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迷走日記 3月31日 走禅一如 3
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迷走日記 3月31日 走禅一如の可能性について その3

ダルマの禅から考える

 

ダルマという伝説は禅宗の祖としてのダルマと、民間信仰としてのダルマという二つの姿があります。

 

民間信仰としてのダルマは“ダルマの民俗学”吉野裕子著(岩波新書)が陰陽五行の思想から簡潔明快に解説しています。

ダルマは五行の「火」の象徴として日本では考えられた。農業における日照や、火の上方志向による開運と結びついた。一年の初めとしての正月を五行の理に適った方法で迎えることが、関東でのダルマ市となったようです。関西では商売繁盛の上方志向とも相性が良かったようだ。ダルマの「赤色。三角。巨大な目。物言わぬ口」それは五行の火気として感得された。その解説は本書を読んでもらいたい。

 

中国、春秋戦国時代(紀元前770〜紀元前221)の陰陽五行思想が現代日本の私たちの生活の隅々にまで浸透していることを思うと、歴史という業(行為は必ずその結果をもたらし、また現在の事態は必ずそれを生む行為を過去に持っているとする思想)と因縁(事物を生ぜしめる内的原因である因と外的原因である縁)を感じざるを得ない。

日本で陰陽五行思想が違和感なく受け入れられたのは、陰陽五行が発生した黄河流域と日本の緯度がほぼ等しく、日本の自然の推移によく見合った為と考えられます。日本の稲作漁撈文化の琴線に触れたのでしょう。

16世紀、室町期に生活文化の隅々にまで陰陽五行思想は構造化された。何故だろう?

吉野裕子は本書のあとがきでこう述べています。

・・・・・

209p

順当な五行循環、すなわち季節の推移は、人びとの生活安定の基本条件である。この五行の推移も一方的に白然にゆだねることなく、人間のほうも法則にしたがって果敢に参画する。そもそも撃つ、扶ける、などというのは戦略用語である。

 中国古代哲学の真髄を駆使して、災害の多い列島の自然に対処する。それが、かつての日本人の識者の心構えだったから、年中行事とは、ある意味では真剣な戦略行事なのであった。

・・・・・

災害の多い日本では、五行の法則の「相生、相剋、三合」を戦略的に取り入れたのですね。祭りや、神々の姿も易の理と五行の法則を駆使して種々様々に考案されてきた。

吉野裕子の著書の幾つかを読んでいますが、言えることは、日本文化の深層を語る上で、著者の論考は欠かせないものだということです。

 

 ダルマの「火の気」はスポーツをするものにとっても、見逃せないパワーとなるものと思われます。

 

 禅宗の祖としてのダルマが正当に評価されるきっかけになったのは、敦煌莫高窟で3世紀から10世紀の寫本時代の資料が1907年に発見されてからのことなので、古くはありません。その資料の中から、初期禅宗の全貌が露になり、ダルマの新しい側面も見えた。

 1900年に王道士という道教の僧侶が敦煌莫高窟の住職になり、偶然にタクラマカン砂漠の砂に封じられていた窟の一室でとても多くの古い書物を発見した。スタインやぺリオという東洋学で名の知れた探検家が王道士から買収して、イギリスやフランスへ送ったものです。その後、残っていたものは北京へ運ばれました。日本では1909年に敦煌古書のことは知られることになり、中国と日本とフランスでほぼ同時に敦煌学が始まったのです。イギリスでは大英博物館の地下室に放置されていたので、イギリスでの研究は少し遅れることとなりました。発見された膨大な量の仏教資料は学者を震撼させた。仏教研究の大きな転換点となったのです。

 

 私が敦煌莫高窟を訪れた時には、資料館の完成が間近な頃でした。莫高窟の壁画は模写の途中で、模写された後は模写したものを資料館で展示し、窟は保存のために密閉されるとのことでした。主席研究員の方が流暢な日本語で案内をしてくださった。彼は大阪の民族博物館で学んだと言われていました。まだ国交が断絶していた頃なので大変だったことを話してくださいました。彼の父が北京大学の教授で政府の高官だったこともあって、その後、日本との国交の橋渡し役ともなった研究員です。事情があって、名前は明らかにすることが出来ません。

当時に見た色鮮やかな壁画の現物は今も鮮明に思い浮かべることが出来ます。大きな感動は生涯の宝となりました。

 

 隋から唐中期にかけて新しい実践仏教の運動が盛んになるにつれて「ダルマの語録」と言われるものを、ダルマを初祖とする人々が生み出していった。

その頃の仏教はあまりにも経典の注釈を重視した硬直したものであった。故に、ダルマの実践による新しい仏教の革命が新鮮な驚きに満ちた新時代のものとなった。

 詳しく知りたい方には、柳田聖山著“ダルマ”(講談社学術文庫)、“達摩の語録”(ちくま学芸文庫)をおすすめします。

                                                                                                                                                         

ダルマの生涯は謎に包まれて、伝説化されているので正確なことはわからない。・・・南インドの出身ではあるのでしょう。般若多羅に師事し大乗禅を学んだ。般若多羅の宿願は中国における教化にあったので、ダルマはその遺志を継いで中国へと旅に出た。武帝はダルマを歓迎した。『碧巌録』第一側で有名な、梁の武帝との問答となる。その後、揚子江を北に渡り嵩山少林寺に至り、面壁を続けていた。

 

ダルマの「面壁九年」とは、壁そのものに向うことではなく、自分の心の壁に向うことであったようです。曇林はダルマの安心を壁観としています。ダルマの禅とそれ以前の禅とは大きく違う。

僧稠(480〜560)の禅は四念処(しねんじょ―――身念処・受念処・心念処・法念処の総称。それぞれの身は汚らわしく、苦であり、常に移ろいゆき、本質をもたない仮の姿であると観ずるに至る修行法。四念住。)大辞林 第三版

安心とは空観と考えてよいのでしょう。汚も苦も本質も妄想に過ぎない。裸の有りのままの心の奥底を見つめることが壁観であり、妄想や煩悩や呪縛から開放されてこそ安心が得られるということではないでしょうか。

 空という悟りを得た――それは妄想ではないか。修行を重ねて真理を得る――得ようとすることが煩悩では。坐禅によって本質を知る――坐禅に縛られてはいけない。壁観の安心はどこまでも心の奥深くへ入っていく。

 

面壁、この言葉は私を捉えた。私は何に向って走っているのだろう。心の壁に向って走っている。ひたすらに自分の壁に向って走っている。何も他に考えることは無い。目の前に見えているものは自分の心の壁だけだ。

 

不立文字(ふりゅうもんじ)・・・言葉にすれば嘘になるかも知れない。

以心伝心(いしんでんしん)・・・心に響いた。理屈はいらない。

直示人心(じきしにんしん)・・・迷っていても、しかたが無い。

見性成仏(けんしょうじょうぶつ)・・・心の壁に向って走っていこう。

自分流にダルマ禅を走ることでイメージしてみました。

 

 ダルマには「二入四行」という教えがあります。二入は「理入」と「行入」です。柳田聖山先生は「理入」を(本来にたちかえる原理)、「行入」を(本来にたちかえるための実践)とされています。

 四行とは四つの生き方のこと。第一は報怨行(ほうおんぎょう・前世の怨みにこたえる行)。第二は随縁行(ずいえんぎょう・今生の因縁に任せる行)。第三は無所求行(むしょぐぎょう・むくいを求めぬ行)。第四は称法行(しょうぼうぎょう・法の真実にかなう行)。

 理入とは理論から入ることでは無いようです。全ての理論を捨てたところに理があると考えられます。全ての偏りを無くす。妄想や煩悩や繋縛(けばく)に気がつくことが理であるようです。

 

ヨーゼフ・シュンペーターという経済学者は創造的破壊ということを言っています。絶えず新しいイノベーションで創造的破壊を行うことが重要であると述べています。心にも創造的破壊が必要なのかも知れません。

 行入とは新しいイノベーションで創造的破壊を行うことのように思えます。妄想や煩悩や繋縛を破壊して、心の新陳代謝を行う。そのことによって持続的な発展を見ることが出来る。理は創造の母であり、行はイノベーションという父のような関係で、そこにダルマの禅が生まれると考えました。

 

第一の報怨行について、前世という考え方は捨てて、怨みを問題解決ツリーとして考えてみる。WHYツリーは、問題を考えるとき「なぜ?」と考えながらツリーをつくる。「なぜ?」を繰り返すことで、原因(怨み)を探求していきます。

HOWツリーは、「どうやって?」と考えながらツリーをつくります。「どうやって?」を繰り返すことで、(怨み)の解決策を導き出します。前世とは、生まれ変わることではなく、いにしえから引き継いだ、環境や社会的な問題であったり、歴史的背景、あるいは遺伝的限界と捉えます。

 

第二の随縁行はマーケティングと考えます。

・ベネフィット――自分の勝手な思い込みや自我を捨てて自分の本来の価値を探り出す。

・差別化と強み――心を冷徹に観察するという壁観で、自分の特徴を知る。そして、応援してくれている人や力になってくれている人を強みとして大切にする。

・セメンテーションとターゲティング――文系か?体育会系か?体育会系だとするとチームプレイ派か?個人プレー派か?走るといっても、短距離か?中距離か?長距離か?

 ・4P――Product:マラソン。Price:2時間30分。Promotion:年齢による新記録樹立。Placement:陸連公認の大会。

 

第三の無所求行はコンプライアンスと捉えます。

「経云 有求皆苦 無求則楽 判知無求真為道行」とあります。

 “達摩の語録” 柳田聖山著(ちくま学芸文庫)によると

『経』に云く、「求むること有れば皆な苦なり、求むること無くんば、則ち楽し」と。判かに知んぬ、求むること無きは真に道行たることを。

(ある経典に、「希求すればすべて苦しい、希求せぬときこそ楽しい」と言っている。これによって、希求せぬことこそ、まことに真理の実践であることが、はっきりと知られる。)

 

 多くを求めると問題も多くなる。自由に生きるには「社会的規範を示す経」にもあるように、自分の利益を優先しないことです。真の人間の成長は欲を捨てることから始まる。とダルマさんは云われているように、私には思えます。

 

 第四の称法行はソーシャル・スキル(social skill)社会性だと思えました。

「此為自利 復能利他、亦能莊厳菩提之道」。人々の安住のために、人々を安楽ならしめるための布施を、報いを求めずに行う。この修行での悟りが自利にして他利。

菩提之道とは(僧肇の『涅槃無名論』に、「経にいう、菩提の道は、はかり知ることができぬ。この上もなく高くて、その高さを極めることもできず、この上もなく深くて、その深さを測ることもできぬ。大きいと言えば天地を包み、小さいといえば、どんなすき間のないところにも入り込む、それで道というのである」。)“達摩の語録”73p

 

 “達摩の語録”を、「二入四行論」を何度も読み返して、住みにくい現代での「心のありかた」を教えてくれるものとして「二入四行論」は活きている、活かさなければならないものと思えました。

 

 ダルマの禅から走禅一如を考えると、練習では「目の前に見えている自分の心の壁に向って走る」ということは有効だと思えますが、記録を狙うのは妄想であり煩悩・繋縛だということになり、完成しない。しかし、記録を狙うことは民間信仰の「勝達磨」からパワーをもらうことにしておけば良いではありませんか?

 

『五六 道とは何か』にこんな一文があります。“ダルマ”(講談社学術文庫)307p

「もったいぶった悟りを求めず、人の師とならず、法を師ともしないなら、自然に独歩する」

 

 何かの教えにすがろうとするのは「生身の気力に欠ける」との言葉もあります。充実した気力は六種のハラミツで完成させる。先ほどの称法行での布施と悟りのほかに、戒め・忍耐・努力・禅定とあります。(六波羅蜜――布施波羅蜜・持戒波羅蜜・忍辱波羅蜜・精進波羅蜜・毘梨耶・禅定波羅蜜)

 

 生身の気力を獲得するには、独歩という「戒め・忍耐・努力・禅定」が前提となるようです。生身の気力で練習に取り組めば、自然に記録が狙えるように思えます。精神論ではなく「何も考えるな、ただ自分に向え」ということです。しんどいときにはしんどいなりに、調子がいいときには調子がいいなりに、ゴツゴツと距離を重ねていくだけだと、そんな思いで走っています。

 

 終わりに、少林寺拳法はダルマがインドより伝えた、那羅延拳(ならえんけん)をつぐものということです。

 

 写真は姫路市豊富の善寿寺で1月半ばに撮影したものです。

 






posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 迷走日記 | 18:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |