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姫路ゆかた祭りの起源について
JUGEMテーマ:日常
 

姫路ゆかた祭りの起源について

 

昨日からゆかた祭りが姫路で始まりました。私が店主をしている千石茶屋の前も浴衣を着て歩いている人が沢山に行き交っています。ゆかた祭りとはどんな祭りなのか、本当は市民もよく分かっていません。そこで私がゆかた祭のお話をします。諸説と本当の話をします。

 

ゆかた祭りとは長壁神社の例祭です。(例祭:決まった日に行われる祭り6月22日23日24日の3日間)。神社の場所は姫路市立町『おさかべ神社』

 まつられている神様は刑部(おさかべ)大神、光仁(こうにん)帝の息子刑部親王と、その娘富姫(とみひめ)といわれていますが、いろいろな説があって、よくわかっていません。

 

 お城が築かれるずっと前から姫山にある地主神でした。神様が住むところは山とされています。神社の建物は仏教の寺院に影響を受けて建てられるようになりました。建物は鎮守神をまつり、地主神が災いを起こさないように従順に服属させ、その活動を守護・補佐することを期待して建てられたものです。 

 

秀吉が天守閣を、池田輝政が現在の城を姫山に築いて、鎮守神として歴代の城主に祭祀を重んじられてきました。鎮守神は城内にあり、武士以外の人は参拝できませんでした。 

 現在、天守閣六階に刑部神社という小さな社があります。総社にもあります。

 

隣接する長源寺に長壁大神の日供所(ひぐしょ)が設けられていましたが、大正末に分離し、長壁神社となりました。戦後、6月の神事は、呉服商組合、観光協会、地元らの協賛でさかんとなり、ゆかたまつりとして今や姫路の代表的な祭りとなっています。

 

『姫路ゆかた祭の始まり』

 諸説1

姫路城主・榊原政岑は信仰心に厚く、ゆかた祭を始めたことでも知られる心豊かな城主。しかし、日光代参の希望が幕府に聞き入れられなかったことに不満を持ち、酒色におぼれて、吉原通いを始めました。そして「色婦録」にも艶名をうたわれた名妓・高尾を落籍。姫路に連れ帰って、城内西屋敷に住まわせました。これらの行状が、当時倹約を推し進めていた幕府に知れ、政岑は糾弾されます。やがて政岑は20代の若さで隠居を命じられ、榊原家は越後高田へ転封となり、高尾も政岑に従って共に越後高田へと下ることになりました。高田への移動が決まると「さぁ、祭りだ、にぎやかに踊ろう」と最後の命を下し、突然の命に家臣たちが慌てると「衣装などゆかたで結構」と豪語し、ゆかたでの祭りを行いました。これが姫路ゆかたまつりのルーツだといわれています。

   

 ※こんな酒色に溺れた城主が、やけくそで始めた祭りを町衆が支持する分けがないではないか。日本の封建的支配は支配者と被支配者が互いの利益の上に承認し合っていた歴史があります。この解説をした学者は多分古い学者で、日本近世の庶民の暮らしを知らなかったのだと思います。

  

 諸説2

「姫路ゆかた祭り」は、風流大名・榊原政岑が始めた祭りといわれています。姫路藩主・榊原政岑は、城内にあった長壁神社を長源寺境内に社を移し、武士だけのものだった神社を庶民も参拝できるようにするため、御神璽(しんじ)を竪町に遷(うつ)す「遷座祭(せんざまつり)」を寛保2年の夏至(げし)の日に行うとの御触れをだします。「遷座祭」について、奉行から「お城のしきたりに沿う裃(かみしも)もないし、馬もないので梅雨明けの神事で祭りには欠かせない走り馬もできません」と町衆が困っているとの報告を受け、政岑は「それなら、裃がなくてもゆかたでよいではないか。走り馬は他の方策を考えればよい」と指示。裃の代わりに「ゆかた」、走り馬の代わりに「回り灯籠」を使って行われることになりました。以後、この例祭を「姫路ゆかた祭」と呼び、毎年、夏至の6月22日から24日に行われ、庶民にも親しまれ、姫路を代表するお祭りに育ちました。

 

※ 武士だけのものだった神社を庶民も参拝できるようにするため、御神璽(しんじ)を竪町に遷(うつ)す理由は何だったのか?疑問を持たなかったのでしょうか?もっともらしい説だが、なぜ庶民がこの祭りを有難がったのかということが不明なままでは、不満が残る。もっと踏み込んだ研究を続けてほしかった。

 

※ 歴史は構造的に考えなければいけない。

では、榊原政岑(さかきばら まさみね)とは?

 榊原政岑は江戸時代中期の大名播磨姫路藩3代藩主。榊原家8代当主。

 テレビでお馴染みの「暴れん坊将軍」「大岡越前」の時代です。

 

       ここから本当の話をします。

 

 日光代参(にっこうだいさん)の希望を幕府に出したが聞き入れられなかった。

 日光代参とは将軍の代わりに日光へ参拝することです。将軍が家康の日光廟に参詣する行事を社参といいます。江戸中期以降は幕府財政が困窮したため社参ができなくなっていたので、代参が行われるようになりました。しかしこの代参は誰にでも出来るというものではなく、名家の証しでもあったのです。多数の家臣をひきつれた大名行列での参詣なので大変重い負担ではありました。

 榊原家は徳川四天王の一人榊原康政を祖としていて、三代忠次は幕閣に列して名を成しているので、誉れ高き名門榊原家を世にアピールしたかったのでしょう。重い負担を押しての重大な決意が聞き入れられなかったことに、政岑の落胆ぶりが想像できます。

 多くのゆかた祭を紹介する文章に「そのことに不満を持ち、酒色におぼれて、吉原通いが始まった。」と有りますが、そうではない。

 

庶民派の徳川宗春の影響が大きかった。宗春は「行き過ぎた倹約はかえって庶民を苦しめる結果になる」「規制を増やしても違反者を増やすのみ」などの主張を掲げ、質素倹約を基本方針とする吉宗が推進する享保の改革に反対して名古屋城下に開放政策を採っていた。

 倹約令で火が消えたようだった名古屋の街は繁栄して「名古屋の繁華に京(興)がさめた」と言われるほどになっていた。

 

 元禄の経済成長は著しく米価も高騰を続けるインフレであった。享保に入って吉宗は緊縮財政を打ち出した。「享保の改革」である。米価は下がったが、他の物価は下がらず、祿米以外に収入のない武士の生活は困窮を極め、大名すら借金まみれとなっていた。

 しかし、積極財政で規制緩和を徹底した宗春の名古屋の繁栄は目を見張るものがあった。

 

北川啓介(名古屋工業大学大学院准教授)によると

宗春は、行きすぎた倹約は返って庶民を苦しめる結果となる、と言っています。規制を増やしても違反者を増やすのみとも言っていて、規制やルールを減らしていく政策をとりました。当時、日本は不景気の真っ只中だったため、吉宗は享保の改革という質素倹約を基本方針とする厳しい不景気対策をとりました。それに対し宗春は、開放政策を基本方針とする「温知政要」というマニフェストを刷って市民に配りました。当時の絵巻物を見ると、芸小屋や遊郭、お寺や神社など、とにかく何でも作っていました。不景気真っ只中の日本の中で、尾張名古屋だけが景気が良くなったので、全国から漆職人や金箔職人、彫師など、いろいろな職人さんが名古屋に集まってきました。そのためナゴヤには、300年前に生まれた文化が多くあるわけです。たとえば名古屋仏壇は、全国から集まった職人さんが腕を競い合ったことから生まれました。

 

「いくら上に立つ者が倹約を叫んでも、その結果幕府の金庫にお金がたまるだけで、民衆が苦しむ状況が続くなら、これは本当の倹約とは言えません。
 私は華美な生活をしているように見えますが、それによって世間にお金が回り、実は民の助けとなっているのです。事実、町人には負担をかけず、農民の年貢も増やしていません。民とともに世を楽しむ。こうした私のやり方こそ、本当の倹約といえるのです」NHKそのとき歴史は動いたより

 

 政岑より17歳年上だった宗春の庶民派の政策を、政岑は目を輝かせて聞き入ったことでしょう。日光代参が聞き入れられなかった不満もあったので一層の説得力が有ったはずです。

※ 庶民とともに世を楽しむ政岑の治政観が、御神璽(しんじ)を竪町に遷(うつ)す理由だったのです。

 

吉原での遊蕩の大先輩・浅野吉長と宗春に若き政岑は吉原に連れられていきました。遊び仲間というには歳の差が開きすぎている。政岑は連日、両大先輩の酒肴にされていたのでしょう。政岑は正室が早死にしていたこともあって、太夫に恋をしたことも自然な成り行きです。

※ 政岑は宗春のマネジメントも学び姫路の城下を繁栄させた。当然、庶民からの人気も高くなる。太夫との恋愛も風流と受け入れられた。

 

 宗春は徳川御三家筆頭でありながら兄継友が将軍位を紀州家の吉宗に奪われた事、(そのため継友は吉宗の紀州勢力によって毒殺された、という風評が立っていました。)で強い反発を幕府に持っていました。宗春は広島の浅野吉長(母は尾張2代徳川光友の娘なので、浅野と尾張家は親戚)と政岑とを巻き込んで幕府への謀反を計画していた様子が伺えます。宗春が数万の兵を用意しようとしたことや、その後の幕府からの執拗な厳しい処分(処分は死後も続き墓石に金網が掛けられた)にも見られます。

 宗春の派手な遊興は幕府転覆の隠れ蓑であったのです。(吉宗と宗春の対立は歴史上、または歴史物語の中でとても有名なものの一つです。)

 

当時、米切手の証券と帳合米取引の先物を扱う堂島米会所は世界一の規模であったらしい。その取引所で、政岑は網干屋や播磨屋を使い、幕府の米価政策と張り合うこともあった。米本位制が幕府経済そのものであったことを思うと、その繁栄の隆盛を物語る。盆踊りさえ禁じられていた江戸のようにではなく、華やかな祭りを庶民と共に楽しみ、加役をかけず年貢も薄くしていく政策を宗春から学んだ政岑が、反幕府により処分される。その、城主を不憫に思う民の気持ちがゆかた祭りに現れたといえる。

 

越後高田へ転封

吉宗は寛保元年9月に出府を命じ、近々所替があろうとの内命を与え、隠居、蟄居を命じ、家督は子の政永に継がせたが、越後高田に懲罰的転封を命じた。

その後、6130年間にわたり高田城主をつとめ、1871年の廃藩置県を迎えた。

吉宗をモデルにした「暴れん坊将軍」のオープニングシーンが姫路城であることに皮肉を感じます。

 宗春は行きすぎた自由化と相場の失敗と幕府の謀略にはまり蟄居。広島の浅野吉長はもともと高齢者であった。                                                   

 

姫路は山陽道と山陰道を結ぶ基点で、出雲・因幡・但馬街道が分岐する交通の要所。幕府に盾つく者を置いてはおけません。

高田への転封が決まると、庶民派の政岑は町の人々との別れを惜しみました。政岑は自らゆかた姿で高尾と祭りに出かけて町の人々とゆかた祭りを楽しみました。

町の人々も政岑と高尾の一途な愛に共感し、喝采を送った。人々は若い二人の真摯な愛を支持し「ゆかた祭」が後世に引き継がれることになりました。

その2年後、政岑は29歳の若さで死去してしまいます。高尾は、尼になり連昌院と号し、上野池の近くに住んだとのことです

 

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日記 | 17:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
父親として、子育てを考えてみました。
JUGEMテーマ:日常
 

今朝からとても気分がふさいでいて、何もする気になれなかった。とりあえずテレビをつけて、政治討論番組を見て、石川遼のゴルフを見て、漫然と時間を過ごした。疲れているな、と思いながら半ば眠ったようにごろごろしていると昼になってしまった。

 

 遼くんと似たような年頃の息子がいるが、私はどうも子育てが下手なようだ。どうしたら遼くんのような子供が出来るのだろうと思い、童話屋が出版している、小さな学問の書ぁ嵶派な父親になる」林道義著を読んでみた。

 

 「なぜ子供には立派な父親が必要なのか」予期はしていたが、初めから馴染めないテーマで始まる。子供は向上心が強く、立派な人間になりたいと思っているから、父は模範になれと言っている。遼くんの父もイチローの父もどんな人か知らないが、立派な人なのだろうな、とぼんやりとイメージした。相撲界は親方が親代わりだから、風俗好きの親方にヤンチャな横綱が生まれて、博打好きの親方に育てられた力士はやっぱり博打に罪悪感はないよな、と思えた。そういえば昔に知り合いだった組は、野球部出身者が多く、親分のボディーガードには出世できなかった相撲取りが何人かいたように記憶している。組の経営している風俗店の店長が元ボクサーだったりで、スポーツで人格は鍛えられない。指導者の人格によるのだろうか。彼らの指導者はどんな指導者だったのだろう。彼らの親はどんな親だったのだろうと、漠然と考えた。

 

 父親の自我が立派であれば、子供の心は安定しており、安心して高いものや美しいものを追求することができる。らしい。家の3男はつい先日に級友と喧嘩をして、級友に膝蹴りをして、前歯を折ってしまった。これも父親の自我が浅ましいものだからに違いない。酒鬼薔薇聖斗の父はどんな人だったのだろう。息子が、そんなことをするだろうと予測は出来ただろうか。最近、長女が電車の中で痴漢をされた。長女は男4人兄弟に鍛えられているので、痴漢なんか屁でもなく、とっ捕まえている。一度、その痴漢の親に聞いてみたい。あなたは自分の息子が満員電車の痴漢の常習犯に育てた罪をどう思うか。あいつならするだろうと思った、と言うだろうか。

 級友と喧嘩をした私の3男は、少しアホだが心優しい良い子です。

 

「よい子」とは、主体的な判断力もあり、精神的な強さもあり、勉強でも運動でも努力する子、思いやりのある子どもを言う。らしい・・・。そんな子もいるんだろうな、そういう子がエリートになるんだろう。「エリートとは、なによりも道徳的に高潔でなければならない。その上で能力にすぐれている者をエリートと」言う、のだそうだ。うちの子は誰もエリートにはなれないだろう。「よい子」「わるい子」「ふつうの子」で言えば、家の子はみんな「ふつうの子」で親は「わるい親」だろう。主体性は未熟で、精神的にも強いとは言えず、努力はとりあえず人並みにはしてきた、という親がほとんどではないだろうか、そんな親に、高潔で能力に優れたエリートは育つのだろうか。とりあえずパンツ一丁でビールを飲みながらテレビの野球に野次を飛ばすのは止めた方がよいかもしれない。

 

「家族の中における父親とはまさにエリートでなければならないし、リーダーでなければならない。」ムリです。出来れば、こんな父親になってはならないと、反面教師にしてください。

 

父親は子どもを「健全な心身と、正しい判断力と、強い責任感を持ち、他人を大切にし、他人と協力できる」大人に育て上げる責任を負っている、ということですが、父親というのはとてもハードな存在なのですね。

 

「このような父親が多くなればなるほど、子どもたちは立派に育ち、社会は平和で繁栄し、地球の環境は守られるだろう」

 通りで世の中が無茶苦茶になっているわけですね。父親塾でも作って、子どもを立派に育てて、政治家や官僚や実業家にしていかなければなりませんね。子どもをエリートにする父親塾が日本には必要なわけですね。ところで、日教組についてはどう思われますか?

 

14p 子どもを慈しむ

 立派な父とは、まずなによりも家族を慈しむ父でなければならない。「慈しむ」とは、「愛する、大切にする、守る、可愛がる、恵み与える」という意味を合わせたような意味である。これは昔から「仁」とか「慈愛」という言葉で表わされてきた。

 家族を大切にしない男は父とは言えない。

 

私は家族に大切にされたいと思っている、メメシイ奴なので、父ではないかも知れない。

 

「仁」という、儒教的思想を見直す必要はあるかも知れませんね。五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を育み、五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)に生きることを、見直してみる。

「慈愛」という仏教的な大きな愛のあり方も、見直してみる。

 

22p 正しい心を持てば、正義の道を見つけやすくなる

 「全体の視点」から正義や道義という考え方が生まれ、それを実現するために規範やルールが生まれた。正義・道義とは正しいすじみちであり、人が行うべき正しい道である。正しい道とは、自分だけが幸せになる道でなく、みなが一緒に幸せになれる道である。

 

 正義や道義ですか・・・。陽明学で有名な大塩平八郎を私は尊敬している。

「小人に国家をおさめしめば災害並びに至る」と私も思っている。

 

 ここまで読んでいて思ったのは、これはアメリカのエリート教育と基本的に同じですね。

自主性、自立心、独創性、奉仕の精神を養う。社会的地位の高い所へわが子を送り出す。ボーディングスクールがすることを家庭教育でしようということ。つまり国、会社、社会、一族の行く末を左右する者として、生き抜く力を親が身につけさせる。そのために必要なものを親も学び、社会的責任として、「健全な心身と、正しい判断力と、強い責任感を持ち、他人を大切にし、他人と協力できる」を子に教える。これは大変な仕事です。親が仕事をし、社会的責任を果たし、その上に子どもの教育までは、無理なような気がします。日本版ボーディングスクールを作るほうがいいのではないでしょうか。

家の子には無縁ですが・・・。

 

 父親は民族の文化を子に伝え、礼節を教えなければならない。

文化は近代思想史を研究していたので得意なのですが、礼節がチョット・・・。いつも無愛想なもので、人付き合いは苦手です。

 

36p 父親はなによりも「公共」という視点を待ち、子どもに道徳と礼節を教え、理想と正義を指し示す存在でなければならない。 

 

 少し、ハードルが高すぎるような気がします。

 

40p 大人とは、物事を客観的に見て、状況を正しく判断でき、また自分の感情をコントロールして、利己的でなく、他人と協調して全体の利益と調和を図ることができる人のことである。

 

 この基準でいくと、世の中にいったい何人の大人がいるのだろう。多分、百万人に一人もいないのではないでしょうか。こんなに固定的に、同心円的に物事を考えている人がいるのですね。なんとなく宗教の教示のようにも感じます。以前に、宗派は分かりませんが、キリスト教の方にこのような話を聞きました。父なる神の存在ですね。父親に完全な存在は無理なので、やっぱり、牧師さんや神様にお願いしたほうが善いのではないでしょうか。

 

47p 人間は、自主的に行動するためには、その前にしっかりした価値観と人格を獲得していなければならない。つまり自主的に判断するための基準である人格的な基礎を確立していなければならない。そういう中心の価値観ができあがっていて初めて、自分なりの自主的な判断に基づいて行動できる。

 自主性の前提はしっかりとした人格である。つまり、まず人格を育ててから、自主的に行動しなさいと言うべきなのだ。

 

 屁理屈を言うようで申し訳ないのですが、その価値観がイスラム原理主義だとすれば、どうなりますか。子どもに道徳と礼節を教え、理想と正義を指し示すジハードであれば、やはり正しいのでしょうか。

 

50p 本当の権威というものは、父なら父が人間的に信用できるとか、人格が立派だと感心されるとか、実力があると一目置かれるというように、本物の中身があるために、その人をみなが尊敬している状態である。

 

 これはやはり天皇陛下のことを言われているのでしょう。一家の長は父であり、国の父は天皇陛下である、と言われているのでしょう。天皇イデオロギーとは、このような父権を言っているのではないでしょうか。理想の父親像としての天皇陛下。

 権威主義的ではなく、国民の成長を暖かく寛大な御心で包み、尊敬を集める存在が、今の天皇のお姿だと、真正保守は言っているように思うのですが。

 

62p

「自然のすばらしさを味わわせようという気侍ちは正しいし大切だ。しかし、ただ自然の中に運れていきさえすれば、子どもたちが自動的に自然を味わうかというと、そんなことはない。子どもたちは自分の力で自然を味わう能力が開発されていない。自然とどう付き合ったらいいか、日常生活の中で体験させられたり、教えられていないのである。だから父親の方が工夫して、子どもたちを自然に親しませ、そのすばらしさに気づかせるように努力しなければならない。」

 

 ボーイスカウトの指導者にも、同じ話を聞いたことがある。ボーイスカウトの指導者も子どもたちの父なのだろう。

 

70p 男らしさを育てよ

 立派な父になるためには、自らが男らしくなると同時に、子どもを男らしく育てなければならない。なぜなら男らしくなくては、立派な父親になることができないからである。

「男らしい」とは、正義と真実を守るために、また地球と家族を守るために戦うことができるように、精神的にも肉体的にも強くなり、そのための勇気を持つことをいう。

 

 ボクシングの亀田親子は、男らしくなると同時に、男らしく育てているが、正義と真実には何の関係もない。

 アメリカ大統領だったブッシュ親子はどうだろう。テロとの戦いは、アメリカとアメリカの家族を守るために戦ったのだろう。そしてそれは正義と真実を守るための戦いだったと言っていいのだろうか。

 

300円で買った、小さな本だったが、憂鬱だった午後が思索に富んだものとなった。いろいろなことを考えさせられて、面白かった。

 ユング心理学入門や、ユングでわかる日本神話や、日本神話の英雄たち、家族を蔑(さげす)む人々 フェミニズムへの理論的批判、も読んでみようと思います。

 

フォルクローレで、父と子の歌を書いてみました。

・・・・・・・・・・

 

旅へ出よう 

         

ラララ〜 ラララ〜

   今頃になり  お前を想う

   力のうせた  私のこども

   私を許せ   大人を許せ

   力なくした  私のこども

   夢をなくした 私のこども

        そうだ 旅へ出よう

        そうだ 旅へ出よう

  

語り  君は空を飛ぶ夢を見たことがあるはずだ。

    それは遠くて深い記憶だ。人は空を飛んでいた。なぜ飛べなくなったかって?

    それは人が太陽を裏切ったからだ。

 

ラララ〜 ラララ〜

   今頃になり  お前を想う

   力のうせた  私のこども

   羽をなくした 飛べなくなった

   力なくした 私のこども

   太陽の丘   高原の空 

        そうだ 旅へ出よう

        そうだ 旅へ出よう

 

語り  それは神話ではなかった。アンデスの標高4500mの高原では本当に

    人間が空を飛んでいた。それどころか、リャマもアルパカも

    コンドルのように飛んでいたんだ。金でできた花も咲いていた。

 

ラララ〜 ラララ〜

   今頃になり  お前を想う

   力のうせた  私のこども

   熱いこころを さがしに行こう

   憧れだった  コンドルの歌

   アンデスの空 空は一つだ

       そうだ 旅へ出よう

       そうだ 旅へ出よう

 

語り  アンデスの空は君が見上げている空と一つだ。

君の心の中の空ともつながっている。空を見上げることは旅だ。

人生を旅することだ。君の太陽はまぶしいか?星空は光輝いているか?

アンデスの空 限りない空 空は君のものだ 

そうだ 旅へ出よう 

そうだ 旅へ出よう

 

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日記 | 00:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
緊急提言 消費税10%で日本はどうなる
JUGEMテーマ:日常
 

緊急提言 消費税10%で日本はどうなるか

 

先日から沢山の電話やメールをありがとうございました。丁寧にお答えさせてもらったつもりですが、言葉の足らなかったところもあったと思って、反省しています。ここに、要点を整理しておきます。

 

大きな問題点は3つあります。

 

1)医療崩壊が本格化する。

2)貧困層の生活に大打撃。

3)消費低迷による雇用条件の悪化。

 

解決策はあるか。

 

1)地方主権

2)資産に課税して、フローに課税しない。

 

・・・・・

 

1)医療崩壊が本格化する

 

     病院損税の拡大による、病院の経営難が深刻化。

 

89年の3%消費税導入に際し、消費税法では保険診療は非課税とされています。しかし、医療機関では薬や医療器具や材料の仕入れに消費税がかかるので、それに見合う分として診療報酬の一部が引き上げられました 。この額は医療内容によって変わりますが、平均して0.76%。医療機関にとって、この程度の診療報酬引き上げでは消費税の負担を補うことはできず、医療機関が損をするという、いわゆる「損税」が発生することになりました。
 

97年に消費税が5%に引き上げられると、診療報酬はさらに0.77%引き上げられ、本来の医療費より1.53%上乗せになりましたが充分ではなく、医療機関の損税は日本病院会の02年の調査によると、1病院あたり年間7482万円にもなっています 。さらに、その後の診療報酬マイナス改定で上乗せ分がまったく分からなくなってしまい、病院の経営上ゆゆしき問題になってきています。

医療は非課税とされているので、私達患者に消費税を転嫁することは出来ません。病院の「経営困難」による倒産があれば地域医療の崩壊に拍車がかかります。今後、このまま消費税の増税があれば、病院の健全経営と安全で適切な医療が失われることになり、その被害者は私達患者であることを忘れてはいけません。

 

社会保険診療を非課税から課税に改める議論もあります。

私達は地元議員から国へ、医療から消費税を無くすようにお願いしています。そうすれば、薬価や診療報酬は下がり、患者負担を軽減することもできます。

 

救急や多くの入院患者を引き受けて下さっている病院に対しては、仕入れ品の消費税を早期に還付するのが公正なあり方ではないかと、皆様のご理解をお願い申しあげます 。還付された費用は、病院勤務医の医師不足による過重労働が問題になっているので、医療行為以外の医師の仕事を軽減させるための医療秘書の雇用や、医師の待遇改善等に使われる必要があると考えます。(医療秘書:高度化、チーム医療化が進む病院では、医師のスケジュール管理や、医師・看護師等の各職務のパイプ役を担う存在として、大きな役割を期待されている。)  

 

 次の業界紙の記事を読んでください。

 

日医・経営分析 

民間医療機関の損益分岐点は危険水域

 日本医師会は、2006年4月の診療報酬改定後の民間医療機関の医業経営動向について分析結果をまとめた。それによると、今年4〜6月の法人病院、法人診療所の損益分岐比率は経営上の危険水域といわれる90%を超えていたことが分かった。

 分析は日医総研が行い、税理士や公認会計士で組織するTKC全国会がまとめた4〜6月の医療機関の損益状況速報を活用した。TKCデータは、全国の医療機関の4〜5%程度をカバーし、公的・公立病院を除いているため、民間医療機関の現場実態が把握できるという。

 法人診療所の損益分岐比率を診療科別に見ると、「産婦人科」(93.4%)と「小児科」(97.8%)以外の全診療科で悪化し、すべての診療科が90%を超えていた。特に「外科」は100.1%で、医業損益が赤字になっていた。

 法人病院の損益分岐点比率は、「総合病院」95.9%、「内科系」91.7%、「外科系」94.1%、「精神科」92.8%と、いずれも90%を超え、それぞれ前年同期比で2ポイント前後悪化していた。

 経常利益率は、「産婦人科」で改善し、個人診療所が25.8%、法人診療所が5.5%。一方、「精神科」の法人診療所は2.4%、「整形外科」の個人診療所は26.5%となり、悪化した。

 

(日刊薬業2006/12/04)

 

     つまり、消費税10%で日本の医療は崩壊する。

 

・・・・・

 

2)貧困層の生活に大打撃

特に貧困高齢者層の生活が地獄さながらとなる。

 

     年金の実質的な目減り。生活に必要なものしか買っていない貧困層を直撃。

 

3)消費低迷による雇用条件の悪化。

 

  ※ 誰にでも普通に想像できることです。

  

政権与党の新マニュフェストはやはり、

中途半端な、どこかで聞いたような断片を並べたものに過ぎなかった。

  菅総理の発言は、増税のための言い訳マニュフェストにしてしまった。

  ベテラン議員に聞いてみると、やはり、菅さんは財務省の罠に嵌められたようです。

 

解決策はあるか。

 

 今の国の借金は、政官業の既得権益のための癒着によって、生み出されたものなので、根本的な解決が必要です。政官業の癒着を無くすには、道州制の実現しかない。国の無駄遣いの半分は地方主権で無くなりますし、公共投資の見直しも本格化する。財政再建は増税ではなく、地方主権の確立にあることを、国民は認識し、過去の既得権益の恩恵を受けた人達のツケを払わされることを甘受してはいけない。

 

 充実した福祉政策を実現するのに1億3千万人の中央集権では規模が大きすぎて、的確な政策は打ち出せない。多くても、1000万人程度に区切って、必要な福祉政策を設計する必要がある。福祉政策に成功している国の人口規模を見てほしい。これは医療政策を勉強してきて、分かったことですが、成功したように見えている国の、政策が全て正しかったから成功したわけではなく、人口規模が小さかったから軌道修正の手間が少なく、政策が有効に機能しただけの話しです。福祉政策の基本は、パイを小さくして地域全体で福祉の経営計画を立てることです。先ず、規模が大きくなりすぎていることで、大きな無駄だらけになっていることを、政策立案者は知るべきです。

 

もともと福祉部門は大きな負担を必要としていて、消費税をあと5%上げた程度では賄えない。10%にしたところでまだまだ足りないので何も変わらない。福祉税として、少なく見積もっても20%前後の消費税が必要なので、ここで消費税増税ではなく、国のカタチを根本的に見直す必要があります。消費税を上げても財務省の権限が拡大するだけであることを見逃してはいけません。

 

 新たな財源はあるか?

 

『「知の衰退」からいかに脱出するか?』大前研一著 光文社

で、大前先生の提案が示されている。

有効であるように思える。

 

消費税増税で貧乏人からむしり取るのではなく、既得権益の恩恵を受けた人の資産から、頂くのが筋というものでしょう。

 

149p

シンプルに言えば、国民の個人金融資産1500兆円に対して1%の資産課税をすれば、15兆円の税金が国庫に入ることになる。次に固定資産、不動産がだいたい2000兆円分ぐらいあるので、それにも課税すると、1%で20兆円。これで併せて35兆円の税収が確保でき、現行の国家予算の半分以上はまかなえることになる。

 このように資産に課税していって、フローには課税しない。たとえば個人の所得とか法人の利益とか、そういうものには課税しないことにする。

 そして、相続税はなくしてしまう。

 

 なるほど、こういう減税の方法もあったのですね。

 ばら撒くだけ、ばら撒いて、増税はないよな。

 増税で国の借金を返そうと言っている東大教授がいるが、思考停止しているどころか、そんなことをしたら、消費税が福祉税では無くなるではないか。財務省の御用学者は怖いですね。

 

資産課税をすれば、眠っている資産は有効活用に回されるので、それだけでも経済効果は大きい。そして、土地の値段が下がれば、住宅産業が活性化して、あらゆる業種に好循環が生まれる。景気が良くなりすぎる懸念も、不動産にかかる税でバブルは押さえられる。

 4%のインフレターゲットはどこに税源を求めるかで、達成できる。

 

※ 消費税増税の前に、国民は徹底的に議論をする必要があります。菅さんは分かっていない。

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「生と死を考える」6 恋愛ベタ
JUGEMテーマ:日常
 

前日の続きを話します。

 

 恋愛とは、気合と間合いと話し合いです。全然知らない他人同士が何処かで出会って、いつの間にか好きになっているわけですが、その時間と空間を、意識化におくことは非常に重要なことです。順序としては、話し合うきっかけを作る。相手が都合のよい時間はいつ?さりげなく話せるところはないかな?という具合に戦術を立てます。勇気を持って、だめでもともとなのだから、誘ってみる。この最初の一歩から付き合い始めるまでの、間合いをコントロールするのは結構難しい。経験と技術がいる。この経験と技術を、詩を書いたり、詞を歌ったりすることで、シュミレーションしようと、いうわけです。

 

 鼻歌で簡単な歌を作ってみる。いろんな恋愛のカタチが見えてきます。自分に似合った恋愛って?どんなカタチをしているのだろう。似合わないことに、無理をしないほうがよい、そこで疲れてしまってはいけない。次の恋愛に十分な力を残しておかなければならない。歌を歌うように恋愛を考える。それぐらいの余裕と計画がいります。この間に必要なのは戦略的な考え方です。

 

曲全体のイメージを作る。曲のノリを設定する。曲全体の構成を考える。初めから戦略的な考えが身についているわけもないので、トレーニングをしましょう。好きなメロディーで、替え歌を作ってみる。から、初めて見ましょう。

普段から、詩を読んだり書いたりする。普段から、歌を聴くときには特に詞に集中して聴く。という作詞力をつけなければいけません。作曲する力よりも、作詞する力のほうが恋愛の距離感を養うのには重要です。言葉を積み重ねては、削る。言葉を集めては、捨てる。そんな作業が恋愛戦士を鍛えるのです。

 

重要なポイントを伝授します。「共感」の部分と、聴く人の想像力を少し超える「驚き」の部分とのメリハリを付ける。ひとりで恋愛をするわけにもいかないので共感が必要なことはわかりますが、驚きはとても重要なのです。意外性という刺激で相手を振り返らせる、そういった関係の新鮮さをいつも考えておく。そのことで一段と共感の部分が光ることになります。少しだけ、ほんの少しだけ、相手の想像力を超えた、驚きについて普段から考えておきましょう。

 

そして、曲作りは協働作業だということを忘れない。ステージに立つのもスタッフや、バンドや、聞いてくれる仲間が必要です。周りの人々のアドバイスを素直に受ける。これも必要なことです。

 

そして最も大切なことを二つ。一つは、歌を喜んで聴いてくれる友達を大切にする。恋愛を応援してくれる友達を大切にしておきましょう。二つ目は、決してメゲナイ!! 自分の歌の素晴らしさが分からない奴は所詮その程度の奴で、そんな生き方をしている奴だと、無視をして、歌作りに励む。さあ!次の歌にいってみようか。

 

・・・・・

例えば、久しぶりの同窓会で初恋の人に会うときには・・・。

 

 

夏の同窓会

 

ふる里へ 近づく列車の窓から ひまわり畑

ひとつき前に

いちまいの葉書に丸をつけて

ポストへいれた

来て下さいとちいさな文字が端っこに

僕は今でも君が好きだ  いっていいのかな

プラットホームに降り立って

小さな花壇にもひまわりの花

よく見てみたら ひまわりの影は虹色

白い太陽の恋心

七色のプリズム

夏の同窓会

 

昔の 話だけれど

駅の二階に 映画館があったよね

ちいさな映画館で

ひまわりの映画をみにいったよね

映画のあとに ふたりでいったはじめての喫茶店

コーヒーが苦かった16歳の夏

きみの胸がきになって

はずかしくて なにも話せなかった

きみの話は

ねこをかっている話ばかりだったけど

おもしろかったよ

ごめん と最後にいった

ちょっと悲しそうな顔を

いまでもおぼえているよ

退屈じゃなかったんだ

ぼくは猫をかったことがなかっただけなんだ

きみがおしゃべりすぎて

いつ 好きだ と 言えばよかったんだろう

 

プラットホームに降り立って

小さな花壇にもひまわりの花

よく見てみたら ひまわりの影は虹色

白い太陽の恋心

七色のプリズム

夏の同窓会

 

・・・・・

恋愛が身近なものになってきたら、ボサノバなどが良いでしょう。ブラジルは実は詩人が一番多い国だと言われています。

 

 こんなボサノバを書いてみました。

・・・・・・・・・・

海の歌だよ マリーン

 

朝がきたよ マリーン

うすむらさきの 朝だよ

歌ができたよ

目をさましておくれ

歌をねだったきみに

海のうたができたよ

 ギターで歌おうか ピアノで歌おうか

 鉢植えの小さなひまわりが踊っているよ

 

わがままな 小麦色がにあう マリーン

聞いておくれ

太陽が海に輝く歌だよ

 ギターで歌おうか ピアノで歌おうか

 鉢植えの小さなひまわりが踊っているよ

 

オリーブが水玉模様の丘の上

白い教会とレンガ造りの小さなホテル

港からヨットがすべりだしていく

君がはだかでねそべっている

耳を澄まして聞いてごらん

鐘の音が風に運ばれて

ここまでとどいている

ほら 聞こえるだろう マリーン

波の透き間から

 

歌ができたよ

目をさましておくれ

早く目をさまさないと 夏が終わってしまうよ

 ギターで歌おうか ピアノで歌おうか

 鉢植えの小さなひまわりが踊っているよ

 

小麦色のマリーン

白いシーツから早く出ておいで

君の好きなピーチのお酒が

朝日で少し赤くなったよ

・・・・・・・・・・

 

恋の応援歌なども作ってみました。踊りの振りも考えています。

・・・・・・・・・・

 

 恋をしな晴れ

 

うらうら 春の 朝ぼらけ  

それはもう やかましいほど 鳥の声 

鎮守の森の 神様が 言うことにゃ

春は爛漫 恋をしなはれ

小鳥のように ぴーちくぱーちく 

晴れ晴れとした 恋をしな晴れ 

 

はんなり 春に 微笑んで 

ほほ染める 春は曙 紅の色 

かたい蕾が はじけそう はじけそう 

カラカラ下駄の コロコロ笑う 

石の階段 ようよう明かりて

清らかな朝 鈴の音ふたつ 

 

ゆらゆら 春の 木漏れ日に 

妬けるほど 仲むつまじき 鳥の声

赤いベベ着た 巫女様の 言うことにゃ 

くじは大吉 待ち人来る 

小枝にくくる 良さ恋良さ恋 

小鳥の羽が 思いを運ぶ 

 

あらあら 春が すぎていく

青空に 花びらが舞う 桜花

手にひとひらの はかなきに ものおもう

いとおしきもの 美しきもの

こんな時には 言葉のかけらを

拾い集めて 恋は陽炎う

 

はらはら 花の 散るように 

実をつける 花にさだめが あるように

花に未練は 実が生らぬ 実が生らぬ

春一番の 風に吹かれて

くるくる風に 踊れや踊れや  

根のある花の 命の息吹  

・・・・・

 

 歌に恋愛に挑戦して、楽しい人生を過ごしてください。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日記 | 09:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「生と死を考える」5 恋愛ベタ
JUGEMテーマ:日常
 

 数日前に誕生日を向かえて、53歳になった。私は誕生日になるといつも20歳になったときの夜行列車のことを思い出す。5.23代々木公園での集会に参加するために列車を利用していた。夜12時が過ぎて、列車の窓の外には光の河が流れていた。煙草と人いきれにドロリとした息苦しさを感じる車内で、詩を読んでいた時に、何故か異空間を移動しているような、一瞬ブラックホールを潜り抜けたような感覚に捕らわれた。その不思議な感覚が今でも思い出される。なぜだか、とても悲しかった。

寺山修司が刺さったのかも知れなかった。詩が手から零れ落ちた。「書物の中に海がある。心はいつも航海を許される」。本を閉じる時に枯れ草の匂いがした。黒い鞄の中で、レーニンと厚化粧の赤い襦袢の幻達と狼少年が祝杯を挙げた。「そうだ、俺は今日、二十歳になったんだ。」そのカップの酒は苦く、それはそれで旅情と言えるものかもしれなかった。

・・・・・・・・・・  

マッチ擦るつかのまの海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや(『空には本』昭和33

人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ (『テーブルの上の荒野』昭和46
青年よ 大尻を抱け

じゃ もう一人前じゃないの わたしと一緒に東京へ行く

俺の現在は 俺の少年時代の嘘だった

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とても久しぶりに顔を見る古くからの友人が、訪ねてきた。彼は1年ほど仕事をしていない。リストラに会ったのだが、随分前に離婚をしていて、独り者の気楽さもあるのか、毎日をぶらぶらとしているらしい。求職活動はしているらしいのだが、気に入った仕事が無いようだった。仕事がなくても毎晩飲み歩いているらしい。実はとても寂しいのだろう。1年で1千万円を使ったと、言っていた。貯金も残り少なくなってきて、不安も出てきたようだ。「貯金がなくなったら、どうするんや。」と私が聞くと、「死んだろかと思うてる。大河ドラマを見ていても、多くの人が簡単に死んでいるやろ。俺も死に場所があったら、喜んで死んだる。あぁ〜え〜死に方はないかな。」薄っすらと涙ぐんでいるようにも見えた。

 私の周りには、私と同世代の独り者が沢山にいる。外面上は気楽にやっているようだが実は違うらしい。同世代の女性だが、狼の遠吠えが聞こえるタクラマカン砂漠で、テントの中で酒を飲みながら話を聞いたことがある。

 仕事から、暗い部屋へ帰ってきて、簡単な食事を用意して、テレビをつけるとお笑い番組をしていたようだ。何も面白くもないのに、白々しい笑い声が聞こえてくる。うるさいと思ってチャンネルを変えたわけでもなく、消したわけでもなかったようだ。目の前にあったあった灰皿をテレビにぶつけて壊してしまったらしい。

 先の寺山修司の話と、彼と彼女の話は全く違うものなのだが、私の中では結びついている。それは人間の距離感という糸口で結びついている。彼や彼女は自分や他人との距離感をつかむのが、とても下手です。下手というより、尺度を持っていないというほうが正確かも知れない。詩人というのは詩を書くことによって、自分や相手との距離をいつも測っている。寺山は寺山という物差しを持っていて、彼は彼の距離感で生きている。自分と一番遠いところは、目の前の机の上であったり、自分の心の中であったりするのだが、そういう距離感に彼や彼女は無頓着に生きている。

 それが目の前の花であっても、その花との距離感を自在に操りながら、花と遊んでいるのです。花は自分の心の中という、ものすごく近いところにあったり、「想像力より高く飛ぶ鳥はいない」と寺山が言うように、その花との距離は簡単に宇宙の果てにまで飛んでいってしまうのです。詩人はそういう距離をよく知っていて、適当な自分の居心地のよいところで詩を書いているのです。

 極端な言い方をすれば、詩は距離を測る道具だと思っても、間違いではない。詩を書く自分と、自分以外のものについて、言葉を利用しながら、距離を修辞しているのです。

 恋愛とは実はこの距離感以外の何ものでもない。強引に距離を詰めてしまうものや、いつまでたっても離れたままでいたりする人もいるが、実はこの距離はコントロールが出来る。言葉のちょっとした使い方で相手との距離が測れる。だめなものはだめだ、この恋愛は実らない、とか、この距離は詰めることが出来るかも知れないということが計れるようになる。人間関係でもこの距離感が一番大切なものなのですが、そのことをビジネス以外で真剣に考える人は少ない。恋愛ベタ、人間関係オンチの人は一度真剣に考えてみてはいかがでしょうか。詩を書いたり読んだりして距離感を鍛えてみるのはいかがですか。詩を書くのに下手とか上手にこだわる必要は無いと思います。心のままを書けばいいのではないでしょうか。

 

 こういう民謡を書いてみました。

・・・・・・・・・・

機織唄

 

五色の糸で 機を織る 唄うたう人

五色の糸で 星をつづって 待つ人の

赤い糸 切れた  ハッチャエ

いとほしい いとほしい おもいの丈の いとほしい

夢二がうたう

もつれた糸なら  ほどけもせうが 
きれた糸ゆゑ  せんもなや

チョンガラ トンガラ  ハッチャ ハッチャ  ハッチャ エット

 

五色の糸で 機を織る 唄うたう人

髪ゆいなおし ついていくなら 命がけ

夏の花 咲いて ハッチャエ

いとほしい いとほしい おもいのたけの いとほしい

雨情がうたう

可愛がるとの ひとことたのむ 

ついてゆくぞえ どこまでも

チョンガラ トンガラ  ハッチャ ハッチャ  ハッチャ エット

 

五色の糸で 機を織る 唄うたう人

たった一夜の 七夕祭り 織り姫の

紅のいろ 深く ハッチャエ

いとほしい いとほしい おもいのたけの いとほしい

白秋うたう

 水は木曽川 毛すじも糸も 
好きな思いの 色に染む  

チョンガラ トンガラ  ハッチャ ハッチャ  ハッチャ エット

・・・・・・・・・・

 

 詩を読んだり書いたりして、恋愛や人間関係の距離感を鍛えたい人には、何が書いてあるのか、言いたいのかよく分からないような現代詩は向いていないでしょう。少し古い詩がいいと思います。リズムやメロディーを感じるものが理想的でしょう。人間は鼓動というリズムに刻まれて、メロディというバイオリズムに揺れて、ハーモニーという居心地の良さに生きているので、歌になるような詩が良いのではないでしょうか。入門書はシャンソンあたりで中級者は万葉集がお勧めです。シャンソンとは、メロドラマに曲をつけたものです。たっぷりとメロドラマを楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

 こんなシャンソンを書いてみました。

・・・・・・・・・・

古い ポエム

 

雨が ふるふる こんな日は

古い ポエムが よく似合う

雨は ささやきながら 昔話を 聞かせてくれる

哀れに疲れた 孤独な心に 音楽のようだ 

と パリの貧しい 詩人はうたう

雨に煙る 

庭先に

パステルカラーの あじさいが

ふるふると 涙にぬれている

 

涙には 甘い涙も あるという

夢のしずく 真珠の涙

恋する乙女の 涙は 甘いそうだ

 

雨が しとしと こんな日は

古い ポエムが よく似合う

 退屈な女より 哀れなのは 悲しい女で

 悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女で

 一番不幸なのは 忘れられた女で 

 それは 死んだ女より もっと哀れだ

と パリで絵を描く 優美な詩人

雨に煙る 

庭先に

パステルカラーの 朝顔が

しとしとと 涙にぬれている

 

 若いがゆえに 悲しくうたう 木の上の鳥

 ひとりのピエロは 慢性孤独病 で死んだという

 見てくれは 可笑しかったが

 カッコいいやつ だったらしい

 

雨が しとしと こんな日は

古い ポエムが よく似合う

 忘れられた女と 孤独な かっこいい ピエロが

 恋をしたら どんなうたが できるのだろう

雨に煙る 

庭先に

パステルカラーの あじさいが

ふるふると 涙にぬれている 

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日記 | 16:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「生と死を考える」 4 臨終の言葉
JUGEMテーマ:日常
 

「死にとうない」一休さん臨終の言葉です。

 

88歳、一休は枯れずに死んだのだろう。衰弱し、消滅していくのではなく、燃え尽きる前の精一杯の断末魔を演じて見せたように思える。

禅問答とは、とても難解なもののように思えるのだが、実は洒落の利いたものが尊ばれている。面白おかしいものではなく、誰も思いもつかなかった、意表をつくものであるが、なるほどと深いところで納得できるものがひとつの悟りでもあるのです。頓智とは、物事の本質を瞬間的に見抜く力でもあります。禅僧も問答は密かな楽しみであるのではないかと思えます。

 

禅で有名な瓢鯰図の解釈に私も挑戦してみた。瓢箪で鯰を捕まえようとする禅僧の絵がある。美術書を見るとヌルヌルしたものを丸いものでは捕らえられないと解説している。こんな答えでは高僧は納得しない。

瓢箪とは文人の象徴であった。瓢箪の中に仙人の世界が隠されていると、古くには言われ、瓢箪にきれいな飾りをつけて、魁となる学問成就の祈りをこめて、机の上に飾っていたものです。つまり学問の象徴です。

鯰とは鯰信仰が山深くの神社に残っていることを見なければならない。鯰は救荒食物であった、だから祠を用意して普段は食ってはいけないものにした。鯰を中国で食べたことがある。から揚げにして、辛い餡をかけていた。結構美味しかった。災害を知らせてくれるというのは、まさに救荒食物であったことを示している。そして信仰には、こう言い伝えが残っている。もし、災害が起これば鯰は美しい女性に姿を変えて、人々を救ってくれる。そして皆が救われた時には人知れず姿を消すのです。これを上善と言わずして、何という。上善とは、善い行いは水の流れのようなものだと表現されている。「上善水の如し」です。よい行いは、人の世になくてはならないもので、万物を潤すものであるということです。善い行いを、していると思うことこそ未熟者で、知らず知らずのうちに生活の内にあるものだ、ということでもあります。

つまり、上善・鯰は、学問・瓢箪では、捕らえられないと言っているのですが、これでは問答としては真面目すぎて、不十分です。「瓢箪で鯰を捉えるとは、これいかに」「上善は三杯飯の如し」ではいかがでしょうか。禅は不立文字(ふりゅうもんじ)。文字・言葉の上には真実の仏法がないと教えているので、解説はしない。静かに座って空腹を感じる。

 私は坊主ではないのでこのへんで勘弁してください。

 

話はそれたが、一休の「死にとうない」は、一休さん最期に渾身の力を振り絞っての、誰もが想像すらできなかった、意表をついた一言として、理解できるのではないだろうか。しかし、誰もが納得できる深さがある。禅師は、きっと腹の底で笑っていたに違いない。

 

自由奔放な生き方や奇行で知られる一休さんの言葉を、

Wikipedia で見ると

一休宗純が遺した言葉

門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし(『狂雲集』)

釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな

秋風一夜百千年(秋風のなかあなたと共にいる。それは百年にも千年の歳月にも値するものだ)

花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの

女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む

南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

親死に 子死に 孫死に 

 

まさに、生と死を知り尽くしている。知り尽くしているが故の「死にとうない」と観た。

 

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ベートーベンはこう言い残して死んだ。「友よ、拍手せよ。喜劇は終わった」

 

ベートーベンは何故に自分の人生を喜劇と言ったのだろうか。悲劇ではなかったということだろうか。神々の悲劇に対して、人間としての喜劇を言ったのだろうか。ベートーベンは天文学に興味があったらしい。星空には星座という神々の物語があり、自分が人間としてベッドの上にあることの対比であるような気がする。汎神論者で、キリストの幸福と徳が一致した最高善と、自分の存在は遠くにあった。苦悩に満ちた人生を救うものは最高善ではなく、メトロノームが刻んだ音楽だった。小柄で、肌は浅黒く天然痘の痕で酷く荒れていて、気分のむらが激しく、変わり者で、無遠慮で傲慢で野蛮で非社交的であったらしい。彼を癒すものはキリスト的な神ではなく音楽の才能だった。神の調和ではなく堅固な意志に貫かれた、構成的で劇的な音楽だった。その音楽が聞こえないという、運命をも音楽で表現した執念の終わりに、喜劇という軽妙な対比を用いた和音の世界ではなかったのか。

 

・・・・・

菅新総理は「奇兵隊内閣」と言っている。

「おもしろき こともなき世を おもしろく」

は、その奇兵隊の高杉晋作の辞世の句と言われている。

 

彼の墓には「動けば雷電の如く、発すれば風雨のごとし」と刻まれている。

 

しかし、奇兵隊は我が姫路藩の敵である。

幕末に藩主酒井忠績は大老となり、勤皇派の制圧を指揮している。次の藩主、弟の酒井忠惇は老中で鳥羽・伏見の戦い徳川将軍家徳川慶喜に随行して大坂退去にも同道している。戊辰戦争では姫路藩は朝敵であり、官軍により攻撃されている。

 

 朝敵であった名残は今でも残っている。国立大学もない、医学校は持っていかれた。城は残っているが、市民のプライドは低い。管さん、奇兵隊を面白く思っていない人もいますが、どうしましょう。「面白いか、面白くないか、姫路市民で決着をつけなければいけないのでしょうね。」

 

 菅新総理は「奇兵隊の人民軍で、ゲリラ的機動遊撃戦」を展開し、どのような革命国家を目指しているのだろう。

 

 菅内閣は「強い社会保障」を実現していただけるらしいので期待している。キューバの強い社会保障を赤松元農林水産大臣はラウル・カストロ議長に学んでこられたのでしょうか。

「医療と介護は成長分野である。」と言われていますが、成長分野にするには先ず中医協解体、診療報酬点数の抜本的見直しと、規制緩和と規制緩和をしてはいけない部分の認識と、高齢者の医療情報の共有化による地域医療経営が必要です。長妻厚生労働大臣はどうも分かっておられないようにお見受けしますが、菅さん、どうされますか?

 

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 『死に場所作り』という1992年に発行された本がある。私は現在、少し古い本で指摘されている問題点が解決されているか、いないかの確認作業を進めています。はっきり言って、何も変わっていないどころか、現在の状況の方が悪くなっています。

 何故そんな作業をしているのか?日本の政策オンチを、正していこうという試みです。医療危機の問題点は出尽くしたように思える。どう改革していくのか、具体的な総路線の確定が急がれている。議論百出なので、少し古いところも整理しておいて、全体が見渡せるような論理的な筋道をつけておこうとしています。

 

 『死に場所作り』斎藤芳雄著(教育出版研究会)の5章「大和医療福祉センターの“ささやかな実験”」はとても参考になった。活かさなければならないと思っている。

 

 この本の第1章「老いと良寛」20p〜21pが面白いので紹介してみたい。

・・・・・

 「老いと良寛」と題したとき、私の頭のなかに最初に浮かんできたのは、私が良寛の作のなかでもっとも愛する次の詩であった。

 

この夜らの いつか明けなむ

この夜らの 明けはなれなば

おみな来て 尿をあらはむ

こひまろび 明かしかねけり

ながきこの夜を

 

(「眠れぬ夜」)

 

この詩をはじめて読んだときの私の思いは、次の二つのことであった。

 一つは、これが良寛の作であると教えられなければ、明治以降の近代詩としか考えられなかったことである。

 病気で苦しみ、この夜が明けたなら、(世話をしてくれる)女性が来て、自分のした尿のたれ流しを洗ってくれるだろう。ころげまわって苦しみ、眠れないでこの長い夜の明けるのを待っている、という意味の詩である。古本隆明氏が指摘しているように、この詩は人間の苦悩をうたったもので、花鳥風月の世界からは、はるか遠くに離れた近代人の作としか思えないものである。

 

・・・・・

 

島崎藤村

 「田山くん、死んでゆく気持ちはどうだね」

田山花袋

 「だれも知らない暗いところへ行くのだから、なかなか単純な気持ちのものじゃないよ」

 

                            「田山花袋 人と作品」福田清人編

・・・・・

 

昔の人の生死観に興味は尽きない。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日記 | 09:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「生と死を考える」3
JUGEMテーマ:日常
 

 7月の参議院選挙が近づいてきています。国民の生死に関係する政策の良し悪しは、当たり前のこととして国民の生活に大きな影響を与えます。政党や立候補者が何を言っているのかよく聞いて投票したいところですが、先の民主党のマニュフェストのように、公約が守れないのは昔の選挙と同じで、ガッカリしたな、と言う人も多い。日本の政党政治に信頼感を失わせたのが、前回の衆院選挙だった。与党は信頼回復に全力を挙げて、早急にマニュフェストを作り変えて、国民の前に示さなければ、国民が期待したマニュフェスト選挙は失墜したままになってしまう。誰もマニュフェストを見なくなり、政治家は調子の良い嘘つき集団という、昔から持つ負の部分は拭えない。また、マニュフェストに載っていない、国民から賛成の多くを得られないような法案を勝手に通してもらっては困る。マニュフェスト選挙を支持したい私としては、いい加減なマニュフェストは困る、ということです。国民は難しいことが解らないから適当でいいのだと、国民をバカにした考えを「生活第一の党」が持ってはいけないだろう。

 

混乱した、展望の見えない状況だからこそ、国民に信を問う、厳密で確固たるマニュフェストをお願いしたい。経済・財政・社会保障の具体的な政策を示さない、ショー的パーフォーマンスを重視している党には、国民は国民の責任として、いかなる党であろうと投票してはならないでしょう。人気取り選挙では、必ず党は崩壊する。国民も被害を受ける。国民の明日に必要なのは、徹底的に議論されなければならない政策案であることは時間が証明する。人気は一時的なものでしかないことは、国民の多くも知っている。時代は政策のプロを求めている。官僚とまともに議論できる議員が必要なので、議員のバカを隠す官僚バッシングは愚でしかない。

 

官僚とまともに建設的な議論を展開するには、国会議員だけでは足りない。地方議員も堂々と正面きって議論できる能力を身に着けて、その包囲網がなければ国は変わらない。今のところ、議員と官僚には能力の差がありすぎて、政治主導などとは夢物語にしか過ぎない。多くの議員と、役人と、議論してきた私だから言える。全国140の議会の資料を見て、一部を除いて、そのレベルの低さに愕然としている。国会議員でも議論に負けそうだと逃げるヤカラがほとんどだ。議論は勝敗ではない。相手から学ぶチャンスであることを忘れてはならない。また、知ったかぶりで逃れようとするのは相手に見透かされるので、そんな無様なことは止めたほうが自分のためだ。知らないことは知らないと言うほうが、よっぽど信頼が得られる。今の議員のほとんどは反省が必要です。このままでは地方も国も良くなるはずはない。

 

地方の会派であっても、政党無所属会派であっても、マニュフェストを作る努力はしてほしい。それは、未完成なものであっても、個人マニュフェストでも大歓迎だ。そして、市民や専門化の意見を、正確に聞いてほしい。「自分が考えなくてどうするのだ。行動しなければ議員じゃない。実現には命がけで取り組んでみせる。」という気概を持ってほしい。間違いは誰かがちゃんと指摘してくれる。恥と思わずに真摯に聞いて、専門家の意見を求めて、勉強する。議員よ!仕事をしろ!!本物のマニュフェスト選挙を育ててほしい。因みに私の意見としては、マニュフェストは有料が良いと思っています。国民は政治に金を出すべきだと思う。言い換えれば、無料だから無責任な屑マニュフェストに怒りが沸かないのかもしれない。

 

私が代表をしている「医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会」は、20名の超党派や無所属の議員が参加しています。

超党派での取り組みというと、国でも地方でも、行政では話を成立させない事項を超党派での議論にします。議論百出で纏まりのないものにして、御破算にしてしまう手口です。超党派というのは、やる気がないか、言い訳を作るためか、誰かに責任を擦り付けるためのものなので、注意をしてください。

 当会はそうではありません。議員に有無を言わさないほど理論漬けにして、議論のための完全武装をします。

 

 先ず、医療や介護の現場の方々と話し合いを持って、勉強会を企画します。勉強会で出た問題点を徹底的に議論します。議会へ出す必要のあるものは議会へ出す準備をします。姫路の更生委員会の委員長も副委員長も当会のメンバーなので、委員会で取り扱うものに関しても準備をします。

 つまり、私たちの提案は全て、現場の声です。自分たちで勝手に判断したものは何一つとしてありません。民間で出来るものは民間へお願いをして、市で出来るものは市で、県は県へ、国への陳情も行います。私たちの会は地方議員が主ですが、地方議員の普段の努力が国会議員を支えているので、地方議員の意見は国会議員も大切に取り扱います。内容によっては、厚生労働省の官僚とも事前に話し合っています。

 

 姫路は人口が53万人の街ですが、周辺市町村から多くの患者が流れ込んでくるので、医療人口規模は100万人規模になっています。これだけの人口規模があり、しかも広域であるということになると、市民運動だけでは何も解決できません。それでは、市民の代表である議員が中心になって、取り組むほうが、効率が良いことになります。超党派なので、議論に政党色が出ないように、市民の私が代表をしています。他の市町村の議員にも呼びかけていますが、田舎の大将ほど付き合いの難しいものはありません。おだてないと靡かない、案山子的政治ゴロとの付き合いには閉口しています。案山子的とは田圃のすずめを追い払うだけの存在ということです。それはそれで役には立っています。しかし、政策オンチも甚だしい父権的権力志向しかない、話にもならない議員や首長が多くて困っています。

 

 医療の問題は難しいからといって、問題を地元の医師会に丸投げをしている議会と行政がほとんどです。医療は患者の為にあるので、地域医療に貢献してくださっている医療者を徹底的に守ることが必要です。医師にも行政にも住民にも、自分のことしか考えてない人達とは、初めから議論になりません。医師会という業界団体の利益を守る政策が優先されるのではなく、心豊かな医療者を守る政策が必要です。「住民への徹底した啓発活動」「地域医療に熱心に取り組んでくださっている、医療者の話を真摯に聞く」「福祉ネットワークの充実」のこの三本柱が地域医療を変えていきます。医師会が地元住民の方を向いている地域は幸せです。しかし、お為ごかしの言葉だけで、誠実な取り組みが少ないのも現実です。

 

姫路でのことですが、以前に小学校の体育館で行われた、医師会の地元住民を対象にした講演会を聞きに行きました。講演者の医師会理事のその父権的な態度と、患者主体でない発想と、希薄なお座成りの遣り口に、腹が立ってしまいました。「私達は住民にしてやっているのだから、住民も理解しろ」という講演者の物言いに不快感を覚えた住民も多くいました。当時の医師会副会長も市の役人管理職もいました。彼らも、医療が患者のためのものであることを思いかけもしていないので、言葉の端々に滲むいやらしさに鈍感になっているのだろう。他の人に書いてもらった講演原稿には、書かれていない自分なりの考えの全てに、講演者の権力志向を感じた。

 原稿を書かれた先生は当会の協力者で、立派な人格者で、地域医療に熱心な方です。話す人間によって、同じ内容でも別のものになってしまうことも、学んだ。

 

 当会に参加していない議員で、当会の活動の邪魔をする議員もいました。彼らに私はこう言っています。「医療と介護の問題を政争の具にすることは一切許さない。もし邪魔をするのなら、君の近所に当会に協力していただいている急性期病院勤務医60名の連名で、君の行状を知らせるチラシを蒔くが、良いのか。」私には市民という強みがあることを忘れてもらっては困る。

 

 「ボランティア市民」と「心ある医療者」と「やる気にあふれた行政職員」と固く手を結んで、地方の医療改革を推し進めていきたい。厳しいことを言っているようだが、姫路は結構上手くいきそうな流れができつつある。話し合ってみれば、同じ方向を向いているのだ。だが、これだけは言っておく、「賛成ができなくても反対はするな。私は実力行使をします。」

 

 今度の参院選から来年春の統一地方選挙は、各政党とも大きな山場を迎える。がらがらポンのシャッフルが本格化する。選挙前には、議員はよく話を聞いてくれる。皆さんもこの選挙を機会に議員とよく話ってもらいたい。話をする時間がないのであれば、しっかりとした本物のマニュフェストを出せ。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日記 | 10:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「生と死を考える」2
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「生と死を考える」2 昔の高齢者は幸せだったのか?

 

その医師は少しうなだれて、こう言った。

 

「最近、困ったことが起こっているんだ。高齢者の家族がどんなことをしても、生かしておいてほしいって言う人が増えてきたんだよ。もう死んでるような状態で療養型病院から救急車で運ばれてきて、家族がそう言うもんだから、若い医者が猛烈に頑張って生き返らせてしまうんだ。その患者を今度は療養型病院へ帰そうとしても、受け取ってくれないから、長い入院になってしまうんだよね。」

 

その医師は急性期病院の管理職で、その優秀さは地域の誰もが知る人だった。「うちの若い医師は使命感が強いから、家族がそう言うと、めちゃめちゃ頑張ってしまうから、それが本当に患者さんの為になるんだろうかって、言えないんだよね。言っちゃうと、救急の使命を失ってしまうような気がして。とりあえず命は取り留めて、そこから家族と話し合いを進めるのが良いんだろうが、せっかく命を救ってくれたんだから、出来るだけのことはしてもらいたい。という風になって、後でもめることになったりするんだ。」少し苦笑いをして、言葉を続けた。

 

「それがね、その家族は患者さんのことを考えているんじゃなくて、年金なんだよね。死ぬと年金がなくなってしまうから。それを当てにして暮らしているんだろうね。とにかく活かし続けてくれってしつこく言うんだ、親不孝だよな。」「療養型病院も自分のところの病院で患者を死なせてやればいいのに、救急に送ってくる。自分たちの仲間の病院で適当に患者を回しておいて、最期は送ってくるから、たらいまわしとはこのことだよ。そして、受け取らない。無責任なんだよ、家族も、みんなが。」

 

 患者さんのことを考えて「これは、幸せではないように思いますよ」というと、何とその息子は「この人殺し」と叫んだそうだ。今では、無駄な延命処置が誰にとっても大きな負担になることが、多くの人に理解が進んできた時代になってきた。だが不景気が生んだ、新しい高齢者への虐待が生まれている。医療技術の進歩で、誰も幸せにならない延命処置で何年も生き続けることが出来る。この悲劇でしかない苦行を強いる現実が怖い。わずかな金で殺人を犯すものがいて、わずかな金で親を売る子も出てきてしまったのか。

 

 そういった家族と利害が一致する病院や施設もあって、死を売る家族と死を商品として扱う病院や施設が出てきてしまった。政策の貧困による、悪循環が深刻化している。良く考えてみると、誰が悪いわけでもないのだが、皆が悪いとも言える。

 

 では昔の高齢者は幸せだったのか。昔は家族に囲まれた、幸せな看取りばかりだったのかといえばそうではない。もう40年以上になるが、凄惨な記憶が私にはある。

 遠い親戚の高齢者が「老人病院」に入院しているので、見舞いに付いて行かされた。病院へ向かう車の中でこんな話を祖母がした。

 「もうキチガイになって、なんにも分からなくなっているんだよ。」認知症などという言葉はまだない。ボケや痴呆という言葉がソフトに聞こえる。

 「・・・ちゃん、も付きっ切りで、やつれてしまって、見る影も無くなっていてね、かわいそうなんだよ。行くと、おばちゃん来てくれてありがとうと、泣くんだよ。もらい泣きしてしまって、見舞いから帰る時、病院の外まで見送ってくれるんだけど、ずっと泣き通しでね。」

 私は、今からどんなに恐ろしいところへ連れて行かれるのだろうと、恐怖を感じていた。

 

 病院では大部屋というのがあって、20ぐらいベッドが並んでいたような記憶がある。カーテンといった仕切りすらもなかった。よく見ると、お年寄りのほとんどは、紐でベッドに括り付けられていた。いくつもの呻き声が部屋に充満していた。ビシッという音に振り返ると、看護師がお年寄りを殴りつけていた。

 「ここの看護婦はきつい人が多くて、すぐに殴るんで、かわいそうで、かわいそうで。でも何にも分からなくなっているんだから、いいって言うんです。でも、年寄りは涙をこぼしているから、分かっているんじゃないか、と私には思えるんですよ。殴るのは止めていただけませんか、と言うと、気に入らないんなら出て行ってくれって言うんです。家に置いといたら、直ぐに行方が分からなくなってしまって、捜せばいいんだろうけど、近所の婆さんがついに行方不明で見つからず仕舞いになったこともあって病院に入ったんだけど、どっちが幸せか分からなくなっているんです。嫁さんは、皆に、それはキツク叱られて、見ていられなかったですよ。」

 

 お年寄りの手は紐でベッドの金属部分にくくりつけられていて、皮膚が剥けて赤くなっていた。ウンチを投げるらしい。そういえばそんな匂いと、染みが壁や床のあちらこちらにあった。

 祖母は付き添いをしている、お嫁さんの手を握って「頼むね、頼むね」と泣き続けていた。お嫁さんも「ウン、ウン」と頷きながら泣いていた。

 病室の端っこで、祈祷師がお払いをしていたのも衝撃的だった。

 祖母は帰り際に念仏を何度も唱えていた。

 

 こんな地獄があるんだ。正直な私の印象だった。こんな高齢者収容所もあった。

 

 昔は、認知症は少なかった。少なかったが故に理解もされてはいなかったように思える。

 昔の高齢者は幸せだったと言うのは、嘘だと思う。今と幸せの基準が違うだけで、姥捨て山はそんなに遠い記憶ではないと思える。数字には残っていないのですが、口減らしの為に自ら死を選んだお年寄りも多かったり、長男が首を絞めたり、と地元の民族資料館の館長からも聞いている。長男にだけ許されるという暗黙の了解があったとも聞いた。心の葛藤は尋常なものではなかっただろう。

 高齢者が希少であったことや、潔い死を選ぶことに抵抗がなかったことも考え合わせると、昔のほうが全体として、お年寄りの後悔は少なかっただろうとは思える。

 

 地元の民族資料館の館長からも聞いた話を元に歌謡詞を書いてみた。どなたか、曲をつけてみてください。

・・・・・

 山の桜

 

山の春は遅く

寂しげな風の音 吹き降ろす

ガンガラおろし 

きのう ばあちゃんが死んで

ガンガラおろし

 

桜が咲き 桜が散る

静かな山の桜

おとうが酒のんで

おかあが唄う

ほほ笑んで

死んでいった

ばあちゃんを弔って

 ガンガラおろし

 ガンガラおろし

 

悲しくて 悲しくて

一晩中泣いて

ガンガラおろし

悲しくて 悲しくて

一晩中泣いて

ガンガラおろし

 

桜が咲き 桜が散る

静かな山の桜

ねえがすすり泣いて

山の汽笛が

遠ざかる

囲炉裏端で

じいがぽつりと唄う

 ガンガラおろし

 ガンガラおろし

 

桜が咲き 桜が散る

静かな山の桜

桜が咲き 桜が散る

静かな山の桜

・・・・・

 

 お年寄りの幸せとは何なのだろう。

 国連の世界保健機関 (WHO) の定義では、65歳以上の人のことを高齢者としています。6574歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者、85歳以上を末期高齢者としています。

 WHOは先進国ばかりではなく、途上国にも高齢者が爆発的に増えていることもあり、高齢者の人権を考える意味で、統計上の区分として年齢ごとに分けた。

 老化に伴う生理的機能の低下等で必要な治療が違うことなども考慮に入れられて、必要な政策を設計する上での統計であったようだ。日本の後期高齢医療制度は、高齢者に必要な政策としてではなく、国の財政の為に作られた政策なので、多くの問題が噴出してしまったが、必要なのは高齢者の幸せのための政策であることに間違いはない。

 

 高齢化社会とは、人口の7%を超えると高齢化社会14%を超えると高齢社会と言っています。人口比で政策が違うのも当然な話です。日本の超高齢化社会で、お年寄りだけではなく、皆が幸せになれる政策や国民の意識が必要となります。このことを、私のブログではテーマとします。

 

 不幸せの悪循環を断ち切って、幸せの好循環に何が必要なのかを考えていきます。そのために医療や介護の政策だけではなく、経済、文化、教育とあらゆる分野についても語っていきます。

   

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日記 | 10:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「生と死を考える」1
JUGEMテーマ:日常
 

 私は二つの団体の代表と、一つの掲示板の管理人をしています。二つの団体の一つは「入院患者と障がい者に笑顔とコンサートを贈る市民の会」(贈る会)という、普段なかなかコンサートに行くことが出来ない人に、小さなコンサートをプレゼントする市民団体です。結成して5年目を向かえて、現在までに、病院や障がい者施設や障がい者をホールへ招待してのイベントを57回行っています。

 

もう一つの団体は「医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会」(リーダー会)という医療や介護の政策を研究し、それを議会で活かすことを目的にした、地方議員を中心にした市民参加型の団体です。結成して2年が過ぎました。今まで7回の講演会と20回近い会議を重ねて、それなりの実績を作っています。

 

掲示板というのは「姫路の医療と介護を考える部屋」という、「医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会」の掲示板です。兵庫県の「ひょこむ」という地域SNSにページを持っています。「姫路の医療と介護を考える部屋」をインターネットで検索してみてください。今までの活動の半分は掲示しています。そして、管理人の小嶋隆義をクリックしてみてください。私が日野原重明先生のサイン色紙を持って料理人の格好をして写っている写真が現れます。プロフィールも披露しています。私の仕事は料理人です。最近のブログというのもあります。最近のブログは読書日記になっています。良い本が紹介してありますので、覘いてみてください。

 

 こういう会の活動の中で、見えてきたものや、考えさせられることが沢山にありました。今までは何をすればよいのか、手探りのような状態でしたが、最近になってようやく会のあり方がはっきりとしてきました。それが、何であるのかをより多くの人に見ていただこうというと考えるようになって、このブログを開設しました。

 

 会も進め方が分かってくると、大きく飛躍していきます。飛躍していく様子をこれから皆さんに見ていただこうということです。会が飛躍していくということは、姫路が変わっていくということです。医療と介護の問題では、姫路だけが変わっていくというわけではなく、他の地域にも大きな影響を及ぼすことになるので、是非に注目をしておいてください。

 

 先日の「ひょこむ」のブログでは、こんなことを書いて見ました。

 

幸せとは何か、それは達成感です。人は社会的な生き物なので、社会的な貢献による達成感が幸福感では最も自然な在り方となります。自分が社会に目標を持ち、起こした行動が社会から感謝されれば、社会と自分が相互に喜びを得る、循環型の幸せを増幅する達成感となります。そういう風に、自分が社会へ働きかけることで、自分が成長していることを実感できると、幸福感は一段と高まる。そういう自分の行動で、社会が良い方へ変化したことを目の当たりに出来ると、一段と達成感は高いところへと登っていく。それを、労働で得られることが最も理想的だといえる。
 
 達成感は、それを成し遂げることが困難であればあるほど大きなものとなるので、困難を嫌がらずに、困難を楽しめるぐらいの心構えがほしい。困難をストレスにしないためには、ストレスから逃げずに真正面から成功させるのが一番だが、なかなかそうも行かない。山の道は折れ曲がっていることを思い、紆余曲折を味わってみるというぐらいのつもりで柔軟に取り組んでみる。
 
 先ず、自分が何をしたいのかを考える。自分は何をしたくて、何に取り組んで、何が出来ているのか、ということが自分自身なのです。個人は固定的ではありません。自分が働きかけるものに意味や価値を与えながら、自分にも意味や価値が投げ返されているので、働きかけている対象物と共に存在のあり方も変化をしていくものなのです。
 
 何がしたいのかが分からなければ、何が好きかを考えてみましょう。とりあえず大雑把にこんなものではないのだろうか、という自分の考えの方向性を考えてみましょう。柔軟に、どこへでも修正可能な身軽さを持っておきましょう。進んで行くうちに、何かが見つかれば、そこに必ず分岐点があります。その分岐点の選択を重ねていくうちに、自分の進む方向が徐徐に決まってきます。

 何がしたいのかおぼろげながらにも出てきたり、進む方向がなんとなく決まりかけると、とりあえず、後で修正が可能な、3年から5年後の中期的な目標を立ててみましょう。そして、その目的を達成するのに必要だと思われる、短期的な目標を立ててみましょう。短期的な目標を達成しているうちに、中期的な目標に疑問が出てくれば、それは自分が成長している証なので、思い切って目標を立て直せばよいのです。好きなことも、やりたいことも変化していくので、そのつどその都度に計画は見直していきます。それは自分も変化しているということもありますが、働きかけている対象も変化している可能性もあるからです。変化に柔軟に対応が出来るようになることが、自分が社会に貢献できている度合いを高めていっていることになっています。また、能力の高まりであることを実感してください。

 短期的な目標により細部にわたった計画が組み立てられると、自分に何ができるのかが分かってきた証拠になります。詳しい地図は迷うことも少なくなります。
 
 こういった繰り返しの中で、気付くことがあります。自分は世界の中にいるのだということ、世界の一員だということに気付いてきます。それが小さな世界であれ、大きな世界であれ、世界観を持つことに変わりはありません。自分が参加している世界に自分はどうあるべきなのかという立脚点を発見することになります。自分がその世界で、歴史的な存在であり、未来を切り開く存在であることを実感することになります。大きな影響力があるかどうかの問題ではありません。世界の中で、たとえちっぽけでも存在の意味を確認できたことになります。このことを、自分が歴史的な存在になったと言っていいでしょう。自分が参加している、その世界の歴史を背負って生きることになるのです。

 自分とは何かと問うた時に、歴史的な存在であると言えたときに、その幸福感は世界とひとつになれます。自分が毎晩酒を飲んで若いオネエチャンとチャラチャラしていれば若いオネエチャンとチャラチャラしている存在であり、歴史的な使命を持って世界と向き合っていれば歴史的な使命を持って世界と向き合っている存在である、ということがいえます。オネエチャンと幸福感をひとつにするか、人類史と幸福感をひとつにするかは自由です。それが、対象に規定された自己ということになります。

 オネエチャンを獲得する達成感に価値を感じる人と、世界を獲得する達成感に価値を見出す人とでは価値観が違います。価値とは相互に意味を付与されたもので、世界を獲得する達成感に価値を見出す人は世界からも、その価値を認められることになります。ただそれだけのことです。後悔するか、しないかも、その人次第です。

 

後悔しないようにと思っても、そう人生は上手くいかない。私が述べた達成感とは「強い」人達の話で、そういう人生の挑戦が可能な人ばかりではない。また、日本は一度失敗した人にとても冷たい社会であることも事実だ。そういう弾き出されてしまった人々への社会起業を設計できるリーダーも必要だと思える。当会でも計画は持っているが、とても貧乏な会なので、今のところ実行には移せないでいる。折角、練りに練った秘策が有るというのに残念だ。しかし、このままにはしておかない。この3年の間には必ず目鼻をつけてみせる。

 

私はこの5年間、考え続けてきた。そして高齢者の「自立性」と「コミュニケーションギャップ」の双方を同時に解決できる方法に気がついた。法律の改正も幾つかは必要なので、そのことも当会に参加している議員と話し合っている。道は遠くない。私が元気でいられる限りにおいて。

 

 何をして、どうなっていくのか、これからの私たちを楽しみにしておいてください。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日記 | 10:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |