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インテリジェンス・サイクル
 

動乱のインテリジェンス 新潮新書2012年11月初版

佐藤 優   手嶋龍一   を読む

なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 18

 

 インテリジェンス・武器なき戦争とは情報戦、知性を駆使した戦い・・・知恵比べのような感じなのだろうか。例えば日本の領土問題には戦略的空白・真空地帯が生じているのは、日本のインテリジェンスに問題があるからかもしれない。インテリジェンスには収集した情報を戦略的に活用するインテリジェンス・サイクルという情報回路がある。

 本書、手嶋によると「インテリジェンス・サイクルとは、決断の拠り所となる情報を選り抜いて精査し、分析し、簡潔な報告に取りまとめて、適確な意思決定につなげる情報回路のことです。生き物でも、重傷を負っても、心臓さえ勤いていれば何とかなる。いかなる巨大組織でも、情報の心臓に耐えられるインテリジェンス・サイクルさえ粛々と勤いていれば最悪の事態は避けられます。」

そして佐藤はこう加えている。「インテリジェンス・サイクルには、事前のサイクルと事後のサイクルという二つのサイクルがあるんです。インテリジェンス・サイクルが全く回っていないなど絶対にありえない。要は高いレベルで回っているか低いレベルで回っているかが問題です。」

 

 原発事故対応での日本のインテリジェンス・サイクルはどうだったのか?

 

 原発事故でその対応の遅れは、究極の有事に際して、最後の決断をゆだねられた者に「決断するはわれにあり」という自覚がなかった。そして「低いレベルで物凄いスピードで回っている。情報収集のところは政府なり東電が担う。しかし情報分析の段になると政府機関が機能していないわけですよ。要するにそこで起きてしまったこと、それはスモール・ガバメンツがいくつか出来ちゃったという事態です。総理のガバメントもあれば、前原のガバメントもあり、原口のガバメントもある。そして経産省のガバメントもあり、原子力安全・保安院のそれも、警察や自衛隊のガバメントもある。いくつものスモール・ガバメンツが並立していて、個別に小さなインテリジェンス・サイクルが回り始めていた。」という、いくつものスモール・ガバメンツが低いレベルのインテリジェンスでしか回っていなかった、という本書の指摘です。

 

 例えば非難区域を設定をめぐる、日米のインテリジェンスの違いはどのようなものであったのだろうか?

 アメリカの80キロ圏外への避難、日本の30キロ圏外への避難の差はどこから生じたのでしょうか?

 

手嶋・・・あのときアメリカ側は、大型ヘリで海兵隊を仙台空港に送り込み、最強の原子力航空母艦「ロナルド・レーガン」をフクシマ沖に急派し、グアム島から無人偵察機「グローバル・ホーク」をフクシマ原発の頭上に飛ばした。原子炉がメルトダウンを起こし始めていると睨んだからでしょう。被災地への救援はいうまでもありませんが、放射性物質の漏出や原発の再臨界に備えて、アメリカにとっての脅威が追っていると受け止めていたのでしょう。「トモダチ作戦」こそ、有事のインテリジェンスの発動だったのです。

 

手嶋・・・183p 原子力航空母艦「ロナルド・レーガン」

原子炉自体が敵のミサイル攻撃の標的になる可能性がある。このため二十四時間体制で原子力防護部隊をスタンバイさせているのです。だからこそ、米海軍の太平洋艦隊司令部は、フクシマ原発事故の一報に接して、日本近海で演習中たった原子力空母「ロナルド・レーガン」を真っ先に投入したのです。その後の推移をみれば、アメリカ側の判断が的を射ていたことが判ります。

 

手嶋・・・184p

 インテリジェンスは、国益に基づいて発動されるのです。アメリカが「ロナルド・レーガン」を急派したのも、フクシマ原発のダメージを正確に把握し、まず日本に住むアメリカ国民を保護するのが狙いでした。

 

手嶋・・・アメリカ政府は、日本側の要請があれば、原子力空母「ロナルド・レーガン」の核防護部隊をヘリに乗せてフクシマ原発に向かわせるつもりだった。しかしながら、菅官邸は混乱の極みにあり、援助の要請も拒否も、まともな対応ができる状態ではありませんでした。一方、米海軍は、海幕のオフィサーたちを空母艦上に迎え入れて、救難作戦をどう進めるか協議しています。日本の官邸の意思が示されないことに、苛立ちを募らせていた。すでに沖縄のアメリカ軍基地からは続々と大型輸送機が横田基地などに集結し、甚大な被害を受けた仙台空港にも、海兵隊の先遣隊を載せたヘリコプターが飛来しました。「大型ヘリコプターが荒鷲のように天空から続々と舞い降りてきた」。自衛隊の情報士官はこう話しています。

 

手嶋・・・185p

日本の航空自衛隊の場合、国内の航空法の規定が煩頂で、民間の空港には簡単には着陸できませんからね。そうした日本側の動きを尻目に、沖縄の海兵隊のヘリコプターや大型の輸送機がどんどん降りて来た。現場にいた航空自衛官は「その圧倒的な展開力に驚いた」と話しています。じつは、日本側は誰も明確な形ではアメリカ軍に出動を要請していない。後になって日米の協議があったと辻棲をあわせていますが、実態はアメリカ軍の独断専行に近かった。「トモダチ作戦」の真相は、このように徹底したアメリカ主導でした。

 

手嶋・・・190p

十一日の午後二時四十六分に大地震が東北地方太平洋岸を襲い、大津波が起こった。フクシマ原発でほとりあえず制御棒が下りて、炉心は一号炉から三号炉まで一応止まった。ところがその直後、作動するはずの冷却装置が動かない。臨時の電源を起動させるディーゼル・エンジンがまったく動いていないことが判明しました。適確な手を打たなければ、原子炉の心臓部で、核燃料のメルトダウンが、その果てにメルトスルーが起きる。最悪の事態では再臨界が起きる怖れがあった。このことは、後知恵でなく、見通せたはずです。十一日の夜に入った段階では、すでに憂慮すべき段階に差し掛かっていたことは判ったはずです。官邸の首脳陣は、避難区域を三キロにするかどうかはあれこれ検討しましたが、肝心の原子炉そのものにどう立ち向かうかという決断はしかねていました。つまり、危機の官邸ではインテリジェンス・サイクルが惨めなほどに機能していなかったと言わざるをえません。

 

手嶋・・・191p

・・・フクシマ原発の一号機は、日本のメーカーが作業にあたったものの、アメリカ主導で建設がすすめられました。それは機密の塊でした。当時の東京電力の技術陣は、必死でそれらの機密を我が物にしようとしたのでしょうが、やがて代替わりをするにつれて、古いタイプの原子炉についての知識が薄れていった。原発の運用を任された東電の幹部たちは、有事に際して原発を制御する基礎的な知識すら失っていきました。事故調査委員会の報告がそうした驚くべき事実を明らかにしていました。

・・・・・

 

 日本のインテリジェンス・サイクルはどうあるべきなのか、この本を参考にして皆さんも考えてみてください。そして、国には国のインテリジェンスがあるのでしょうが、民衆には民衆のインテリジェンスも重要な課題だと思えます。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日本の政治を考える | 08:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
フランクルの思想
 

後藤新平―――大震災と帝都復興

越澤 明 著 ちくま新書 を読む 2

なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 17

 

今回の大災害で復興を一層に困難にさせているのは、原発問題であることです。

 プリピャチというチェルノブイリの汚染地帯に住む人々の暮らしを描くドキュメンタリー映画を観たが、印象に残ったのは「ここは汚染されていることは知っている。病気になるかも知れない。でも、ここに住みたいから電気と水が欲しい」というような高齢の婦人の言葉だった。ここに難しい問題がある。事故の全てを飲み込んだ上で、人生の意味と価値をこの地でしか見出せない人々もいるのです。

無力な被災者の心を想像できない政治家や官僚が多すぎる。彼等に考えてもらいたいのが「夜と霧」の著者、フランクルの思想です。

NHK Eテレ の8月の放送、100分de名著 フランクル 夜と霧 明治大学文学部教授 の放送は素晴らしかった。テキストもあるので皆さんに読まれることを薦めます。

第一回 絶望の中で見つけた希望

第二回 どんな人生にも意味がある

第三回 運命と向き合って生きる

第四回 苦悩の先にこそ光がある

との4回構成になっている

 

第3回の

生きる意味を見つける三つの手がかり、に注目したい。

     自分の仕事をまっとうする・・・創造価値

     愛は生きる力を与える・・・体験価値

     変えられない運命に直面して・・・態度価値

 

人生の意味を問うことは、もっとも人間的な表現である

 人生はけっしてあなたに絶望しない

 意味のない苦しみはなく、それでも人生に「イエス」といおう。

 

 そういう人々に寄り添う政策が必要なのです。

・・・・・

 

後藤新平―――大震災と帝都復興

この著者はどのような人なのだろうか、経歴を紹介します。

越澤明(こしざわ・あきら)1952年生まれ。

東京大学工学部都市工学科卒業、同大学院博士課程修了。

現在、北海道大学大学院教授。国土交通省社会資本整備審議会委員、都市計画・歴史的風土分科会長、住宅宅地分科会長として都市再生特別措置法、景観法、歴史まちづくり法、高齢者住まい法などの制定に関わる。

内開府中央防災会議首都直下地震対策専門調査会委員なども務める。

主著『東京都市計画物語』(ちくま学芸文庫)、『東京の都市計画』(岩波新書)、『復興計画』(中公新書)

アジア経済研究所発展途上国研究奨励賞、日本都市計画学会石川賞、日本都市学会奥井記念賞など受賞多数。

 

著者は後書きでこのような復興のあり方を提案している

 

 東日本大震災の復旧・復興の取り組みを見ると、関東大震災、昭和八年の三陸津波、戦災、阪神・淡路大震災など過去の大災害の復旧・復興の経験は、蓄積され、参考にされているとは言い難い。阪神・淡路大震災の復興は意気込みとして「創造的復興」という言葉が使われたが、実際の事業の大部分は復旧であった。今回の三陸津波の復旧・復興計画でも、被災・浸水した市街地を活用せずに、全面放棄するようなことは水産業が基幹産業である三陸ではありえない。しかし、地盤沈下の復旧も含めて海沿い市街地インフラの早期現状復旧は、必要であるにもかかわらず着手されていない。

 一般論としてどのような災害の復旧・復興であっても大事なポイントは次の点である。

 第一に、行政・官僚組織と消防・警察・自衛隊組織をフル回転させることが政治の役割であること。

第二に、発災後、大至急きちんとした現地調査をし、それを踏まえた議論と政策検討をすべきこと。被災地から遠く離れた机上での議論は控えるべきであること。

第三に、国と県と市町がそれぞれ所管するインフラの復旧・復興は、三者の所管を明確に区別して、復旧・復興のレベルを早期に決断すること(例えば防潮堤なら元と同じ高さで復旧するかを方針判断する)。

第四に、現行の法制度と財政制度で実行可能な復旧・復興の予算を早期に固めて、それ以外に、諸事情が許すならば実行を検討してもよい上乗せ復興対策とは明確に区別すること。上乗せ復興はもう少し後の時期での検討に回してよいこと。

 第五に、これまで地元で一度も議論したことがないような復興メニュー(例えば、漁村の統合、漁業権の民間参入など)は地元を混乱させるだけであり、その提示は政治と行政は慎重にすべきこと。

 第六に、地元で暮らしてきた人々の早期の生活再建、雇用確保が復旧・復興の大目的であることを忘れないこと。また、被災した私有財産に対して税金による支援の範囲、税金で支援できることできないことの区別を早期に提示すること。

 第七に、一方、自力で再建する意欲と資力のある人が必ず一定程度は存在しており、自力再建のエネルギーを上手に誘導すべきこと(例えば、水産業の地域で行政が浸水市街地に建築制限をかけ続けることは自力再建を阻害し、有害であること)。

 第八に、義援金は個別に緊急配布すべきもの以外は、むしろ、まとめて生活再建に効果的な施策に集中投資してもよいこと(戊辰戦争の米百俵、帝都復興の同訓会のように)。

 今回は、津波避難ビルを兼ねた集合住宅の建設支援、市街地や漁村で高齢者に配慮した共同性完の建設、被災した介護福祉施設の再建などを行う《平成の同潤会》を設立するようなことがあってもよいのではないか。

・・・・・

 

復興は地域計画ではなく地域経営として考えなければならない。経営に当たって中心となる考え方は「環境と福祉の統合」だろう。福祉の最も基礎的なものは住宅政策であるのだが、環境と組み合わせると、住宅という建造物だけの問題ではなく、「暮らし」という、人生の意味と価値を見出せる政策のあり方が必要となる。

 このような政策は普段からの地道な研究を必要とします。日本はこの部分での研究が薄かった。後藤新平は研究会を作り機関誌を発行していたように、地域の研究者が協力していきたい。かつての生活では衣食住といわれたが、今は医職住となる。医療と福祉、職業と地域力、暮らしと環境がテーマになります。是非に皆さんと研究会を立ち上げたい。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日本の政治を考える | 12:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
後藤新平
 

後藤新平―――大震災と帝都復興

越澤 明 著 ちくま新書 を読む 1

なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 16

 

 この書は面白かった、久々に時を忘れて読み耽った。私にとっては正直に言って、坂の上の雲よりも面白かった。もしこれを芝居にするならばどのような脚本になるだろうか、想像しながら読んだ。後藤新平役は誰が適当だろうか、キャストを考えるのも面白い。

 

 幕開きは、舞台中央にスクリーンがあり、関東大震災の被害の様子が映し出される。後藤の声が映像の最後に流れる。

「我々東京市民は、今や全世界の檜舞台に立って復興の劇を演じておるのである。我々の一挙一動は実に我が日本国民の名誉を代表するものである。」

 スクリーンが上がると、「帝都復興の議」の基本方針を述べる会議の席。

 蝋燭の明かりで薄暗く照らし出されている。

「東京を江戸以来の旧状のままで再建する“復旧”ではなく、この際、明治の市区改正や下水道法なども含めた、長年の懸案であった東京都市計画を実行して、抜本的な都市改造を実現する“復興”でなければならんのだ」後藤の力強い演説。

 会議に参加する若い役人がいう。「先生は都市研究会長、内務大臣、東京市長、東京市政調査会長として六年間、政策づくりをしてきた実績がおありです、先生、私達は何をすればよいのでしょうか?」

「帝都復興調査会を設ける。財源は国費で負担、長期の内外債とする。被災地域の土地は公債を発効して買収する。土地整理の実行じゃ。その上で適当公平に売却したり貸付をしたりする。これはパリ都市改造の超過収用を被災地の全域で実施するということじゃ。佐野!理事、建築局長となってやってくれ」

 「何から手をつければよいのでしょう」

 「知るか!皆で考えろ、そっちで考えるんだ、俺にわかるか」

 帝都復興事業そのものは区画整理、街路、公園、橋梁などインフラ整備が主要課題であった。

 

 舞台は明るくなって台湾の騒々しい街の様子。

 後藤は大きな三つの大きな体験をしている。

89p

 ・・・後藤は台湾総督府の民政長官として采配をふるい、仕事をした経験から、後藤のその後の生涯に影響する三つの大きな体験をした。そのうち二つは貴重な財産で、あと一つは貴重な教訓である。

 第一の財産とは、社会資本整備の実体験である。鉄道、築港、上下水道、市区改正(都市計画)などの社会資本整備は、内地では計画倒れとなり、具体化せず、実現しないことが多かった。しかし台湾では白紙から計画して、実際に事業を開始している。

 第二の財産とは、人材である。帝国大学法科(東大法科)を卒業し、大蔵省や内務省に採用され、官僚本流コースを歩む優秀な若手官僚が台湾総督府で後藤の部下となった。その中から、後藤の生涯にわだり、腹心・側近として活躍する重要な人材を得た。

 第三の教訓とは、膨大な予算を通過させる苦労である。鉄道、築港、土地調査の三大事業など台湾開発の財源は公債によるほかなく、児玉総督の指示のもとで、後藤は祝辰巳と中村是公の力を借りて二〇年計画、六千万円の事業公債案を作成した。この規模に台湾の世論は驚愕し、内地の政府首脳は仰天した。

・・・・・

 台湾時代は物語りになりやすい。

 そして後藤の政治家としての業績も織り込んでいく。

14p〜

三つの業績

 後藤新平の政治家としての業績には主に三つの分野がある。

 第一は、日本の逓信行政・鉄道行政の基礎を確立したことである。後藤は鉄道の父であり新幹線の祖父である。国内の私鉄を買収・国有化して成立した日本国有鉄道は大正期に逓信省の傘下にあったが、後藤は省と同格の鉄道院に昇格させ、初代総裁となり、その後も大臣に就任のたびに、鉄道院総裁を兼務した。後藤は鉄道の広軌化を推進した数少ない政治家である。広軌化は大正期に政友会系の政府では何度も否定された、しかし、後藤の広軌化のプラン、弾丸列車の構想は戦後、腹心の十河信二により新幹線として実現した。

 また後藤は放送の父でもある。晩年にNHK(日本放送協会)の前身となる東京放送局を創設して、その初代総裁となった。

第二は、外交と国際関係である、台湾総督府民政長官と満鉄総裁の時代に培った経験と体験から、後藤は中国・ロシアとの外交・交渉・友好に、独自の国際的な感覚と嗅覚と人脈を待っていた。戦前の有力政治家では珍しくロシア(さらに共産党政権下のソビエト連邦)との関係を重視しており、日ソ関係の展開に大きく貢献した。

 また、戦前の日本が生み出した知性あふれる国際人である新渡戸稲造を見いだし、台湾総督府に招聘した。その後も新渡戸の能力にふさわしい地位への転身・転職を後藤は生涯にわたり応援した。新渡戸の国際連盟事務局次長への就任は後藤の後押しがなければ実現しなかった。

 第三は、都市計画・まちづくりの制度化と帝都復興の実現である。大正期の都市計画法の制定、関東大震災後の帝都復興の実現は、後藤の強い意欲と指導力によって初めて達成されたものである。後藤は都市計画の父であり、東京をつくった大恩人である。

・・・・・

 

 舞台は幕開きの会議の場面に戻るが、あたりは蝋燭ではなくシャンデリアで明るい。

 政治的嫉妬にあい、後藤たちの悪戦苦闘は始まる。

223p

枢密院や二大政党の長老政治家は、首都の復興という国家・国民の一大事を放り出して、政争を優先させた。後藤が主導する帝都復興計画を山本権兵衛内閣(官僚超然内閣)への政治的揺さぶりの機会として利用した。それは後藤には勝手なことをさせないという。“政治的な嫉妬”であり、そのため復興事業の実行(区画整理による減歩)は財産権の侵害だと攻撃した。

 このような執拗で激しい「政治的な嫉妬」を引き起こした原因は、後藤内閣誕生の阻止であったと筆者は考える。

・・・・・

 

しかし後藤たちの都市経営は進んでいく。後藤たちは大震災のきわめて困難な状況から首都東京を見事に復活させた大恩人として描かれる。

舞台の最後は1983年、昭和天皇の御言葉で締めくくられる。

 

235p

「震災のいろいろな体験はありますが、一言だけをいっておきたいことは、復興に当たって後藤新平が非常に膨大な復興計画をたてたが……もし、それが実行されていたらば、おそらくこの戦災がもう少し軽く、東京あたりは戦災は非常に軽かったんじゃないかと思って、今さら後藤新平のあの時の計画が実行されないことを非常に残念に思っています」

 昭和天皇は震災直後の内閣親任式を長く記憶するため、一九二七年、和田美作画伯に作筆をご下命し、一九三六年の震災記念日に二枚の絵が献納された。

 

この絵は現在、昭和天皇記念館に展示されている。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日本の政治を考える | 11:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
原発事故で隠されていたこと
 

東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと

菅 直人 著  幻冬舎新書  を読む

なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 15

 

 原発事故を「文明災だ」と第一回復興構想会議で梅原猛は言った。梅原の文明論は人間と自然の共存が前提となっているので、その最も対極にある核の問題は「人類の誤った選択」ということになる。人類は火を手に入れたときにその暮らしは大きく変わった、そして核を手にしたときその運命は大きく変わった。核の力はあまりにも大きく、人類の知性はまだその大きさについていけていない。人は哲学という火で未来を照らさなければならないのだが、人は原子力の火で未来が照らせると考えた。

 

 福島第一原発事故は実はもっと大きな被害があってもおかしくはなかった。それは首都壊滅、日本沈没という現実味を帯びたストーリーでもあった。もし首都圏数千万人の避難が指示されていたらどうなっただろう、実は私達は断崖絶壁ギリギリのところでかろうじて命拾いをしていたことを、この原発事故の教訓ともしなければならない。

 

         二号機の原因不明の圧力低下

         定期点検作業の遅れで四号炉の使用済み核燃料プールの水が残っていた

 

私達はこれらの偶然で原発事故による首都壊滅は避けられた。このことは何を意味するのか、誰にでも分かるはずだ。

 

 東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと

菅 直人 著  幻冬舎新書 ではこう書かれている

 

118p〜

幸運だったとしか思えない

 なぜ二号機の圧力は急低下したのか。どこかに穴が開いて、そこから内部の水蒸気などの気体が外へ出たのは確かで、同時に大量の放射性物質も外へ出た。放射性物質を外へ出したことは許されることではないのだが、結果としては、この時の原因不明の穴のおかげで、格納容器そのものの大爆発は防げたのである。つまり、ゴム風船をふくらませていくと、最後には破裂してしまい、風船は原形を留めなくなるが、紙風船をふくらませていくと、ある段階までいくと、ブシュッと紙のつなぎ口あたりから穴が開いて空気が逃げ出し、紙風船は萎んでしまうが破裂はしない。二号機はこの紙風船のようなかたちでどこかに穴が開いて、空気が抜け出てくれたのだ。

 これはそういう設計になっていたのでもなければ、マニュアルに書かれていた手順通りにしたらそうなったのでもなく、誰かが苦肉の策として考えて意図的にどこかに穴を開けたのでもない。どこか脆くなっていたところがあったのか、圧力上昇で穴が開いたのである。

 福島第一原発の作業員、そして自衛隊、消防、警察といった人たちの命懸けの働きを過小評価するものではないので、誤解しないで欲しいのだが、私は、この事故で日本壊滅の事態にならずにすんだのは、いくつかの幸運が重なった結果だと考えている。そのーつがこの二号機の原因不明の圧力低下だ。もし二号機の格納容器がゴム風船が破裂するように爆発していたら、もう誰も近づけなくなっていたはずだ。

 四号炉の使用済み核燃料プールの水が残っていたのも幸運の一つだ。定期点検作業の遅れで、事故発生当時、原子炉本体に水が満たされており、この水が何らかの理由でプールに流れ込んだことによるとされている。

 つまり、私たちは幸運にも助かったのだ。幸運だったという以外、総括のしようがない。そして、その幸運が今後もあるとはとても思えないのだ。

 もちろん今回のようなシビアアクシデントに対する予めの備えがあり、マニュアルがあり、訓練が十分であれば、これだけ事故が拡大せずに収束できたであろう。しかし、そうした備えのない中で収束に向かったのは、幸運だったとしか言いようがない。

 もし、幸運にも助かったから原発は今後も大丈夫だと考える人がいたら、元寇の時に神風が吹いて助かったから太平洋戦争も負けないと考えていた軍部の一部と同じだ。神風を信じることはできない。

・・・・・

 

 菅直人は非難されることが多いが、この教訓を国民の前に明らかにすることが出来ただけでも、彼の存在の意義はあると思えます。もし自民党の総理であったならこのような重大な事態を公表しただろうか?

 

190p〜

・・・「原発が稼働しないと日本経済にマイナスだ」と言う財界人は、もし福島原発事故で首都圏から三千万人が避難を余儀なくされていたら、どれだけ日本経済がダメージを受けたか検証したのか。その時には日本は大混乱に陥り、経済的にも、社会的にも、国際的にも国家存亡の危機に陥っていたことは間違いない。そしてこの最悪のシナリオは危機一髪、紙一重で回避されたもので、今でも同じような事故が絶対に起きないとは誰も言えない。

 まず、私たち日本人が経験した福島原発事故が、国家存亡の危機であったという共通認識を持ち、そこから再スタートすべきだ。それを忘れた議論、無視した議論はまさに「非現実的」な議論だ。

191p

・・・最悪のシナリオではどうなるか。

 福島原発の事故で避難している人は約一六万人である。もし、首都圏までが避難区域となった場合、首都圏だけでも三千万人が避難することになる。単純に人口比だけを基にして計算しても、福島の二〇〇倍なのだから、一二〇〇兆円の損害が出ることになる。それを基にすると原発の電気は120円/kwh価格が上昇することになる。たとえば、火力の発電コストは12円/kwhだから、原発のコストは極めて高いことを意味している。

 原発の安全神話は崩壊したが、原発は安価だという神話も崩壊したのだ。

・・・・・

 

 今回の原発事故により、原発事業は一民間企業が完全に責任を持てる事業ではないことが明らかになっているのだが、国が責任を持つにも、最悪の事態になっていたら責任を持つことは不可能だろう。結局、とどのつまりは国民の自助努力でしか救われないのならば、国民の目はもっと厳しくなければならないのだろう。

 菅直人は対策の遅れを、自分の責任としながらも様々な法的な問題もあることを指摘している。そのひとつを紹介しておきたい。

 

50p〜

原災法では、原子力緊急事態宣言が出されると、総理を本部長とする原子力災害本部を設置し、その事務局は経済産業省原子力安全・保安院が担うことになっている。そして、実際の情報収集や対応判断を主導するのは、原発の近くに設置された現地の「緊急事態応急対策拠点施設」(オフサイトセンター)である。事故発生時にはこのオフサイトセンターに関係者を集め、現地対策本部を作り、方針を決定し、原災本部長である総理大臣の了解を得て実施するという仕組みになっている。

つまり、現在の法体系では、基本的には、原発事故の収束を担うのは民間の電力会社であり、政府の仕事は、住民をどう避難させるかということになっているのである。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日本の政治を考える | 06:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
フラット化時代のリーダーシップ
 

「戦後」が終わり、「災後」が始まる。千倉書房を読む。 5

東日本大震災復興構想会議 議長代理 御厨 貴 著

なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 14

新しい時代の新しいリーダーシップ

「フラット化社会の感覚を身につけたリーダー」

 

 東日本大震災復興構想会議を親会議として、その下には実務的な動きをする検討部会というものがあったようです。この検討部会の存在がとても参考になる。重要な政策案を作り込んで行くには、このような検討部会を参考にした会議を立ち上げていくべきだろう。親会議との連携のあり方も必要ですが、質の高い部会にしていくにはどうしたらよいのだろうか参考にしたい。

 60代を中心とする親会議と40代を中心とする検討部会の連携。部会は飯尾潤・政策研究大学院大学教授を中心とする専門委員会。まだ世間的に名前を知られていなくても、それぞれの分野では評価されている人を中心に選んでいるらしい。

66p〜

・・・しかも、四十代の検討部会に四十代の官僚がピタッとくっついた。彼らは各省の審議官、参事官クラスで、課長を一回やったかどうかという人たちです。各省からいろいろな人が来て支えてくれました。集まって来たと言っても、四月十一日にスタートした時は、官僚は五、六人しかいませんでした。その後急速に増えて、復興構想会議が提言を出す頃は五十人くらいいました。

 普通、審議会に派遣される官僚は、二十代が多いんです。右も左もわからないのが集まって、コピーとりをやったりする。今回二十代が少なかった理由は、先にできた支援本部や現地の応援に駆り出されていたので、残っていたのが三十代から四十代だったということです。これまで民主党政権の二年間で全く仕事をさせられていなかった彼らが、われわれのところへやってきたことは結果的によかった。頭がよく働いて仕事ができる人たちが、力を発揮できる“復興”という領域で、すごくよくやってくれたというのが私の印象です。

 

* 省壁が壊れた

 検討部会では、飯尾さんを中心にさまざまな検討を行いました。今回、われわれは具体的なことを議論しようということで始めましたが、中でも「高台移転」がずいぶん話題になりました。高台に住居を移転させるわけですが、コミュニティを考えた場合、住居だけではなく、学校、病院、その他の公的施設を全て移転しなくては困ります。ところが、これらは省庁別の縦割りになっているわけです。そうすると、各省庁が一緒にやると言ってくれないと、どうにもならない。その省庁の壁をどうやって崩すかが、われわれの最初からの課題でした。そこで、各省庁から多くの官僚に来てもらって議論をして、何度も本省とやりとりをしながら、現状でできることをとにかく固めていきました。検討部会では、五月後半ぐらいから六月にかけて各省との話し合いがものすごい勢いで進んでいきました。

 飯尾さんのそばで検討部会の議論を見ている時、私が驚いたのは、従来、鉄壁であった省壁が壊れたことです。全部ではありませんが、三十代四十代の官僚たちは、共同してやったほうがいいという方向で議論を進めました。それをやらなければ、今回の復興は実現できないだろうということで、彼らはよくやってくれたと思います、逆に言うと、仕事に飢えていたということです。仕事ができることで、すごく盛り上がったわけです。

・・・・・

 

「検討部会の委員と年齢層の近い官僚達は、実にいい発想を持ってきてくれるし、一緒に考えていい提案をしている」

 

* フラット社会における現実的リーダーとは

復興会議で特徴的だったのは、親会議と検討部会で、議論の進め方に大きな違いのあったこと。検討部会では、メンバー同士がメーリングリスト(ML)をものすごい勢いで回した。そこで情報を共有し、相互の助言や必要な場合には批判なども行いつつ、実際に顔を合わせる会議の場では、より高いレベルの話をした。彼らは現場主義も徹底していて、被災地にもよく足を運んでいた。

 メーリングリスト(ML)これは、ただ機能を使えるか否かの問題を超えて、感覚的にそういうフラットなコミュニケーションに入っていけるかを示す、象徴的な事象。新たなリーダーシップが生まれるとしたら、このMLを回せる五十歳近辺の世代が軸になるだろうと御厨は述べている。

 

166p〜

・・・グーテンベルク革命に続くIT革命は、内実を伴って明らかに進行し、それも社会のフラット化に拍車をかける。フラットになりつつ、横に複雑に連鎖していくというのが、私の漠たるイメージです。

牧原――これから進むのは、あらゆる面で「異業種交流」を促進するフラット化だと思うのですよ。そんな世界で出てくるリーダー像を推理してみると、おそらく一人ではなくて、複数。それも従来の「親分」という感覚とは違う、「この人とならいっしょに歩ける」というような関係性になるのか。

御厨――派閥や業界だったら、親分が顔で演技したり、咳ひとつで仕切ったりすることができたけれど、異業種交流が進んだ世界では、そんなものは通用しません。最終には、そこで語られる言葉が意味を持つことになる。

 一つ、わがゼミOBから聞いたフラットなコミュニケーションの例を挙げておきましょう。例の福島第一原発事故が起こった際、当初、放射線量などの発表の遅さが指摘されました。発表が早く正確になった裏に、事故によりドクター論文が書けなくなった、理工系の大学院生たちの貢献があったというのです。

 専門家ですから、データを「出し惜しみ」していることが、彼らにはすぐに分かった。そこで顔を知らない同士ネット上に集まり、論文を書くはずだった時間をデータ収集と分析などにあてて、その結果を協力して当局に送り続けた。われわれには分かっているぞ−と、プレッシャーをかけたわけですね。

牧原――リーダーはいたのですか?

御厨――初めはいなかった。ただ、彼らの取り組みの連続のなかで、東大のある先生が最終的には責任を引き受ける結節点になったのです。そのネームバリューもあって、対応を改めざるをえなくなったわけ。このケースでは、自然発生的な仕組みがまずあって、そこにリーダーが「あと乗り」 した。

牧原――フラット化すると、そんな例がそこかしこに生まれることになるのでしょうね。

御厨――彼らみたいな人間たちが、政治の世界に入ってくるとおもしろいのだけど。問題は、まだ政治がそことの接点を持てていないところです。

牧原――いずれにしても、旧来型のリーダーシップではもたなくなっていることだけは事実。ただそれは、日本に限った現象ではありません。オバマもキャメロンも、少し前の豪州のラッドも、リベラルで弁が立って、若くリーダーシップに溢れているというタイプですが、そろって四苦八苦している。転換の世紀にあって、リーダーシップそのものの「危機」が、グローバルに進行しているのかもしれません。

 名望家支配ではなく、ある種の横のつながりをベースに、小集団がついたり離れたり。その世界を引っ張るのが、フラット化社会の感覚を身につけたリーダーということになるのでしょう。

御厨――政治が、早くそのことに気づいてほしいですね。

                        (『中央公論』2011年9月号)

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日本の政治を考える | 06:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
自民党は変われるか?
 

「戦後」が終わり、「災後」が始まる。千倉書房を読む。 4

東日本大震災復興構想会議 議長代理 御厨 貴 著

なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 13

自民党はどこまで新しくなれるか?

 

今度の選挙結果を見て、これで自民党の崩壊が本格的に始まったことを予感した。政党のあり方が、わずかな民意の動きに依存していることは、大勝した自民党といえども安定した政権運営は困難です。

 

自民党の経済政策では円安恐慌が訪れるだろう。対中強行路線は北東アジアの緊張感を高めることは必至でしょう。消費増税は不況を加速するだろうし、親米路線はTPPの参加に条件提示することはできない。震災復興は決め手がないまま長期化し、原発は再稼動していく。福祉の問題と財政危機を同時に解決する道は、どこが政権をとっても遠い道のりに変わりはない。次に国民の不満が自民党に向いたときには、自民党は粉々に砕け散ってしまうだろう。自民党は腹を据えて、新しく生まれ変わっていかなければならない。

 

私は選挙結果ほどには民主党が酷い党だったとは思えない。党のガバナンスが問題だったと言っているが、どのような統治の形が理想的だと考えているのだろう。決められない政治は決める仕組みを持っていなかっただけであることは述べてきた。政治主導を確立するルールづくりができていなかった。 自民党政権になっても決めるルールづくりがなされていなければ、従来の古い自民党の政治のままだろう。

 

小泉時代の経済財政諮問会議を復活させるそうだが、諮問会議の政治主導のあり方は小泉の大芝居と竹中の緻密な裏会議で成り立っていた。

 

―「政治主導」の教訓―で行動経済学の近藤隆則はこう述べている。

236p

・・・「脱官僚」を標榜するならば、政権政党は官僚以外の専門知のソースをきちんと確保しなければならない。小泉政権の竹中平蔵大臣は経済財政諮問会議を活用して官僚ルートを迂回する戦術をとった。竹中時代の諮問会議では、オープンな議論を経て政策が決められ、しかも議事要旨がすぐに公開されるため、政策決定過程が透明になったとされる。しかし、実際には竹中は、その時々にビジネスライクな関係を結んだ脱藩官僚らを起用し、諮問会議の前に政策原案を決めていた。「竹中チーム」とか「裏会議」とか称するそのやり方は、言い換えれば竹中の私兵による秘密主義の政策立案である。「脱官僚」を掲げる政党は、竹中の手法をまねる必要はなく、よりオーソドックスで聞かれた形で専門知のソースを確保すべきであろう。

・・・・・

 

その後の諮問会議の様子を見ても、誰にでも十分に活用できる会議でもなさそうです。自民党が生き残るには相当な変化と困難が待ち受けている。大きな期待が株価を引き上げていると報道されているが、株屋にセールスのツールを与えているだけで、この経済復興上昇ムードは危険だ。株屋は連日に高齢者へ電話や訪問を繰り返し、解散の日程が決まったその日からセールスマンは必死に駈けずり回っている。「自民党が勝てば金融緩和や大公共投資で株価は必ず上がります」この言葉を数限りなく聴いたバブルの時代を経験している高齢者の自民党への期待は高まるばかりです。選挙の候補者よりも高齢者に身を粉にして働きかけた、株屋の勝利が自民の大勝となった。とある高齢者にかかる一日の電話の数は10件を越えている。その高齢者は「株屋の電話でノイローゼになりそうだ」とも話し」、豊田商事さながらの営業も行われている。こうして株価は経済の実態と関係なく株屋の生き残りのためのセールス戦争で動かされているが、所詮はミニバブルでしかない。自民党は株屋に感謝状を贈らなければいけないだろう。住宅ポイントの導入もミニバブルでしかないのだが、土地と株のバブルがどのように惨めな結果になったのか、のど元過ぎれば熱さも忘れるのだろう。

 

自民党の最も良かった時代の政治の見せ方はこうです。

 

―「戦後」が終わり、「災後」が始まる。―で御厨はこう述べている。

80p〜

・・・仮にかつての、そこそこ全盛期の自民党が政権を担っていたら、今回の復興をどう進めただろうかというシュミレーションをしてみたいと思います。復興構想の中身自体は、今の民主党とそんなに変わらないでしょう。ただ自民党は、とにかく「やって見せている感」を出すのがうまい政党です。『復興への提言』にあるもののいくつかを事前に取り上げ、それを大きく宣伝をして予算を多く付け、特定の地域の復興を早く実現させる。同時に他の地域も同じように復興が達成されるというイメージを見せるでしょう。自民党政権だったらそんなふうに進めると思います。

 もちろん、自民党の提言に反対する声も出るでしょうが、どんどん実行されているような雰囲気づくりをするでしょう。官僚や自治体も意気を感じるでしょうから頑張れる。その結果、全体がうまくいくかどうかわかりません。けれども、少なくとも復興の起爆剤にはなる。今のように全体がシーンとしてしまって、提言や方針が出ても「瓦礫は片付かないし・・・」というようなシケた話ばかりが出る状態にはしない。それが政治だと思います。かつての黄金期の自民党政権は、そうしていろいろな問題を一つひとつ克服してきたわけです。民主党にはそれができない。もちろん今の自民党にもそれをやる力はありません。

・・・・・

 

見せ方がうまいだけでは、今からのもっと深刻な円高と国債のバブルの崩壊に対応できない。今度の選挙で自民党へ投票した大半の人は景気回復を望んでいる。ゆえに、景気回復が順調な軌道に乗らなければ、政権運営は難しい。

 自民が変わらなければならないところは他にも多い。

 

―「政治主導」の教訓―で政治学者の木寺元はこう記している。

193p〜

・・・自民党政権期では部会中心の政策意思決定システムが定着していくなかで、政策決定等に際して、官僚から事前に情報が提供され、影響力を行使できるようになることが有力議員として認知される一種のステイタスシンボルであった。そのため、自民党の政治家は、官僚による事前の説明、了解の取り付けに対し、深い関心を持つと同時に、きわめて敏感になっていった。また、官僚は、政治家が根回しの対象にされず、プライドを傷つけられた怒りに端を発して反対、抵抗を生じさせないという点から、最終的に政府、与党、国会内で合意を形成してもらうという点に至るまで、政治家の理解と協力を得るべく周到にねまわしを行う必要が生じた。したがって官僚としては、部会等で抵抗にあわず、了解を得るためにも、極力後半に根回しを行うこととなり、局長、審議官、課長、そしてそれに随行する課長補佐、係長が根回しのために消費するエネルギーと時間は膨大なものとなった。このように官僚は根回しだけで疲弊し、政策の企画立案に充てるエネルギーと時間が限られるという状況が発生していた(中島2004:100)。

 

自民党はどこまで変われるのだろうか、と言うより、変わらざるを得ない。

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政治の劣化
 

「戦後」が終わり、「災後」が始まる。千倉書房を読む。 3

東日本大震災復興構想会議 議長代理 御厨 貴 著

なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 12

政治の劣化

 

今度の選挙は多くの政党が乱立した。しかしこれを乱立という見方は正しくないだろう。今後もこのような傾向が続くだろうし、これからの選挙の特徴ともなっていくでしょう。国際情勢は緊迫化し、国内情勢は複雑化し、震災復興と相まって文明の性格そのものが問われる時代になっている。意見が分かれるのは当たり前で、この時代の大きな転換点に安定政権があることそのものが不自然なのです。

 

ではこのような選挙をどう見るのか?

 

この動乱の時代をどう乗り越えるか、という新たな日本創造の政策コンペとして見ていくべきなのです。これからの政党の課題は、この政策コンペの国民へのプレゼンテーション能力を上げておくことです。このことに対するマスコミの役割も大きい。政党が専門家と組んで「国家のデザイン」を描く。国民はいたずらに強権的なリーダーを選ぶべきでもないし、内実の伴わない異端のリーダーを求めるべきでもない。冷静に奇をてらわない政策と総合力のあるリーダーを選択していくべきなのです。

 

マニュフコ4スト選挙は鉾わったわけではない。マニュフェストには実現に向けた工程あるいは行程表も必要だろうし、政党自らが実現可能性も示しておくべきでしょう。また、前回に示したマニュフェストの実現へ向けた過程や結果も示しておくべきでしょう。マニュフェスト選挙はまだ始まったばかりです。政治をあきらめない、とは本格的なマニュフェスト選挙を実現することです。国民の審判が正しく下せる情報が、今のままでは少なすぎる。 日本再生の希望はこれからの選挙のあり方にかかっていることは誰も疑う余地のないところです。スローガン選挙に戻ってはならない。地盤、看板、鞄の選挙に戻ってはいけない。

 

御厨は「開かれた復興」でこう述べている。

 49p

 ・・・開かれた復興のイメージは復興が被災地に止まらず、むしろ被災地における様々創造的営みが日本全国に、ひいては世界各国に広がっていくことにある。成熟して先進国家における災害からの復興過程は、世界各国の人々が生き抜くひとつの強力なモデルになりうる。

 しかも「ボランティア」、「共助」、「社会的包摂」、「新しい公共」といった言葉が、今まさに生じつつある実態を指し示している。個人や社会の利益、さらには国境をこえた新たな社会貢献のあり方が、鮮明になってきている。

・・・・・

 

被災地の復興ひとつとっても、地震列島日本の各地のモデルにもなりえるし、日本の国民の復興のエネルギーと英知は世界の模範ともなりえるのですから、今度の選挙での各党の復興計画をもっと詳しく聞きたかった。来年の参院選の時には、新党にも復興への政策提言がもっと具体釣なものになっていることを斯待したい。

 世界は被災地の復興に注目している。 日本の実力が試されているといってもよい。特にフクシマの再生に興味を持っている。フクシマの再生がイコール、日本のインテリジェンスが問われていることを忘れてはならない。リアリズムを備えたハードインテリジェンスということになるのだろうか、日本を立て直す核心がまさにフクシマにある。

 

ひとりひとりの政治家の質も問題なのだが、御厨の指摘は厳しい。

 

「彼らは趣味で政治をしているんですよ。」138p

 

136p

 ・・・国会議事堂に十年も出入りするとね、心のどこかが磨耗しちゃうんですよ。あそこは魔物が住んでいて、来た人間をみんな喰らっていく

最初のうちは国民かち選ばれたという意識があって頑張ろうとするけど、そのうち自分は自分で思っているほど偉くも力もないということに気づかされて、あの場所で生き延びることしか考えられなくなる。国会議事堂と選挙区。それしか見ていないのが国会議員なのです。で、この人たちが大臣という行政のトップに立つわけだけど、大したことができるわけないから結局官僚任せになっちゃう。つまり、政治の無残さを、でも行政はちゃんとやっています、経済はちゃんとやってますって誤魔化してきたのがこの国なんです。

 137p

 ・・・官僚に行政を任せてたけど、内心で彼らが政治家のことをバカにしているということに気づいちゃったんですね。というか、前から気づいてはいたんだけど、最近の自民党の場合は二世三世が多いから、大臣達の出身大学も慶應が主流なんですよ。慶應的金持ちの価値観だと東大出の無粋を許せる。勉強ばかりしているからしょうがないって。ところが民主党は国公立大学や非慶應的私大の出身者が多い。つまり潜在的に東大コンプレックスがあるんですね。だから、敢権取ったからにはあいつらを見返してやる。政と官の上下関係を見せつけてやるっていう、これが今の状況ですよ。

・・・・・

 

対談相手の富野はビーター・ドラッカーの著作『経済人の終わり』にウィンストン・チヤーチルが寄せている書評を引いている。

 「資本主義がしくじったのは、経済人を社会の理想にしてしまったからだ」

御厨の指摘はさらに厳しいものになっていく。

 

144p

・・・戦後復興までは、政治はあるんです。ある程度、無理やり政治で引っ張ってきたところはある。ところが、池田勇人(首相在任1960〜64年)に始まる戦後の高度成長の時代には、どこをどう眺めても政治は出てこないんですよ。経済至上主義というのは、政治ではない。政治というのはそこに楯突くか、あるいはそれと違う道を進もうとすることであって、経済至上主義でいくなら政治なんていらないんです。

 

・・・で、それが進んだ先に、田中角栄が現れるわけです。彼は完全に、お金のお化けですから。つまり、戦後政治というのは、吉田茂がこの国をアメリカに託して独立させ、安保条約を結んだところで止まっていて、その後の世代がやっていたのは、政治もどきです。

・・・・・

 

誰も政治をやっているという意識がない。日本の政治の劣化は経済至上主義にあった。経済対策は必要だが至上主義では政治にならない。資本の論理に支配されているだけで、資本の暴走にも歯止めが利かない。

 原発の問題は想定外という政治の怠慢と経済至上主義という無策にあったのです。今こそ、国民は政治を取り戻さなければならない。

 

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「災後」の意味を考える 2
 「戦後」が終わり、「災後」が始まる 千倉書房 を読む。2
東日本大震災復興構想会議議長代理  御厨 貴 著
なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 11
 地方の時代

もうひとつ、3、11は地方の時代を本格的に考えなければならない転換点でもある。防災・減災に取り組み、そしてその地方に大災害があった後の復興のあり方を考えておくことで、地方のあり方が見えてくる。新たな地方の時代の始まりという観点が必要です。

「戦後」が終わり、「災後」が始まるではこう書かれている。
183p〜 7月28日
・・・「復興への提言」を、復興構想会議が答申して、早やーヵ月がたとうとしている。政府はようやく方針を決定したが、何ともスピード感に欠ける。もっとも提言の内容は、各省がすぐにも取り組める表現になっている筈だから、実現への過程はその気になれば大変でぱない。
 ただ心配なのは、我々が「復興はあくまでも市町村が主体」と強調したことが、裏目に出る可能性があることだ。これをメディアは、国が責任をとらす、逃げの姿勢に終始するためのアリバイ証明と取るむきがあるらしい。とんでもない。我々の真意は、市町村という。“現場”でなければ、復興の優先順位―――すなわち、今何をして欲しいのか―――が分からないから、すべては市町村から始まると、強調したことにある。
ただこれまでの国と地方の関係を思い出すならば、放っておけばそうなる可能性なきにしもあらずだ。「国よ逃げるな、市町村は攻めよ!」と是非とも言っておきたい。そこで重要になってくるのは、「提言」全体を貫くキーワードたる「つなぐ」人材の発見と活用に他ならない。
 すべての現場に今必要なのは、現場で処理に困っている事態を把握し、解決の方向性を示してくれるヒトである。だから行政の現場である市町村は、国の施策を現場に見合う形で示唆してく“知恵ある行政人”を欲しているのだ。このことは、「提言」作成中に行った被災他の市町村長アンケートでも、明確に出ていた。
 「今どういう人材が欲しいか?」との問いに対して、多くの市町村長が、「国の施策と現場をつないでくれる人」と答えたのだから。法律や制度があっても、あるいは新しく作られたとしても、どの方法を用いれば、我が市町村に適切なのかを、国から遠い市町村が瞬時に判断するのは、確かに至難の技だ。
 だったら期間限定で、国はどのボタンを押したらよいのかを助言できる行政マンを、市町村に出向させればよいのだ。現場に行ったヒトは、そこで具体的アドバイスをしながら、それができる人材を育成し、国へ戻る。このように、国と市町村を往還できるヒトの仕組みが出来ないものだろうか。
・・・・・

 地方の時代にとって必要なものは、首長のリーダーシップ、“知恵ある行政人” と「つないでくれる人」なのだ。
少し古い本だがこんな提案もあるので紹介しておきたい。

地方は変われるか 佐々木信夫著 
ちくま新書 2004年6月初版
169p
・・・経営者にも政治家にも共通のことだが、リーダーの条件は何かと問われれば、常にあるべき姿を求めている、人間に対する関心や好奇心が旺盛、卑しくない、大局をつかむ力であることなどを挙げたい。―――(日本経済新聞、04年1月14日)
 このコメントは自治体にも当てはまるのではないか。民間と行政は水と油ほど違う―――そんな発想ではダメだ。「試行あって経営なし」といわれた時代は終った。これからは、トップの「経営」が自治体の方向を決める。マニフェストだけでなく、どんなトップ像を選ぶか、それが住民にも問われている。
 ・・・・・

 首相に強いリーダーシップを求める声もあるが、本当は地方の首長にこそ強いリーダーシップが求められているのです。5年前にローカルイニシアティブの実践でも書いたが、地方の包囲網が国を変える。もうそれしかない。地方の強い声しか中央を変えられない。そして中央には総合力のある哲人が必要なのです。
 
171p〜 トップマネージメント
・・・自治体のトップマネージメント(最高経営層)に執行役員制を導入したらどうか。 企業でいう執行役員制は、取締役会の委託を受け実際の企業経営と事業の執行に当たる役員のことをいう。一定規模の市や合併自治体の官房系部長や市民、上本、農林、福祉など事業系部長を、「権限と責任と任期」を一体とする執行役員にしたらどうか。
 これを特別職として扱うのだ。現行法で特別職は助役、収入役等に限られるが、自治法を改正し、首長の指揮下で要職を担う新たな執行役員制を創設すべきだ。彼らの報酬は年俸制がよい。業績主義を明確にする意味で二年契約の執行役員とし、そのポストでの業績次第で再任され、解任される仕組みが望ましい。こうした民間経営のひとつの手法を入れるなら、自治体のトップマネージメントはより活性化しよう。
 その人選は、他自治体や民間など外部に求める必要もあろう。それら五、六人の執行役員と助役(副市長)を政策ブレーンに市政キャビネットを形成する、こうしたトップマネージメントこそ、大統領制的な自治体像にふさわしいではないか。
 いまが改革のチャンスである。合併はその機会だ。七割が自治事務になったいま、執行役員が活躍できる制度環境は整い、政策官庁としての自治体づくりが可能となっている。
174p〜 専門能力こそ必要
・・・「何でも屋」がゼネラリストなのか。ゼネラリストとは高度の経営・技術に優れた上級管理職をいう。・・・トップはともかく、管理職を含む、多くの自治体職員に期待されるのはプロフェッショナルではないか。ある専門分野に一角の専門性を持ちながら担当実務をしっかり仕上げうるプロ、そうした職員像だ。
 そうした能力は、長年、役所に在籍しなければ獲得できないものか。筆者は、現在の自治体現場に大きな錯覚があるとみている。専門知識と執務知識を混同しているからだ。役所内で職員が身に付けている知識は、担当職務の執務知識と経験と人脈であって、決して専門知識ではない。
 事実、各面町村では、辱門性の高い仕事はみな民間委託で済ませてきたではないか。期計画、IT化、電子政府、まちづくり、福祉計画、条例作成、等々。逆にいうと、これら専門性の高い仕事を自ら処理できる能力、それこそが専門能力なのである。
 もし、役所の意思決定の仕組みと処理手続きをすべてオーブンにしたら、専門家のNPOや民間、ボランティアが職員に代わって仕事をしてしまう、そうならないか。手の内を見せないことで役所は偉いと錯覚してこなかったが、大いに反省してみる必要がある。
 分権時代はプロのあり方まで問う。これからは国の通達、マニュアルで仕事を回せる時代ではない。それに頼っても地域も行政も発展しないのだ。職員の給与は身分報酬ではなく、業績に対する労働報酬である。プロとして評価され続けない限り身分も安泰ではない。法令や「権力」を振り回すのではなく、住民に対する説得力と解決実績を示してこそでプロとして評価される。備えるべきは、専門家としての「権威」でなければならない。
・・・・・

 トップマネージメントとゼネラリストによる地方改革の実施部隊、中央直轄に任せるわけにはいかない。地方活性化連絡本部のようなものを中央は用意をする。実施部門まで中央に任せると二重行政になる。
 課題は都市コミュニティの再生と田舎の活用。後日に機会をみて詳しく話すとして、柔らかく田舎を包み込む政策ということです。
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「災後」の意味を考える 1
 

「戦後」が終わり、「災後」が始まる 千倉書房 を読む。1

東日本大震災復興構想会議議長代理  御厨 貴 著

なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 10

「進化論」から「棲み分け」の時代へ

 

自民党は日本を取り戻すといっている。では、取り戻すべき日本は、どの時期のものなのだろうか?そもそも、日本とは何なのだろう?

 国土強靭化はコンクリートで塗り固めることではないはずです。

 インフレターゲットに拘り過ぎではありませんか?経済成長幻想は捨て切れませんか?

 嘗て、日本の庶民は「もったいない」という美意識を持っていたはずです。

そして、国防軍に大和魂はありますか?

 

明治期には富国強兵を推し進める中で、日本とは何だろうか?というアイデンテティが最も強く求められた時代だった。 日本は西欧列強と肩を並べ、「東洋の理想」アジアの覇王となるべく邁進した。

 そして、敗戦。 日本は敗戦後に民主主義という理想と、敗戦の屈辱をバネに国際社会の一員になることを目指した。高度経済成長とは経済戦争であり、日本丸という巨大戦艦と船隊は連戦連勝を収めた。サラリーマンは酒場で軍歌を歌った。

 ドルショックやオイルショックの荒波も、電子立国日本やプロジェクトXの技術立国で乗り越えてきた。日本は明治以降、一貫して成長イデオロギーという進化論の中にあったのです。問題点は成長の中で解決する。また、解決ができた時代でもあった。

 バブルの崩壊後には進化論にかげりが見えたが、まだまだ弱肉強食の進化論の中にあった。嘗ては軍という官僚による暴走で敗戦したが、今度は経済官僚の暴走で第二の敗戦を迎えた、という者も現れたが、そもそも進化論そのものが間違いであったのだ。

 坂の上の雲、そしてその後の時代という認識ではない。 日本は国際社会で、どう「棲み分けるのか」という転換が求められていたのだ。論理の軸が違う。が、日本は日本という「棲みか」を見失っていた。日本とは何?多くの社会学者や比較文明論等の学者達が答えようとしてきたが、政界財界は学者の文学的な表現としか受け取ってはいなかった。そして哲学なき浮ついた国家観しか持ち合わせない政治家に国民は翻弄されることとなった。

 

安部さん、以前にあなたは日本の田園風景について語っておられましたね。あれは単なるセンチメンタリズムだったのですか。 日本の原風景とは何か?魂のよりどころとは何か?あなたが取り戻そうという日本の原風景が「稲作漁労文明」であったとしたら、それに異議はありません。

 

3、11東日本大震災以降を「災後」ととらえる考え方がある。私にとって「災後」とは、日本が「進化論」から「棲み分け理論」の時代への転換点のような気がしています。ダーウィンの進化論的な政策では、現実の後追いになってしまうほど時代は複雑化している。今西錦司の棲み分け理論からの発展が、政策学にも求められている。私達は何処に「棲家」を置くのか、その棲家はどんな「棲家」でなければならないのだろうか。

 

「戦後」が終わり、「災後」が始まる

千倉書房  御厨 貴 著 ではこのように書かれている。

 

20p〜 「戦後」から「災後」へ

・・・一九四五年の敗戦以来、現在まで続いてきた「戦後」がいつ終わるのか、これまで多くの議論があった。「ポスト戦後」は論者によって、高度成長以降、オイルショック以降、ベルリンの壁崩壊以降、バブル崩壊以降・・・とさまざまに定義されてきた。政治についても、世界でも稀な高度成長と世界に冠たる行政官僚制に支えられ、五五年体制という枠組みのなかで、政治は強いりーダーシップを発揮せずとも済んできた。こうした「戦後政治」の特徴は昭和天皇が死去しても、五五年体制が崩壊しても、二十一世紀になってもなかなか壊れなかった。

 その理由として、太平洋戦争以降、日本には国民の共通体験としての戦争がなかったことが挙げられる。そして「あの戦争」は、日本の内外ともに、日本を語る際の基軸となった。「戦後」は終わらず、延びていくばかり。日本で「戦後」が終わるためには、次なる共通体験が必要だったのである。けれども、誰もがうすうす感じてはいても、それを口に出すことは憚ちれた。共通体験といえば戦争かもしれない、大きな自然災害かもしれない、けれどもそれを語るのは不謹慎である、と。そこに容赦なく「3、11」がやってきた。

 「3.11」が今後、日本人の共通体験になると考えられるのは、天災と人災の複合した形だったことが大きな理由である。地震と津波そのものは天災である。けれども、福島第一原子力発電所の事故については、すでに指摘されているとおり人災の側面が大きい。天災と人災の複合により、直接の被害は大きくなかった東京をはじめとする東北以外の地域でも、電気やガソリンなど、あたかも空気と同じように享受してきたものが現実に止まったりなくなったりすることが実感されてしまった。多くの人はかなりのショックを受けたはずである。しかも、電気やガソリンをはじめ、食科や物資の供給の不安定な状態は相当程度続くのではあるまいか。このような状況で「3.11」は日本人の基本的なものの考え方や行動様式を、長期的には大きく変える契機とならざるを得ない。これが、天災であり人災でもある「3.11」のあとに、「災後」というひとつの新しい時代が始まると考える所以である。

 ただし、「戦後」から「災後」への転換は、契機こそ「3.11」という不幸な事態の作用ではあったものの、実はすでに日本社会の実態がそれを求めていた点において、「偶然的必然」であったことに留意したい。明治維新以来、日本が走ってきた近代化路線、すなわち科学技術の発展、人口増加、高度成長路線はすでに露呈していたにもかかわらず、これまでは何度指摘されようと新しい社会像への自己変革は到底実現できなかった。現状を維持せんとする力はそれほど強く働くものなのだ。それが今回は、外国勢力による「外圧」でも内乱や騒擾といった「内圧」によるものでもなく、いわけ「自然災害圧」によって否応なく変わらざるを得なくされてしまったのである。実は近代化路線からの転換を迫られていたことは、われわれも気づいていたはずだ。

このことは、「日本社会の閉塞感」「日本人の内向き志向」といった議論をよく目にするようになっていたことから理解できる。

・・・・・

 

 今の日本は・・・日本を支えるメカニズムは制度疲労をしていた。大きな改革が求められていたのだが、歴史的残滓が重くへばりついていた。大きな改革は痛みも伴うものだが、痛みへの抵抗も大きい。

 

EICネットでの「すみわけ」の解説では

スミワケ【英】Habitat Segregation  

似たような生活様式を持つ種群が、空間的・時間的にわかれて分布、出現すること。たとえば、カゲロウ類の数種が河川の微地形構造(淵、早瀬、平瀬)に応じて生息している例は有名であるが、これはそれぞれの種が生理的、生態的に好む場所が少しずつ異なるためである。このように、それぞれの種が種の特性に応じた環境を利用することで不均質な空間には多くの種が生育できることをすみわけ理論は説明している。
一般的には種の分布域を規定する要因として種間関係が重要な場合が多く、種間に相互作用が生じて分布域が変化することが多い。このような種間関係は一般的には競合であると考えられているが、日本で最初にすみわけ理論を提唱した今西錦司はこれを協調的なものとして捉え、これをもとに独自の進化論を展開した。
近年は、生物学用語としてばかりでなく、人の活動や企業の活動においても、活動の内容、活動地域、活動時間などを重複しないよう調整することを、「すみわけ」という言葉で表現する場合がある。

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明治維新の教訓
 

「地球を読む」『読売新聞』2011年1月31日朝刊

コラム 御厨 貴 「衆院解散の劇薬しかない」を読む

明治維新の教訓

なぜこんなことになったのか?日本はどうなる?日本をどうする? 9

 

 2011年1月31日の読売新聞に掲載された御厨貴のコラムだが、今回の選挙の前に是非に読んでおきたい、とても含蓄の深い文章なので、全文を紹介します。

 

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政治を見たくない、語りたくない、メディアの報道から思わず顔をそむけてしまう。国会の冒頭、菅直人首相が、谷垣禎一自民党総裁が、何といったかをフォローする気にもなれない、大多数の国民が、今そんな無気力感、脱力感に陥っている、このところずっと何だかダメなものを、やはりダメだと確認し続けてきたせいだ、

 政局でも政策でもない。もはや政治や行政を統べる“統治”の構造や場を、何とかせねばならない段階に来てしまったためではないか。明治維新直後の政府のあり方にアナロジー(類似)を見る。今は亡き政治学者、佐藤誠三郎によれば、大久保利通が当時目のあたりにしたのは、「真の法則立たずして、各自に専恣して、乱るること麻の如き」維新政府の実情であった。そこで大久保は「人々物数寄を以て申し立て、それを政府にては押さえる手もてきず、言うままに動く」現状を変革せねばならぬと考えていたのだ。大久保の言は、それから140年たった今の政府に、ぴたりあてはまるではないか。

 では大久保の解決策は何であったのか。今しばらく明治維新期へのタイム・トリップを続けよう。日本の急速な近代化の実現こそが、当時の政府の国家目標であった以上、それを達成するための“統治”の確立こそが、まず求められた。大久保はそのため、「烏合の衆」と化した政府に、機密保持と指揮命令系統の明確化を、くり返し強調している。

 そこから大久保は「衆議」「公論」を峻別し、「異物変則」と「本物正則」との緊張関係を白覚して、“統治”の方法として用いることを説いた。「烏合の衆」から脱しえぬ政府に当座必要なことは、無責任かつ無定見な「衆議」から、国家のあるべき姿を映し出す「公論」を紡ぎ出し、理想としてあるべき「本物正則」を忘れることなく、あえて速効的実現が可能な「異物変則」を用うべし、ということに他ならない。

 こうして「死の跳躍」を試みた維新政府によって、日本はアジアで唯一の近代国家となることに成功する。ところが今の日本が直面しているのは、中国や韓国をはじめとするアジア諸国の中で、唯一の停滞国家になりつつある事態だ。

 明治維新から一世紀半たって、アジアにおける日本の国力のベクトルは、明らかに正反対の方向をむいている。外交、安全保障はおるか、財政・社会保障まで含め、すべてにおいて現状変革の「公論」を求めながら、「衆議」の中にすっぽりと埋没し、脱却のための方法として、「本物正則」は何か、それに代わる「異物変則」は何かを見失ってしまっているのだ。

 「熟議」デモクラシーも「新しい公共」観念も、「保守」イデオロギーも、与野党関係なく“統治”の術として活性化していない現状は、まさにそれを物語っているのではないか。

 次のタイム・トリツプでは、政党政治を確立し、“統治”の安定に尽くした政友会総裁たる原敬のメディアに対する警告に焦点を合わせよう。政治家としてメディアの関係者と常々書生論を闘わすのを好んだ原敬は、政友会攻撃をくり返すリベラルなジャーナリスト馬場恒吾を前にこう言った。「君たちは出る釘出る釘をみんなだたいている・・・そんな風にすると世の中に偉い人が出なくなって平凡な人間ばかりになるではないか」「君は今度の内閣を攻撃するが、そう出る釘々の頭を叩いては、日本に偉い政治家がいなくなるぞ」と。

 馬場はやがて一九三〇年代に入って、政党政治の没落と軍部・革新官僚の台頭の様を見た時、初めて原の警句の意味を悟った。

これまた今の政治家とメディアの関係にも示唆的である。それとばかりにモグラたたきよろしく政治家を打ち続けるのが仕事と心得るメディア。そのうち育つべき人材がいなくなってしまうのだ。

 そしてタイム・トリップの三つめ。戦前の政党政治における“責任政党”は、他ならぬ政友会たった。一九三〇年代半ば、政権奪取にのみ関心がむき、視野狭窄に陥った政友会は、政党政治という“統治”の場を攻撃し続けることによって、自らの“統治の正統性を喪失し解党に追い込まれた。

 戦後の政党政治における“責任政党”は、言うまでもなく半世紀余り“統治”に携わってきた自民党である。今自民党もまた政権奪取のための視野狭窄に陥っている。本来この政党にある“責任政党”としての記憶と自覚が蘇るならば、“統治”そのものへの貢献をこそ、なすべきであろう。

 民主党の政権担当能力の欠如は、既に明治維新政府とのアナロジーで述べてきた通りだ。しかし戦後政治の“責任政党”という自民党のもつ歴史的特性に思いがいたるならば、自民党もまた、かつての野党時代のもの知らぬ民主党と同じ行状をくり返していてはしようがないのではないか。

 とはいえ、解散・総選挙が今や党をまとめ活性化させる唯一の手段と思い定めた自民党は、このような。“書生論”に聞く耳持たぬであろう。逆に四年任期をまっとうすることがこれまた一枚看板になってしまった民主党も、このままモノを余り考えずにひたすら前へ前へ進むであろう。 ここで“統治”の基本原則を明快に規定した日本国憲法に触れておきたい。衆参両院と内閣のあり方のおさらいになるからだ。わが憲法は、内閣が衆議院を基盤に成立すること、衆議院が参議院より優位な地位を占めることを、規定している。すると確かに、参議院優位はここ二十年の“統治”の「異物変則」そのものと分かる。小泉純一郎首相(当時)が、この「異物変則」に対して衆議院解散という新たな「異物変則」をもって応じたのは記憶に新しい。

 さてどうするかだ。衆議院優位という「本物正則」に、“統治”の構造と場を再生させるために、「大連立」というこれまた新たな「異物変則」がささやかれている。与野党「協議」もあるいはそのための入り口として、設定されようとしているのかもしれない。しかし、今のままの議員構成で本当にそれは可能なのだろうか。

 三月危機、六月危機が叫ばれている現状では、絵に画いたモチにすぎないことは明らかだ。だとすれば、ここまで硬直化した与野党関係を解凍するためには、またまた「異物変則」なのだが、解散・総選挙という劇薬しかないのではないか。その先に事態を「本物正則」に再生させる手立てを見据えるしか、残された道はないように思える。

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 政治主導の教訓では現役官僚の論文から、政治主導を実現するための法整備が必要なことがわかった。決める政治の“誰が決めて”“誰が責任を取るのか”という法整備が整っていなかったがために起こった政治主導の未完成が指摘された。前回までのブログを読んでほしい。

 “誰が決めて”“誰が責任を取るのか”という、政治に統治できる仕組みがなく、マスコミが政治を更に混乱させている現状を見て、この文章の意味するものは深い。

 

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日本の政治を考える | 12:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |