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グローバル化の問題点2013.01.29 Tuesday
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JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
静かなる大恐慌 柴山桂太著 を読む
2012年 9月19日 第一刷
日本をどうする?国民が学ばなければ、政治は動かない。 31
金は天下の回り物という。税収を増やそうとするならば、お金が勢いよく沢山に回ると税収は増えていく。増えた税収は国を豊かにして、国民も豊かになる。何らかの事情があって、国から沢山のお金が出て行ったら、税収を増やさなければ国は赤字になる。その赤字は税金を増やすか、お金がより多く回るようにして税収を増やすしかない。税金を増やしてチャラにするのは簡単だが、お金がより多く回るようにして税収を増やすには工夫が必要です。誰もが思うことは増税せずに、お金がより多く回るようにして税収を増やして赤字を埋めてもらいたいのだが、それには政治の力が必要です。
問題はその政治力が落ちているのではないだろうか、ということです。
「欧米が経済恐慌に陥っているなかで、デフレ解消のレジーム・チェンジ(経済政策の大転換)を宣言して実行した高橋是清、しっかりしたビジョンを提起して所得倍増計画を実行した池田勇人、石油危機後の日本の安定成長の道筋を開いた田中角栄。これらの政治家に共通する政治力を備えた政治家が、閉塞感に満ちた日本を救うのである。」(日本を滅ぼす消費税増税 菊池英博 9p)
世界的な経済危機からの脱却も、日本だけがとりのこされているような気がします。
21p
今回の一連の経済危機は、2002年から08年まで続いた世界的な信用バブルが崩壊したところから始まりました。この間、世界的に低金利が続いたうえに、好景気にあおられた欧米の主力金融機関が極端にレバレッジを拡大したため、ありあまった資金が世界中を駆け巡りました。その結果、アメリカでは不動産価格が高騰し、グローバル化の影響もあって世界中から資金が集まりました。欧州にも資金は流れ、アイルランドやスペインでは不動産バブルが生まれ、ギリシャやイタリアでは政府と民間の両方とも、債務を急激に増やしていったのです。こうしてふくらみにふくらんだバブルが、08年のリーマン・ショックで崩壊に向かったというわけです。
アメリカや欧州の危機が深刻なことは報じられてきましたが、アメリカやドイツやイギリスやフランスはデフレではありません。労働者の賃金も増えています。日本だけがデフレ政策を継続してきました。政治が有効な経済政策を打ち出せなかったから、財務省主導の緊縮増税の均衡財政のデフレ政策を採らざるを得なかったのではないでしょうか。
しかし、その反省点も踏まえて、欧米に負けずに今後10年間で200兆円の積極財政政策を採ってデフレを解消できたとしても、日本も欧米もグローバル化による高い不確実性にさらされたままで、深刻な危機が解消しているわけではありません。
このグローバル化の問題点をとらえたのが本書です。
18p
最初にこの本の目的をはっきりさせましょう。この本では、今、まさに進行中の経済危機について分析します。しかし、ゴールはその先にあります、この進行する危機のなかで、世界はどのように姿を変えるのか。今後10年、20年で生じるであろう歴史の大きな変化について、中長期の視点から考える、というのが本書の目的です。
「私達が直面している危機の全体像を理解しよう」ということです。
19p〜20p
・今の世界経済危機は単なる景気循環による一時的な落ち込みではなく、静かなる恐慌です。明らかに従来の不況とは違う、もっと巨大のインパクトを持っている。
・グローバル化や自由化は歴史的に何度も起きている。しかし、その都度、国家間の対立が深刻化したという過去の教訓にはほとんど触れられることがない。グローバル化は決して安定した未来を約束するものではない。
・今回の危機が、単なる経済危機にとどまらず、国内の危機を伴っているのに、両者の関係をきちんと分析したものが少ない。
36p
グローバル化と自由化が進んだ現在では、政府は市場の動向を簡単に把握できません。とくに金融市場では、あまりに資金の規模が大きく、動きが速いうえに、政府の監視を逃れて水面下で移動する資金もあるため、どんな危機が起きるかを政府が事前に察知することはほとんど不可能です。
41p
正確には、新自由主義のもとで進められるグローバル化というべきでしょう。
こうしたグローバル化は、世界経済が好調のときには各国の経済成長を加速させますが、副作用としてバブルの規模を大きくし、被害もグローバルに拡大させます。その被害が、国家の統治能力の低い新興国へと波及すると、危機はさらに複雑化するのです。
グローバル化は過去の歴史的経緯を見ても、人々を必ずしも幸せにしてきたとはいえないようです。
45p〜46p
第一次グローバル化が、第一次世界大戦、第二次世界大戦という二度の大戦争によって終わったという事実です。国境を越えた商品や資本の移動が盛んに行われ、世界経済の統合が今と同じように進んでいたにもかかわらず、結局、第一次グローバル化は国家間の、過去に類例を見ない、熾烈な大戦争によって終わってしまったのです。
このことは、現在のグローバル化、つまり第二次グローバル化の行きつく先を考えるうえで、きわめて示唆的です。過去と現在がまったく同じパターンを繰り返すわけではありませんが、少なくとも次のことはいえるでしょう。グローバル化は決して一直線に進むわけではなく、その過程で国家の対立をむしろ高めてしまう傾向にあるということ。グローバル化は世界を自動的に繁栄と平和に導くとは限らないということ。
著者の言うように、歴史から学ばなければならないものは少なくないようです。私はグローバル化の影響の中で一番に気になったのは「先進国でも進む社会溶解」に書かれていた「底辺への競争」という言葉でした。
99p〜100p
・・・直接投資によって工場が海外に移転したことで、若年層を中心とした労働者の賃金が上がりにくくなっているのは間違いありません。グローバル化が進むと、先進国の労働者は途上国の労働者との競争によって、待遇や賃金に引き下げ圧力がかかるという「底辺への競争」という考え方にも、一定の説得力があります。途上国から安い産品が流入するため、消費者としては得をする機会が多くなったのも事実です。しかし、消費者は労働者でもあります。90年代から低インフレが続く先進国では、モノが安くなるメリットを意識する機会より、雇用の劣化や賃金が上がらないことのほうに不満を覚える機会が多くなるのは間違いないでしょう。なぜなら消費よりも労働のほうが、一般的にいって生きることの充実に関わるものだからです。
39p
ドイツの人口学者グナル・ハインゾーンは、今、新興国で起きている若年人口の増加(ユース・バルジ)が、政情不安やテロ、内戦などを引き起こす原因だと指摘しています。どの国でも、不況による失業のしわ寄せは若年層に行きますが、福祉の充実していない新興国では、若者の不満がダイレクトに政権への不満へと発展してしまうのです。今、北アフリカや中東を皮切りに起きている暴動は、単なる民主化運動で片付けることはできません。リーマン・ショック後の世界的な経済危機という文脈から考える必要があるでしょう。
グローバル化は国内産業の衰退や失業という問題をもたらすこともあって、反転していく局面を迎えるようです。保護主義やブロック化「社会の自己防衛」。
グローバル化は日本にどのような経済状況を与えたのでしょうか。
171p
・・・2008年のリーマン・ショックの際にも、危機の震源地である、アメリカやヨーロッパよりも日本のほうが景気の落ち込みかたはひどいのです。
なぜそのような違いが生まれたのでしょうか。アメリカとフランスでは、グローバル化 が進んでいった90年代以降でも、輸出への依存度がさほど上昇していません。アメリカ は10%以下、フランスは20%台で、この20年間、ほとんど変化が見られないのです。
他方、日本はこの20年間で輸出依存度をほぼ2倍にまで増やしました。その結果、グ ローバル経済全体の景気が好調なときには成長し、グローバル経済が少しでも減速すると 激しい景気後退を体験する、ショックに対して脆弱な体質になってしまったのです。
アジアやアメリカ、ヨーロッパで何か大きなショックが起きるたびに、日本の輸出企業 が打撃を受け、雇用が制限されてしまい、デフレも加速していきました。この20年間の 日本は、貿易や海外投資を拡大していく一方で、ショックに対して脆弱な経済体制へと変わってしまったといえるでしょう。
グローバル化は対立や格差を拡大しています。都市と地方、正規労働者と非正規労働者、世代間、産業間に現れています。日本の未来を考えたときにグローバル化の問題点がもっと語られても良いのではないでしょうか。帯にある中野剛志のコメント「資本主義が未曾有の危機に突入した今、思想家・柴山桂太氏の「時代をとらえる力」がどうしても必要だ。」は、その通りだと思います。本書は私達の存在や思想のあり方にも問いかけてくる。とても読み応えのある未来の書でした。より多くの人に読まれることによって、確実に日本は変わっていくでしょう。分かりやすさの点でも素晴らしい一冊です。
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消費税増税はいらない2013.01.27 Sunday
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JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
日本を滅ぼす消費税増税 菊池英博著 を読む 2
講談社現代新書 2012年11月20日第一刷
日本をどうする?国民が学ばなければ、政治は動かない。 31
消費税増税は必要がない 日本を救う最後のチャンス
日本は財政危機なのか?財政危機ではないのか?高齢社会で社会保障を捻出するのは消費税増税以外に無いのか?日本の消費税は安いのか?私達は騙されているのではないか?そもそも消費税増税は必要なのか?消費税は「民間投資を喚起する成長戦略」にどのような影響を及ぼすのでしょうか?機動的な財政政策は消費税の不公平性を緩和するためのものでしょうが、もともと不公平のある消費税に頼らなくてもよいのではないか?大胆な金融政策に効果はあるのか?疑問は数え切れないぐらいあります。私にとってはこのモヤモヤが将来の不安につながっています。
日本経済は民間活力・内需型経済活動に貢献することでデフレ脱却を図らなければならないと思うのですが、3本の矢は複雑怪奇な飛び方をして、消費税増税以降は今まで私達が経験したことが無いような混乱が待っているように思われてなりません。
もし、日本がデフレ政策をとっていなければどうなっていただろう?
82p
1997年から2011年までの経済成長をみると、アメリカとイギリスが180%前後、ユーロ圈が158%、ドイツは137%に達している。もし日本がアメリカ・イギリス並みの経済成長をしていれば名目GDPは約900兆円、ユーロ圈・ドイツ並みの成長をしていれば約750兆円に達しているはずである。そうすれば、税収が75兆〜90兆円になり、増税なしで社会保障費を十分賄える。
デフレが続くなかで、賃金はスパイラル的に低下しており、賃金の推移が「名目GDP」および「デフレ推移線」と同じ傾向にあることがはっきりしている。我々の賃金を上げるには名目GDPを増加させることが必要であることが分かるであろう。
しかし、人口が減少しているのだからデフレは仕方がないのではないか?と思われるのだが、日本より人口が減少している国ではどうなのだろう。
17p
2000年から2010年にかけての10年間の統計をみると、先進国のなかで人口増加率が低い順に10ヵ国を並べてみると、もっとも低い国はドイツである。しかしドイツはデフレではなく、経済は日本よりもはるかに高い成長をしており、さらに人口増加率と経済成長との関係を調べてみると、「人口増加率が低い国の方が経済成長率が低い」という相関関係は全く存在しない(「とことん考える消費税17」、藤井聡、「週刊エコノミスト」2012年6月26号参照)
デフレは金融緩和で解消できるのはないか?しかし歴史はそうではなかった。
101p
・・・新自由主義を唱えたミルトン・フリードマンは、「大恐慌が起きたのは、中央銀行が通貨供給量を増やさなかったからだ」といい、「中央銀行の通貨政策は間違っていた」「中央銀行が通貨供給量を増やしていれば、大恐慌は起きなかった」(大恐慌の犯人は中
央銀行だ)。だから「デフレは金融緩和で解消できる」という。
これを信じる人がマネタリストである。しかし、当時の中央銀行は金融機関に資金を流していたが、民間企業はデフレで借りなかった(むしろ返済していた)ために、企業や個人の資金が減少したのである(本山美彦、『金融権力』、岩波新書、2008年)。
この経験からはっきりと分かることは、中央銀行が金融機関にいくら資金を流しても、恐慌型のデフレは解消しないことである。
その新自由主義のアメリカはデフレではなかったのでは?
162p
クリントン・モデルの教訓
(1)経済規模の拡大が税収の増加となって、財政赤字を解消させる。
「財政再建」とは、「政府の純債務のGDP比率」を下げることである。そのためには、景気対策(名目GDPを増加させる政策)を採るとよい。国民には雇用機会が増加し、有効需要が増加して投資と消費が増える、その結果、名目GDPが増加して税収が増えるので、国債発行額は減っていく。
クリントンはこうした正攻法で景気を拡大させ、税収を増加させる政策を政府主導で実行してきたのである。クリントンの手法は、本質的には、アメリカの大恐慌の時と同じ手法であり、「賢者は歴史に学ぶ」のである。2009年からのオバマ政権も大恐慌時の対応とクリントン時代の成功例に学んでいる。
(2)債務はいくらあってもよい、債務の増加率を上回る名目GDPの増加率があれば
よい。
クリントンの経済政策の当初2〜3年間は、国債発行によって政府債務が増加し、「政府債務の国民負担率」は上昇して高水準であった。しかし、この政策を継続したために、五年目から国民負担率が大幅に低くなり、1998年に財政が黒字に転換してからは、「政府純債務の国民負担率」は低下していった。
財政主導・金融フォローの政策が必要なようだが、日本の財政は危機的な状況なので借金を増やすだけになるのではないか?しかし、財務省は海外に対して「純債務」で説明して「日本は財政危機ではない」と宣伝している。
127p「日本は世界最大の貯蓄超過国であり、国債はほとんどが国内で、きわめて低い金利で安定的に消化されている。また、世界最大の経常収支黒字国であり、外貨準備も世界最高である」
どうやら日本は財源の豊かな国であるらしい。日本政府は健全財政で、資産超過国であることがはっきりしているのに、債務だけを取り出して資産を隠して国民に増税を迫っているようです。本書第4章を読んでもらえば詳しく論述がされている。
では、日本には何が必要なのだろうか?
40p
官民ともに投資不足、マイナス成長の原因
デフレになると投資意欲が減り、国内で民間投資は増加順よりも回収の方が多くなる。つまり、投資が回収超過に転じる。さらに現在の日本では、政府投資(公共投資)が小泉構造改革以来ずっと減少しているため、民間も政府も投資が回収超過になり、名目GDPを引き下げる主要な要因となっている。一国の景気動向を見るとき、政府(内閣府)もマスコミも、おもに消費動向が増えたとか減ったとかで判断している。しかし、消費は投資の結果に過ぎない。最初に投資が増えれば事業が拡大され、生産活動が発生し、雇用が生まれ、所得を生み出し、その中から消費が生まれる。
経済活動の根幹は投資であり、現在の日本経済の停滞の最大の要因はこの投資不足で
ある。
43p・・・しかし、デフレの日本で、民間投資の増加は期待できない。政府投資の削減こそ、デフレを促進する原因であり、それは現在も続いている。
政府投資を国債の発行でするとして、債務は後の世代の負担になるのでは?
142p
日本の場合には国債の95%を日本人が保有している。こうした国で、政府が内国債を発行して資金を調達するとき、国債の購入者は自ら消費する代わりに、政府が消費か投資をする。その後、内国債が誰に償還(返済)されようとも、日本の場合にはほとんどの償還金が国債保有者である日本人に返済される。したがって、国債を発行してそれを政府が投資するとすれば、それが有効需要として活用され、需要不足の経済を立て直すことができるのである。2001年度からの緊縮財政でも、財政の赤字部分は有効需要を底支えする要因であったので、財政危機は全く生じていない。この間、税収の増加をもたらしているのである。
デフレ解消には政府投資が決め手になるようです。
私はこの政府投資が『環境と福祉の統合』に向けられるべきだと考えています。この言葉は広井良典(千葉大学法経学部教授)のものです。私は彼の著作物の全てを読んで、彼の考えが最も未来的であると確信しています。近いうちに「広井良典を読む」をはじめます。本書に戻り、著者がいう「政府投資の実行先」を箇条書きにしてみたい。是非に皆さんで読んで、議論してみてください。
1)国民の生活に直結した社会的インフラ(環境)の整備と再構築、橋梁・幹線道路・水道管の更新、公営住宅等の更新。いずれも償却済み老朽インフラの更新投資から始める。
2)脱原発・脱石油を目的とした新子不ルギー開発への設備投資・開発投資、「10年で原発をゼロにする」を目標とする。
3)港湾施設の近代化と老朽施設の破棄と新設を進める。
4)医療施設の更新、老朽化した病院の更新、最先端の医療機器の開発。
5)教育・研究支援費の増額。
6)地震・津波対策をベースとした大規模インフラ投資。
増税や金融政策には議論が必要で、著者のいう積極財政こそがデフレを克服するだろう。「DEMIOSモデルを参考にして著者が作成した推測値」による「経済成長予測のまとめ」は日本復活のシナリオとして、多くの国民の支持を受けることでしょう。
著者のいう「新日本型資本主義の七ヵ条の理念」を箇条書きで紹介したい。
正にこれこそが、私の目指す『環境と福祉の統合』政策の総路線・戦略的立場としたい。
本書との出会いに感謝します。
1)新自由主義(市場原理主義、グローバリズム)と決別する。
2)日本国家を再建するため、「官民協調」で再建策を樹立する。
3)輸出立国から社会立国・福祉国家へ転換する。
4)産業構造を内需主導型に転換し、「社会的共通資本」の整備・拡充を重視する。
5)国民の預貯金を日本国民のために使う。
6)日本国民の雇用を重視する国家理念を確立すること。株主より雇用を優先。
7)共同体組織で、食料の自給率向上と、農業を輸出産業として育成する。
多分、今が日本を救う最後のチャンスかも知れない。まだ少し余裕がある間に、金利を上昇させずに、コストプッシュインフレではなく、内需主導で国民の生活に寄り添った経済を活性させる財政積極路線こそが正しい。国民が学ばなければ、政治は動かない。
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恐慌型デフレであったという認識2013.01.26 Saturday
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JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
日本を滅ぼす消費税増税 菊池英博著 を読む 1
講談社現代新書 2012年11月20日第一刷
なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 30
本当に怖いのは恐慌型デフレだ!
日本のデフレ脱却には何が必要なのかを知るには、日本の現在のデフレがどのような内容のもので、原因は何かを正確に知り、解決法を探っていかなければならない。著者のいう、日本の現在のデフレは恐慌型デフレであるという認識は、デフレ脱却に不可欠の認識だと思えます。本書を是非に読んで、皆さんもアベノミクスについて考えてみてください。
この書は中身が濃密で、どの一ページからでも著者の強い気合を感じさせます。面白くて、一気に読み終えた後のあとがきに「国民の一人ひとりが蛮勇を奮って」頑張ろうというメッセージに感動しました。
206p・・・国民の一人ひとりがデフレこそ諸悪の根源であり、「あきらめずに努力すれば目的は達成できる」というアスリートと同じ強い信念をもって行動すれば、必ずデフレは解消し、日本経済を成長路線に戻すことができ、消費税増税なしで税収が増加するのである。
インフレには2種類あって、ディマンドプル・インフレと、コストプッシュ・インフレで、これから私達の生活に待っているのはコストプッシュ・インフレかも知れない。景気が良くて給与水準が増加し、購買力が上がることによって起こるディマンドプル・インフレを望みたいものです。
デフレはジワリジワリと国を絞め殺してしまうので、十分な経済対策をしてディマンドプル・インフレを目指さなければいけませんが、そのデフレにも種類があるようです。
44p デフレとは、物価が継続して下落することであり、「循環型デフレ」と「恐慌型デフレ」がある。消費者物価や物価の総合指数(GDPデフレーター)が一時的な要因で下落するデフレであれば、金利を下げ、金融の量的緩和を実施すれば、投資需要が出てきて景気が回復する。消費者物価や物価の総合指数は前年比でプラスになるであろう。これが循環型デフレである。
では日本のデフレはどちらなのだろうか?
44p〜 現在の日本ではGDPデフレーターが1998年から継続して前年比でマイナスであり、2012年ですでに15年目のデフレである。この間、日本銀行は金利をゼロにしたうえで量的にも緩和している。とくに小泉構造改革時代には、2002年から継続して財政では緊縮引き締め政策を採り、金融ではゼロ金利で量的緩和政策を継続してきた。
しかし、デフレは解消せず、この間に緩和した日銀資金は外資を中心とする証券筋が借り入れて、ニューヨーク市場で株式や商品市場の投機活動に使われたのである。
この事実は日本のデフレは金融緩和だけでは解消せず、金融だけでは解決できない大きな需要不足と経済力の弱体化(供給力の減退)が原因であることを示している
(「インフレターゲットで日本経済は救えない」、ORIENTAL ECONOMIST REPORT編集長リチャード・カッツ、「週刊東洋経済」2010年4月24日号参照)。日本のデフレはまさに「恐慌型」である。
もう少し詳しくはこう書かれている。
111p
・・・「循環型デフレ」は物価の総合指数(GDPデフレーター)が前年比でマイナスになったり、プラスになったりと変動しても、継続してマイナスにはならない現象である。この場合には、金利の引き下げや金融の量的緩和、財政支出の一時的増加などで、経済が復元する。この循環型デフレではGDPの名目成長率は実質成長率よりも高い。
一方、「恐慌型デフレ」では、継続して物価の総合指数(GDPデフレーター)がマイナスになり、GDPの実質成長率の方が名目成長率よりも高くなる(GDPデフレーターがマイナスだから)。「恐慌型デフレ」では投資が減り、投資の回収の方が多くなる。「純投資」がマイナスになるということである。
「純投資」がマイナスになると必ずデフレになり、金利を下げても、金融を量的に緩和しても、新規投資が出てこない。金融の罠に落ちこみ、デフレがデフレを呼ぶデフレ・スパイラルとなるのである。ケインズという経済学者は、この現象を「流動性の罠」と呼んでいる。
少し難しいかもしれないが、本書を丁寧に読めば大方の方は理解できると思います。
111p〜112p
・・・「恐慌型デフレ」の解消に成功した国に共通した経済政策は次のとおりである。
(1)財政主導・金融フォローの政策を採ったこと。政府が有効需要を喚起するために国債を発行し、中央銀行が協調して資金を供給し、長期にわたり金利を安定させる。
(2)長期間、政府投資を継続して実施したこと(昭和恐慌と大恐慌は、ともに五年継続した)。
(3)財政再建の数値目標を設定しないこと。設定した国はすべて失敗している(第5章参照)。財政再建の指標としては、財政規律の指標(分子=純債務/分母=名目GDP)を数年かけて徐々に低下させていくことを目途としておけばよい。
(4)景気回復によって名目GDPを増加させる政策を優先し、債務を圧縮する政策を採らないことである。
上記の経済政策は「第5章 投資と成長戦略をどう実行するか――クリントン・モデルに学ぶ」「終章 いま日本が取るべき道――恐慌型デフレ解消から成長路線へ」を読むと分かりやすく、しかも深く理解できます。
要点は78p・・・デフレにならないようにするためには、「経済全体の需要が供給を下回らないこと」「消費者物価と物価の総合指数であるGDPデフレーターが前年比でプラスであること」「賃金水準を下げないこと(下落しない岩盤を作ること)」、この三つが充足されていることが必要である。
現在に至る日本のデフレは、あえてデフレを深刻にする政策を採ってきたことが問題であり、日本の経済危機は政策危機であると著者は述べている。
15年も継続する長期デフレの原点は、橋本龍太郎内閣が1996年6月に閣議決定した緊縮増税政策にあった。金融危機による信用収縮があり、財務省が「粗債務」で判断した財政危機は誤認だった。小渕首相は財政構造改革法を凍結し、金融安定化と景気振興・経済再生に尽力し、デフレ解消に向かっていたが、これを覆してデフレ政策を導入し、デフレを法制化して長期化させたのが小泉構造改革であった。
56p デフレを法制化した小泉構造改革
2001年4月の自民党総裁選挙で小泉純一郎は「構造改革なくして成長なし」「自民党をぶっ壊す」「公共投資は経済成長に寄与しない」というスローガンを掲げて自民党総裁に当選し、首相に就任した。構造改革の中味は米国で1980年代にレーガン大統領が採り入れた新自由主義による政治理念と経済政策であり、それを日本で具体化することであった。
小泉構造改革の経済政策は、「財政は引き締め・金融は緩和」の政策と不良債権処理が中心であった。その中で法制化された主なデフレ政策は、(1)閣議決定による「基礎的財政収支均衡策」(緊縮財政による「財政デフレ」)、(2)労働基準法を改定して、実質的に経営者による労働者の解雇を自由にしたこと(「リストラ・デフレ」)、(3)会計基準の変更による「時価会計デフレ」である。さらに多くの規制緩和策が採られた。規制緩和はデフレを促進する要因であるので、米国のように常に景気振興策を並行して実施すべきであるのに、小泉改革では緊縮財政策で景気を後退させ、デフレを促進させる政策を採ったのである。
金融庁による金融行政の面でもデフレ要因がある。自己資本比率規制とペイオフであった。「いざなぎ以来の景気拡大」もまやかしであったようだ。デフレ下での「実質成長率プラス」は「デフレ率の裏返し」であったようです。
小泉構造改革のデフレ政策はアメリカの要請であった?
60p ・・・2001年に就任した子ブッシュ大統領(共和党)の対日戦略が、「日本にデフレ政策を要求して、日本国民の預貯金を日本のために使わせないようにし、余ったカネを米国債や対外投資に向けさせようとした」ことにあったと推測される。
・・・新自由主義を政策理念とする小泉首相の政策は「小さい政府」を目標とし、公共投資と社会保障資の削減を進め、新規国債の発行を抑える方針にあった。またデフレ解消は、金融緩和に任せればよいと考え(新自由主義者の金融政策、マネタリストの思想)、「財政引き締め」「金融緩和」でデフレが解消できると考えたのである。
前述したように、均衡財政を目標として緊縮財政を強行した結果、2000年から2010年までの10年間で、国内から120兆円のカネが絞り出され、その約7割の80兆円で、日本政府が米国の国債を買っているとみられる。
粗債務、基礎的財政収支均衡策、時価会計デフレ、は聞きなれない難しい言葉ですが、本書に分かりやすく解説されています。時価会計の導入は米国からの進言であったようです。
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円安恐慌2013.01.26 Saturday
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JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
円安恐慌 菊池真著 日経プレミアシリーズ を読む
2011年11月8日 一刷
なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 29
この書は円が安くなったときには資産運用をどうすればよいのかという教科書として読みたい。円安は一時的なものではなさそうなので、読んでおいて損は無いでしょう。
円安が進み、ジワリとガソリン代が高くなってきた。日本はエネルギーや食料や資源の多くを海外に頼っているために、不安を覚えます。
円安には現在の政権の目論みのほかにもうひとつドル反転という要因が加わるかも知れない。そうなると円は何処まで安くなるのだろうか、より一層に不安が大きくなります。
インフレターゲットという言葉を数年前からよく聴くようになりましたが、インフレにも種類があるようです。
85p デフレは「良くはないことだが、最悪ではない」と書きました。このコストプッシュ・インフレが「最悪」なのです。インフレには2種類あります。景気が良くて給与水準が増加し、購買力が上がることによって起こるディマンドプル・インフレと、コストプッシュ・インフレです。現在、デフレは良くない、インフレにせよ、という議論が盛んにされていますが、ディマンドプル・インフレに持っていけるのなら、デフレより望ましいですが、コストプッシュ・インフレになるのであれば、デフレのほうがよっぽどまし、なのです。
そうですね、そう思います。特に年金暮らしの高齢者はそうなっていますよね。
この書は分かりやすさに徹しています。それは著者がミョウジョウ・アセット・マネジメント代表取締役で、会員向け投資助言サイト(www.myoujoam.net)を運営しているからです。お客様に分かりやすく説明し、将来に備えた投資はどうあるべきなのかを提言することが仕事だから、職業として鍛えられてきたものなのでしょう。
この書を手にして、少し読んでみて、その分かりやすさに感心し、裏表紙に書かれていることに興味を引かれて購入しました。
裏表紙 円高は弱すぎるドルの裏返しで、日本国債も国内消化が支えているに過ぎない。ドル反転により始まる円安・インフレと、消化しきれなくなった国債の暴落が「最悪のシナリオ」を生み出す。いつ、誰がトリガーを引くのか?そのとき起こる深刻な経済状況と資産防衛、その後の展開を冷静な筆致で描き出す。
現在の円高の正体とはどのようなものだろう。
66p 日本の場合は、もうずいぶん前からゼロ金利政策による超低金利を続けています。米国も2010年に短期金利はゼロとなり、金利水準の変化では金融緩和ができなくなりました。そこで米国は、QE(Quantitative Easening、量的緩和)と呼ばれる手法を取ってきました。FRB(連邦準備制度理事会)が市中の米国債を買い取ることで、市中に資金を「量的に」供給するというものです。日本も同様の量的緩和をやってきてはいますが、米国の勢いに比べるとおとなしいものです。そして、この「通貨供給量の増加ペースの差」が、金利差ゼロ以降の円高ドル安要因になっています。
「通貨供給量の増加ペースの差」のほかに、円高のもうひとつの要因「避難先通貨」があるようです。
70p ・・・リーマン・ショック以降、米国景気がなかなか本格的に回復せず、米国は積極的な金融緩和策を継続し、結果的にドル安誘導となっています。そのような状況のなか、「避難先通貨」の1つとして使われているのが円なのです。ユーロは今にも崩壊するかもしれない、米国もドル安誘導をすぐにはやめそうもない、というなかで、日本は何年か(あるいは十何年か)先には財政が行き詰まる可能性が高いが、今すぐそうなる可能性はゼロなので今は安全、と見られているのです。財政的に何の問題もない国の通貨であるスイス・フランやシンガポール・ドルなども避難先通貨として使われていますが、いかんせんそれらだけでは流通量が少なく、3大通貨の1つである円を使わざるを得ないのです。
ではどの時期に反転するのだろうか?
67p〜 ・・・QE3は、労働市場に明確な改善が見られるまでFRBが住宅ローン担保証券を買い続けるという、あらかじめ期限が決まっていないものです。これが現在残っている円高ドル安要因です。
後に詳しく説明しますが、米国が行っている中央銀行(FRB)による債券買い取りは大きなリスクを伴う政策であるため、FRBは、できることなら可能な限り早くQE3を終わらせ(量的緩和拡大の終了)、その後なるべく早く保有債券を市場に売却したい(量的緩和縮小の開始)、と思っているはずです。
米国は、サブ・プライム問題表面化以降、まず金利を大きく引き下げ、最終的にはゼロまで引き下げ、それでも足りないので量的緩和をやってきました。米国景気が本格回復し、金融政策を正常化させる際の順序は、この全く逆のプロセスをたどることになるでしょう。
つまり、金利を引き上げる前に、量的緩和の縮小、すなわちFRBが保有する米国債の売却が行われるはずです。それが起こった時が、「通貨供給量増加ペースの差」が円高ドル安要因から円安ドル高要因へ転換する時です。
さらに言うと、量的緩和縮小の前に量的緩和拡大の終了があるはずです。・・・
もうひとつ注視しなければならないもの「日銀法改正」。
132p 日銀の新発国債の引き受けや国債の買い切りは、外国人投資家に「もはやそれしか国債消化の手段がなくなった=日本も最後の段階を迎え、危険性はユーロと変わらない」と受け止められると思います。その結果、円を避難通貨として使う外国人投資家は減少し、円安進行要因となるでしょう。
円安トレンドに転換すると、何がおこるのか?
企業・個人の預金流出
「企業にとって円安進行が続くとなれば、円での保有は海外投資をする際にどんどん不利になりますから、すべてとは思えませんが少なくとも一部を外貨(おそらくドル)で保有しようとする動きが出てくるので、国内金融機関の預かり残高が減少する。」
「金融機関に対して強気な姿勢に出ることができる財務内容の良い好業績企業ほど、海外金融機関への移転を行うでしょう。」
「個人純金融資産のほとんどが50歳以上の世代で保有され、60歳以上で全体の80%以上。円安・インフレになっていくと年金暮らしや低所得の高齢者は貯蓄を徐々に取り崩し個人金融資産は減少していく。」
「2017年には政府債務が個人金融資産をうわまわり、国内完結が出来なくなる。」
金融流出
・日本の銀行は大量の国債を保有
・流通利回りが上昇すると債権価格は下落する
・国債利回りの上昇が銀行の自己資本を毀損し、決算リスクを発生させる
109p 現在は、国内銀行は国債の買い手です。買い手が大量にいるおかげで、流通市場は流動性が豊富なのです。そして、どこの銀行も似たようなリスク管理をしているはずです。ということは、国債の流通利回りがある程度のところまで上昇すると、すべての銀行が国債を大量に売却しようとすることになります。結果がどうなるかはおわかりでしょう。大量の買い手がいきなり大量の売り手に変わるわけですから、すぐに買い手が見つかるはずがありません。外国人が買ってくれる水準になるまで、流通利回りは一気に上昇するでしょう。
108p 「国債の流通利回りが3%以上上昇すると、BISベースの自己資本比率8%を割り込み、日本には国際決済業務が出来る銀行が無くなる。」
日本発の世界的金融危機に発展する可能性もある。
どうやら、大変な時代(円安・インフレと、消化しきれなくなった国債の暴落)になりそうです。この書のメインは8章にある。「激変を乗り切る資産運用」。読んでおいて損は無いようです。ちなみに円が120円になると、ガソリン代は1ℓが340円近くになるそうです。アベノミクスと米国の政策転換によるW要因の円安になったら、はたして円は120円で収まるだろうか?低所得の高齢者は死ね、という時代が来るのだろうか?
いきすぎた円安にならないように願うばかりです。
「財政問題は今にはじまったことではないのに、なぜ今注意喚起しているのか」10年前でもなく5年前でもなく、なぜ今なのか?ここも理解しておきたい。
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沖縄の基地問題2013.01.23 Wednesday
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JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
沖縄に海兵隊はいらない! 高野 猛 著 を読む 1
モナド新書 2012年12月15日 初版
なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 28
海兵隊が役に立たない?
この本を読んでいると、高野氏が沖縄を愛して、沖縄の目線で書かれていることに好感を持てた。沖縄が本土の都合で振り回されていることに、心が痛むからです。
基地の問題を話すと、基地のおかげで生活できている人たちがいるので仕方がないじゃないか、という意見が多いのですが、違う!「沖縄はそのように経済の自立を封じ込められているだけだ」と反論をしています。
沖縄は海洋資源や観光資源も豊富でエネルギー資源の期待も大きい。地理的にも東南アジアの要所となりえる位置にある。嘗て琉球王国として栄えた地は、再びその繁栄を取り戻すことが出来るが、その機会を基地の存在で奪っているだけでしかない。
本土の人は戦争の記憶も失っているどころか、どうして沖縄の人々に、基地にたかっているような、依存心が高いかのような失礼な言葉を投げかけることが出来るのだろう。本土はどれだけ沖縄を犠牲にすればよいのだろうか。
高野氏はこういっている。
まえがき 5p
・・・40年あまりの私のジャーナリスト人生にとって、「沖縄」はずっと大事な座標軸となってきた。「アジアという鏡に顔を映せば、日本の美しさも醜さも見えてくる」というのが私の信条の一つで、それにはまず「沖縄の側から本土を、東京を視る」ことである。なぜなら沖縄は、近代日本が最初に奪った「アジア」だからだ。
沖縄振興費については喜納昌吉がこういっている。
34p
・・・福州(福建省)で昆布を売って麝香(じゃこう)を買って、それを富山に売って、それで財源と情報を集めて島津は明治維新を起こしたというわけだ。そのときに福州からきた荷物は沖縄に下ろして、久米(中国から渡ってきた久米三十六姓の人々)の人たちがいいものを分け前としてとって、残りを島津に渡した。儲かったのは島津だけではない。不思議なことに、今の沖縄を見ても、表の世界から闇の世界まですべて、そこの出身者が支配している。基地問題が起きて、交渉しているのもこの人たちで、沖縄振興費が出てもそれは沖縄の人たちには下りないですよ。そこに問題がある。
沖縄への犠牲は2012年10月16日、二人米海軍航空兵による女性暴行事件として、今も続いている。
110p
・・・「日本が攻められたらどうするんだ」というような恫喝的な話になって、それが神話化されてきた。沖縄県では08年の1年間に、航空事故27件、廃油による水質汚染事件6件、大規模な地表火災18件、強盗・強姦事件70件が起きていて、日本を守るためにいるはずの米軍が、まずもって日本国民を殺したり犯したりしているのであって、日本にとっての侵略の脅威は、まず第1には米国によってもたらされているのである。
日本を守ってもらうためには、核持ち込みも航空事故も少女暴行も、国民が堪え忍ばなければならない防衛のコストなのだというのが、外務省と歴代自民党政権の論理であったのだ。
・・・・・
アメリカの財政危機による軍事費の削減に「おもいやり予算」で安上がりに維持できる基地を手放したくないだろう。しかし、アメリカにはこのような認識もある。
204p
・・・ペンタゴンの政策決定に影響力を持つアンドリュー・クレピネビッチ=米戦略・予算評価センター所長は、中国の海車力増強は、たんにそれだけが問題なのではなく、衛星攻撃能力やサイバー攻撃能力、超精密誘導兵器など最先端の高度技術を総合的に動員して「アクセス拒否」を実現することを狙ったもので、米国の第二次大戦以来の発想――たとえば空母を進出させて短距離戦闘機を飛ばすとか、海兵隊の水陸両用戦闘艦を海岸線に送り込むとかいった作戦は、そもそもアクセスそのものができなくなる状況ではまったく意味をなさず、米国がそのための装備調達をいまだに続けているのは“ムダな資産”への無意味な投資だと断言する(フォーリン・アフェアーズ』09年9月号「米軍は東アジア海域とペルシャ湾に介入できなくなる?」)。彼によると、海兵隊などは、その“ムダな資産”の筆頭で「抑止力の役になど立たない」代物である。
海兵隊が役に立たないとすれば、沖縄には第7艦隊の駐留だけでいい、ということでしょうか。国防支出の削減に熱心なバーニー・フランク米下院議員もそういっているようです。162p〜を読んでもらいたい。「海兵隊の機能は日本の政治を不安定化させることでしかない」は興味深い。
高野氏はこう言っている。164p
・・・本拠地はグアムで、そこに主要な事前集積をおき、必要なら日本にも漸進的な集積を用意し、本隊は普段はカリフォルニア州にあって、訓練と演習はおもにオーストラリアで行うといったあたりが最も合理的な解決法であろう。その実現に時間がかかるのであれば、あくまでも過渡的な措置として海兵隊ヘリを嘉手納空軍基地に移し、普天間が住民に与えている危険をただちに除去する。
では、何故に沖縄に基地はあるのか?大田昌秀沖縄県知事のもとで副知事をしていた吉元政矩氏と高野氏の対談には大いに驚きました。
138p
高野――今回、海兵隊は8000人が引き揚げます。それでも大丈夫というのであれば、残る5000人は「抑止力」論から見るとどうなのか。海兵隊の艦隊は佐世保にあり、飛行機は岩国にあります。5000人もまとめて全部一緒にグアムに持って行った方が、抑止力というなら、むしろその方が強化されるのではないのか。
吉元――伊波洋一(宜野湾市長)のもとで米国の公表する情報を集めて調べてみると、沖縄の海兵隊は全部グアムに移ることになっていました。私は2008年ごろから外務省や防衛省に説明してきましたが発表しませんし、国会の委員会で質問しても「わかりません主義」を通して、完全に隠しています。
高野――自民党政権時代に外務・防衛官僚の中に「在日米軍は国外に出て行ってもらっては困る」という意思がはたらき出しました。「米軍が引き揚げると日本では右翼が盛り上がり、『日本は自主防衛力を高めろ』『核武装しろ』と声を上げるから出て行かないでください」と依頼している実態があります。私は結局、日本が引き留めているのではないかと思います。
吉元――沖縄海兵隊の前司令官は、駐留場所は沖縄に限らず日本のどこでもいいと発言しています。米国が一番心配していることは、海兵隊は全部国外に出て行けといわれたり、嘉手納基地までも出て行けといわれることです。沖縄に残ってくれと願っているのは、日本なんです。
この本を読んでいて思ったことは、私は沖縄の基地問題について知らないことが多すぎる、ということでした。民主党の評価も出てくる。民主党にアレルギー反応がある人も多いだろうが、そのことは抜きにして沖縄の基地問題を冷静に考える必要がある。本書は良きテキストといえるので、民主党へのアレルギー反応だけで読むことをやめるにはあまりにも惜しい。
「沖縄はもちろん日本にも米軍基地はいらない――21世紀の安全保障を考えるための4次元方程式」も読んでもらいたい。鳩山、小沢の名前に拒否反応のある人はその名前を塗潰して読んでみてはいかがでしょう。
「TPPよりアジアFTAが先でしょうに」「軍事面では日米共同で中国に対抗?」 や、マイク・モチヅキ(米ジョージ・ワシントン教授)の「日本での米軍基地計画を再考せよ」、SACOの米国議長に就いたジョセフ・ナイ、等は読んでおくべきでしょう。
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国際司法裁判所2013.01.20 Sunday
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日本の領土問題 東郷和彦 保阪正康 を読む 3
角川書店 2012年2月初版
なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 26
平成の三悪
尖閣の問題での、クリントンの「日中両国に平和的な解決を求める」という言葉は日本政府の「尖閣諸島に関する領土問題は存在しない」という態度からは、大きく中国よりになっている。アメリカは尖閣に領土問題が存在し、係争地であるとの認識を示したことになる。本来のクリントンの発言は「中国に平和的な解決を求める」で、ある筈ではないのか。日本は連合軍に押し付けられた平和憲法を持ち、現行法での武力衝突は有り得ないのだから、日本には平和的な解決以外に無い。従って「平和的な解決を求める」とは、日本の右傾化を牽制したものなのでしょう。連合軍側からによる敗戦国の軍国化は許さないというメッセージなのでしょう。日本の対中国での法改正を含む軍事拡大路線はアメリカにとっても諸刃の剣となる。
「尖閣は日米安保の適用内である」それは、アメリカは島嶼の問題に軍事介入はしないと初めから言っているではないか、という念押しでもあるのでしょう。中国から漁船が大量に押し寄せて、尖閣を占拠したとして、日本は漁船を攻撃することは出来ない。もし、漁民を海上保安庁が傷つけたりすると、中国による国民の安全確保という軍事的反撃を正当化する結果になりかねない。その中国軍に米軍が衝突するわけも無い。
クリントンに言われなくても、中国が軍事衝突を仕掛けてきたとしても、日本には平和的な解決しか残されていない。石原慎太郎氏の言うように「寄らば、斬るぞ」という、単純明快な国際情勢ではないだろう。
本書の保阪氏と東郷氏の対談は興味深い。保阪氏が「平和的な解決のために国際司法裁判所の判決にゆだねるという立場を世界に明らかにすることによって、日本は国際法の優越のために大きな貢献をすることができる。」という提言に、東郷氏は「負けるので、とりあえずはそんな必要はない。実効支配をしているのは日本である。国際法上の日本の主張は有利である。先に述べた石油共同開発のようなアイデアを生かしていくためにも日本の領有権には触れないほうがよい」と述べている。
実効支配をしているのは日本であり、国際法上の日本の主張は有利であるにも係わらず何故に日本は「負けるのか」?
「日本帝国主義がその力をアジアにおいて拡張した時代の記憶と結びついている。」「日本による侵略といった歴史認識に結びつきやすい」「尖閣の領有は台湾併合の前座とみなされうる時期にある。」
そのような論調で、尖閣諸島問題が歴史問題として爆発を起こしては、日本に勝ち目は無い、ということだろうか?
本書、第3章「武力衝突の危険をはらむ尖閣諸島問題」を皆さんも読んで判断してみてください。
東郷氏は対ロシアに関してもこのような貴重な提言をされている。
183p〜
交渉によって決着することが最善だと思っていたからです。交渉で決める以上は、双方で「これでよかった」という案を見出さねばならない。その案を見出すプロセスこそ、実は将来の日ロ関係にとって千金の値がある。そのプロセスを通じて生まれる相互理解とお互いの信用がこれからの日ロ関係をつくる、一番大事な要因になっていくからです。ICJの法律論争にゆだねることは、そのもっとも大きな宝を生み出す過程を放棄することになります。
・・・・・
東郷氏の平成の三悪からの脱出という論も面白い。
181p
・・・政府の関係者におかれては、交渉方針をたてるときに、先例踏襲・官僚主義・既得権益という、特に平成の日本をだめにしてきた三悪からぬけだし、どうしたらそのわずかの細い機会の窓をこじ開けられるかを必死になって考えていただきたい・・・
182p
・・・最近とみに思うのですが、この三悪は今の日本のいたるところにはびこっていると思います。北方領土問題に関していえば、
―――「四島一括」「共同経済活動はまず法的立場を害さないことを確保してから」といった先例墨守の発想を改める。
―――「自分が責任を持っている間だけは大きな問題がおきないようにやる。どうせ四島は返ってこないのだから」という官僚主義を捨てる。
―――「四島についての正義を主張する」ことによって、愛国的世論の代表者として、日本国内の尊敬を確保する既得権益集団には退陣していただく。
そんなところでしょうか。・・・・・
このような意見に「官僚主義を捨てる」以外は、右派系の論客や多くの国民大衆に反論も多いだろう。しかし、反論する人は本当に国益を考えているのだろうか。東郷氏は本物の愛国者であるからこそ国益重視の外交の大切さを訴えている。「国際関係論で90年代から強い影響をもち始めた構成主義(コンストラクティビズム)を使って、力を信望するリアリズムに毒されてはいけない。人の世は力だけではない、民族とかアイデンティティとか歴史とか名誉とか、もっと大切なものもある。」そのようなことを述べている東郷氏の愛国心ゆえの「いてもたってもいられなくなるような、外交上の不作為を、いま日本はしているのではないだろうか」という心根が本書を生んでいる。
東郷和彦(とうごう・かずひこ)の略歴を見てみよう
京都産業大学教授、世界問題研究所所長、1945年生まれ,東京大学教養学部卒業後、外務省に大省。主にロシア関係部署を中心に勤務し、条約局長、欧亜局長、駐オランダ大使を経て2002年に退官。その後、ライデン大学、プリンストン大学、ソウル国立大学ほかで教鞭をとり、09年ライデン大学で博士号。10年より現職。
外交一筋の人ならではの気骨を感じる書でした。「日本の国境問題」孫崎享著ちくま新書、も素晴らしかった。両書を読んで、政治への監視能力を高めておくことは良識ある大人の責任でもあるように思われる。
最後に保阪氏のあとがきにある一文を紹介しておきたい。
231p〜
・・・大まかにいえば、北方領土は「歴史問題」が主であり、竹島は「政治問題」、そして尖閣諸島は「資源問題」ではないかと思う。
むろん北方領土とて、政治問題であり、外交問題をかかえているし、竹島や尖閣諸島とてそうである。しかしとくに重要なのは何かと問えば、北方領土は歴史、竹島は政治、尖閣諸島は資源、といっていい。この背景に政治や外交、経済、社会などが見え隠れしている。このなかでもとくに重要なのは「外交」なのである。つまり外交当局は基本的な枠組みを尊重しつつ、巧みにこうした使い分けを適宜行っていかなければ日本の国益は守れないというのが私の考えといってもいい。
・・・・・
今、国益とは何か?国民皆で考えなければならない時代の転換点が来ているのではないだろうか?
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学校ぐるみのいじめ2013.01.20 Sunday
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JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
「われわれはいじめをなくすことが出来るのか」尾木直樹 を読む
文芸春秋オピニオン 2013年の論点100
学校でくり返される悲劇
教師の体罰による生徒の自殺の事件は胸が痛んだ。私には5人の子どもがあり、似たような経験があるからです。武道をしていた子どもが高校生のときに顧問から暴行を受けて怪我をして帰ってきたことがありました。怪我の程度が教育的指導を超えたものだったので、大いに悩みました。子どもに話を聞くと「殺してやる」と言われながら暴行を受けたとの話でした。
子どもは部活動では全国大会には出られなかったものの県の強豪の一人として大学へ推薦入学しました。教師からのパイプではなく、私と大学の個人的な関係ですが、教師が持っている大学や就職先とのつながりで、行き過ぎた指導を我慢している父兄もいるようです。
私には自殺した子どもの親の悔しさが分かるような気がします。橋本市長の『行き過ぎた体罰』への厳正な対処を超えた発言は、『根絶』という強い意志が感じられて共感しています。相手が性質の悪い教師であっても、学校の隠蔽体質や、子どもが人質になっていることで泣き寝入りしなければならなかった父兄は数え切れないだろう。
何とかならないのか、こんな教育現場の底なし沼を、と思ったこともあるので、橋本市長の言葉は痛快だった。徹底的に教育現場の膿を出して欲しい。教育現場の改革が首長の権限でここまで出来る、という道筋をつけてもらいたい、と願うように思っています。
行き過ぎた体罰があり、それを容認してきた学校という「学校ぐるみのいじめ」によって、殺された子どもを思うと、橋本市長の発言が今まで誰も言えなかった教育現場への注文は、議論を沸きあげさせて波紋を広げただけでも大いに評価できる。学校現場に怨念を持つ人たちは大いに溜飲を下げただろうが、教育評論家の尾木直樹の論述を読むと、このような教育現場を作ってしまったのは政治の責任でもあるようです。
231p
・・・今、日本の教育現場はかつてないほどに荒廃しきっている。2001年からの「教育改革」が、十年間で教育現場をここまで破壊してしまったのだ。
小泉政権の「聖域なき構造改革」というかけ声により、教育現場にも競争原理に基づく成果主義が導入された。
統制管理を強化するため、現在の職員室はかつてのような校長・副校長(教頭)以外はフラットな空間ではなくなり、校長をトップとする六段階職階制(校長、副校長、主幹教諭、主任、指導教諭、教諭)となった。
教師は担任するクラスでいじめが起きても、人事考課制度で自分の評価が下げられるため、いじめの存在を隠し、同僚や先輩教師、校長に相談しようとしない。先日も、現役教師の□から「いじめ問題があったら校長や同僚にバレないようにする」という言葉を聞いたばかりである。
校長は教育委員会の評価を恐れ、さらに学校選択制の導入後は、入学希望者の減少を避けるために校内でのいじめをなるべく少なく報告し、隠そうとするようになった。
・・・・・
大津のいじめの問題も、今回の学校ぐるみのいじめの問題も根は同じだろう。いじめられている相手への想像力が欠如しているからだろう。自分のことしか考えられない、自分のためにしか生きることが出来ない大人に教育を任せても良いものだろうか?徳育は子供に指導する前に、教師を含めた大人にこそ必要な時代なのだと思われます。
尾木先生は、大人の「競争社会」の原理を教育現場に持ち込んだ結果、教師の側にも「ダメな子が悪い」という子ども観・価値観を植えつけてしまったようだ、と言われている。
233p〜
学校はなぜいじめを克服できず、ここまで鈍感な対応に終始しているのだろうか。それは学校そのもの、とりわけ日本の教育指導の発想自体に「いじめ体質」が内在しているからだ。
日本の学校は密室性・閉鎖性が強く、いじめが発生しやすい条件、が整っているうえに、一斉主義という特徴を持つ。集団行動についていけない子は「足並みを乱す子」「鈍い子」と教師に認定され、教師公認の「弱い者(グループ)」を生んでしまう。
たとえば「遅刻ゼロ」を目標に掲げたクラスがあるとする。すると、その足を引っ張る子どもはクラス全体の邪魔者であり、教師が子どもを「いい子ども」と「悪い子ども」に分別してしまうのだ。このように無意識のうちに、教師がいじめのリーダーになってしまっているケースがあとを絶たない。
本来、子どもは弱点・欠点・問題点をいっぱい抱えているのが自然の姿である。それを上から引っ張り上げて指導するのではなく、その子の目線まで降りて支えて力を貸すのが教師の仕事だ。
・・・・・
本書のなかで尾木先生は教育現場と教育委員会を大胆に変えることの必要性と、もうひとつ重要な視点「子供が主役の学級・学校づくり」を言われている。是非に皆さんにも読んでもらいたい。
最近のヒット作で「もしドラ」というのがあったが、あの小説も子供が主役の「部活づくり」の話だった。あれほど出来た、行動力のある子供を育てるのは大変だろうが、「もし野球部のマネージャーが・・・」ではなく「もし野球部の顧問が・・・」という設定で、ドラッカーを扱うとすれば現実的な話になっただろう。もちろん「経済人」の終わり、から始めるべきだろう。
「経済人」の終わり、ダイヤモンド社の訳者(上田惇生)のあとがきにこう書かれている。
295p
ドラッカーは、ファシズム全休主義の起源を明らかにすることによって、「経済人」の概念、すなわち経済のために生まれ、経済のために生き、死に、経済のために戦争をし、あるいは、逆に和平を求めるという「エコノミック・アニマル」の概念、経済至上王義の破綻を明らかにした。今日のわれわれにとって、あまりに思い当たることが多い。
・・・・・
私は「文芸春秋・・・の論点」は毎年買って読んでいます。この一冊で学べることはあまりにも多く、毎年楽しみにしています。私の一年はこの書を読破することから始まっています。今年から少しコンパクトになったのが残念です。問題山積の時代だからこそ、コンパクトに、読者が手に取りやすくして、より多くの人に読んでもらおうという意図なのでしょう。本年のこの書で尾木先生が書かれている論述は他の論者よりも少し長い。それだけ尾木先生の論述の重要性を本書が認めたことになるのだろう。
私は大阪の「学校ぐるみのいじめ」事件の、この学校の教師に対して刑事罰が相当だと思っていましたが、そう単純な解決策では駄目なようです。米国のマサチューセッツ州での例が紹介されている。本書を読んでもらいたい。
234p・・・いじめ対策法の目的は加害者や教師に刑事罰を科すことではなく「いじめは許されないこと」と社会的なメッセージを発し、いじめを防ぐ行動を一人ひとりの生徒と教師に促すことにある。・・・そうですね、それが基本ですよね。
早速に尾木先生の「教師格差」「思春期の危機をどうみるか」「バカ親って言うな!」を買ってきた。読むのが楽しみです。
最後に、私は橋本市長の「学校ぐるみのいじめ」問題に強いメッセージを発したことを高く評価したい。首長という権力をもつ「第三者」が教育現場をここまで改革できるという先例を作ってもらいたい。
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北方領土は歴史問題2013.01.15 Tuesday
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JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
日本の領土問題 東郷和彦 保阪正康 を読む 2
角川書店 2012年2月初版
なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 25
北方領土は歴史問題
竹島の問題は韓国にとって、領土問題ではなく歴史問題です。同じように北方領土問題は日本にとって領土問題ではなく歴史問題です。
韓国にとって竹島とは・・・「独島は日本の韓国侵略の最初の犠牲地である。解放とともに独島はまた我が懐に抱かれた。独島は韓国独立の象徴である。この島に手をつける者は、全ての韓民族の頑強な抵抗を覚悟せよ。独島はただの数個の岩の塊ではなく、韓民族の栄誉の錨である。これを失って、どうして独立を守ることができるだろうか。日本が独島奪取をはかることは、韓国に対する再侵略を意味するのである。」(全学俊『独島/竹島韓国の論理』、206ページ)
日本は韓国のこのような竹島への意識と同じように、北方領土へは強い国家観をもって取り組むべきでした。「北方領土問題は、日本が太平洋戦争をいかにして戦い、いかにして敗戦をむかえたかという歴史に直結する、民族の心の問題である。具体的には、一九四五年の春から秋にかけて日本とソ連の間でおきた様々な不幸な出来事に、そのすべての根源を有する。(東郷和彦『北方領土交渉秘録』新潮文庫、492ページ)
日本は平和憲法をもつ非戦国であっても、日本の独立性は主張すべきであったし、国家としての尊厳も失うべきではなかった。日本は敗戦と共に失ってはいけない『誇り』まで失った。今、領土問題で日本の国家観をもう一度、グローバル世界の中で棲み分ける方策としても考える必要がある。
『歴史に直結する、民族の心の問題』暴力的な国家観としてのナショナリズムではなく、心の原風景としてのナショナリズム・民族の心を柔らかく包み込むもの・・・鎮守の森のような手付かずの原生林が日本人の心の根底にはある。グローバル世界とは実は「民族の心に互いに尊厳をもって、心が緩やかに溶け合う世界」なのですが、心がおざなりにされて、資本の暴力的な側面が新しい帝国主義を生み出しつつあることは残念で仕方がない。平和主義者であっても、国家観を失ってはいけない。
「日本の領土問題」の帯に「今、日本人が読むべき本!」と書かれているが、正にその通りで、北方領土の「歴史問題」と著者が語る「北方領土交渉は、ミッドウェーに匹敵する敗北を喫してきた。」というくだりだけでも必読でしょう。
68p
・・・かつて交渉の中核にいた者として自認することはつらいことではあるけれども、戦後日本政府と外務省が進めてきた北方領土交渉は、ミッドウェーに匹敵する敗北を喫してきた。
ゴルバチョフ大統領訪日の遅れ、ソ連邦崩壊機に開かれたロシアの柔軟姿勢をつかめなかったこと、その間の失敗を熟知して「今度だけは失敗するまい」として臨んだイルクーツク交渉の結果を自ら壊したこと、そして、最後に、なおかつ動き始めた交渉を、意図的か無意識的かはともかく、再びつかみそこねたこと、そのどれが、ミッドウェーであったのか。・・・
・・・・・
こう語る著者の「歴史問題」とは、こう書きだされている。
32p〜
歴史的屈辱が生んだ領土問題
私が北方領土にこだわる理由は、このとき日本民族がうけた歴史的屈辱の最後の決算として、四島問題が残ったからである。民族の屈辱を、私は、「裏切り・残虐・領土的野心」の三つに分けて説明している。
まず「裏切り」である。一九四五年八月九日、ソ連軍は怒濤のごとく満州に攻め入った。これは、日本との関係で中立を守ることを義務付けた、日ソ中立条約違反であり、明白な裏切り行為であった。
もう一つある。その年の四月に成立した鈴木貫太郎内閣で、最高戦争指導会議(六巨頭会議)の議論が始まり、陸海軍・外務省の一致した関心としてソ連問題がとりあげられ、ソ連を通じた仲介工作に話が収斂、七月十二日、私の祖父である東郷茂徳外務大臣発佐藤尚武駐ソ連大使宛の極秘電報で「速やかなる戦争終結」を望む天皇の親書を持って近衛文麿特使を派遣する旨が打電された。この要請が見事に裏切られたのである。
もちろん、今から振り返れば、二月のヤルタ協定で、「対独戦終了のニケ月から三ケ月あとの対日参戦」を米英に約束していたソ連が、仲介の労をとるはずはなかった。祖父東 郷茂徳も、八月九日までソ連の参戦ありうることを読み取れなかったことを「甚だ迂闊」と悔やんだのである(東郷茂徳『時代の一面』中公文庫、499ページ)。
そうではあっても、中立条約違反、仲介工作要請に対する軍事攻撃は、ソ連の二重の裏切りとして、当時の日本人に血の涙を流させることとなった。
次に「残虐」とは、まず、満州居留民をおそった悲惨な運命にある。進軍するソ連兵によって女性は強姦され、男性は殺された。この時に満州に消えた日本の民間人の数は十七万六千人に及ぶと言う(岡崎久彦『吉田茂とその時代』PHP、26ページ)。更に、ポツダム宣言によって帰国をゆるされていた日本兵六十万人をソ連に抑留、そのうち六万人はシベリアその他の収容所にて帰らぬ人となった。
そのうえに、一八五五年の日露通好条約によって当時形成されつつあった国境を確認して日本への帰属が決まり、爾来九十年間一度も日本領有に対する異議を呈されなかった四島を占拠したのである。しかも連合国は、大西洋憲章とカイロ宣言において、領土拡張の意図をもたないと高々と宣言した。ソ連は、大西洋憲章に参加し、ポツダム宣言への参加を通じてカイロ宣言の原則にもコミットした。大西洋憲章とカイロ宣言に従えば、一八七五年の千島樺太交換条約によって日本領であることが確定した千島列島全島ですら放棄する必要はない。ましてや四島を放棄する理由など何処にも見出せない。ソ連の「領土的野心」は、弁解の余地がないように思える。
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この後は本書を読んで欲しい。敗戦国としての現実、戦後の現実と和解、戦後の現実を受忍するための最後の課題、歴史問題であるという意味、北方領土問題を語るときにこの書を抜きには語れない。
この章の終わりに「とりあえずのまとめ」が書かれている。本書を世にだした著者の考えが凝縮されているように思われるので、ここも紹介しておきたい。
76p
1、何故日本人にとって、四島が大事なのかをもう一度考える。「領土問題ではなく歴史問題」だと言った私の意見は正しいのか。歴史を乗り越えるために、領土を解決しようという意見は納得できるのか。
2、もし、北方領土が日本と自分にとって大事だと思うなら、交渉が置かれた現実が、日 本政府の敗北の歴史であるということをしっかりと見据えていただきたい。敗北の認識なくして、次の交渉への鍵は見出せない。
3、今は、いかなる意味でも交渉を動かすきっかけはない。次の機会がくるまでは日本内部でいかなる打開策がありうるかを検討し、また、今何をしておくことが一番よいのかを考え、やれることを実施していただきたい。
4、長期的には、経済と政治が強い、住んでよい国になり、尊敬できる外交・安全保障政策を持つ国になるほかはない。
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現状の幻想なき把握2013.01.14 Monday
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JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
日本の領土問題 東郷和彦 保阪正康 を読む 1
角川書店 2012年2月初版
なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 24
そもそも領土問題とは何だったのか?
北方領土の返還の可能性はもうなくなっている。竹島は韓国のものという国際認識が出来てしまっている。尖閣は日本が手にするより中国が手にするほうが中国の経済的・軍事的メリットは大きい。そのメリットは日中の経済的な互恵関係より大きいので中国は必ず我が物としてくる。
それらは日本の外交の敗北の歴史なのだが、その敗北は日本の経済力をバックに、戦略的な取り組みのない手抜き外交であったからなのです。
日本の経済力が落ちて、その威光に陰りが出てくると、外交敗北の歴史が浮き彫りにされた。取り返しのつかない敗北に日本が向かおうとしているのは、東アジア安全保障の道ではなく日米の動的防衛協力です。中国との島嶼部での武力衝突はいたし方がないという判断です。アメリカの財政難による軍事費の削減分を日本が担い、西太平洋と南方で軍事行動を共にすることで、領土問題に向かおうとしている。
憲法を改正し、自衛隊が国防軍となり、現行法のスライドで海上保安庁は海軍に組み入れられる。外交の敗北、経済的な敗北、はアメリカ依存の動的防衛協力で逆転勝利する以外の道しか残されていない、との判断が日本の大勢となっている。そういう危険な判断に向かわざるを得ないほどの経済戦と外交戦の大敗北であったのです。それは太平洋戦争の敗北よりも損害が大きいのだが、国民は国の大本営発表でしか判断できなかった。国民の政治監視力の敗北でもある。
これから日本に待っているのは行き過ぎた円安による金融敗北、国債金利上昇による財政敗北、大増税時代到来と恐慌型デフレへの変化による国民生活の破壊。国民は焼け野原への道を歩んでいることへの警告の論を聞いていない。
ガソリン代が上がる、電気代が上がる、公共料金が上がる、2%の物価上昇目標は簡単に達成され、消費税は増税されます。消費税増税分が福祉に全額使われるはずがない。それは福祉税として始まった日本の消費税の歴史が物語っているではないでしょうか。日本の特殊性として、雇用が増大されたとしても消費税が派遣労働に課せられている限り、正規雇用は増えないことは以前に語った。大型公共投資は焼け石に水、残った借金で福祉の再配分は更に削減される。国民の不満は高まるが、尖閣の問題を梃子にしたいたずらなナショナリズムの高揚による防衛費の増大は必至。アメリカの軍事産業への貢献とTPP排他的貿易圏への参加による、日米共倒れ経済協力。日本の行く末がこれほど明らかにされた時代は嘗てなかった。
結果、日本が世界で生き残る道はひとつしか残されなくなる。半島と台中の摩擦が大きくなることへの他力本願だけです。日本の領土問題は、日本が歩んできた戦後の総決算となります。グローバル時代における領土問題への取り組みこそ、どの国においても、グローバル時代にどう生き残るかの試金石になるのです。
そもそも領土問題とは何なのか
本書の前書きが分かりやすい。それは法理の正しさによる問題解決が難しい、そして領土問題は国家間の力関係を反映したものであり、領土問題が歴史問題に係わるナショナリズムと結びついたとき解決に大きな困難が伴う。その三点をグローバル時代における日本のあり方を考えながら読んでみてはいただけないだろうか。
14p〜17p
・・・国際社会を形成する主要な主体は国家であり、国家は、自国の領域に対する排他的な主権を行使する。その主権は、地域的概念である領土と人的な概念である国民に対し行使される。国家は、領土と国民に対する権利と責任を負うのである。
領土問題は、国家が国家の責任において、その主権的権利によって、自国の領土を守り、または、とりかえそうとして、他の国と衝突することから発生する。そして、その衝突には、三つの側面があるのではないか。
第一に、領土要求をする根拠としての「法的な側面」である。例えば、北方領土と竹島について、日本はロシアと韓国に対してそれぞれ引き渡しの要求をしている。然し相手側は、断固として日本の要求を拒否している。尖閣諸島は中国(台湾)が日本に対し引き渡し要求をしており、日本政府は「領土問題は存在しない」としてこれを一蹴している。各問題について、それぞれの政府が自分の立場が絶対に正しいと主張しているのである。
日本人であれば、日本の立場が百パーセント正しく相手の立場が百パーセント間違っており、交渉によって相手がその至らなさを認め、自分の要求を引き下げてほしいと思うだろう。しかし、究極的には、相手もまったく同じことを考えている。したがって、法理の正しさによる問題解決は、極めて考えにくいということである。三つの問題に関して、北方領土と尖閣については、いずれの政府もいまこれを国際司法裁判所(ICJ)にあげて、解決する意図をもっていない。竹島については、日本政府は問題発生の直後からICJへの提訴を提案しているが、韓国政府にとってこれは、問題外のアプローチである。法理による解決が難しいことを示しているのではないか。
そこで、第二に、「政治的側面」を考えねばならない。結局のところ、もしも領土問題に解決というものがあるなら、それは何によるのか。それは、交渉による双方の「政治的な」合意による以外にない。もちろん、二十世紀前半までの国際社会なら、武力行使という解決もありえた。後に見るように、尖閣問題で武力衝突が起きる可能性はなくはない。けれども、少なくとも現在の日本が許容しうる問題の解決ということになれば、それは、双方が受け入れられる案による「政治的合意」しか、方法がない。そのような合意案は、紛争当事者の利益を反映し、その利益の配分は、国家間の力関係を反映したものにならざるをえない。
第三に、しかもなお、国際関係でいう力の論理、リアリズムを基調とするそういう解決方法によっては、どうしても収まらない側面がある。それは、領土問題が、単なる国際法の問題ではなく、ましてや、力関係を反映した利益の配分の問題でもなく、それぞれの国の歴史に密接に結び付いた問題、すなわち、「歴史的側面」をもつということである。領土問題は、歴史問題となりうると言ってもよいかもしれない。そして、領土問題が、歴史問題に係わるナショナリズムと結びついた時、この問題を解きほぐし、なんらかの解決に導くということには、極めて大きな困難が伴うことになる。
三つの領土問題は、この三つの側面からみたときには、わが国にとってもつ意義も、相 手国との関係でたどってきた経緯も、交渉の成功・失敗の原因も、めざすべき解決方法も、 皆ちがってくる。これらの違いをきちんと識別することによってのみ、それぞれの領土問題について今なすべきことがはっきり見えてくる。
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東郷は「交渉の次の段階に備える鍵は、現状の幻想なき把握のみによって生まれる。」といっている。日本はグローバル化の戦略を持たないまま成り行きの経済政策をとってきた。グローバル化による先進国のデフレ、途上国のインフレは読み込み済みであったはずであるし、グローバル化による反動としてのナショナリズムの台頭も予想されていたではないか。そのデフレとナショナリズムに翻弄されて、冷静な判断を失ってはいけない。国民のフラストレーションが国益とは思えないところで爆発することは、中国の現状となんら差はない。それを利用したアメリカの経済・財政再生のインテリジェンスは大したものだが、日本国民を犠牲とするものでしかない。
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対馬、与那国に見る海洋国の危機2013.01.09 Wednesday
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JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
燃え上がる国境の島・尖閣諸島、竹島の歴史と真実 山本皓一著を読む
宝島社新書 2012年12月5日 第一刷発行
なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 23
対馬、与那国に見る海洋国の危機
領土問題では外国人参政権の関係とも考え合わせてみなければならない。例えば与那国や対馬に影響を及ぼす地域に大挙して外国人が住みついて、参政権を得て地方自治をコントロールする可能性は否定できない。
著者はこんなシミュレーションをしている。
68p〜
以下は「lf」を前提としたシミュレーションです。
地場産業の不振に喘ぐ島に、インターネット関連の「会社」がやってくるという朗報がもたらされました。この「会社」はヤフーと同じようなポータルサイトの運営業務が主体です。世界に向かって発信作業を行うので、300人規模のオペレーターが島の新しい住民となります。
減少の一途を辿っていた島民の人口も増え、税の増収も見込まれ、かなりの経済的効果が得られると島民は喜びました。島には有り余るほど土地があり、それを優遇策として格安で提供しました。
社屋や従業員の建物も完成し、続々と社員たちとその家族が来島します。
しかし、期待した島民の雇用は、あるにはあったのですが、社員食堂の賄い仕事や清掃などの雑用業務で、全てがパート採用でした。正規従業員の殆どは、移住してきた在留外国人だったのです。
やがて島では、町議会議員の任期満了にともない、選挙が行われることになります。
定数七の議席に対して、12人が立候補し、うち五名が「会社」関係者でした。人口の少ないこの島の有権者数は、この頃1500ちょっとに増加。とはいえ、過去の選挙の、最下位当選者の獲得票は132票です。
「外国人参政権」の施行で、一票の投票権を得た社員たちが活発に動き始めます。パートの島民たちはクビを恐れて「会社」の言いなりになり、近くにあるいくつかの商店も「会社関係」からの売り上げが主な収入になっていたので、「会社」の意向に逆らうわけにはいきません。
かくて、選挙結果を見た町長は、真っ青になります。なぜなら、定数7のうち4名が「会社関係者」だったのです。民主主義の原則は絶対多数です。したがってどんな条例案も「会社」の思うままです。さらにこの「会社」の資金は驚くほどに豊富であり、何か行動を起こす場合には一糸乱れぬ統率の下に従います。
やがて、「会社」は観光事業にも進出し始めます。観光客は殆どが外国人です。目と鼻の先にある台湾からが最も多いのですが、その頃、台湾は中国の一省に組み込まれていました。台湾の基隆や中国の香港、厦門などから沖縄の那覇までは直行便が就航し、那覇からの観光客や物資の輸送は「会社」の傘下に入った船舶会社のフェリーが運びます。島の特産であるサトウキビやカジキマグロは、殆どが輸出されることとなりました。魚影の濃い尖閣諸島近海でも、大がかりなカツオ漁が合弁で行われるようになりました。日本政府と外国企業の「友愛」を基にした海底資源開発事業も活発になりました。日本政府は、「日本列島は日本人だけのものではない」と傍観するのみです。
気がつけば、与那国島はいつの間にか外国の「会社」の企業城下町となっていたのです。しかし、他に生きていく術はありません。島民の生活は多少楽になりましたが、それでも外国人との格差は確実に拡大しています。
島の生活様式や文化も異国風に染まり、伝統的な島のアイデンティティは失われました。この侵食は与那国に止まらず、石垣島や沖縄本島まで拡大されていく勢いです。
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妄想といえるだろうか、「リトル韓国」と呼ばれている対馬では外国人参政権が認められると、対馬の自治はどうなるだろうか?
対馬の道路標識や公共の建物などには全てハングル(韓国文字)が併記され、街を歩いても眼につくのはほとんど韓国人だそうで、09年1月には島の北部・鰐浦地区にある韓国展望所(伝統的な韓風の建物で島随一の名所)に「対馬は韓国領土」と書かれた看板が立てられていて、また、韓国の国花である無窮花の苗が密かに植えられている、ということも頻発しているそうです。そして、対馬の土地やホテル、民宿が、韓国人に密かに買い漁られている、と著者は述べている。
91p
島の不動産関係者に聞いてみました。
「現在、島の景気は最悪。漁業も駄目だし、産業も目立ったものはない、頼みは観光だけの有り様ですから、土地を売りたいという人はたくさんいます。最近も裁判所から倒産したホテルの競売物件が出たのですが、韓国人同士が競ったそうです。でも競売は日本人じゃないと買えないから、その韓国人女性は日本人に頼んで落札したようです」。この不動産関係者は、「実際に、土地、ホテル、民宿、土産物屋、飲食店など、韓国資本に買収されたものは多いが、名義が日本人名になっているので、市役所ですら実態をつかんでいない」ともいいました。
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参政権の問題も、ないがしろには出来ない。
75p
国家とは言うまでもなく「領土・国民・主権」によって成り立っています。この大原則を考えれば、日本国籍を有してこそ、国民としての義務と権利を獲得できる、というのが常識的判断と私は思います。
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与那国には、更に大きな問題がある。「防空識別圏」とは聞いたことがあるだろうか?
56p〜
「防空識別圏」とは、国の防空上の必要から国際的に認知された空域のことです。したがって、他国の航空機などが飛行する場合には、許可が必要で、無通告で侵入した場合は、領空侵犯と見なされ、強制着陸や退去を命令されます。言うまでもないことですが、与那国島は日本の領土です。ところが台湾の防空識別圏が与那国島の三分の二を取り込んだ形で設定されているのです。日本占領時代、米軍が勝手に引いた防空識別間が、そのまま放置されていたからです。
これでは、空を見上げると台湾の戦闘機が自宅の上空を悠々と飛んでいることになり、与那国島民にとっては、気が気ではありません。
実際、過去には民間機や運輸省のYS機が台湾戦闘機にスクランブルをかけられるという事態も起こっています。そのため与那国鳥を離発着する(日本の)民間定期便でさえ、飛行計画を台湾側に通告しなければ飛べないという、まったくもっておかしな話になっているのです。
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このままの状態で、台湾が中国の一地域となったらどうなるのだろうか?大陸への傾斜を高める政権は防空識別圏にどう対応するだろうか?
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