう。

 しかも、これからますます状況は厳しくなってゆきます。高齢者がその時代の現役層に支えられるという年金、医療保険、介護保険の全てに共通した財政の仕組み(賦課方式)の下では、今後六〇年程度にわたって財政状況は悪化の一途を辿ります。現在の現役層の将来、あるいは将来の世代は驚くべき高負担を強いられ、世代間の不公平も巨額に達します。

225p 安易な公費投入こそが諸悪の根源

よく考えれば、社会保障関係費を通じた安易な公費投入こそが、社会保障分野の多くの問題を引き起こしている諸悪の根源と考えられます。

 第一に、こうした公費が、給付と保険料負担の間の「くさび」の役割を果たし、給付と負担の関係を曖昧にして、国民の社会保障制度に対する「コスト感覚」を狂わせています。給付が拡大しようと高齢化が進もうと、保険料が低いままであれば、それが当たり前の既得権となり、国民は、「社会保障は拡大して欲しいが、保険料や税負担は引き上げたくない」という矛盾した考えを持つことになります。この矛盾した要求の結果、莫大な財政赤字が発生しているのです。

 第二に、公費による料金ディスカウントが行われているため、自己負担率も低く、保険料も低いままでは、過剰な需要が生まれることになります。この過剰な需要こそが、医療・介護・保育の各分野の待機問題を引き起こしている主因の一つですから、公費投入を削減して、料金ディスカウントを是正する必要があります。

 第三に、料金ディスカウントが解消されれば、国民はコスト感覚を取り戻し、価格に見合ったサービスを求めるようになりますから、護送船団方式の下、非効率で質の低いサービスを行っている供給者は自ずと生き残ることが難しくなります。「安いから我慢する」という意識がなくなれば、国民の厳しい目によって、自然に「選択と集中」への圧力が高まるのです。

 第四に、公費投入が安易に行われていることは、この分野の規制を異常なほどに強固なものにさせている原因です。それは、社会保障給村費が拡大すると公費が自動的に増えるため、政府が、価格規制や参入規制で社会保障給付費をコントロールせざるを得なかったからに他なりません。逆に言えば、公費投入が安易に行われなければ、これほどがんじがらめの規制を作る必要もないのです。

 第五に、がんじがらめの参入規制、価格規制こそが、新規参入を途絶えさせ、既存業者の結束を高めて強固な業界団体を形成させている原因でした。また、公費投入の多さがこの分野への官僚や政治家の利権を生み、業界団体と結びついた高コスト、公費漬けの既得。権益構造を生み出す背景です。しかしながら、安易な公費投入がなくなれば、これらは雲散霧消する可能性が高いものと思われます。

 

 鈴木の本が何でこんなに面白いのかは、その分かりやすさだろう・

 社会保障給付費の自然増にたいしては、

228p (1)保険料を引き上げるか、(2)社会保障目的の消費税率を引き上げるか、(3)既存の公費役人を合理化して支出減を図るか、という三つの選択肢で財源捻出をせざるを得なくなります。政府はこの選択肢を国民に提示して、何を選ぶか(どの組み合わせを選ぶか)を問いながら政策を進めます。このように、国民に意味のある選択を提示することは、社会保障へのコスト感覚を待ってもらうために何よりも大切な事です。

               

 皆でこの本を読んで、無駄な公費投入は何か、公費はどう使われなければならないかを考えてみよう。 次回に続く。 

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 医療と介護 | 17:59 | - | - | - | - |
在宅ホスピス奮戦記 9
JUGEMテーマ:病気
 

介護者慰労金について 2

※財政健全化の第一歩は国民の意識改革に投資せよ

 

 日本の社会保障制度は大きな転換点を迎えている。2010年度では年金や医療保険、介護保険、雇用保険の社会保険の公費負担が20.7兆円に達している。転換点というのは団塊の世代が大量退職し高齢者になっていくからです。

社会がますます高齢化するところにも問題はあるのですが、日本の社会保障で最も問題なのは人口構成で団塊の世代と団塊ジュニアの世代の特定の世代に人口が突出して多いという問題です。これから団塊の世代が高齢化し、医療や介護の需要が伸びて、国や民間が投資をしても、団塊の世代と団塊ジュニアの世代の谷間で過剰供給が起きてしまい、供給過多による経済崩壊が起こるからです。

財政の問題は別の機会に用意しているので其のときに詳しく述べていくとして、今回は簡単に流しておきます。

今、社会保障の問題を問い直さなければならないのは、急激な負担増を受け入れる心構えが国民にあるのかということを議論しなければ団塊の世代の高齢化に間に合わないということです。また、医療と介護は規制でがんじがらめになっているので、成長分野にはなれないことへの正しい理解が必要なことです。仮に成長分野であるとするならば誰の金で成長させるのか?国民か、利用者か、国か、どちらにしろ、皆の負担が増えた上での成長です。

後期高齢者医療制度でも高齢者の負担増が、姥捨て山だと議論になったこともあり、国民は負担増に敏感になっている。消費税増税は15%ぐらいまで増やしたとしても、団塊の世代の高齢化には追いつかない。消費税10%程度だと今よりはるかに悪い状態になっているだろう。公費にこれ以上の負担は望めないのかも知れない。生産年齢人口減少による税収の減少が更に進むこともあり、利用者も国民も国も負担増に対応できないとすれば、節約しかないではないか。

経済成長があれば何とかなるのではないか?と思われるだろうが、以前に述べたように日本は実力に合わせた為替介入に1990年以降失敗し続けています。今、諸外国への金融投資の利益が10兆円を超えているようですが、これは円高で実現している複雑なファンドの利益で、景気回復のための円安に誘導すればたちまちに数百兆の損失になり、多くの企業や銀行が倒産します。つまり、日本は景気回復も出来ない、出るに出られない、出口のない不景気に入り込んでいるのです。

年金の問題で言えば、消費税を増やして基礎年金部分を作り、年金を財務省に移し、アメリカや日本の企業に投資しようとアメリカは言っていますが、両刃の剣としか言いようがありません。私の知り合いのご子息は、とあるアメリカの組織で苦労しています。彼の言うところによると、日本の官僚の多くは日本でお金が回るように苦労しているが、政治家の多くはアメリカの複雑なファンドに絡めとられている日本の状況が理解できずに、官僚バッシングを繰り返して、更にアメリカの思う壺の日本になっていこうとしているということです。今の日本は経済再生、財政再建のための戦争状態にあるのですが、情報戦では完全に敗北しているということです。

 

三橋貴明は「いつまでも経済がわからない日本人」で、

46p 公共投資は「公的固定資本形成」という、れっきとしたGDPの支出項目の一つである。公共投資を削減すると、その金額分、GDPはマイナス成長に陥ってしまう。

47p そもそも、マスコミ(最近は政治家までもが)は社会インフラの構築やメンテナンスについて、一口に「公共投資」と呼ぶが、公共投資の経済効果には複数の種類がある。大雑把にわけても、公共投資の経済効果は、三つに分類できるのだ。

1.社会インフラとしてのストック効果

2.フロー上の直接的な政府支出としての効果

3.フロー上の乗数効果の呼び水としての効果

49p 公共投資批判派の中には、いわゆる「箱物施設」の建造について、「利益も出ない、無駄な施設を作るな!」

 と、批判する人が多い。しかし、デフレギャップに悩む状況である以上、無駄な施設の建造であっても意義はある。無駄な施設だろうが何だろうが、フロー拡大やデフレギャップの解消には、十分に役立つのだ。

 さらに言えば、「政府」に利益が出る事業をやらせようとしている時点で、おかしな話なのである。政府は「利益」を出す必要がない。

 利益が出る事業であるならば、むしろ民間企業がやるべきだ。そもそも政府は「営利企業」ではなく、NPO(非営利団体)なのだ。この基本すら理解していない人々がマスコミにはびこり、日本社会をミスリードすることを続けているからこそ、現在の混迷が生じている。

76p 経済のデフレ下に悩んでいる状況で、政府の支出を「節約」したところで、財政は健全化できない。ましてや、財政黒字など、夢のまた夢である。

78p そもそも、別に消費税アップに頼らずとも、国内の過剰貯蓄をフローに回す方法はあるのだ。もちろん、国債発行である。国債発行は徴税のような強制的な手段ではなく、あくまで市場原理に基づき調達される資金なのである。

 政府が国債発行により国内の過剰貯蓄を吸い上げ、フローとして支出すると、国家のバランスシート上で政府の負債と資産が同額分、増える。同時に、政府が支払ったお金が直接的な政府支出としてGDPを押し上げ、乗数効果をもたらす。

 日本経済の真の問題は「民間の資金需要がないこと」であると繰り返しているが、そうである以上、政府が資金需要を作らなければ、国民経済は回らない。特に、日本のように、過剰貯蓄が銀行にあふれたデフレ環境下では、金利水準は極端に低くなる。低い資金コストで調達したお金を、政府が「需要が創出される産業分野」に投じることで、はじめてデフレギャップは解消に向かうだろう。

 デフレギャップが解消し、日本が健全な名目GDP成長率を取り戻せば、政府の負債対GDP比率は改善(減少)していく。これこそが真の意昧での「財政健全化」だ。

84p 金利上昇こそがデフレ脱却のサインなのだ。

 むしろ日本政府は、「金利が上昇するまで」国債発行と財政出動を継続するべきである。

逆に、金利が上昇しない限り、

 「市場が国債発行を求めている」

 と判断し、国債増発と財政出動を続けなければならないのだ。

 そして、金利が上昇した際には、日本銀行が国債を買い取り、金利を抑制しつつ、財政出動を絞り込んでいけばいいだけの話だ。デフレから脱却し、民間主導の経済成長に移った時点で、政府はむしろ「店じまい」をするべきである。

 

 三橋貴明の言っていることは正しい。正しいのだが、これからも大きくなる日本の借金に政府・日銀がどれだけ対応できるかに疑問が残る。

 もし金利が動き始めたら、金額が大きすぎて政府・日銀で金利のコントロールが出来ないだろう。金利の暴走が考えられる。後、どれぐらいでコントロール不可能になるのかは、消費税増税の議論が財務省主導で活発化していることで分かる。もう、余裕は無くなってきているのだということでしょう。

コントロールできないインフレは犠牲も多きい。金利の暴走の助け船はアメリカが出してくるだろうが、日本に突きつけられる条件は厳しいものとなるだろう。

 日本はインフレとなるが、このインフレは「インフレ税」といって、国民が支払わされるものであることを、肝に銘じなければならない。国は破綻しないだろうが、庶民の生活は破綻する。

 つまり、誰が犠牲になるのかは、いつも庶民なのです。

 

ということは、庶民の味方の政治家にがんばってもらいたのだが、菅首相のいう「強い経済、強い財政、強い社会保障」とはどのような姿なのだろうか?どこを探しても政府に具体像はみあたらない。嘗ての「中福祉、中負担」にも疑問はあったが、いつまでこの国は意味の無い言葉遊びに終始するのだろうか。

 

日本の財政に今少し余裕があるうちに、投資は必要なのだから、投資先を考えたい。

 

三橋貴明は「いつまでも経済がわからない日本人」で、こうも言っている。

216p デフレ環境下では、政府は市場に競争をもたらす施策を「実施してはならない」のだ。無論「競争はいけない」というのは、あくまでデフレ環境下の話である。

 その国のデフレギャップが埋まり、インフレすなわち「供給不足」に陥ったのであれば、今度は当然ながら生産性の向上が必要になる。市場競争もプラスに働くため、規制緩和が適切なソリユーションになる。

217p 競争力強化は、インフレ期には切実に必要とされるソリユーションであるが、デフレ期にはむしろ逆効果だ。需要が足りなくて困っているときに、競争力を強化し、供給能力を高め、いったい何をしたいのだろうか。

217p すなわち「保護主義」こそが、もっとも適切なソリューションとなり得る局面があるということだ。

 

 三橋のこの主張も正しい。三橋の言うように今は何をしても財政は黒字にはならない。

 しかし、投資するならば何に投資をするのかの議論は必要なのです。

※ 私は財政健全化や三橋の論を踏まえたうえで、医政への提言として、姫路での「がんの予防とリハビリのセンター」建設も提言している。次回に続く。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 医療と介護 | 16:16 | - | - | - | - |
在宅ホスピス奮戦記 8
JUGEMテーマ:病気
 

介護者慰労金について

※財政健全化の第一歩は国民の意識改革に投資せよ

 

前回から認知症の話に及んだのはこの制度について考えてみたいからです。

「認知症と長寿社会」笑顔のままで 信濃毎日新聞取材班 

講談社現代新書 20101120日発行

 という最近に注目された本がある。

 

プロローグ から

 私たちも、この病気をどこまで理解しているのだろうか。認知症であっても、喜びも悲しみも、安心も不安も、つながりも孤独も感じているという。

 直前の記憶が分からなくなっていく不安は、迷子のような心細さかもしれない。いら立ちは、不自由を強いられ、自尊心が傷つき、怒りのやり場がないためかもしれない。周囲との摩擦を避けようと、感情を心の底に沈めているのかもしれない。それなのに、私たちは冷たい視線を向けてはいないだろうか。

 国の推計だと、患者数は200万人を超え、30年後には385万人に達すると予測されている。それは日本人の3人に1人が高齢者で、その9人にI人が認知症という時代だ。

 患者や家族をどう支えていくか。いま真剣に考えなければ、この長寿大国で、命の尊厳を失わずに最期まで生きることはかなわなくなる。

 2010年は戦後生まれが高齢者となり、間もなく団塊の世代も仲間入りする。超高齢社会に向かう節目の年に、認知症を取り巻く足元の現実に迫りながら、長い命を笑顔のままで全うできる社会への道筋を考えたい。

 

エピローグ より

 部屋に鍵を掛けて妻を閉じ込めている夫、母の髪が詣でごわついているのに風呂に入れない息子、デイサービスの迎えに行っても知らん顔の家族……。切実な現実もある。

 精神科病院や特別養護老人ホームでは、回り廊下を見かけた。徘徊を始めても廊下を回っているので、見失わない。かつては先進的と言われた。だが、出口のない回廊を見ていて、認知症の入の尊厳について考えさせられた。

 認知症疾患医療センターは整備が遅れている。設置目標は全国約150ヵ所。なぜなのか。厚生労働省に尋ねても、確かな説明はなかった。

 国には、有病率といったさまざまな政策の基になるデータもない。

「周囲が受け入れると、認知症は笑顔が戻る」と言われている。これが取材の原点だった。取材を重ねるうちに、老いに笑顔だけを求めることへの違和感も強くした。暴言も、いらだちも、それぞれの老い。いいお年寄りも、悪いお年寄りもない。今の姿を認め合う社会にならないか。

「老い方」を考えてみたい。敗戦からはい上がり、高度経済成長を実現してきた日本人の多くは、高い生産性を求められてきた。それを支えてきた価値観が「社会の役に立つ」という生き方だった。

 他人を頼らない。死ぬ時は迷惑をかけず、苦しまず―――。長寿社会の底流をなす「ピンピンコロリ」の希求も、その延長線上にある。

 だが、老いてもなお自立なのか。急増する認知症が問いかけるのは、長寿社会をつくり上げてきた価値観の転換ではないのか。「誰かの世話になって生きていく」。この当たり前の覚悟を受け入れたとき、長き老いを支え合う仕組みや社会的資源がもっと必要だ、ということにも気づく。

 契約を軸とする現在の介護保険制度で、これからの超高齢社会は乗り切れない。だが、私たちはまだ、家族や友人、地域の人たち、施設といった周囲の力を借りて生きることの価値を、その術を、学んでいない。老いを否定しない世の中へ、かじを切ろう―――。これを連載最後の訴えとしたい。

 

おわりに での提言

 本書は、「笑顔のままで 認知症〜長寿社会」の題で2010年1月3日から6月29日まで、信濃毎日新聞の社会面で77回にわたって連載したルポルタージュをまとめたものです(肩書や年齢などは掲載時のまま)。

 認知症をめぐる今の状況はまぎれもなく社会問題だと確信したのは、取材班が立ち上がって間もない2009年秋、全国の認知症介護家族を対象に行ったアンケート調査で返ってくる回答用紙を見た時でした。介護のつらさや哀しさを丁寧な字で余白も使って書き込んである回答が多かったのです。首都圏のある男性は、介護に行き詰まり、認知症の妻の首に手をかけた―――とつづっていました。「妻は抵抗せずに目にいっぱい涙をためて『私、悪いこと何もしていないよって』。二人で泣くしかなかった」

  ・・・

 キャンペーンのまとめにあたり、取材班として「認知症対応社会に向けた8つの提言」  を提起しました。 ̄さずに済む社会へ踏み出そう断る施設をゼロにM弉雜酣定を 大幅に見直せぞ霾鹹鷆,篁抉腓涼楼莎鯏世鬮ゲ雜鄂Δ剖軌蕕隼抉腓鬮Δかりつけ医に もっと対応力をЪ匆颪箸弔覆り続ける環境を整えよう┣雜遒慮費負担引き上げ論議を―――の8項目です。取材で伝わってきた介護家族や地域、介護・医療関係者のみなさん  の切なる願いを、取材班なりに受け止めたものです。この提案が「笑顔のままで暮らせる  長寿社会」に向けた論議の小さなたたき台になるのであれば、うれしい限りです。

 

 このルポの一つ一つが重い。

団塊の世代が高齢化し超高齢社会になることによって、医療需要は爆発的に増える。急性期病院はパンクし、国民医療費は怪獣となる。在宅でも24時間365日、施設と同じサービスを受けられるという地域包括支援センターの理想は地獄の1丁目となる。

 何が必要か?いろいろと必要な施策は在るが、まず介護する側とされる側、地域の理解が必要です。その啓発のきっかけとなるのが介護者支援金ではないかと考えています。

 介護者支援金の受け取り条件を緩和し、受け取りに対して家族に介護講習を受けることを義務付けることは出来ないだろうか。実現すれば大幅な社会保障関連費の節約につながると考えられます。講習には社会保障は有限であることも国民に伝えなければならない。

 社会保障関連費の無駄を省くことによって、社会保障は充実したものに近づくと、私は過去5年間医療と介護の現場を見てきたことで確信している。

 そこで私の提言、財政健全化の第一歩は国民の意識改革に投資せよ!

 

 このルポを是非に読んでもらって、以下のことを考えてもらいたい。

 

 姫路市の『在宅高齢者介護手当』の概要について

http://www.city.himeji.lg.jp/var/rev0/0014/8932/teategaiyou.pdf
 
上記アドレス、姫路市のホームページをご覧ください。

 

1 目的

  在宅のねたきり高齢者及び認知症高齢者の介漢音に対して、介護手当を支給することにより、当該高齢者及びその介謹告の精神的、経済的負担を軽減し、もって住宅福祉の向上に資することを目的とします。

2 支給対象者の要件

  市内に住所を有する在宅でねたきり高齢者及び認知症高齢者を主となって介護されておられ、当該高齢者を介護することにより、姫路市重度心身障害者介護手当の支給を受けておられない方。

3 介護対象高齢者の要件

 (1)ねたきり高齢者

  居宅において6箇月以上常時臥床の伏態にあり日常生活において常時介護が必要な満65歳以上の方。(以上の条件を満たした上で、介護保険の要介護3〜5の認定が必要)

 (2)認知症高齢者

  居宅において問題行動を伴う認知症の状態にあり日常生活において常時介護が必要な満65歳以上の方。(以上の条件を満たした上で、介護保険の要介護35の認定が必要)

※利用されている介護保険サービスの状態によって対象とならない場合があります。

4 介護手当の額

  月額 I0,500円

5 支給時期及び支給方法  略

6 介護手当受給資格の消滅 略

7 介護手当受給資格の有効期限 略

8 介護手当受給資格の更新手続 略

 

但し書きの中には、こんな記述もある。

 日中は仕事に行くため、だれも介護者がいない等の場合は、受給できません。

問い合わせ先  姫路市役所 福祉総務課 長寿社会支援室 電話079-221-2306

 

姫路市のこの条件と金額は妥当なものなのだろうか?

介護者慰労金は地域によって支給額も条件も異なります。

次回「介護者慰労金 供廚紡海。来週の予定です。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 医療と介護 | 17:53 | - | - | - | - |
在宅ホスピス奮戦記 7
JUGEMテーマ:病気
 

感謝の言葉と「フレディの遺言」という介護バイブル

   もしも「認知症」になったら?

 父に「ボケ」が進行している。一日のほとんどの時間をベッドで過ごす状態なので、動けないことにより血液循環が悪くなり、脳の血流が悪くなっているからです。

 夜と昼の生活が逆転してきているが、睡眠剤を飲ませると夜は眠るが、昼に「ボケ」が強くなり、妄言が多くなるので控えている。父は死を受け入れているように思われるが、夜は怖いらしい。不安がいっぱいで、夜はいろいろなものが出てきて眠れないらしい。大学生の次男が夜中に時々相手をしてくれている。三世代同居は含み資産である、との意味がさまざまなシーンで分かる。

 介護が大変なのはこの「ボケ」と下の世話と患者の疼痛だが、幸いに父は痛みを訴えないので、今のところ特に介護が困難になっていることはない。友人は彼の父の徘徊で困っていたが、私の父は殆ど歩けないのでその心配もない。

 父が「ボケ」た、ことを言うと母が窘めることがある。「ボケ」には優しく接する必要があり「ボケ」たことを言っても一旦受け入れて、緩やかに対応することが必要だが、疲れているときにはついつい強く当たることも出てくる。母が介護の中心なので、母の心のケアも必要だ。

 介護をされる側には「介護され上手」という言葉もある。

 「ボケ」てからでは遅いが、ボケる前から、周囲の人に何をしてもらっても「ありがとう」という習慣をつけていると、ボケてからでも「ありがとう」と言えるらしい。

 介護をしてくれている人に「ありがとう」といえる人は、介護をしてくれている人の心も和む。自然に介護の内容も変わってくる。何をしてもらっても「ありがとう」を徹底して習慣づけておこう。特に、団塊世代の男性に一番苦手な言葉ではないか?と思える。

 

また、ボケる前には遺言の他に、介護のこと治療のことを十分に家族と話し合っておく必要もある。

 

 『もしも「余命6ヶ月」といわれたら?』監修ホスピスケア研究会

 河出書房新社 2008530日 初版発行

 以前に紹介した『大切な人が「余命6ヵ月」といわれたら?』の姉妹本です。

 

33p 家族の気持ちを理解する

 家族と気持ちがすれ違うのは当たり前のこと

 常に病人とともにありたいという家族の思いとは裏腹に、家族が最初から最後まで病人と一体感をもって闘病生活を送っていくことは、とても難しいことです。治療法の選択から病院選び、入院・手術、退院後の過ごし方、仕事を続けるか否か、延命処置を希望するか否か、余命告知後をどう過ごすか、どこで最期を迎えるか……。闘病のあらゆる場面で、あなたと家族は気持ちのすれ違いと歩み寄りを繰り返すことでしょう。病人やその家族から「なぜ、こんなにもめてしまうのでしょうか。みなさんもっとうまくやってらっしゃるんでしょうね。うちだけですよね、こんなにバラバラな家族は」という言葉を聞くことも多くあります。

 

 自分に何時ボケが訪れるか分かりませんし、うつになってしまうかもしれませんし、症状が進んでせん妄に悩まされて正しい判断が出来なくなることもあるので、治療や介護の話の他に、感謝の言葉は言える内に出来るだけ沢山に言っておきましょう。

 

44p〜 自分の思いは元気なうちに言葉にしておく

 「そのとき」は、いつ訪れるかわからない

・・・

 死の間際まで意識があるかは予測できませんし、必ずしも親族が集まれる時間に危篤に陥るとは限りません。

 なかには、「死期が近づくと、病人はおのずと命が尽きることを悟るといわれているから、そのときにきちんと感謝の言葉を伝えるつもりだ」という人もいるかもしれません。確かに、そうした形で感謝を伝え合う家族もいます。ただ、苦しそうな病人の様子に家族の動揺は大きく、「『そんなこと言わないで頑張って』と言ってしまった。あのとききちんと話を聞いてあげればよかった」と悔やむ家族も少なくありません。必ずしも、自分がベストだと思うタイミングが、家族の気持ちと合致しない場合もあるのです。

 いつ。そのとき々が来るかは予想できません。だからこそ、家族や大切な人への感謝の気持ちは、言えるとき、言いたいときに、元気なうちから折に触れ、素直に口にしていくことが大切ではないでしょうか。

 

「言わなくてもわかってくれる」では家族は報われない

 身近な家族や知人に面と向かって感謝の言葉を□にするのは気恥ずかしく、「いよいよというときでないと言えそうにない」「そのときが来ても言えるかどうかわからない」「言わなくてもわかってくれるだろう」と思うのも当然でしょう。

ただ、「言わなくてもわかってくれるだろう」という考え方は、残された者の後悔の気持ちを増幅させてしまうことがあります。どんなに病人とともに精一杯頑張った家族であっても、必ず「ああすればよかったかもしれない」という後悔が残るものです。

 そんなとき、あなたからの「感謝しているよ」「ありがとう」というちょっとした一言を思い出すだけで、その後悔の気持ちが少しでも和らぐことがあることを、どうか覚えておいてください。

・・・

 手紙で残すという方法もあるようです。

 ボケる方は感謝の言葉を忘れないように「介護され上手」になる心構えが必要であるが、家族はどうしたらよいのだろう?良い本がある。

 「フレディの遺言」フレディ松川 文  こころ美保子 絵

 朝日新聞出版 20081230日発行

 文が簡潔で読みやすい。1時間半から2時間もあれば十分に読める。絵がきれい。ちょっとした時間に珠玉の人生論に出会うことが出来る。私が首長であれば、住民の全てに配りたい本です。

私にはこんな言葉が胸に刺さった。「ごはん、まだか」と言ったら「お腹が空いたのね」と優しくクッキー1枚くれれば満足です。

2ページほど紹介しよう

33p 家族は前兆を見逃さないで

 「うちのおばあちゃん、『この家には泥棒がいる』なんて変なことを急に言い出したのよ。困っちゃうわ。ボケが始まったのかしら……」

 よく、こんな話を耳にします。私に言わせれば、これは、ボケが始まったどころか、ボケは本格化していると言っていいでしょう。家族が気づくのが遅れた結果、おばあちゃんはボケてしまったのです。「ごはん、まだか」「家に帰りたい」と言い出すのも同じです。 老人のボケには、こうした変なことを言い出す前に、実はある特徴的な「初期症状」があるのです。これを家族が決して見逃さないこと、それが何より大切です。お年寄りがボケという、引き返すことのできない暗く長いトンネルに入ってしまう前に、何とか入り口で止めてあげる。それが家族の役目です。

 ボケの初期症状はどんなものか、いくつか挙げてみます。

1》短時間に同じことを何度も聞く。《2》何かを探している動作が多くなった。《3》趣味だったことをしなくなった。《4》おしゃれだった人がおしゃれに無頓着になった。《5》外出をおっくうがる。《6》キチっとしていた人が、散らかしっぱなしで平気になった。

 まだまだ、たくさんありますが、要は以前のその人とは「ちょっと変わった」と思ったときから、ボケはスタートしています。たとえば、お風呂が大好きだったお年寄りがあまり入浴しなくなったら、ボケの入り□に立っているのと同じです。

41p 優しく接すれば、進行を止められる

 今回のテーマは、ボケた人の気持ちです。前にもお話ししたように、ボケは進行性の病気ですから、できるだけ入り口で進行を止めなければなりません。

 そのときに一番大切なことは、家族の対応。それによってボケ始めた人が、軽度のボケのままで一生を過ごせるか、完全にボケて、周りの人に多大な迷惑をかけるかが決まるからです。

 その基本は一つ。ボケ始めた人の頭の中を理解してあげることです。

 ボケが始まったとき、本人はまず「あれ?何かおかしい」と自覚しています。これまでできていたことが急にできなくなったり、記憶が定かでなくなったりするから、自分でもおかしい、と思うのです。

 そうなると、漠然とした不安感に襲われます。やがて、情緒が不安定になり、「ああ、どうしよう」と、ますます混乱します。すべてのことがマイナス思考に陥り、自信を喪失し、記憶もあいまいになってきます。

 家族の協力が必要なのは、この段階です。お年寄りがおかしなことを言い出したとき、「何言ってるの」としかるのではなく、「どうかしたの?」と優しく接しながら、お年寄りの気持ちを考えてあげてください。

 ボケを入り口で止めるためにも、家族に今、その「ゆとり」が必要とされているのです。次項から、私たち介護のプロの考え方と具体的な方法をお教えしましょう。

 

※「具体的な方法」やボケない習慣は本を買って読んでほしい。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 医療と介護 | 16:30 | - | - | - | - |
在宅ホスピス奮戦記 6
JUGEMテーマ:病気
 

※隣人の死について。今日はバレンタインデーなのでキリスト教の話をしよう。

この3連休は体調が悪く、11日の「姫路の医療と介護を話し合う集い」の会以外の時間は寝転んでいた。最近はとても疲れていて、積極的な活動は控えている。3日間ゴロゴロしながら気持ちが晴れる本はないか、と思いながら数冊をパラパラとめくってみた。

以前から読んでみたいと思っていた「塩狩峠」三浦綾子著 新潮文庫を手に取った。読んでみて、内容とは関係がないのだが、ホスピスがなぜキリスト教から生まれたのかが理解できたように思える。ホスピスを理解するためにキリスト教の本も何冊か読んできたが、どうもしっくりと私の心に馴染まなかったのだが、この本でキリスト教徒の覚悟というものが見えたように思われた。

ウィキペディアによると。

「ホスピス」の由来 [編集]

ホスピスとは、元々は中世ヨーロッパで、旅の巡礼者を宿泊させた小さな教会のことを指した。そうした旅人が、病や健康上の不調で旅立つことが出来なければ、そのままそこに置いて、ケアや看病をしたことから、看護収容施設全般をホスピスと呼ぶようになった。

教会で看護にあたる聖職者の無私の献身と歓待をホスピタリティ (hospitality) と呼び、そこから今日の病院を指すホスピタル (hospital) の語がでた。歴史的には、ホスピタルもホスピス同様に、病院だけでなく、孤児院、老人ホーム、行き倒れの収容施設なども指した。

 

 「人は人生を旅している」人生は旅であり、旅は人生であるので、疲れた旅人が休むホスピスの存在の意味はキリスト教そのものであったのだ。

 

 キリスト教にとって死とは種であった。

「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん」

人は実を稔らせて種となって死ぬ。ホスピスとは病んだり疲れたりした種を癒し、芽になるようにケアや看病をするところなのだろう。死とは始まりなのだ。そのように生きてきた人にとっては。

 

 そして実とは愛なのだろう。

「それでは、三浦さんはこの小説で何を書こうとしたのであろうか。つまりこの小説のテーマは何なのか。そのことについて、三浦さんはこう語っている。

 この小説で私は犠牲について考えてみたいと思っている。現代にはいろいろと欠けたものが多い。愛、然り。節、然り。犠牲にいたっては、現代人の辞書にはもうこの言葉は失われているかのように、私には思われる。「人の犠牲になるなんていやだ」とか、「そんな犠牲的な精神はつまらないわ」というように、犠牲という言葉につづいて否定の言葉が続けて用いられているのが、みられる程度ではないだろうか。(「『塩狩峠』の連載の前に」)

 実は種の栄養となったり、生き物に食われたりするのだが、これが犠牲なのだろう。愛とはこのような稔りのことであるのだろう。

 人は芽が出るところから始まりだと思うことが多いが、芽は種から始まっていて、種から始まっていくのだから、人の死の上に自分が生きていて、自分の死が種になれるような死であるのが次の命の始まりであり、愛なのだろう。

 主人公の信夫の父は突然に死んだのだが、遺書を書いていた。

170p 信夫は父を偉いと思った。生きている時は余りにもおだやかで歯がゆいほどに思われた父であった。しかし父は遺言の中で、

 「日常の生活において、菊(妻)に言ったこと、信夫(主人公)、待子(妹)に言ったこと、そして父が為したこと、すべてこれ遺言と思ってもらいたい。わたしは、そのようなつもりで、日々を生きて来たつもりである……」

 と言っている。それは常に死を覚悟して生きて来た姿とは言えないだろうか。あのおだやかな日常の生活において、父は心の奥底に大きな問題を、たしかに受けとめていたのだ。

 (おれは自分の日常がすなわち遺言であるような、そんなたしかな生き方をすること

ができるだろうか)

 信夫は、父の死を悲しむよりも、むしろ父の死に心打たれていたのである。

 

 人は種から始まって種に終わるのだから、自分の生となった種に感謝し、自分がどのような種になるのかを意識して生きる。どのような種になるのかを意識するということは、どのように生き、どのように死んでいくのかを考えることであるので、当然に死を覚悟した生き方となる。

 主人公の信夫は30歳で、事故で死んでいるが、やはり遺書を持っていた。どのように生きるのかはどのように死んでいくのかということであるので、死を見つめることで自分の今の生をより有意義に生きることに活かしていく。

 それは自分自身の死でもあるのだが、イエスの死でもある。

323p 「そうです。そのとおりです。しかし永野君、キリストが君のために十字架にかかったということを、いや、十字架につけたのはあなた自身だということを、わかっていますか」

 自分自身も罪びとであり、罪びとでないものは1人もいないのだから、自分もキリストと同じ十字架を背負って生きる。人間の宿命のようなものを背負って、そこからでしか生の意味は見つけ出せないと言っているのだろうか。しかもそれは特別なことではなく神の子であれば当然のことなのだろう。

 

205p 「でもね、おとうさまはご自分を決して正しい人間だとは、おっしゃらなかったのよ。自分は罪深い人間だ。すぐに人よりも自分が偉いものであるかのように思い上がりたくなる。これほど神の前に大きな罪はない、とおっしゃっていられましたよ」

 菊の声がしめった。待子はもう涙を浮かべている。貞行が死んでまだ四ヵ月もたってはいない。

 「そうですか。おとうさまがねえ。だけど、おとうさまはほんとうにりっぱだったから、人より偉いと思ったって、何もおかしくはありませんよ」

 わざと快活に信夫は言った。

 「いいえ、自分を偉いと思う人間に、偉い人はいないのですよ。このことは今すぐに信夫さんにわかるかどうか……。とにかく、今に思い当たる時がくると思いますけれど」

 自分を偉いと思う人間に、偉い人はいないという言葉は、信夫に痛かった。どうしても自分のことはすぐにほめたくなってしまう。どうも妙なものだと、あらためて信夫は思った。

 

 「人は2つの定規を持っている。」と言ったのも三浦綾子です。「自分を計る定規と他人を計る定規」だったと思う。自分を計る定規は甘く、人を計る定規は厳しいものだ、神の子には神から与えられた神の定規があるようである。

 

318p 「みなさん、愛とは、自分の最も大事なものを人にやってしまうことであります。最も大事なものとは何でありますか。それは命ではありませんか。このイエス・キリストは、自分の命を吾々に下さったのであります。彼は決して罪を犯したまわなかった。人々は自分が悪いことをしながら、自分は悪くはないという者でありますのに、何ひとつ悪いことをしなかったイエス・キリストは、この世のすべての罪を背負って、十字架にかけられたのであります。彼は、自分は悪くないと言って逃げることはできたはずであります。しかし彼はそれをしなかった。悪くない者が、悪い者の罪を背負う。悪い者が悪くないと言って逃げる。ここにハッキリと、神の子の姿と、罪人の姿があるのであります。」

 

 十字架につけたのはあなた自身だということ

324p 伊木一馬(街角の伝道師)の目は鋭かった。

「とんでもない。ぼくは、キリストを十字架になんかつけた覚えはありません」

 大きく手をふった信夫をみて、伊木一馬はニヤリと笑った。

「それじゃ、君はキリストと何の縁もない人間ですよ」

 その言葉が信夫にはわからなかった。

 「先生、ぼくは明治の御代の人間です。キリストがはりつけにされたのは、千何百年も前のことではありませんか。どうして明治生まれのぼくが、キリストを十字架にかけたなどと思えるでしょうか」

 「そうです。永野君のように考えるのが、普通の考え方ですよ。しかしね、わたしはちがう。何の罪もないイエス・キリストを十字架につけたのは、この自分だと思います。これはね永野君、罪という問題を、自分の問題として知らなければ、わかりようのない問題なんですよ。君は自分を罪深い人間だと思いますか」

 325p 「わかりました。永野君、これはぼくも試みたことなんだが、君もやってみないかね。聖書の中のどれでもいい、ひとつ徹底的に実行してみませんか。徹底的にだよ、君。そうするとね、あるべき人間の姿に、いかに自分が遠いものであるかを知るんじゃないのかな。わたしは、『汝に請う者にあたえ、借らんとする者を拒むな』という言葉を守ろうとして、十日目でかぶとを脱いだよ。君は君の実行しようとすることを、見つけてみるんだね」

 

 そして信夫は「なんじ心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、主たる汝の神を愛すべし、また己のごとく汝の隣を愛すべし」という定規を持って生きることとなった。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 医療と介護 | 16:13 | - | - | - | - |
在宅ホスピス奮戦記 5
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在宅ホスピス 5

   検診率をいかに上げるか。

 

 1990年代半ば以降、がんの死亡率を確実に減らすことに成功しているアメリカの政策を見てみよう。「がんの予防と早期発見」を、国を挙げて取り組んだ政策の一部を紹介している本がある。

 

『日本のがん医療を問う』NHKがん特別取材班 新潮社 発行20051220

情報は少し古いが、読んでみる必要のある本です。

 

先ず、がんに対する優れた政策を実現するには、患者自身や家族が声をあげ提案していくことが必要だろう。

 181p 「すぐれた政策は、人々の声がコーラスのように集まって生まれるものです。一人の人が法律を作るべきではありません。多くの人々が必要としていること、望んでいることをもとに作られるべきなのです」

 

全米がん生存者連合(NCCS)会長 エレン・ストーバルさん

「がんの体験というのは、一人一人全く異なるものです。ですから、がんを体験した人、一人一人の声に耳を傾けなくてはならないのです。私はそうした声をくみ取り、伝え続けていきたいと考えています。これは、私のようにがんを体験し、克服した者の使命なのです」

がんサバイバーと政府、それに医療者が共に歩みながら、より良いがん医療の実現を目指していく。こうした取り組みが、アメリカでは、ごく当たり前のこととして定着しているのだ。

 

がんサバイバーとは、がんという病と向き合いながら生きている人々。

 179p〜 全米がん生存者連合は、1986年、アメリカ南部の地方都市アルバカーキで活動を始めた、 がん患者を中心とする創立メンバーは、「がんと診断された人は、その瞬間から患者ではなく、サバイバー、生存者なのだ」という考え方を唱えた。その人を“病”の観点からではなく、“生”の観点から見ようという考え方だ。

 

 その全米がん生存者連合とアメリカ臨床腫瘍学会は「良質なケアを推し進めるためには、患者と医師がお互いによく理解し合うことが大切だからです。」として、定期的な会合を開いている。

 

アメリカ臨床腫瘍学会会長 デビッド・H・ジョンソン会長

182p「このような議論は、患者がどう病と向き合っているかを知る上で、大変有益なものです。我々医師は病気そのものについて知るだけでなく、患者の心理的な側面もあわせて理解することによって、より完全に病気の治療に取り組むことができるのです。そして、そのための情報というのは、患者との対話からしか得ることができません。患者は治療の対象ではありません。我々のパートナーなのです」

 一方、ストーバルさんも、がんサバイバーが積極的に会合に参加し、医師に要望を伝え続けることが大切だと考えている。

 

では、国はどう動いたのか?

185p〜 アメリカでは保険の無い人たちが、何の治療も受けることができずに亡くなっていると思っている人が、日本には多い。しかし、がんの種類によっては、無料の検診を行っているだけでなく、治療も無料で受けられることを知っている人は少ない。公的な検診で見つかったがんに限るという制限があるものの、例えば乳がんでは切除手術だけでなく、その後の乳房の再建手術まで保証されているのだ。

 こうした手厚い仕組みをアメリカ政府が作ったのは、所得の低い人を放置しつづけて、がんによる死亡者が増えれば、国として経済的に大きな損失になると判断したためだ。

 NCI(国立がん研究所)のカレン・アントマン副所長は言う。「早期発見と予防の政策は、がんの死亡率を下げる最も効果的な方法です。何よりもがん検診は、国にとって有益な投資なのです」

 

がん検診を勧めて、患者が受診すると、がんが早期に発見される確率が高まる。がんは進行して見つかった場合、高額な医療費がかかる。逆に、早期に発見されれば医療費は安く抑えることができる。

 

196p〜 なぜアメリカ政府は、これほどまで国民にがん検診を受けさせようとするのか? それは

「がん検診を行えば、国が経済的に得をする」と考えているためだ。

 その考え方を見てみよう。

 検診を行わない場合、がんは進行して発見され、高額の医療費がかかる。その上、多くの患者が死亡する。患者がメディケアやメディケイドという公的な保険に入っている場合、医療費の一部が政府の負担となる。

 一方、検診を行う場合、毎年検診費用がかかる。さらにがんが見つかると、医療費も発生する。早期に発見されれば比較的少額で済むものの、あわせると毎年検診を行う方が国の負担は重くなる。しかし、助かった患者はその後社会復帰して、モノを買ったり、税金を払うなどの経済活動を行う。こうした経済活動を国の利益と計算し、検診や治療にかかったコストと相殺すると、検診を行った方が国の得になる。これがアメリカ政府の考え方だ。

 具体的には、患者の生存期間を一年延長させるためにかかる費用を試算する。

 乳がんの場合、50歳から79歳の女性に対してマンモグラフィー検診を2年ごとに行うと患者の生存期間を一年延長させるのに1万7269ドルかかる。コストが5万ドル以下であれば、その検診は経済的にメリットがあるとされているので、乳がん検診はコストに見合うというわけだ。現在行われている乳がん、子宮がん、犬腸がんの検診は、いずれもこの数式に当てはめると「得をする」計算になるという。

 社会的投資であるがん検診には、コストに見合うだけの結果が求められる。がんを確実に見つけられるよう、検診の精度を高いレベルに保つことが前提だ。

 

198p NCI(国立がん研究所)のカレン・アントマン副所長は、アメリカががん検診を重要視する理由をこう説明している。

「多くの患者は、人生の半ばでがんになります。患者には家族や子供もいる。仕事も持っている。その人を失うことは、経済的にも社会的にも、国にとって大きな打撃です。検診を行って早期発見、早期治療すれば国民が長生きし、国も得をする。ここまで明確な理屈がわかっているのです。それを知りながら、何も手を打たずに漫然と苦しむ患者を増やしていく国があるでしょうか。

 検診で救うことができる命はたくさんあります。しかし、それを達成するためには、地味で煩雑な仕事をしなければなりません。こうした仕事を担うことができるのは、民間企業ではなく、国をおいて他にはありません」

 

アメリカ政府が行っているがん検診は、現在、乳がん、子宮がん、大腸がんの三つ。日本では胃がんと肺がんの検診も集団検診で行われているが、アメリカは実施していない。

 

なぜか?

 その理由について、アメリカ政府は胃がんによる死亡者が非常に少ないことを挙げる。2002年のWHO(世界保健機関)の統計によると、胃がんによる死亡が、男性の場合、日本では人口10万人当たり56.8人だが、アメリカではその10分の15.5人程度だ。また肺がんは、早期に発見しても治すのが難しいため、検診を実施したら亡くなる人の数が減るという有効な証拠が示されていないと結論づけている。

 こうしたがんの検診を、国として大々的に行うのは「コスト的に意味が無い」というのだ。

 

では、肺がんに関してはどのような取り組みをしているのだろうか?

199p〜 受診無料の禁煙治療

 アメリカで、がんの死亡者のうち最も多いのが肺がんによる死亡だ。

 肺がんの対策と言えば日本では検診とされてきたが、これまで紹介してきたように、アメリカは公的な肺がん検診を行っていない。肺がんは治療が難しく、検診のコストをかけて早期に発見しても、全体の死亡率を下げるという有効な証拠が示されていないからだ。

 検診の代わりに、政府は禁煙対策に力を入れてきた。たばこに含まれている化学物質は4000種類。このうち40種類から60種類に発がん性があるとされている。たばこをやめさせて、肺がんにかかる人を減らせばいいというわけだ。

 実際、アメリカの肺がんによる死亡率は年々減少する傾向にある。アメリカでたばこの健康被害への対策が始まったのは1964年。公衆衛生総監が「たばこは肺がんの原因である」と報告したことをきっかけに、19世紀初頭から増加傾向にあった消費量は減少に転じた。70年代には、喫煙できるスペースを制限する分煙政策が導入され、「喫煙は肺がん、心臓病、肺気腫の原因となり、妊娠障害を起こすおそれがある」などの警告文をパッケージに表示することが義務づけられた。減少傾向は続いた。

 しかし、それから数年すると、たばこの消費量の減少カーブが緩くなる。そこで政府が次に踏み切ったのは、喫煙者からたばこを取り上げる、より積極的な政策だった。

 1980年代。まず連邦政府が、たばこ税を2倍に引き上げた。

1989年、国民120万人を対象にアメリカがん協会が5年間かけて行った「たばこの健康への影響」の調査結果が公表された。報告では、喫煙者ががんにかかる危険性が、たばこを吸わない人と比べて具体的に示された。危険性は、肺がんでは男性で22.4倍、女性で11.9倍。喉頭がんの場合は男性10.5倍、女性17.8倍。食道がんは男性7.6倍、女性10.3倍だった。それまで考えられてきたリスクを遥かに超える結果だった。

 

200p CDC(疾病予防対策センター)たばこ対策局のコリーヌ・ハステン局長は言う。

「がんとの闘いに勝つためには、たばこを劇的に減らすことが不可欠です。肺がんの原因の90%はたばこです。『国民が病気になるまで待ち、治療を行う』という受け身の政策では、医療費がいくらあっても足りません。『まず国民を病気にさせない』。これが国として果たすべき使命だと考えます」

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 医療と介護 | 19:39 | - | - | - | - |
在宅ホスピス奮戦記 4
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在宅ホスピス4

  がん予防の啓発。

 

115日に父の要介護判定結果は5である知らせが、「介護保険 要介護認定・要支援認定結果通知書」姫路市介護保険課から郵送で届いた。

 ここでちょっとした問題が発生していた。

 花北ケアセンターの担当者から要介護認定書が届いているか?という電話があった。同じ頃からお世話になった方には15日の審査会で審査がおりていると家族から電話があったが、小嶋さんのところはまだですか?という連絡だった。「何もきていない」と告げると、ケアセンターから役所に確認の電話を入れて下さった。その後私宅に電話があり、「役所に聞いたら、医師の調書が出ていないために審査会にはかけていない。」ということだった。病院に連絡をして医師に確かめると、1224日には郵送されているとのことだった。その旨をケアセンターに連絡をすると担当者はとても驚かれていた。

 近頃、役所の士気が下がっているなと思えることが幾つかあったので、医師からの書類を紛失しているのかも知れないと思い、当会議員から確かめてもらうと、医師に確認中だったという、当方への説明とまったく違う答えが課長から返ってきたのには、あきれ返ってしまった。その後、すぐに認定書が送られてきたが、在宅を決意したものには不安の残る対応であることに間違いはない。

 後日に数人の医師から、同じように「届いていないとの対応に困惑した経験がある」との報告を受けた。常態化しているのではないか?

 

 『がんのひみつ』中川恵一著 朝日出版社に

 がんの予防についても書かれている。

 予防の12カ条

  がんは生活習慣に密接に関連しています

  食生活の欧米化で、日本のがんも欧米化した

38p〜

 がんにかかるかどうかは運次第、という面も否定できませんが、日常生活に気をつければ、ある程度がんを防ぐことが可能です。禁煙や運動、野菜中心のバランスのとれた変化のある食事は、がんの予防に効果的です。

 これらをまとめたのが以下の12カ条です。12カ条を積極的に実行すれば、がんの約60%(禁煙で30%、食生活の工夫でさらに30%)が防げるだろうと考えられています。

[がんになる確率を下げるための12ヵ条]

 1 バランスよく栄養を

2 毎日、変化のある食生活を

3 食べすぎを避け、脂肪はひかえめに

4 おいしい酒をまあほどほどに

5 タバコは吸わない

6 ビタミンと繊維質のある食べ物を

7 塩分と熱いものはひかえめに

8 焦げた部分はひかえめに

9 かびの生えたものには注意

10 日焼けはひかえめに

11 適度に運動を

12 体を清潔に

 

40p タバコとがん

 とくに、タバコはがんの原因の3割程度を占めるもので、禁煙がもっとも効果があります。日本の喫煙率は、滅ってきたとはいえ欧米の倍以上で、実は日本は世界一の「タバコ大国」。世界一の「がん大国」の一因です。

 現在、日本でもっとも死亡が多いがんが肺がんです。タバコが原因の肺がんは男性で70%、女性で15%。とくに若い人の喫煙は危険で、20歳未満で喫煙を開始した人は、吸わない人の約6倍も肺がんによる死亡率が高い。

 ノドのがん・胃がん・食道がん・肝臓がんなども、タバコで増えます。あまり増えないのは、大腸がんと乳がんくらいでしょう。がん全体では、タバコを吸う人は吸わない人より、なんとI・6倍もがんになりやすい。

 広島、長崎の爆心地から1勸米發琶射線を浴び、生き残った人の発がんリスクが1・7倍ですから、ものすごく高いリスクです。喫煙習慣がなくなれば日本男性のがんの3割が消滅するのです。

 

 なるほど、がんの約60%が防げる可能性がある。予防の啓発活動は重要なものだ。

専門家は「がんの2015年問題」を警告している。現在300万人いるがん患者が、2015年には540万人まで増えるというのだ。人口動態で予測した私の数よりも、随分に多い。大量のがん難民が予想される事態が目の前にまで来ている。施設の倍増や在宅医療への期待も大きいが、がん予防の啓発も重要な施策となる。

 

 前回に少し紹介した

「がんの正体」PHP 201023日第1版も是非に読みたい一冊です。

38p

タバコがやっかいなのは、吸う本人だけでなく、周囲の人にも影響を与えてしまうことです。ときどき「自分はタバコを吸うのに健康で、タバコを吸わない妻が肺がんになってしまった」という人がいます。自分が吸わなくても、周囲で吸う人がいると。“間接喫煙”になり、肺がんのリスクが2030パーセントにまで増えるといわれています。タバコのフィルターにはタバコの煙に含まれる発がん物質を取りのぞく働きがありますが、周囲の人にはフィルターはありません。さらに悪いことに、タバコの煙は温度が下がるほど発がん性が高くなるのです。家族をがんにしたくないのなら、タバコはただちにやめることをおすすめします。

 

106p 日本中からタバコがなくなれば、男性のがんは3分の1

禁煙の効果 (American Lung Associationのパンフレットをもとに作成)

1分  タバコのダメージから回復しようとする機能が働き始める

20分  血圧が正常近くまで下降。脈拍も正常値付近に戻る

8時間 血液中の一酸化炭素レベルが正常域に戻り血液中の酸案分圧が正常化。

運動能力が改善する

24時間 心臓発作の確率が減る

48時間 匂いと味の感覚が復活し始める

48時間〜72時間 ニコチンがからだから完全に抜ける

72時間 気管支の収縮がとれ、呼吸が楽になる。肺活量も復活し始める

2〜3週間 からだの循環機能が改善。歩行が楽になり、肺活量は30%回復

1〜9ヶ月 せきや静脈うっ血、全身倦怠感が改善される

5年 肺がんになる確率が半分に減る

10年      前がん状態の細胞が修復される。

口腔や咽頭、食道、膀胱、腎臓、膵臓など、がんになる確率が減る

 

タバコをやめてから5年たてばやっと肺がんのリスクが半分に減り、10年で「がんになる前段階の細胞」が修復される。ですから、なるべく早く、禁煙が必要でしょう。

 

39p 食生活で注意する点は?

2番目は何かというと、お酒、アルコールです。口腔がん、咽頭がん、喉頭がん、食道がん、肝臓がんなどは「アルコール関連がん」といわれ、粘膜の細胞に直接影響を与えてしまうだけでなく、肝臓に負担をかけます。厚生労働省の研究によると、日本酒で1日に平均2合以上3合未満を飲む男性は、がんになるリスクが1,4倍に、1日平均3合以上飲む男性では1,6倍になりました。

・・・中略・・・

適度な飲酒はリラックスやストレス解消に効果がありますが、それでも、日本酒なら1日に2合まで、週に1日は休肝日をつくってほしいところです。

 次に、毎日の食事ですが、これは動物性脂肪である肉類と塩分を控えめにして、野菜や果物をとり、バランスのよい食事を心がけることです。これはメタボリックの予防と同じですね。減塩で野菜をたっぷりとれる和食が理想的です。 

 

運動もがん予防に役立つらしい。

42p〜 運動といっても、・・・中略・・・少し汗をかいて、自分が心地いいと感じる程度で、2日にI度ぐらいの頻度でかまいません。

・・・中略・・・実際に適度な運動をしている人は、大腸がんや乳がんのリスクが減るというデータもありますので、運動はがんの予防に役立つといえるでしょう。

・・・中略・・・ がんは生活習慣病の一種です。毎日の生活の中に、無理のない程度で運動を習慣化すれば、がんになるリスクは減らせます。そして、適度な運動はがんだけではなく、メタボリックやほかの生活習慣病の予防にも大いに役立ってくれるのです。

 

しかし、がん予防の仕上げは検診であるので、次回は検診について紹介したい。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 医療と介護 | 19:21 | - | - | - | - |