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改正貸金業法について、考える。2010.07.26 Monday
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JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
改正貸金業法は千載一遇のビジネスチャンスです。 成功の条件が変わる。この転換点を俊敏に捉える。
「個人向け貸付け」の総量規制が3分の1となっている。
「個人が事業用資金として借入れる場合は、原則として総量規制の対象とはなりません。」
優良な個人事業継続者は総量規制の対象とはならない、ということです。
総量規制には、「除外」または「例外」となる貸付けがあります。
除外
不動産購入または不動産に改良のための貸付け(そのためのつなぎ融資を含む)
自動車購入時の自動車担保貸付け
高額療養費の貸付け
有価証券担保貸付け
不動産担保貸付け
売却予定不動産の売却代金により返済できる貸付け
手形(融通手形を除く)の割引
金融商品取引業者が行う500万円超の貸付け
貸金業者を債権者とする金銭貸借契約の媒介
(施行規則第10条の21第1項各号)例外
顧客に一方的有利となる借換え
緊急の医療費の貸付け
社会通念上緊急に必要と認められる費用を支払うための資金の貸付け
配偶者と併せた年収の3分の1以下の貸付け
個人事業者に対する貸付け
預金取扱金融機関からの貸付けを受けるまでの「つなぎ資金」に係る貸付け
(施行規則第10条の23第1項各号)改正貸金業法は多重債務や商工ローン問題に端を発している。
起業家にとって「個人事業者に対する貸付け」が例外規定になっているが、新規事業計画者にチャンスは失われる。
これからの日本の景気は、団塊の世代の大量退職により著しい労働人口の減少が起こり、内需はますます悪化し、地域経済の深刻な沈没が待っている。
労働人口を確保していくには主婦の社会参加が必要となり、地域活性化のアイデアは若者の起業意欲が鍵となる。
地域産業発展の鍵はフレッシュなビジネスをどれだけ育てられていくかにかかっている。飽き飽きした、代わり映えのしない街に人は集まらない。
地元企業が主婦のアイデアと若者の新鮮なアイデアを、積極的に取り入れていく。スモールビジネスに企業が経理管理者と経営管理者を入れて、支援していくシステムの構築を目指していく。
改正貸金業法でスモールビジネスの芽が摘み取られていくからこそ、地域間競争力をつけるためにも主婦の暮らしのアイデアと若者の意欲が、地域の活性化を生む。
スモールビジネスが巨大事業に発展した事例はいくらでもある。
成功が見込める段階にくれば、投資を拡大する。
スモールビジネスの成功は1%未満。失敗は4割程度。維持できる程度の経営は6割弱と見込んでいる。
この成功の1%未満が発見できるかが、マネージャーの実力となる。
維持できる程度の経営はグループ化し、互いの力を利用し、利益率・効率を高める工夫をする。
失敗の4割は、その人員を企業で確保し、一定期間は関連事業に従事し、ビジネスプログラムを受講してもらい、再挑戦の機会を与える。スモールビジネスなので投資額が少なく、挑戦者の負担も少ない。
主婦や若者は挑戦の機会を与えられ、失敗しても企業での仕事もあり、再挑戦の機会もある。
主婦と若者のアイデアを生かせる企業規模は、「維持できる程度の経営」のグループ化と再挑戦の機会が与えられる規模となる。
企業はこれから、若者の人口減により、人員確保が難しい時代となるので、スモールビジネスを事業部の代替としていく工夫が必要です。
スモールビジネスの経営機能が重複し経営資源面での無駄が生じることに対しては、経理管理者と経営管理者を入れる。新商品、新サービスが生まれやすくするためのグループ会議を定期的に行う。
スモールビジネスの定期的な見直しによる事業計画の組み換えや、グループの調整、コーディネート機能の強化は、グループ会議制とする。
以下、スモールビジネスグループ経営戦略はSBGと省略する。
SBGのメリットとしては、(1)企業内の滞った血の流れを改善し、市場の変化を迅速に捉える(2)事業利益責任が明確になり、業績向上に向けたインセンティブが働く(3)本社部門の古い非効率な事業運営の負担が軽減され、本社部門がより戦略的な未来モデルに集中できるようになる(4)SBG代表者に経営者としての経験を積ませることができる。
企業の大きな変化やグループの相互の関係には、必ずコミュニケーションギャップが生じるので、メディエーション研修は必須とする。接客技術にも繋がる。
マネジメント・問題解決能力向上のための研修も必須とする。
SBG関連事業部門は、社会福祉と住民サービスの充実、特産品振興と集客交流、ITと語学による対外貿易振興を3本柱とする。
女性が仕事をすると少子化が進むのではないか?は愚問であった。女性労働力率の上昇と出生率の上昇は同時に進んでいる。理由は家計の安定、子どもとはなれて気分転換が出来る。
量産技術向上による過剰生産によるデフレ状況に、SBGによる多様な需要にこたえることが出来る体制こそ、次世代経営のモデルとなる。
人口減少社会や高齢化社会による需要低迷時代に、郊外型開発事業は供給過多となり投資効率は落ちる。コストに収益が伴わないものになる。低コストで効率のよい事業は、市街地の空き地利用と、田舎の活用が、逆説的なように思われるが、SBのグループ化の効果による『次世代型組み合わせ活性化ビジネスモデル』となる。
中高年や中小零細企業に投資や協力は行わない。自力で行うべきである。むしろ、古い人間関係や商習慣の馴れ合いは手かせ足かせになるので更地にして、ゼロからの成長率の高さを目指す。
企業がトップダウンで開発商品化するものは、競争の激化による開発スピードと費用を求められ、収益になるまでに次の商品化が求められるので、国際競争の中で収益をあげるのは至難の業となる。
地方の基幹企業にとって「優雅で、楽しくて、ためになる、地方ブランド開発」こそ、生き残る道となる。
ナンバーワンではなくオンリーワンは企業を縮小弱体化させた。大企業に対する中小企業の戦略であったが、事実は大企業を防衛するための口車であったのです。やはり、創意と工夫によるナンバーワンを常に求めなければならないでしょう。低消費時代は保身による後退は命取りです。マシンガンのように止めなく打ち続ける工夫が必要です。皆の創意工夫を生かすSBGが有効です。
高齢者人口の増加による医療介護の需要が急増する。2020年から2030年にかけて、この分野で成長のない企業は、時代に置いていかれることになる。が、大変な人材難も訪れる。SBGの創意と工夫が医療介護分野に大きく貢献することは間違いがない。
特に、都会では地価も高く高齢化に供給は追いつかないので、地方は都会の高齢者を引き受けるビジネスチャンスが広がる。主婦の空いた時間を有効に使える「主婦のお助けクラブ」といった、スモールビジネスもグループ化することで有力な介護事業となるだろう。
私の個人的な意見だが、大きな災害が予想される都会から高齢者は離れた方がよい。温暖な気候の瀬戸内は高齢者の余生に最適であることをアピールしたい。瀬戸内海の風に魚が美味い、そんな施設は魅力的だ。手厚いリハビリと介護を実現した、庭付き一戸建て施設も実現したい。
かわいらしい庭付き一戸建て、あるいは優雅な庭付き一戸建てで、楽しい余生を暮らすための時間を提供するビジネスモデルです。医療を伴う介護が必要になったときは、近くの街中のグループ内高齢者施設と連携する。
「消費の対時間性」という考えがある
『デフレの正体』―― 経済は「人口の波」で動く 藻谷浩介著 角川ONEテーマ21
を読んでもらいたい。
174p
『――現代の先進国において絶対的に足りないもの、お金で買うこともできないのは、個人個人が消費活動をするための時間なのです。
最も希少な資源が労働でも貨幣でも生産物でもなく実は消費のための時間である、というこの新たな世界における経済学は、従来のような「等価交換が即時成立することを前提とした無時間モデル」の世界を脱することを求められています。』
172p
『人口の減少は、国民が経済活動に使える時間の総合計=人口×365(366)日×24時問(これを「国民総時間」と仮称させてください)の減少でもあります。不可避の人口減少に伴い日本の「国民総時間」がどんどん減っていく中で、GDPを成長させる(あるいは一定に保つ)ためには、国民一人一人の一時間当たりの生産水準と消費水準をどんどん上げていかなくてはなりませんね。前者の時間当たりの生産水準は、機械化や生産技術の革新などで果てしなく高めていくことが可能だと思いますが、後者の時間当たりの消費水準に関しては、これを際限なく伸ばしていくことが可能なのでしょうか?
生産しても消費されなければ、輸出に回すか在庫に回すしかありません。輸出に回すだけでは限界があるというのは、今世紀初頭の「戦後最長の好景気」の殼大の教訓です。在庫に回すのでは、三面等価でGDPの外形は膨らみますが、実態としては早晩在庫が腐るリスクを増やすだけです。ということで日本経済が成長できるかどうかは、国民一人一人の一時間当たりの消費水準を伸ばしていけるかにかかっているわけです。この水準を以下では「消費の対時間生産性」と呼びます。』
「自分が自分らしく、時間を過ごす」ことを提供するビジネスでなければなりません。施設という箱だけではいけません。ソフトの充実が充実した時間の消費を促す仕組みとして必要だということです。
『実測!ニッポンの地域力』藻谷浩介著 日本経済出版社
も同時に読んでもらいたい。
・ 深刻なのはアジアの人口減
・ 2025年に1,9倍に増える75歳以上人口
・ 高齢者増加が直撃する自治体財政
・ 就業者の加齢・減少が景気を失速させる
・ 消費の縮小が始まる
・ 専業主婦の3分の1が就労すれば
・ 工業振興だけでは地域経済は支えられない
・ 問われるのはモノづくり技術ではなく経営技術
・ 消費不況をもたらした小売店の過剰供給
・ 野放図な郊外開発が自治体を破綻させる
等の項目が興味深い。
時間とコミュニケーションギャップをマーケットにしたビジネスは、スモールのグループ化でしか組み立てられないでしょう。状況の微妙な変化を察知し対応を迅速化し、きめ細かなサービスの実現を、可能にするものは、事業者の意欲です。
『機会不平等』斎藤貴男著 文春文庫 を読んでもらいたい。
機会の不平等がいかに社会的な損失を与えているか、ひいては経済的な損失を与えているかを、考える機会にしてもらいたい。
医療や介護の不平等についても近いうちに取り組む。
※ 機会の平等が、ネクストマーケットです。
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「生と死を考える」11 高齢者帝国2010.07.22 Thursday
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「若者奴隷」時代 山野車輪 著 普遊社
“若肉老食”(パラサイトシルバー)社会の到来
を読んでその強烈な表現に驚いた。
191p
日本は・・・高齢者の支配がすみずみにまで及ぶ「高齢者帝国」となってしまっているんだ!!
194p
働く若者が高齢者の奴隷となってしまっている・・・日本の社会は腐りきっている!!
212p
あなた方高齢者は働かず掛け金の数倍の年金を受給している「年金ニート」であり
国家に寄生する「パラサイト・シルバー」なんです!!
213p
高齢者は現役世代の納めた年金保険料や国民の納めた税金
さらには今後若者や将来世代が納める税金にまで寄生し・・・
800兆円を超える借金を積み上げています!!
220p
自分たちだけが豊かな生活をするために未来へ借金を回すことに何のためらいもない
お前たち高齢者は・・・
何も生産せず若者や将来世代を苦しめたあげく日本を滅亡に追い込む寄生虫なんだよ!!
ゴミ以下のう●こ製造器だ!今すぐ姥捨て山に行って死ね!
221p
お前たちはあまりに欲深すぎるんだよ!
・・・・・
過激な表現に唖然としてしまう。
本の内容は著者がよく勉強していることを窺わせる。多くの資料に目を通し、統計データや図表を使い、分かりやすく説得力のある内容になっているだけに、過激な表現に戸惑いを覚える。
主要参考文献や主要参考ウェブサイトを見ただけでも、その膨大な量に、彼が只者ではないことが分かる。故に、この本の過激な表現は危険だ。
高齢者の福祉の問題は、高齢者の増大に福祉予算がついていかないのはもう誰の目にも明らかになっている。対策らしい対策は何も立てられていないのが現状です。
団塊世代の一斉退職で労働人口が減り、内需は一層冷え込むことが予想されるので、税収が増える見込みも無く、福祉の問題はより厳しくなっていくだろう。
高齢者は多額の資産を近い将来の医療と介護の為に蓄えたままで、消費には回らない。退職金で国債は売れるので、国家予算が今しばらく赤字でもギリシャのようになることはない。しかし、この団塊の世代の資産が医療や介護の為に使われ始め国債が大量に売られるようになったときのことを誰も考えていない。また、死亡したときの相続税に当てるために国債の売却が始まると、売却は留まるところを知らなくなり、日本の国債はデフォルトされる以外に道は無くなる。20数年後に日本はギリシャよりも危機的な状況を向かえることは間違いが無い。
高齢者に資産が集中していることが問題なのだ。1000兆円の大半を高齢者が持ち、800兆の国の赤字が支えられていることが危険水域にあるということです。大量の債券が高齢者層によって買い支えられていることは、売られるときも一斉であることを念頭に入れておかなければならない。高齢者が国債を現金に変える時が一時期に津波のように訪れる。
先ずしなければならないことは、相続税を無くす。現役世代に資産を分割し、資産を保有する層を広げなければいけない。
高齢者の安心の為に、介護を充実したものにする。公的保険の負担分は増やす。高額医療介護療養費保険を設計し、将来の医療と介護にかかる費用を計画しやすいようにしておく。必要以外は現役世代に相続して、消費してもらう。
高齢者の持つ資産を医療介護に投資してもらう。医療介護ファンドを設計し、高齢者に投資をしてもらい、その資金で設立した施設を高齢者に利用してもらう。また福祉に限定したスモールビジネスに資金を提供しやすい環境を作る。
要するに高齢者の資産を内需に向ける工夫がなければ、消費税を上げても税収は増えない。また、埋もれた女性の労働力を活用しなければ内需は冷え込む一方だ。稼ぎがないと、消費もない。
地域の女性が組んで介護グループを作り、自分たちの空いた時間を利用して地域の介護支援をスモールビジネスにして、収入にする。介護用品のレンタルをし易くして、必要な資金も低金利で提供する。複数のグループを統括するコーチングマネジメントを設定し、経営管理をしやすくしておく。地域の業者や施設や医療機関と高齢者の健康情報を共有化し、ケアマネージャーとマネジメントコーチの連携を密にしておくことがポイントとなるだろう。ビジネスに参加する地域の女性たちへの教育プログラムも計画しなければならない。
近い将来に深刻な医師不足から、絶望的な医師不足になっていく。高齢者の増加数に医学部定員増が追いつかないからです。医師が増える数が少なすぎて高齢者の医療需要に全く追いつかない。医療難民が大量に発生する。団塊の世代が政治的に医療を縮小させてきたので、自業自得ということだが、見殺しにも出来ない。期限付きで海外からの医師も必要になるかもしれない。が、言葉の問題もある。介護において、特別に教育された看護師の仕事の領域を広げる法整備が必要になるだろう。
病気にならないようにしなければならない。運動を中心にして、高血圧と糖尿をコントロールする健康管理が行われなければならなくなる。しかし、それも限界がある。
医療を効率的に行うには、介護老人保健施設の規制緩和と、特別養護老人ホームでの専門看護師による医療ケアを可能にしなければ、医療施設は持たない。
もうすぐそこに、高齢者の地獄が待っている。医師一人に対して、医療秘書、マネージャー、専門看護師のチームを作って、一日に診察できる患者の数を倍増させなければならない。国や地方の対応には危機感がない。どこかに姥捨て山があるのだろう。
消費税増税をしても、日本の高齢者人口の増加に社会保障費が追いつかない。世界一の長寿国は諸外国の前例では対処できない。北欧のような福祉を実現しようとすれば日本の消費税は30%を超える。もはや消費税増税議論では福祉は支えられなくなっている。高齢者を守るには、高齢者の資産が必要だということです。国債のデフォルトが起これば、高齢者自身が犠牲になる。自分の資産の社会的価値を考えてほしい。
・・・・・
マンガの話に戻るが、このマンガでは「世代会計」が紹介されている。
214p〜
アメリカの財政学者ローレンス・J・コトリコフ教授が1991年ごろから提唱している「世代会計」という考え方があります!!
世代会計とは現役・将来世代の負担によって成り立つ年金・医療制度などの社会保障における
分配政策の支出・収入の損得勘定を世代ごとに計算したものです
215p
秋田大学の島澤諭氏が算出したこの世代会計を見てください
(インターネットで世代会計の紹介を参照してください。表も出ています)
1940年生まれの65歳の高齢者は受益額が2901万円で負担額が1492万円だから1409万円の黒字
1985年生まれの20歳の若者は受益額が1947万円で負担額が4441万円だから2494万円の赤字
つまり高齢者と若者の間には最大3903万円もの世代間格差があるのです!
216p
高齢者は自分たちの世代が働かずに豊かな生活を営むために・・・
若者や将来世代から膨大な額の富を搾取しているのです!
そして下の方にある1億2171万円という数字は・・・
政府の将来純資産を将来世代一人当たりが背負わされる金額です!
・・・・・
世代会計入門 (インターネットで世代会計の紹介を参照してください。)
シルバー・ポリティクス
例えば、現在、消えた年金や後期高齢者医療制度が政治問題化していますが、2005年に生まれたばかりの世代と将来世代の負担の差は、現在の価値に直して1億円以上ある(1億円以上損をしている)わけですから、将来世代にとっては、純受益世代が消えた年金(ぐらいの金額のこと)で大騒ぎするのだったら、自分たちの負担削減についてももっとまじめに議論してくれ!となるでしょう。
しかし、わが国では、有権者の高齢化が進んでいるため(頭数だけではなく実際に投票に行く人数も)、高齢者に不利な政策は採用されない傾向が今後も続いていくと思われます。まとめ
結局、現状のような若い世代に負担を押しつける状況が継続していけば、(不毛な)世代間対立が激化してくことが容易に予想されます。世代会計にはさまざまな批判はありますが、世代間の負担の格差、という観点から(ともすれば高齢者に迎合しがちな)政治に規律を与える、つまり若い世代をもっと大切に扱えという圧力を与えるという役割を果たせると考えられます。
要すれば、世代会計を用いることで、政府の行うべき世代間の所得再分配政策の範囲を確定させ、特定の世代に過度な負担を負わせずに持続可能な社会保障制度を検討することができるのです。
繰り返しになりますが、世代会計とは、結局、損をする世代、得をする世代を特定化することで世代間対立を煽るのが目的ではなく、全ての世代が共存可能な、持続的な財政・社会保障制度を構築するための材料を提供するのが目的なのです。
・・・・・※ 詰まりは、高齢者の福祉は高齢者の資産を運用することでしか支えられない。
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「生と死を考える」10 3万数千個の落とし穴2010.07.16 Friday
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JUGEMテーマ:病気
穴がある。社会のあちらこちらに落とし穴のようなものがあって、誰かが不意に落ちていく。その穴に呼び名がついていて、自殺と名付けられている・・・。そんな穴が有るんだ・・・。
『「闇の中に光を見いだす」貧困・自殺の現場から』
清水康之 湯浅誠 岩波ブックレット780
57pを読んで、主張の確かさが心に染みた。
『・・・自殺は、極めて個人的な問題であると同時に、社会構造的な問題でもある。この12年間、自殺者数は毎年コンスタントに、ほぼ32000人から34000人という一定のレンジで推移しています。もし個人的な事情で自殺が起きているのであれば、ある年は20万人ぐらいで、翌年は2000人というような、増減があってしかるべきです。これはつまり、社会の中に3万数千個の落とし穴があって、穴に落ちた人、落とされた人から亡くなっていると解釈すべきだと。
だから、対症療法的に、穴に落ちた人を穴から引き上げる支援策だけでなく、社会のどこに穴があるのかを検証して、穴に落ちないようにセーフティネットを張っていくこと。埋められるのであれば穴を埋めてしまえばいいし、穴ができた原因を明らかにして、二度と穴ができないようにすることも重要です。そうやって、穴に落ちる人が出ないように、社会的な対応を取っていく。社会の仕組みとして、なぜ多くの人が不本意な死を強いられているのか、問題の根源にまでも追っていく。自殺だけではなく、孤独死や病院で亡くなる人もそうですし、もっと死から学び、学んだことを社会づくりに生かせるようにしていかなければならないと思います。』
56pにはこう述べられていた。
『・・・社会の豊かさの指針としてGDPやQOL(クオリティ・オブ・ライフ)が言われますが、みんなが死ぬという前提を踏まえれば、社会を測る当然の尺度として、豊かな死別体験を送られているかどうかというQOD、クオリティ・オブ・デスが必要なのではないでしょうか。』
なるほど、QOD、クオリティ・オブ・デスですか・・・。必要ですね。
どうも日本の現状はQODが低そうだ。
『「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ』
清水康之 上田紀行 講談社文庫
77pで上田は語る。
『上田―――「あんなふうに《負け組》になってはいけない」という恐怖感でみんなを駆り立てていけば、経済の再生が成り立つだろうというのがここ10年来の体制でした。
実は僕は、自殺問題を考えるときに、この恐怖心というものが強く社会の人の意識に働きかけているのではないかと思うんですよ。つまり、「自殺をしていく人のあの惨めな様子を見ろ」「あんなふうにならないよう、お前もせいぜい頑張れよ」という、見せしめとして自殺を扱う。
社会が自殺を、《負け組》の象徴として扱ってきた側面があると思うんです。
単純に「生産性」という側面から考えるならば、その「生産性」を生み出せない人間は悲惨な末路をたどるということを、言ってみれば見せしめとして「公開処刑」したほうが効果的なわけです。「ああならないよう、みんな働け、働け」というように。』
自殺が「公開処刑」になっている現実があるのか・・・。「見せしめ」とされているのか・・・。
湯浅は、こう語っている。
『1995年 未了の問題圏』中西新太郎 編 大月書店
149p
『・・・90年代後半に野宿者がどんどん増えていくのを見て、当時私は「日本社会に層として生活困窮者が生まれている」と言っていた。これだけ野宿が増えているということは、貧困層ができているはずだ、と。だから、ここを把握しなくてはならないのですが、野宿は野宿、DVはDV、シングルマザーはシングルマザー、障害者は障害者……とやっていると、それだけでは見えてこない。そこに一定の固有性はあり、成果も意義もあるとしても。』
153p
『・・・人間の定義がどこかで変わってしまったということです。つまり市場原理のなかで生き残っていけてはじめて、ないしはそのために努力するのが人間だ、という価値観です。そうでないものは、とくに何もしなくてもそれだけで秩序を乱す存在で、排除の対象になる。
新自由主義とはつまり、市場化されていない領域を市場化していく運動ですから、あらゆるものが市場化されていくなかで人間も市場化されてしまった。だから、リスクをとらない人間、自立のためにがんばらない人間は人間としての価値がない。』
敗者と勝者という区分けを作って、敗者を見せしめにしていく社会。自殺者がもっとも敗北した者の底辺に置かれる国のQOD、クオリティ・オブ・デスは低いだろう。
人生がうまくいかなかったり、失敗したりしても、再チャレンジが出来るサポート体制がある社会が人を活かす社会で、「死から学ぶ」ことでもあるだろう。「生きる」とは「生が生き生きしている」ことを言うのだろう。
『「うつ」を治す』大野裕 著 PHP新書
を読んでもらいたい。
123p 学習性無力感の研究
『・・・コントロール感覚が持てないと心身ともに疲れ切ってくるのは、動物一般に見られる現象です。そのことは、うつ病のモデルのひとつとしても注目されている、心理学者セリグマンの学習性無力感の研究からもわかります。これは、「自分が何をやっても無駄だと思うと動物は何もしなくなる」ということを動物を使って実証した研究です。
まず、犬をハンモックに縛り付けて電流を流します。犬に、電気ショックをかけるのです。そのときに、鼻でスイッチを押せば電流を止めることができるようにしたスイッチ群と、電気ショックの機械とつながっていない偽のスイッチを使って、何をしてもショックを止めることができないようにした偽スイッチ群とに犬を分けて実験します。
電気が流れて脚にビリッとショックがくると犬は何とかそこから逃げようとします。そのときにスイッチを鼻で押すと、電気ショックが止まります。そのことを発見した犬は、「あ、これはいいものを見つけた」と、電気ショックが流れても自分の力でそれを止めることができるということを学習するようになります。ビリッとくると鼻でスイッチをボンと押して電気ショックを止めることを学習して、自分がある行動をすれば良い結果が出ると思えるようになるのです。
ところが、偽のスイッチしか使うことができない群は、どうしても電気ショックの苦痛から逃げることができません。ビリッときたときに、偽スイッチを鼻で押しても全然なんの反応もないと、自分が何をやってもその危機的な状況は乗り越えられないと思うようになります。そうすると、次第に犬の動きが鈍くなってきます。何をしても無駄だという感覚になっているからです。この犬は、自分が無力だということを学習したことになります。』
無力というのは学習して得られる感覚なのだということが分かる。そして犬は、弱々しくうち震えながら苦痛に耐えるだけとなる。
「自分が何をやっても無駄だと思う」社会ではいけないのです。
自殺対策支援センター ライフリンク のホームページを見てもらいたい。
現代日本社会の自殺の多くは、
社会的な対策があれば「避けることのできる死」です。
その意味で、
自殺対策とは「生きる支援」「いのちへの支援」でもあると言えます。誰も自殺に追い詰められることのない社会。
自殺で大切な人を亡くした人が安心して悲しむことのできる社会。
それはきっと、自殺とは無関係と思っているひとりひとりにとっても
生きていて心地の良い社会であるはずです。と書いてある。
ライフリンクの活動の柱は大きく分けて5つあるらしい。
1、自殺対策の枠組みをつくる
「自殺対策基本法」「自殺対策100日プラン」
2、自殺の実態調査
「警察が持っているデータの分析」
自殺対策には、[地域別の実態」と「自殺に追い込まれていくプロセス」の両方のデータとその解析が必要です。プロセスの調査は我々がやっているからいいのですが、地域のデータは警察しか持っていません。
3、自殺対策の都市型モデルづくり
足立区と協定
4、行政への監視
行政がきちんと「自殺対策基本法」に謳われている地方公共団体の責務に基づいて、対策を行っているかをチエックするものです。もしやり方が分からないというのであれば、我々が行っている実態解明やモデルづくりを参考にしてもらい、対策を立てることができます。
5、あらゆる活動を啓発に繋げる
私たちとしては足立区のモデルを研究してみたい。
『「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ』にはこんなことも書かれてあった。
211p
『・・・たとえばローンを組んで家を購入した後にリストラされてしまった人が、借金を返済するために購入した家を売ろうとしても、そのときにはすでに物件価格がガタ落ちになってしまっていて、もはや売ることもできない・・・、ということが普通に起きてくるわけです。購入時の何分のーかの価格でしか売れない、ということになったら、組んだローン分には到底届かずマイナスにしかなりませんから、物件を手放すこともできずに、呆然と立ち尽くすしかない。
そこで、そうならないための手段として、すぐに思い浮かぶのが生命保険です。
自分に掛けていた生命保険さえ下りれば、そのローンの返済に充てることができる。そうなれば、少なくとも今一緒に住んでいる家族は救うことができると。』
213p
『清水―――つまり、「人に迷惑をかけたくない」という責任感が強い人ほど、「自分が死にさえすれば、すべては解決するんだ」と思ってしまう、思わされる仕組みになっているわけです。
ですから、そうやって人を自殺に追いやるような制度や慣習は変えていかなければなりません。』
自殺対策とは人を生かす・活かす対策です。念頭に入れて取り組みましょう。
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民主党が敗北した理由2010.07.13 Tuesday
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JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政
民主党が敗北した理由を「消費税発言」だと民主党が総括している限り、民主党の再生はない。消費税だと言うのなら、自民党も敗北するW敗北であったはずだ。結論から言えば、菅内閣は選挙を知らなかった。選挙における三種の神器とは嘗て、地盤・看板・鞄だった。しかし、小泉選挙以降の三種の神器はフレッシュ・リーダーシップ・アジェンダとなっている。
フレッシュとは、新鮮なイメージです。古い政治体質や利権にまみれた印象を拭い、新しい時代に果敢に挑戦しているイメージです。党が時代に合わせて生まれ変わって、未来を力強く見据えている姿を示し、挑戦者として立ち向かっている一生懸命な爽やかさを言っています。
リーダーシップとは指導力や計画の実行力を示すことです。短期間に発言がころころと変わるようでは信頼を得られません。日本の政治が変わるには強いリーダーシップがなければ、変わらないことを国民の知るところとなっています。今回の菅総理はリーダーシップに欠けていました。皆さんの知るところです。
アジェンダとは行動すべき指針で、マニュフェストのメニューのようなものです。マニュフェストを説明するには時間がかかります。手っ取り早く、なおかつ本質を説明するために、簡潔に述べることが選挙では求められます。コマーシャルで商品を売るためのコピー・宣伝文句だと思ってください。
政治に「新鮮な魅力」が求められるようになったのは新自由クラブの時代です。「自民党はすでに歴史的役割を終えた」として1976年「保守政治の刷新」を掲げて新自由クラブは結成されています。結党直後の12月に行われた第34回衆議院総選挙では一挙17人を当選(さらに追加公認1人)させて党勢を伸ばしました。この時代から、民意は政治に「新鮮な魅力」を求めるようになっています。
この選挙はロッキード選挙と呼ばれ、「無党派」票の獲得が選挙戦の鍵となることを示した選挙となっています。ロッキード事件を他党も金権・腐敗性政治として批判しましたが、フレッシュなイメージをもつ新自由クラブへ票が移っていきました。
無党派層は徐々に数を増やし有権者の60%を超えたのは森内閣からです。政治不信が無党派層を増やしてきました。無党派層は大きく分けて二つに分かれます。選挙に行く無党派層と選挙に行かない無党派層です。どれぐらいの割合で選挙に行くのかは選挙の争点にもよりますが、今回の場合は支持政党を持つ人達で選挙に行かなかった人達を少なく見積もって5%と考えて、無党派層の約半数は選挙に行ったことになります。選挙に行く無党派層も二つに分けることが出来ます。選挙を国民の義務と感じている人と権利だと考えている人です。政治を変えたいとはっきり意思を持つ、権利意識を持つ無党派層のほうが圧倒的に多い。なんのしがらみもないのに選挙に行くのは政治に高い興味を示しているからです。
少し前までは、無党派層は与党に批判的な人が多かった。現状への不満・不信が野党、反体制への票になっていた。現在では、そういった認識を持つ一方通行型政党は現状分析力が弱いと言わざるを得ない。現在の無党派層は単なる不満・不信ではなく政治満足度で投票行動を起こしている、成熟した無党派層が増えている。
成熟した無党派層も二つに分けられる。ひとつは支持政党を持つ人々よりも論理的に政治を考えている人達で無党派層の約2割と考えられる。この層を私はリベラル無党派層と括っている。もうひとつ、確かな知識はもっていないが、其の時の選挙で政党・立候補者が示した政策課題で投票先を決定する、アジェンダ無党派層、と私は言っている層がある。この層を無党派層の4割と考えている。残りの4割は政治に全く興味を持っていない人達や、成熟していない無党派層と分析している。この6割の成熟した無党派層をターゲットにした選挙の取り組みが必要だということになる。この層は支持団体による組織戦より遥かに数が多い。当然のことながら組織票に頼っている政党はジリ貧となる。
無党派層の多くは現状では、風ではない。無党派という組織だと考えるべきです。リベラル無党派層とアジェンダ無党派層にどれだけの政治満足度を提供できるかが鍵となります。正直に言って渡辺党首がアジェンダの党と言った時には驚いた。
このような傾向がいつからはっきりしてきたのかは、小泉・郵政選挙からです。この選挙を劇場型と捉えるのは表面的だと思える。フレッシュ・リーダーシップ・アジェンダの三種の神器が明確になった選挙と捉えて、選挙分析をするべきでしょう。選挙は壺にはまらなければ勝てない。
政治に強いリーダーシップが求められるようになったのは、英米の影響です。サッチャー、レーガンの指導力が日本にも求められるようになっていきました。首相がころころと変わって、有効な政策が打ち出せないイメージと急成長する英米との比較が、強いリーダーシップを望む声を生んだのです。小泉政権を愚衆がファシズム的に流されていったように言う人がいますが、とんでもない誤解です。
今回の選挙でも、イギリスのキャメロンが「これが財政再建策だ」とブリーフケースを突き出す力強い姿と菅首相のぶれた発言は対照的でした。
マニュフェスト選挙ではなく、なぜアジェンダ選挙なのかは、街頭演説の時間と、テレビ枠に影響しています。短時間に有効なキャッチフレーズをどれだけ有権者の頭の中に叩き込んでいくのかという計算が必要です。これからの選挙はコピーライターの力が物を言う時代になってきました。
菅総理が消費税10%を口に出したとき、「消費税増税の前にすることがあるでしょう」というキャッチを前面に出した、渡辺党首の早い決断、立候補者を束ねるリーダーシップ、センスのよさが光りました。党内でコンセンサスを得られていない議論を選挙で持ち出すのは、有効なキャッチコピーを作れないどころか、首相のリーダーシップにも政治責任にも不審を抱かせるマイナス要因となりました。私がもし党首であれば「公務員の削減、無駄の排除、国民生活向上」の三点でこの選挙を押し捲ったでしょう。政権与党だから出来る政策を打ち出すことで、新しい与党の存在感をアピールすることが出来た。勿論、みんなの党の躍進もこれほどではなかった。
コマーシャルに学ばなければいけません。何を売るのかをはっきりさせる。また、オーム返しのようでも飽きられます。落語でいう「気の利いた枕と落ち」をいつも頭に入れて、有効なキャッチコピーを叩きつけるテクニックが必要です。
テレビでは明るく新鮮で、一生懸命なチャレンジャーを、与党であっても演出しておくこと。街頭演説では「聞く耳」があることを強調すること。テレビでは、相手の政党の主張に「聞く耳」は必要ありません。ぶれた指導力のなさが強調されるだけです。チャレンジャーは主張するのです。
候補者は政策を一言で魅力的に述べるトレーニングを積んでおくこと。そして、あなたの意見が政策に活かせる準備があることを、有権者にアピールしておくことが必要です。「あなたと一緒に未来を作る政党」であることを強調しておくことがポイントです。官僚的上から目線の発想ではない、政治家の双方向性を印象付けることです。
これからの選挙では、投票率の低い青年層の大票田をいかに育てるかが課題になります。青年層と「正義と社会性」について話し合う機会を多く作ることが政治団体に求められます。多くの課題は焦点を曖昧にするだけなので、財政も経済も教育も医療も環境も「正義と社会性」という、市民意識に絞っていきます。自分が参加することで、未来が変わることを学習することが必要です。これを成し遂げた党が10年先の政権与党となっているでしょう。
なぜ無党派層は増えたのか?簡単です。民主主義だからです。自由と責務が個人に委ねられるようになったからです。民主主義のルールは自分のことは自分で責任を取ること。そして、責任が取れることが民主主義への参加条件となっているからです。しかし、皆が皆、条件が満たせるわけではないので、国や組織の介入は条件を満たしていない場合に限られる、ということになります。
ですから、これからも無党派層は拡大していきます。しかも、政治への参加意識の高い無党派層が拡大していくので、有権者はアジェンダの先を求めるようになります。本格的なマニュフェスト選挙の時代がきます。これはインターネットと深い関係を持つようになります。インターネットでいつでも気軽にマニュフェストを手に出来るという利点からです。新聞のように一回性ではないからです。チラシや冊子等の紙はごみになります。特別な事情がなければ紙ベースを必要としない時代が来ています。
しかし、現在のインターネット情報によるマニュフェストは不十分だとしか言いようがありません。アジェンダの延長線にあって、簡単な説明だけに終わっている不十分なものです。政党への質問もほとんど返ってこないということも聞いています。私のように政治家に時間を作ってもらって直接聞ける環境は誰にでもあるわけではないので、政党はここに人員を配置することで丁寧な対応を心がけることが直接に票に結びつくようになっていくでしょう。
支持する政党があっても、支持政党に投票せずに、今回の選挙はこの政策に投票しよう、と考える人もますます増えてくるでしょう。
みんなの党の課題は、地方における選挙協力です。独自で地方組織を作ることは時間と莫大な金が必要です。オリジナルな地方組織を作るには、来年の統一地方選挙でどれだけの足がかりが作れるかが鍵になります。総選挙の小選挙区制は無党派層だけでは勝てません。みんなの党が政権をとるには、大阪の橋本知事の「維新の会」と連携をとり、全国の議会に「みんなの維新の会」を作ることがベストです。他党は維新の会より、フレッシュなイメージの組織を意識化しておきましょう。
結論:民主党は実はものすごく古い体質を持っていると思われた。菅総理の指導力に疑問が持たれた。支援組織に頼りすぎた。以上が民主党敗北の原因です。
選挙は技術だけではなく、政党の中身が大切なことは言うまでもありませんが、いくら正しいことを言っていても技術が未熟であれば票に結びつかないことも事実です。
政党の皆さんは、くれぐれも、フレッシュ・リーダーシップ・アジェンダの三種の神器をお忘れにならないようにしてください。
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菅首相への提言2010.07.05 Monday
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JUGEMテーマ:政治全般〜国会・内閣・行政JUGEMテーマ:日常
菅政権の支持率が落ちているのは、消費税増税発言に端を発しているが、消費税増税そのものの影響はそれほど大きなものに思えない。消費税の議論を通して菅総理の優柔不断さと、論理の上滑りが目立ったからだろう。
強い経済、強い財政、強い社会保障が共に成立しないことを各界より具体的に示されて、国民にその必要な政策の実現への不信感が広がっている。
2012年にデフレを脱却できる根拠がない。仮にデフレから脱却して高い経済成長が実現しても名目成長率と金利が同じように上昇し、財政収支は悪化する。財政赤字を増やさない為に目標や希望は示されているが具体策がない。医療や介護の分野が成長産業だとしているが、成長させるための壁となっている厚労省改編案や法律改正が示されていない。
「菅さんの非常識が世界の笑いものになっている」とまで、G20で評論家に言わせてしまった。日本が例外視され、現政権の能力を否定された結果になったことは、国民の一人として悔しい。
財政の危機については首相も真剣に考えているようだが、どうも経済と社会保障に関しては専門知識が不十分のように思える。
不十分だとしてもチームワークで解決していけばよいのだが、問題解決のためのリーダーシップに欠けているのではないか、と思われてしまった。発言が2転3転とするようでは、総理の決意も見えないし、他党の提案を前提条件なしに議論するようでは、党の責任が曖昧であるし、政策実現に必要な既得権益に対抗できる力強さも見えてこない。
国民が求めているのは総理の強いリーダーシップだろう。日本は大変な悪循環の中にいることは国民のほとんどが認識している。これを断ち切るには、先ず、強い決意で戦う姿勢を示さなければならないが、菅首相は官僚や支持団体や党内の批判意見に、脆い面を見せてしまった。
イギリスのキャメロン首相と比較してみよう。
キャメロンが首相になる前に、首相英中央銀行、イングランド銀行のマーヴィン・キング総裁が、「どんな政権になっても厳しい財政再建が迫られ、今後30年間は政権の座に戻れないだろう」と知人に漏らしたと報じられた。キャメロン連立政権がどのような財政再建を示すかが注目された。
英国の選択。キャメロン連立政権は最優先の財政再建策が試金石となった。
キャメロン首相は次のように信念を述べている。「歳出カットによる痛みはこれから何年も続くが、目的のある痛みだ。われわれがおカネを借りれば借りるほど、返済する金額は大きくなり、危険が高まって、金利は上昇する。われわれがなにも対処しなければ、国債の利払い費が教育費や国防費を上回るだろう。適切な政治家の手腕とは、正しい行動を取り、国民になぜそれを行うことが必要なのかを説明することにある」。
最近の英国の世論調査によると、キャメロン政権が5月下旬に発表した第1弾の歳出カット案を3分の2の有権者は支持し、反対は16%にとどまっている。ということです。
英政府は財政再建のため、日本の消費税にあたる付加価値税の税率を、現在の17.5%から20%へ引き上げることなどを盛り込んだ緊急予算案を発表。
「財政再建の目標」について
2015年までに財政赤字の対GDP比率を10.1%から1.1%に減少
英政府支出は、前年比で11年19.3%減、12年は8.5%減が想定
「歳出削減の目標」について
4兆円の歳出削減
「税制の変更」について
付加価値税を引き上げ、銀行税を導入、法人税率を引き下げ
削るべきものは削りつつ、全体のバランスをとる。英公債管理局(DMO)は今会計年度の国債発行額を1650億ポンド(約22兆2000億円)と、従来の1852億ポンドから減額と発表。
取り組みとして、年間20億ポンド規模の新たな銀行税を導入。年収2万1000ポンド(約280万円)以上の公務員の昇給の2年間凍結。子供手当を3年間停止。年金支給年齢の引き上げ等の福祉給付の抑制で、政府歳出の大幅削減を実行することにより、15年度には200億ポンドに減らす方針を示した。
銀行税は独仏と歩調を合わせ資産規模に連動する形で11年から導入する。景気への影響を和らげるため、法人税の基本税率を14年までに28%から24%に引き下げる。付加価値税導入で打撃を受ける中低所得者対策として、所得税の課税最低限を引き上げる一方、高所得者層を対象に株式譲渡益課税を引き上げる。
しかし、財政支出を切り詰めれば失業率が上昇、景気回復を中折れさせる恐れは十分にある。
日本では
首相の強いリーダーシップが求められている。
財政健全化目標:遅くとも15年度までに、国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)の赤字対GDP比を10年度から半減させ、遅くとも20年度までに黒字化する。21年度以降、公債残高の対GDP比を安定的に低下させる。
中期財政フレーム:11年度の新規国債発行額は、10年度予算の水準(44・3兆円)を上回らないものとするよう、全力を挙げる。11〜13年度において、国の一般会計歳出のうち国債費等を除いた基礎的財政収支対象経費が前年度(10年度70・9兆円)を上回らないようにする。今後3年間のこうした歳出の大枠は経済・財政状況に応じて毎年度見直していく―――。(週間ダイヤモンド7月10日号参照)
税制の変更:決定事項なし
大枠ははめられたが、具体策やスケジュールは示されていない。目標と実情にあまりにも乖離が大きいことも指摘されている。
消費税の逆進性対策として複数税率や納税者番号制度による給付付き税額控除が挙げられている。6月29日の「社会保障・税に関わる番号制度に関する検討会」では、「税務分野のみで利用するドイツ型」「税務+社会保障分野で利用する米国型」「幅広い行政分野で利用するスウェーデン型」の3案が提示されている。
私の個人的な意見としては税・公的保険・年金・所得保障を合わせた世界に類のない形のものを、地方分権の柱にすることが望ましいと考えています。
つまり、経済、財政、社会保障を国民生活側から大きく一本化して捉え、生活に密着した形の「給付付き税額控除」が必要でしょう。事業者にも消費者にも、事務負担削減のための番号制は必要です。消費税の逆進性対策と、これで2割以上の公務員削減が出来る。
経済では不況と言われていますが、円高の影響で、ドルベースでもユーロでも個人金融資産は減っていません。外国から稼ぐ金利配当収入の所得黒字も09年に16兆から13兆と減少していますが、依然堅調です。日本の貿易黒字も相手国の経済の落ち込みで落ちているものの、日本のブランド力は健在で依然高い黒字を維持している。財務省国際収支統計を見てください。日本のブランド力で言えば、トヨタのことはとても心配しています。
問題は将来的なブランド力の強化と、経済の老化現象による「内需縮小」です。
次世代ブランド力について簡単に提案しておきます。
日本の農林水産業の人と技術のブランド力を徹底的に高める。
○世界中の国に人口増と都市化が進めば、最も問題となるのは砂漠化です。
先ずは、安田喜憲の『森林の荒廃と文明の衰退』『文明は緑を食べる』を読んでほしい。
1988年にこの論文と1989年にこの書を読んで強い衝撃を受けた。これが世界を救う。※ オアシスの定義とは、ポプラ等の防砂林と水が蓄えられた治水工事がされていることとしたい。
日本の上下水道技術を集中的にレベルアップする。そして世界トップの植林技術を活かす。・日本庭園の美しさを見よ。庭園技術は世界を席巻する有力なビジネスに成り得る。
・〖スーパー緑化都市開発事業〗と名付けたい。何故スーパーなのかはスーパーコンピューターを導入し、将来の都市設計まで照準に入れておこうということである。
・食料自給率が低いといわれているが、実は日本の農林水産の技術は世界のトップにある。
・日本のITと上下水道技術と農林水産技術をパッケージにして販売するのである。組み合わせることで、世界中のどこを捜しても日本の技術力と勝負できる国はなくなる。
・都市の基本設計は緑化と上下水道からが基本です。この根幹を握る。
※ 事業規模は恐らく1京円をはるかに上回る。※ 観光としてはディズニーランド形超大型ファッションシティーの建設である。
ファッションだけではなく、電化製品、自動車、手工業品、食料品等、徹底的にオシャレな少数希少品のバザールシティを目指す。デザイナーと技術者の育成。
・徹底的に楽しい、オシャレ、超大型、最先端が最低条件である。カジノの発想は古い。
そして、最先端のオシャレと日本の古都めぐりという、ギャップの面白さを観光にする。古都では街と自然の調和の美しさをカタログとする。
※ 医療と介護においては、理想として、インフラ整備・公共投資で医療と介護のためのミニシティを建設し、特区として自治も認める。このミニシティでは貯蓄はいらない。高齢者の資産は次世代の産業に投資していただいて、相続税は無くす。富める者も貧しき者も区別はあるが、等しく幸せな看取りを実現する。
日本がまだ少し余裕のある間に、思い切った経済・財政・福祉の将来像を作っておきたい。首相のリーダーシップにかかっている。批判を恐れてはならない。キャメロンの真似をすることではない。彼のリーダーシップに見習いながら、日本が世界の将来像を示す政策案を立てようということです。
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「生と死を考える」9 あるスターの死2010.07.03 Saturday
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JUGEMテーマ:日常
韓流スター、パク・ヨンハさんの自殺が報じられている。韓国も競争が激しい国なので、自殺者は減らない。激しい競争社会を支えるには、支えるための論理が必要です。頑張れ、負けるな、追いつけ追い越せは、落ちこぼれた人にとって敗北感や挫折感も当然のように強くなる。競争社会が悪いと言っているわけではない。自分の競争意欲を高めるために、他人を非難する人が出てくることが問題だと思う。
競争社会に疲れた人が休養を十分にとって、再び社会に復帰できる仕組みが必要だとも思える。激しい競争に疲れた人を、無理やり引き摺り回す社会ではなく、暖かい皆の目で、「ゆっくりと休んでおいで」と休養を取り、再起が容易な社会が健全だと思えるのです。
儒教の国だから、仏教の国だから、キリスト教の国だからということは関係がない。その宗教が、疲れた時には休みにおいで、と十分な安息を与えてくれるように機能しているか、ということが問題です。人は休息が必要なのです。十分な休養が取れる社会は自殺も少ない。休息には良く寝たり、遊んだり、自分磨きに普段出来ないことに挑戦したり、勉強したり、と人によって様々ですが、「よく寝る」ということが、人の充電には最も大切なことです。死というリセットを選ばないためにも、十分な休養というリセットが必要なのです。
韓国の行政官は、最近韓国で自殺が増加している原因は主に2つあると言っている。「1つは景気後退によるもので、もう1つは相次ぐ芸能人の自殺が引き金になっている。」芸能人が自殺すると、自殺相談件数は普段の2、3倍に増加するらしい。
日本でも韓国でも行政官は、原因に行政の取り組みが不十分だという理由はあげないようだ。「眠れていますか」「十分に休養が取れていますか」と、疲れた人に休養が気兼ねなく取れる社会システムを作ることが必要です。疲れた人がいつでもどこでも相談できる体制が準備できていない、行政に責任があるのです、とは行政官は言わない。あくまでも世界的な不況や個人の問題に摩り替えていく。それはひとつの要因の入り口でしかない。
年代によって自殺の理由は異なるようだ。
高齢者の自殺は、一人暮らしの人は自殺が少ないようです。家族に迷惑をかけてはいけないとか、生命保険のお金を残そうと死ぬ人が多いと聞いて、悲しい思いをしています。そして、詫びながら死んでいくことが、とても悲惨だ。
最も悲惨なのは子どもがいじめを苦に自殺することだろう。
そして、人生の目的を失って、社会に絶望して死ぬ若者だろう。
働き盛りや若い世代のとても疲れた人に「弱気になるなよ、頑張ろうよ」という言葉は、自殺へ頑張らせてしまう。「今は無理をするときじゃないんじゃないか、休もう、ゆっくり寝られる時が必要なんだよ」と、義務感や責任感を軽くしてあげる必要があります。
とても疲れていても「頑張れ、頑張れ」という、時間を少しでも惜しむ気持ちや、少しの休養も勿体ないと思わせる社会の呪縛が問題なのです。
私が好きな歌に、昔に水前寺清子が歌っていた三百六十五歩のマーチがあった。
・・・・・
三百六十五歩のマーチ
星野哲郎 作詞
米山正夫 作曲ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツーしあわせは 歩いてこない
だから歩いて ゆくんだね
一日一歩 三日で三歩
三歩進んで 二歩さがる
人生は ワン・ツー・パンチ
汗かき べそかき 歩こうよ
あなたのつけた 足あとにゃ
きれいな花が 咲くでしょう
腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ
ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー・・・・・
とても良い歌なのだが、少し気になるところがある。
「休まないで 歩け ソレ」という部分です。
「少し休んで また 歩こう」としていただければ、高度経済成長期の歌ではなく。安定成長期の歌になるような気がします。
「あしたのあしたは またあした
あなたはいつも 新しい
希望の虹を だいている
腕を振って 足をあげて」2番の歌詞ですが、いい歌詞です。
3番の歌詞を見ると、高度経済成長期を象徴するような歌詞になっています。
「しあわせの 隣にいても
わからない日も あるんだね
一年三百六十五日
一歩違いで にがしても
人生は ワン・ツー・パンチ
歩みを止めずに 夢みよう
千里の道も 一歩から
はじまることを 信じよう
腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ」安定成長期版、三百六十五歩のマーチでは、こんな感じはいかがでしょう。
「しあわせの 隣にいても
わからない日も あるんだね
一年三百六十五日
一歩違いで にがしても
人生は そんな日もある
隣の笑顔と 手をつなぎ
千里の道も 一歩ずつ
励ましあって 夢みよう
腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
少し休んで また 歩こう」星野哲郎先生、勝手なことを言って申し訳ありません。
「男はつらいよ」の主題歌も大好きです。
歌手:渥美清
作詞:星野哲郎
作曲:山本直純
「どぶに落ちても根のある奴は いつかは蓮の花と咲く
意地は張っても心の中じゃ 泣いているんだ兄さんは
目方で男が売れるなら こんな苦労も
こんな苦労も掛けまいに 掛けまいに」私は腰を痛めるまでは、冬山が好きで、一人で豪雪の山に登っていました。誰にもお勧めはできません。それこそ十分な経験のない人にとっては自殺行為だからです。
何のために。自分を徹底的に叩き潰すためにです。スノーシューを履いていても胸まで沈む深い雪や、アイゼンを跳ね返すような氷の峰で、ひとり、透明になっていく、恐怖感を掏りぬける時の虜になっていました。死ぬかと思うことも何度もありましたが、内緒にしていました。テントの中で三百六十五歩のマーチや寅さんの主題歌なども叫んでいました。
「この空の四方に門があるというこの雪山に扉はありや」
「埋もれたる深雪の闇に失いし空の行方風の行方」
「地獄へと重石を運ぶ道ずれに影や魔物をしたがえて往く」
という短歌を帰りの温泉で作ったりもしました。
私にとっては良いリセットの時間でした。人生に調和を求める、自分なりの方法を身につけることが必要だと思えるのですが、そんな時間に余裕のある暮らしをしている人は多くない。
人生が順風満帆に進む人のほうが少ない。地獄の苦しみに落ちることもある。そこに、決して切れないカンダタの糸が必要なのです。人は煩悩の塊なので、苦しい時は大きく受け止める、社会のゆとりが必要だと思えます。
私は20代のころ、とても辛いことがあり、海へ行ったことがあり、空き家を借りて半年ほど漁師をしていたことがあります。私がとても真面目な社会人だったら、その海で死んでいたかもしれません。とても適当ないい加減な性格をしていたので、漁師をしながら立ち直ることが出来ました。本当につらい時は数ヶ月ぐらい休めることが、今になって必要なのではないかと思えます。長期休暇が気兼ねなく使える社会になると、自殺者の多くは救われるのではないでしょうか。
・・・・・
相談したら、反対していただろう
貧しい 小さな 港町に あばら家を 買って
漁師を することにした 相談したら 反対していただろう
都会の海で 沈んでしまった 俺を 釣り上げようと
小さな 船と 暮らすことにした 突然で 悪かった
昔 雪山で 深海を 見たことがある
どんなに 深い 空にでも ほんの少しは 近づける
捨ててあった 網を 繕うことから 始めた
新しい 網で すくえないものがある そんな 海へ来た
いつも風が強い この港に住む人の 深い皺に引かれた
荒れた 海を見てきた 小さな灯台の 白いペンキの色が好きだ
浜辺の 錆びた 錨に 張り付いた 乾いた海草
少し千切って 口にすると この町が自分に 似合っているような気がした
子供のころから カモメを見ていることが 好きだった
魚売りの ばあさんが 小魚を投げている そんな風景が好きだった
砂浜の 貝殻で足を切ったり クラゲに刺されたり 釣り針に引っかかったり
いたずらを叱られたり 少し痛い 思い出が 懐かしい
朽ちた船を沈める 入り江がある 都会では この景色を
いつも見てきた 酒場だったり 公園だったり ビルの屋上だったり
いつも 海を懐かしいと 思ってきた
夜光虫や 船の灯を 思い出していた こんなヤワナ手で 漁師になれるだろうか
波が牙をむく 嵐の夜に この町に住みはじめたことを 実感した
怖くはなかったが トタン板が 泣いている 俺も思いっきり 泣いてみた
港の朝が好きだ 船のエンジンの音や 少しずつ明けていく空が
何もかもがひとつだ 海も 人も 生きていることも 死んでいくことも
小さな船を ぼろな網を 町のみんなが心配してくれている
笑う人はひとりもいない 俺だけが俺を嘲っている だって俺は詩人だから
魚が獲れなくても 町の人たちが 魚をくれる だから飢えはしていない
夜はランプで暮らしている ゆれる火に 人生の後悔がすべて見える
漁師になって 今日 はじめて 魚が獲れた
気に入らないだろうが 干物を 少し送る
・・・・・
ギターをポロポロと弾きながら、朗読のように歌ったりしていました。
遠い昔の思い出です。
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