医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会
巷にリーダー論は山積みになっている。私はリーダー論の全てを知っているわけではないが、“医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会”のリーダー論はドラッカーの言うこの二文字に尽きる。【貢献】。
「成果をあげるには、自らの果たすべき貢献を考えなければならない。手元の仕事から顔を上げ目標に目を向ける。組織の成果に影響を与える貢献は何かを問う。そして責任を中心に据える」(『経営者の条件』)
「自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに自由となる。」(『明日を支配するもの』)
「自らの果たすべき貢献を考えることが、知識から行動への起点となる。問題は、何に貢献したいかではない。何に貢献せよと言われたかでもない。何に貢献すべきかである」(『明日を支配するもの』)
ノウレッジ・ワーカー(知識労働者)の多くは自らの意思で組織や集団に参加している。自ら考え、組織に対して最も付加価値を高め、自分の強みを活かして貢献する。このような知識労働者をドラッカーは単なる従業員ではなくボランティアとして扱わなければならないと言っている。
知識労働者とは、どのような存在なのだろうか?
「現代社会の生産手段を保有しているのは、資本家でも経営者でもない。知識・情報・技術・ノウハウ・スキル・・・・が今日の生産手段であるのだから、ノウレッジ・ワーカー(知識労働者)こそが所有者だ、ということを肝に銘じて対応しなければならないとドラッカーは鋭く指摘する。」“ドラッカーのリーダー思考”小林薫著(青春出版)
同書より・・・・・
ドラッカーは、こうしたボランティア的社員をマネジメントするには、上に立つマネジャー自身の頭を相当切り替えない限り成果はあがらないとして、単なる昔ながらの権限移譲(デリゲイション)を大きく超えたエンパワーメント(自主判断の尊重)が不可欠であることを強調する。
エンパワーメントとは、権限移譲と異なり、任せるだけでなくて、どちらに決めるかを迷ったときには担当者が自主的に判断し、それを上司が信頼するものであるとして、「ボランティアマネジメント」のコツと難しさを説くのである。
・・・・・
私はこのような「ボランティアマネジメント」のコツと難しさに対応するマネジメントとして、サーバントリーダーシップが適当なのではないかと考えています。
サーバントリーダーシップを手っ取り早く知るには“NPO法日本サーバントリーダーシップ協会”のホームページを見てほしい。
ホームページでの説明。
支配型リーダーシップの反対が、サーバントリーダーシップです。サーバントリーダーシップは、ロバート・グリーンリーフ(1904〜1990)が1970年に提唱した「リーダーである人は、まず相手に奉仕し、その後相手を導くものである」というリーダーシップ哲学です。
サーバントリーダーは、奉仕や支援を通じて、周囲から信頼を得て、主体的に協力してもらえる状況を作り出します。
とある。そして、
サーバントリーダーシップの10の特性とは
傾聴
相手が望んでいることを聞き出すために、まずは話をしっかり聞き、どうすれば役に立てるかを考える。また自分の内なる声に対しても耳を傾ける。
共感
相手の立場に立って相手の気持ちを理解する。人は不完全であることを前提に立ち相手をどんな時も受け入れる。
癒し
相手の心を無傷の状態にして、本来の力を取り戻させる。組織や集団においては、欠けている力を補い合えるようにする。
気づき
鋭敏な知覚により、物事のありのままに見る。自分に対しても相手に対しても気づきを得ることが出来る。相手に気づきを与えることができる。
納得
相手とコンセンサスを得ながら納得を促すことができる。権限に依らず、服従を強要しない。
概念化
大きな夢やビジョナリーなコンセプトを持ち、それを相手に伝えることができる。
先見力
現在の出来事を過去の出来事と照らし合わせ、そこから直感的に将来の出来事を予想できる。
執事役
自分が利益を得ることよりも、相手に利益を与えることに喜びを感じる。一歩引くことを心得ている。
人々の成長への関与
仲間の成長を促すことに深くコミットしている。一人ひとりが秘めている力や価値に気づいている。
コミュニティづくり
愛情と癒しで満ちていて、人々が大きく成長できるコミュニティを創り出す。
・・・・・
となっている。
「貢献を活かすサーバントリーダーシップに欠かせないものが、謙虚に問いかける技術」ということになります。
医療政策集中講義〔編 東京大学公共政策大学院 医学政策教育・研究ユニット 医学書院〕の最後の論文で、サーバントリーダーシップを紹介されている?本眞一先生が二つの表を示されているので紹介したい。
表4−3 戦略的思考(リーダーの責任)
表4−4 情動知能(感性を含んだ知性)の要素
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姫路の救急医療を守る市条例を策定するための条例試案9
【9】高齢者施設による利用者の救急医療情報キット作成を義務化する。
救急搬送率は65歳から急上昇している。団塊の世代が75歳以上になる2025年には、高齢者への救命救急医療の対策が適切に行われていなければ、救命救急センター本来の責務が果たせなくなる危険性が高い。高齢者救急患者への対応が急がれる。
様々な取り組みが必要とされるが、救急医療情報キットの活用を提言したい。将来的には病院などをLANやインターネット回線などのICTを用いた救急医療情報の機能強化(ハード)・共有(ソフト)を充実させる仕組みが必要だが、整備されるに至っても救急医療情報キットの活用を最大限に推し進めて、少しでも救急医療体制の安定化を図るべきだと考える。
高齢者施設などに入所中の超高齢者の病状の悪化(意識障害、呼吸不全、胸痛など)といった、救命救急センターヘの収容要請をしてくる事例が増えている。これらの患者の対応については、その施設の提携病院あるいは協力病院が診療する本来のシステムが構築されていなければならない。
がん末期の患者でかかりつけの医療機関がある場合や、寝たきりの高齢者(老人病院や施設に入院・入所している患者)などの場合、状態が悪化することは予測可能なことであり、本来それは通常の医療の中で対応すべきものです。今後、地域包括ケアシステムの整備が進み、在宅医療を推進した場合、在宅医療を24時間365目に支援できる在宅医療後方支援病院の充実がなければ、救急搬送が増えるのは当然となる。姫路においては在宅後方支援病院の充実を図るとともに、高齢者救急医療の見直しとルール作成が医師会を中心とした医療施設群にも求められる。
それらの問題と併せて、大きな問題になっていることは、営利法人が経営するサ高住を中心に増加する老人施設はおのずと同施設の入居者に対する急病等急変時の対応はできないため、救急搬送依頼を増加させていることである。救命救急を高齢者の看取りの場とする状況は、医療現場を一層疲弊させることになっていくこともあって、高齢者施設への救急要請のあり方の指導が行なわれなければならない。その指導は、高齢者福祉施設入居者は入居時点で個別に搬送先を決めておく、(A号室の方は・・病院、B号室の方は××病院といった)ものをも求められます。そのような対応が困難な施設においては、行政が努力を求めて、援助していく必要があるが、現時点では最低限の責務として、高齢者施設には救急医療情報キットの利用者への作成を義務づけることが求められる。
(看護、医学的管理下における介護及び機能訓練などが行われている施設においても同様)
救急医療情報キットについて
【高齢者や障害者などの安全・安心を確保するため、かかりつけ医や持病などの医療情報や、薬剤情報提供書(写し)、診察券(写し)、健康保険証(写し)、本人の写真などの情報を専用の容器に入れ、居住地に保管しておくことで、万一の救急時に備えます。
持病や服薬等の医療情報を確認することで、適切で迅速な処置が行えること、また緊急連絡先の把握により救急情報シートにない情報の収集や親族などのいち早い協力が得られます。】
医師会・かかりつけ医の積極的な働きかけによる救急医療情報キットの普及率の向上や適切な情報の更新も必要。行政機関においては医療機関による更新の努力を支援するための措置が求められる。自治会等での啓発活動も含め、地域全体での取り組みが地域の救急医療の命運を分けることになる。
姫路の救急医療を守る市条例試案 その8
医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会
先月の末に転倒して怪我をしてからは体調も悪く、気持ちも優れません。“すぐ勝てる!右四間飛車”という本を読んでパソコンと将棋をしたりしていましたが、3勝30敗で、これも気分転換にはならなかった。怪我は癒えてきましたが、頭がフラフラするので、気分は晴れない。以前から読んでおきたいと思っていた“生死学”の本を手に取ったが、字が小さくて目が痛くなってくる。4年程前に買ってはいたものの、まだ読んでいなかった、少し字が大きめのエドガー・H・シャインの“問いかける技術”(英治出版)を読んでみた。これが面白くて、ほんの少し気分が前向きになってきました。
124pにこんな記述がありました。
・・・
世界は今、技術がますます複雑化し、人々が互いに依存するようになり、社会が文化的に多様化している。このことは、人間関係の構築が仕事を進めるうえでますます重要になってきたことを意味すると同時に、人間関係を築くこと自体が以前よりも難しくなっていることも意味する。円滑なコミュニケーションをおこなうためには、人間関係が重要な役割をはたす。課題を遂行するためには、コミュニケーションが円滑におこなわれていることが肝要だ。良好な人間関係を維持するためには、「今ここで必要な謙虚さ」を軸として相手に「謙虚に問いかける」ことが、かぎとなる。
・・・
140pにはこのような説明もある。
・・・
社会学の分野では、人々が体験するあらゆる人間関係について、それらを分類するさまざまな方法論が提案されてきた。「謙虚に問いかける」を理解するためには、特に用具的関係と表出的関係を区別して考えるとわかりやすい。用具的関係とは、一方が他方から得たいものが明確にある場合を指す。表出的関係とは、関係者の一方または両方が互いに好感を持ち始め、相手との付き合いを深めたいという個人的なニーズに突き動かされる場合だ。
これらをもっと簡潔に表現するために、私は「課題指向の関係」と「人間指向の関係」という言い方をする。
・・・
私は医療と介護の問題に取り組んでいるので、日頃から医療者や議員や行政関係者と話すことが多い。そこで、いつも感じることがあります。医師は医師的な発想があり、行政には行政的な発想があり、議員には議員的な発想がある。特に、その世界で優秀な人ほどその傾向が強い。その傾向は年々はっきりとしてきているように感じられる。本書の一文を読んで思わず、ポンと膝を叩いた。「技術がますます複雑化し、人々が互いに依存するようになり、社会が文化的に多様化している。」
なるほど、そうなんだよな。
医療の世界は急速に高度化し、医師も勉強に没頭しなければ新しい技術から取り残される。行政は住民の多様化する価値観に、戸惑いを見せながらも対応の努力に暇がない。議員は複雑化する社会への理解は欠かせない。仕事を真面目に考える人ほど、社会を総合的にとらえることの困難さに気が付いている。したがって、人々は互いに依存する関係を大切にしなければならないことを知り、関係性のあり方に敏感になっている。この時代が抱える問題は、もはや個人の能力では解決することが出来なくなっているのです。問題解決にはチームで取り組む。そして、そのチーム力を如何に高めるかが、求められる時代になっている。
「人間指向の関係」に鈍感で、時代を読めない上司がいると、スタッフの苦労は人一倍となる。解けないパズルに悩まされることになってしまう。自分が無能なリーダーにならないために、この一冊は読んでおきたいものです。謙虚に問いかけることが出来るリーダーには、そのチームに大きな成果が約束される。
医療政策集中講義〔編 東京大学公共政策大学院 医療政策・研究ユニット〕医学書院、には添付したような「戦略プラン策定シート」「医療を動かすイメージ」「医療改革実現プランおロジックモデル」という図があります。とても、面白く参考になりますが、このような取り組みの前提には、「謙虚に問いかける」ことが求められる。
“問いかける技術”178p
・・・人間が論理的に結論を導き出す能力には限界があり、その精度は根拠として採用したデータの質によって決まるという点を、早い段階から認識しておくべきだということである。「謙虚に問いかける」は、データを集める一つの信頼に足る方法である。・・・
・・・・・
姫路の救急医療を守る市条例を策定するための条例試案8
【8】救命救急センターの空床確保を容易にするために、後方病院の確保を行政の立場からも整備する。
東京都医師会救急委員会委員長、医療法人社団誠和会白扇橋病院院長・石原哲医師の平成20年に“救急医療改革”(東京法令出版)で掲載された論文の一部に以下のように述べられている箇所があった。
・・・
大都市東京都は昼間人目と夜間人口に極端な差があり、救急患者発生数を算定したところ、必要医療機関数は232施設となった。また、過去の救急搬送受け入れ病院の実態を調査した。413の救急告示医療機関のうち、年間500台以上の救急車を受け入れている医療機関は239施設で、全救急患者の93.5%となっていた。入院患者数の発生理論値からは250病院で必要病床は各2.7床となった。その結果、新たな二次救急医療体制の要件を、固定制・通年制とし、24時間体制で必ず診察し、必要な検査等ができる体制が必要で、救急ベッドとして毎日最低3床確保しておくこと等が要件となった。この基準に従って二次保健医療圈単位に過去の救急車搬入実績等を基準に病院選定を行い、278医療機関が選定された。3科対応病院・2科対応病院・単科対応病院と各地域の実状を踏まえた体制となり、各医療圈単位においても適正な配置となり、地区医師会に周知連携をとり、全国に先駆け固定通年制とした二次救急医療新体制のもと、病院選定の迅速化を図り、都民や救急隊にも分かりやすい「休日・全夜間救急診療事業」を平成11年4月から運用開始した。救急車の受け入れ状況も良好となり、病院選定がスムーズに行われ、全国平均が延長されている中、病院到着時聞か27.3分から26.7分と、約1分短縮された。
・・・
このような取り組みがあって、約1分短縮された、とある。この1分をどう見るのか。1分ぐらいならしなくてもよい取り組みなのか、1分また1分と短縮への取り組みを積み重ねていくことが重要だと考えるのか、地域の医療対策の根本的な姿勢が問われる。ドイツでは州法で、州民には15分以内に治療が行われなければならないとする15分ルールがある。姫路では救急隊による受け入れ交渉を5回以上要した事案は平成27年1年間で960件あったという。たとえ1分でも、たとえ1件でも減らしていくことが必要ではないのだろうか。
上記“救急医療改革”論文集には『広島市における病院群輪番制の経緯一特に臓器別診療科の導入を中心に−』という論文もあり、おわりに、ではこう書かれている。
・・・
最後に極めて重い問題を提起しておきたい。すなわち、死亡者数は、2025年に現在の約1.5倍156万人に増加すると推計され、それは高齢者の増加による。救急の現場でも高齢者の増加は既に現実であり、更に加速される。医療者は最善の医療を提供することが使命であり、この理想の追求には、今以上の大幅なマンパワー、コストの投入が不可欠である。尊厳ある死の問題も避けられない。医療が経済的制約を有している以上、国民はどこまで社会保障としての基盤整備を望むのか極めて重大な決断を迫られている。
我々医療者は、国民的合意形成のために、正しく情報を発信する責任がある。
・・・
正しく発信された情報は、正しく受けとられなければならない。
姫路の救急医療を守る市条例試案 その7
医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会
医療政策集中講義からの二つ目の表です。
表2-2 患者・住民アドボカシーの6つの特性
1.課題発見力
医療提供者や政策立案者などが、気づかなかったり、看過したりしていることを社会課題として掘り起こすチカラです。
2.ドリーミング力
理想の姿を描くチカラです。漸進的な変化ではなく、抜本的で大きな変化を求めます。目標もストレッチ(小さな向上でなく大きな向上を求めること)します。それが、チャレンジカを生みます。
3.チャレンジ力
タブー視されていること、政策立案者や医療提供者が無理とあきらめがちな大きな改革に取り組める。それは、後の連結力や社会共感創造力があるからです。
4.成果執着力
対策や施策という問題解決の手段を打っただけで気を緩めません。その結束とし、患者にとっての生命や健康状態、生活の質(QOL)、生活の安心や満足などの「アウトカム(成果)」が向上することを求めます。
5.連結力
政治家、行政、医療提供者、企業、メディアなどの異なる立場との対話や協働の場を設定したり、つなぎ役になることができます。
6.社会共感創造力
病気と向き合う患者さんや害を受けた患者さんが表に出て経験を話すこと、自己の利益でなく他の患者さんや社会のことを思った、アドボケートの利他的で自己犠牲的な行動は、社会の共感を生み、メディアの報道を誘発し、他のステークホルダーを動かす原動力となりえます、
出典:日本医療政策機構市民医療協議会。患者アドボカシーカレッジ「O-2アドボカシーの果たす役割」
6つの特性、課題発見力、ドリーミング力、チャレンジ力、成果執着力、連結力、社会共感創造力を身に着けることは大変なことだと思う。
この6つの特性はどんな組織においても、イノベーションを実現するためには、必要なものだろうと思えます。
○課題発見力
外部環境の変化から、自らの組織の置かれている現在の正確な位置を分析する。何を、如何に、どのように改革するのか、課題を鮮明にしておかなければならない。変革すべき課題がなければ変革の必要もない。
○ドリーミング力
組織を動かすエンジンは二つ。金と、社会への貢献という意識。特に貢献という使命感と、実現に向けた夢の共有が鍵となる。
○チャレンジ力
人が物事を達成しようとするには、その人を突き動かす動機が必用。冒険家にパッションがあるのと同じで、パッションがなければ冒険家にはならない。
未来組織のリーダーはここを大切にする。PDCAサイクルの全てのプロセスに組織が共有できる動機を大切にする。動機がはっきりしていれば、チャレンジ精神を生む、それを育てることが出来るのかが、リーダーの条件となる。
○成果執着力
イノベーションとは社会に新たな価値を生み出す作業です。社会にイノベーションをもたらす人は、自らのイノベーションにも成功する。イノベーションは内と外に相互に働き、人を更に自発的な能力の高いイノベーターへと成長させていく。
○連結力
企画力、調整力、連結力。とかく、変革、改革はいつも困難を伴うものです。安易な妥協は結果的には連結力を弱める。妥協がなさすぎると、調整することが難しい。企画の段階から、対話を重視しておきたい。
○社会共感創造力
人は社会的な生き物です。人は自らの中に社会があり、社会の中に自らがいる。
Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world
ジョン・レノンのイマジンの一節です。
・・・・・・・
【7】一次・二次・三次という重症度による医療供給体制のみならず、脳卒中、虚血性心疾患や、精神科救急を含めて、病態別のネットワークを広域で構築する。
製鉄記念広畑病院の姫路救命救急センターは兵庫県・姫路市の要請と姫路市医師会の推薦を受け、2013年3月に「製鉄記念広畑病院姫路救命救急センター」を開設した。兵庫県においては初めての民間病院併設型の救命救急センターとなる。救急医療の分野においては姫路市の準市民病院として、中・西播磨の救命救急センターの役割を担っている。
病院ホームページではER型の救命救急センターとして紹介されている。
受け入れ対象患者は以下のようになっている。
・ 厚生労働省の定める基準に従い、重篤あるいは緊急度の高い患者を優先して受け入れる。(呼吸・循環・意識に異常があり、迅速な治療を要する場合や多発外傷・薬物中毒などの外因性患者など)
→厚生労働省が作成した重篤救急患者の基準 (PDFファイル72KB)
・ センターの救急外来や入院病棟の状況により受け入れ可能な場合は中等症以下の患者も受け入れる。
・ 地域内で発生した収容困難患者は可能な範囲で受け入れる。
・ 中長期的にマンパワーが確保され、診療体制が整備されれば、軽症救急患者・多数の独歩来院も多数受け入れられる事を目指す。
以上
マンパワーが確保されれば、本来のER型救命救急センターが約束されている。
救急医療センターとしてER型救急が全国各地で運用されてきているが、各地共通する最大の問題は医師の確保である。従来の集中治療に特化した救命救急科の医師養成とは異なり、総合診療科的な医療知識・技術を備えた医師が必要となる。しかし、ER型救急に必要な医師の養成が進んでいない。建設が予定されている新県立病院においても、ER型救急の医師の確保については不安が付きまとう。
救命救急センターの医師が24時間365日での勤務をすることを想定して、必要な医師の救はどのようになるだろうか。常時1名の医師を配置すると、その適正な勤務時間を勘案すると、5名の医師が必要となる。すなわち、常時3名の医師を配置するならば、15名の医師が必要となる。
広畑病院の姫路救命救急センターの医師はH28年1月末時点で7名(循環器科を兼ねている医師がいるため、実質6名)。必要なマンパワーに9名足りないことになる。救命救急センター長の中村雅彦医師は、本年1月14日に市議会会議室で行われた市議会議員対象の救急医療勉強会で「救命救急センターに15名の医師が揃うと、姫路の救急医療問題の大半の課題が解決される」と言われた。姫路が抱える問題も、全国各地の最大の問題も同じところにあった。医師を確保することが緊急を要する最大の課題であったのだ。医師を確保する地域ぐるみの取り組みを最優先することを前提に、ER型救急施設への過度の患者の集中と救急車搬入を緩和するには、二次輪番制病院群とのダブルラインが妥当な供給体制と言える。
しかし二次輪番制にも危機が訪れている。軽症患者の不適切な利用をけじめ、医師・看護師・コメディカルの不足と輪番制を担う経済的裏付けが希薄なこと、医師にとっては専門外診療に対するリスクマネジメントから、総合診療科的な夜間診療に対する拒否傾向が強いことなどがある。輪番制維持に様々な取り組みが考えられるが、病態別のネットワークを広域で編成されることでも事態の緩和が多少は図られる。
いずれにせよ、救急医療体制は、きわめて重要なセーフティーネットとしての社会基盤であって、自治体の総合力が問われているという象徴的な存在となっている。
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姫路の救急医療を守る市条例試案 その6
医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会
医療政策集中講義〔編 東京大学公共政策大学院 医学政策教育・研究ユニット 医学書院〕のChapter2 改革の最前線、“Section2 患者・住民主体の医療”地域の医療を最適化するために(論者 埴岡健一)を読んでいて、興味深い二つの表が現れた。2回にわたって紹介したい。
表2-1 患者・住民参画が必要な7つの理由
1.基本的な権利
日本国憲法にある国民の生存権(第25条)、幸福追求権(第13条)から、一定以上の適切な医療を受ける権利かあると考えられます。
2.医療消費者としてのチェック機能
保険加入者として保険料を支払って、医療を購入している立場にあります。医療のコンシューマー(消費者)であり、カスタマー(顧客)として、医療の質などをモニターする立場にあります。
3.納税者としてのチェック機能
医療保険、医療機関の建築整備、医療従事者の育成等、医療には多額の税金が投入されています。納税者として税金が適切に投入され、十分な効果を発揮しでいるかチェックする立場にあります。
4.住民・患者の医療政策策定への参画の責務
政府の医療計画やその策定ガイドラインに、患者や医療消費者が政策決定プロセスに参加する役割があることが記載されています。
5.社会からの期待
国民の医療への不満の対象は、医療政策決定プロセスの市民参加の不十分さであり、国民は、医療政策の決定は市民代表・患者代表が主導すべきと考えています.
6.当事者からの参画の希求
患者団体、患者関係者が政策決定プロセスの全体に参加したいとの強い希望が高まっています.
7.社会にもたらす効用
患者アドボケートはすでに法律制定、条例制定、施策策定、予算確保、資金集めなどに活躍し、社会に成果と効用をもたらしています。
出典:日本医療政策機構市民医療協議会。患者アドボカシーカレッジ「O-1アドボカシー(政策変革活動)とは」より一部改変
アドボカシーとは(政策提言/権利擁護)をすること、する人のことです。
私は上記のように考えて活動をしたことがないので、よい勉強になりました。私は姫路の街も人も大嫌いなので、少しでも好きになれるような街にしたい、と思って活動をしているだけです。このように四角四面に考えるケンちゃん(埴岡健一)の、隣に住んでいる彼のお母さんからは、私は未だにタカヨシちゃんと呼ばれています。
姫路の救急医療を守る市条例 を策定するための 条例試案 6
【6】 姫路市救急医療情報センターを設置し、そのデータバンクとしての機能を強化することに努め、かつ登録義務のある実効性のあるものにする。情報センターでのデータは施設名を匿名で開示を行い、データをもとに各病院の救急医療診療部門の連携の在り方について話し合う。
阪神・淡路大震災においては、情報の重要性が認識された。同年3月の「主な教訓」から5月の緊急提言。翌年5月から各災害医療対策事業が進められている。
情報の重要性から、広域災害救急医療情報システムの整備が進められた。
災害時、被災地内外の医療機関の情報を共有し、医療関係団体、消防本部、保健所、市町村行政機関が、有効な災害医療対応を実施することを目的として、都道府県が導入している。
表8−3厚生省による「あり方検討会」では「地域単位での強化」を強調している。ここでいう地域単位とは二次救急医療圈もしくは保健所の所轄管区としており、この単位における情報ネットワークの確立を重視している。
国や県による取り組みはあるが、それを強化する地域単位の取り組みは、残念ながら姫路にはない。情報システムの耐震化が疎かになっていると言わざるを得ない。
表8−4「局長通知」にも示されているように、救急医療とは一種の危機管理システムであり、災害時の救急医療情報は日常に整備されている救急医療情報システムの充実度に依拠する。したがって、救急医療の現場が求める医療情報の種類や、システムの機能や性能等を調査・検討するとともに、救急医療の実態に即した高度医療情報伝送システムの導入は緊急を要する。
すでに整備されて使用中の情報インフラである”阪神医療福祉情報ネットワークシステムむこねっと http ://www.mukonet.org/ 等も大いに参考にしなければならない。
姫路の救急医療を守る市条例試案 その1
医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会
姫路の救急医療は、救急医の信じられないほどの過酷な勤務で、かろうじて支えられている。私たちの暮らしの底支えをしている救急が、救急医の犠牲の上に成り立っている。
姫路の救急医療が綱渡りの危うい状況にあることから、当会では、姫路の救急医療を守る市条例試案を作成した。
平成28年1月14日に姫路市議会議員を対象に救急医療の勉強会が開かれた。
“姫路の救急医療の現状と課題” 講師 中村雅彦医師(製鉄記念広畑病院 姫路救命救急センター センター長) 市議会会議室 13時〜15時 参加者31名
勉強会を受けて、必要と思われたことは、
姫路の救急医療を守る市条例が必要なことと
姫路市救急医療再生緊会特別審議会を発足させなければならないことでした。
2月19日に条例試案は関係各位に配布され、これから検討が始まる。この条例試案が実現しなければ、姫路の救急医療は間違いなく近いうちに崩壊することになる。当会の責任が重大であることを会員諸氏は重く認識をして取り組んでいます。
数回に分けて皆さんに紹介しておきます。
【1】 姫路市救急医療再生緊急特別審議会(仮称)を行政主導で発足させるとともに、市の救急医療が充実したものになったと、メディカルコントロール協議会代表が認めるまで、行政が責任をもって運営していく。姫路市救急医療再生緊急特別審議会(仮称)の運営は、市の組織の中に医療行政に特化した部署を創設し担当する。その後、姫路市救急医療再生緊急特別審議会(仮称)はその成果を活かし姫路市救急医療連絡協議会に引き継ぐものとする。
救命救急センターには現在、高度救命救急センター、救命救急センター、新型救命救急センターの3種類がある。全国各地の取り組みで救命救急センターは増加しているが、救急医の育成はこれに追い付いていない。したがって全国各地の救急医の獲得競争も、より熱心なものになっている。全国各地の自治体は地域の住民の命を守る使命を全うするために、医療者や住民と地域一体になって救急医療の充実に立ち向かっている。しかし、姫路においては行政機関の怠慢によって、医師不足の状況に陥ってしまい、医療現場に孤軍奮闘の過酷な労働を強いることになった。直ちに対策をとらないと、“助かるべき命”が失われていく危険性が高まっていくことになる。救急医療は市民の命に直結する最前線にあり、その崩壊は許されざるものである。姫路市においては思い切った投資または財政処置が緊急に求められる事態にあることを認識し、具体的な取り組みを必要とする。
医療という限られた社会資本を有効に活かすためには、医療に対する適切な予算計上や医事紛争・クレームの増加への対策、医師の労働環境・待遇の改善といった根本的な解決を図るとともに、緊急を要する短期的対策が必要。市は地域住民の命を守る使命があり、その責務を完遂しなければならない。救急医療の崩壊は地域住民にとって、大きなダメージとなることを肝に据えて取り組まなければならない。
姫路の救急医療を守る対策としては、
? 対策のための救急医療再生緊急特別審議会を立ち上げる。
? 姫路の救急医療を守る市条例を救急医療再生緊急特別審議会で検討し、策定する。
? 医師を増やすための、大学や兵庫県健康福祉部医務課への陳情・交渉団の結成、大学への寄付講座、行政からの医師に対する優遇措置などを、継続的に実施していく。
? 軽症患者、特に、“コンビニ”感覚で受診する患者が二次医療機関に殺到することを防ぐために、行政を含めて組織的に、市民に対して救急受診に関するルールとマナーの啓発・教育を徹底して行う。
? 医療情報を共有化し、医療機関の連携を円滑に進めるための情報インフラの整備をする。
? 姫路市救急医療情報センターを設置し、その機能を強化することに努め、かつ実効性のあるものにする。情報センターでのデータは開示を行い、データをもとに各病院の救急医療診療部門の連携の在り方について話し合う。
? 一次・二次・三次という重症度による医療供給体制のみならず、脳卒中、虚血性心疾患や、精神科救急を含めて、病態別のネットワークを広域で構築する。
? 救命救急センターの空床確保を容易にするために、後方病院の確保を行政の立場からも整備する。
? 高齢者救急医療の見直しとルール作成を、地域全体で進める。
? 重症の救急患者を収容する医療機関はその不採算性のために維持が困難であり、財政的なバックアップが必要。
等が考えられる。
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医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会
当会は新県立病院の成功を望んでいます 新県立病院の計画を御存じない方がおられるので、兵庫県から提示された二つの文章で統合再編検討基本方針を紹介します。 新県立病院計画 平成33年開業予定 キャスティ21イベントゾーン(場所についてはもう少し議論が必要かもしれない) 事業主体 兵庫県 3haの土地 350億円程度の投資 両病院合計742床 県立尼崎総合医療センターがモデルになっている ( 地上11階 地下一階 77.377.76? 敷地面積36.575 駐車場650 病床数730 ) 兵庫県立姫路循環器病センター及び製鉄記念広畑病院の両病院が統合再編に合意しているので、統合再編には問題がない。 医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会の考えは ・ 新県立病院の新設を中・西播磨の医療再編の好機と捉える。 ・ 政府文書『近隣地域再生への新たな確約一国家戦略行動計画』で指示されている、地域戦略パートナーシップによって、新県立病院を検討する。 ・ 会の基本原則に沿って、新県立病院が成功する為の市の医療施策を推進する。 会の三原則 地域のことは地域で決める 地域の医療者と共に歩む 地域の医療現場のモチベーションを上げる政策を実施する みなさんとの、議論の参考になれば幸いです。 【文章1】 兵 庫 県 製鉄記念広畑病院 兵庫県立姫路循環器病センターと製鉄記念広畑病院の統合再編検討基本方針 1 統合再編 昨今の病院経営を取り巻く厳しい環境、高齢化の―層の進展に伴う疾病構造の変化や医療需要の増加等に的確に対応するとともに、姫路市を中心とした中播磨及び西播磨医療圏域の地域医療への更なる貢献を果たすため、兵庫県立姫路循環器病センター及び製鉄記念広畑病院(以下「両病院」という。)の統合再編に向けた検討を行う。 なお、検討にあたっては、両病院の医師をはじめとした医療従事者が高い士気とやりがいをもって勤務することができる環境の整備についても十分に意を用いることとする。 2 統合再編の基本方針 (1)診療機能の維持・充実 統合再編によって地域医療に支障を来たすことのないよう、これまで両病院が提供してきた救急をはじめとした医療機能やサービスは、原則として両病院の統合再編による病院(以下「新病院」という。)が継承することとし、その新病院の診療機能については、中播磨及び西播磨医療圈域における中核的な医療機関としての役割を果たすため、今後の疾病構造の変化や医療需要等を的確に踏まえ、更なる充実に努める。 (2)統合再編時期 両病院の統合再編を図る時期は新病院の開設時とし、県立姫路循環器病センターの施設の老朽化・狭隘化か進んでいること等を踏まえ、できるだけ早期に新病院の施設整備を図ることとする。 (3)患者等利用者への配慮 統合再編にあたっては、丙病院の患者等利用者(以下「患者等」という。) へのサービスの継続性を確保するとともに、患者等に不利益が生じないよう配慮する。 (4)職員の処遇 統合再編にあたり、両病院に勤務する職員がともに高い士気とやりがいをもって新病院で業務に従事することができるよう、十分に配慮する。 3 新病院 (1)整備主体 新病院の施設整備は兵庫県が行う (2)整備時期 新病院の施設整備時期は、整備用地確保後できるだけ早期をめざすこととし、両病院の統合再編基本計画(以下、「基本計画」という。)において定める。 (3)運営形態 新病院の運営は、兵庫県が行う。 (4)機能 ? 基本方針 両病院が担ってきた医療を引き続き提供するとともに、更に充実を図ることとし、中播磨及び西播磨医療圏域における中核医療機関として、救急医療をはじめとした高度急性期医療の強化を図る。 ? 診療機能等 新病院で提供する診療機能等の詳細は、基本計画において定める。 ? 医師養成機能等 新病院を地域医療を担う医師の育成拠点とするため、充実した指導体 制や研修環境を整備するとともに、学生、研修医、専門医を目指す若手 医師等にとって魅力の高い研修プログラムを提供する。 (5)新病院の規模 新病院の病床数は、両病院の許可病床を合わせた病床数を基本とし、基本計画において定める。 (6)整備場所 新病院の施設整備場所は、新病院を整備するために必要な面積の確保、受診のためのアクセスの利便性、救急患者の迅速な搬送経路の確保、大規模災害リスク等の諸要素を十分勘案のうえ、基本計画において定める。 【文章2】 27.8.28 姫路循環器病センターと製鉄記念広畑病院との統合 1 病院統合の必要性 (1)両病院の懸案 ■姫路循環器 ・高齢化に伴い増加している合併症に適切に対応できない(糖尿病内科はH26に設置) ・救命救急センターの対応が循環器系疾患に限られる ■広畑病院 ・救命救急センターで循環器系疾患が対応できない(循環器科医師確保が困難) ・救急医の確保が困難(10名→7名)⇒救命救急センター閉鎖危機 ・医師の安定確保が厳しい (2)専門医制度の改革 ■新たな専門医制度 ・平成29年度開始 ・大学病院等の基幹病院と地域の協力病院等が病院群を構成して実施 ・専門医の養成数は、研修体制を踏まえ、地域の実情を総合的に勘案して設定 →研修体制の整った病院機能・規模が必要→専門医を養成できる病院の限定化 →若手医師の大病院偏在化 2 周辺医療機関への影響 ○統合病院が高度化・大規模化すると姫路の医療が崩壊する? →・逆。刺激により周辺の中核医療機関は一層活性化 EX.姫路赤十字病院は着々と機能強化中 H25 心臓血管外科新設(常勤医師十1) H26 緩和ケア内科新設(常勤医師十1)、脳・心臓血管センター設置 H27 呼吸器内科新設 (常勤医師十1[増員予定])、呼吸器外科増設予定、 総合周全期母子医療センター指定 H28 手術室増設(10室→13室) ・圏内の中堅病院は、より積極的に救急受け入れ十病病連携により患者増 3 中播磨の医療の現状と課題 →パワーポイントによりご説明 4 新病院 (1)病床規模 (2)用地等 ・場所 ・面積 ・交通渋滞 ・駐車場(必要台数、文化ホール等との共用の可否) ・ドクターヘリの運航 ・遊歩道の連結 ・駅周辺のにぎわいへの貢献 (3)医師確保 5 獨協学園との協議 ・研究機能 ・教育機能(大学院、看護学部の実習機能等) ・フロアー必要面積 ・新病院との連携 |
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医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会(リーダー会)
代表 小嶋隆義
当会は新県立病院の成功を望んでいます
ここに、皆さんと話し合う場を設けたいと考えています。
当会は医療者、市民、議員で構成されています。参加者は現在100名を少し超えています。当会は姫路の医療や介護について必要と考えられる政策を研究するグループです。
リーダー会は2008年11月から結成されています。「入院患者と障がい者に笑顔とコンサートを贈る市民の会」結成2004年5月(贈る会)から始まりました。贈る会(現代表 棟安信博)の活動で見えてきた、さまざまな現場の、さまざまに抱える、さまざまの問題、の解決には、何が必要かを議論し、(リーダー会)が結成されました。
リーダー会が結成される1年半前から、贈る会で医療と介護の勉強会を重ねて、結成されました。11回の勉強会で獲得した、「諸問題は政治的な取り組みと、市民の理解が必要」との判断によるものです。
2007年12月に救急搬送中の男性が19病院に受け入れを「困難だ」と断られ、死亡したことがありました。市は“検討会”で話し合っていました。しかし、その成り行きは“空きベッド代を増額する”というものに落ち着きそうだったのですが、当会は更に別の方針を立てました。当会で「姫路救急医療再生会議」を発足させて、新日鐵広畑病院(現 製鉄記念広畑病院)に救命救急センターを実現しています。厚生労働省への陳情も当会の議長が行っています。
その後、私が病気で3度倒れたことや、姫路の医療の状況が比較的安定していたこともあって、断続的な活動になっていました。
会のメンバーは利害が相反する組織や団体に所属していたり、メリットや負担のバランスが難しかったりで、全体会議は行われませんが、当会の事務局とそれぞれにインターネットで会議をしています。
昨年の9月から、“新県立病院”計画を受けて、再び活発な活動を始めました。何故、9月かというと、8月末まで代表の私が入院していたからです。本来はもっと早くから動き始める必要がありましたが、事務局が私の体調不良で機能していなかったことによります。
“新県立病院”の何が問題なのか?当会が何故、“新県立病院”問題に関わるようになったのか?
政府文章の“都道府県医療計画の策定”にもありますが、「医療の地域連携・他職種連携の重要性」が言われています。しかし「切れ目のない連携」を目指さなければならないはずのものが、県立病院計画は連携を全く無視したものでした。“姫路における県立病院のあり方に関する検討報告書(素案)”に連携の文言はありますが、周辺医療機関との話し合いは無くありません。最近になって医師会でほんの少しだけ申し訳程度に話されていますが、真摯に取り組んだ真っ当な話し合いは一回も行われていない、というのが実情です。そこで、当会は市議会議員を対象に3度の勉強会を開き、「姫路医療連携推進協議会」の必要性を提案するにいたりました。
そのことは、次の機会に述べたいと思います。
市民にとって、“新県立病院”の情報はきわめて偏ったものになっています。報道の無力化も感じますが、そのことによるものでしょうが、市民の反応の薄さも気になります。
しかし、興味は大きいようで、連日に亘って多くの方が訪ねてこられます。私の病気からのリハビリ生活に支障をきたしているので、私のブログで質問を受け付けたいと思います。話せないこともありますので、そこのところはご了承下さい。
質問が無ければ、ブログでの話し合う場は終わります。
今回は施設配置の図を載せておきます。始めの基本計画(試案―1)より、現在の計画がかなり縮小されたものになっています。
迷走日記 8月3日 走禅一如の可能性について その5−2
荘子の思想から考える 2
朝の6時をすぎると、セミの鳴き声が暑さを一層に厳しいものに感じさせる。まだ風は涼しいが全身汗でびっしょりと濡れて、ランパンとシャツが肌に張り付く。夜明け頃から15キロを走っただけなのに頭は朦朧としてバテ初めているのが悔しい。重い足取りが疲れの溜まっていることを感じさせる。夏は疲れが抜けにくい。これが歳をとる、ということなんだ。しみじみとそう思う。先日に長男から白髪が増えたな、と言われたことを思い出す。リンスで徐々に染まっていくという毛染めもあるようだ。染めてみようかなと思ったが、染めて見掛けが変わっても中身は何も変わらないことを思うと、染める労力がもったいないように思えて、思いの堂々巡りはそこで終わった。
朝の7時をすぎると日差しが肌に痛い。無理はしない。そそくさと退散する。帰って、シャワーを浴びると蚊に刺されたあとが何箇所かある。最近、蚊に刺されても以前ほど痒いと感じなくなってきた。足に擦り傷ができているが、どこで出来たのかもわからない。歳のせいなのか疲れのせいなのか、感覚が鈍くなってきたようだ。
私は以前から一流といわれるスポーツ選手に偏見を持っている。彼等は痛みを感じる神経の数が少ないに違いないと考えているのです。痛みを感じる神経の数が少ないから、暑さにも寒さにも、厳しい追い込んだトレーニングの苦痛にも耐えられて、一流になれたのではないか。彼等は鈍感なのだ。実際に解剖学的に神経の数を比べて、「ほら、言ったとおりだろう。マラソンを2時間で走る選手は我々より0.5%も痛みを感じる神経が少ないだろう。最速とは人類で最も鈍感な人であるということなのだ。」と、言ってみたい。どんな感覚にも個体差はある。嗅覚の鈍い人、味覚の鈍い人、オンチの人、がいるのなら、痛みに鈍い人がいても不思議ではない。私はこれを仮説だとは思っていません。だから偏見なのでしょう。
これは、私は繊細だから速くなれないと、戯言を言っているのではなく、私も鈍感になりたいと思っているのです。特に、老いに鈍感になりたい。どんなトレーニングもヘッチャラで、どんな暑さにもヘッチャラで、どんな疲れも屁とも思わない鈍感に憧れているのです。
7月1日の転倒による打撲はまだ癒えてはいません。左膝や鼻には痕が残っただけではなく変形も見られます。膝も鼻もまだ痛いので、満足に走ることはまだ出来ません。元々満足に走ることは出来ていなかったので、あまり気にはしていませんが、痛むのは辛い。暑さと痛みに苛まれながらでも一日20キロは走っています。ゆっくりと走っていても暑いときは脈拍数があがっているので、思ったよりトレーニング効果は上がっています。
夏は疲れが抜けにくいので、走りに出る前には心の準備に1時間近くかかります。「さあ、出るぞ」「でも、こんなに疲れている」、「さあ、出るぞ」「足が痛いから止めようか」、「さあ、出るぞ」「暑いから、つらいなあ」と気持がぶれるが、静かに坐って、ぶれ幅を次第に小さくして、走りにでます。嬉々として、走りに出ているわけではありません。鈍感になって、何も思わずにサラリと走りに出たいものです。
本を読むときは本を開く、文章を書くときは机の前に座る。走るときは靴を履いて外へ出る。ただ、それだけのことだがそれが難しい。ダラダラとしている時のまどろみが心地よいものです。元気の良いときは気持の切り替えも直ぐにできますが、疲れが抜けにくい年齢になると、自分への言い訳も巧みになっていることもあって、なかなか気持の切り替えが難しい。老いに鈍感になりたいと強く思うのはこんな時です。
そういえば、少し前にミリオンセラーになった“鈍感力”という本があったことを思い出しました。読んでみたくなったので購入することにしました。誰が書いた本なのか調べると、渡辺淳一さんでした。近所の書店にはなかったので、ブックオフにて文庫本を260円で購入。アマゾンだと1円で送料が250円なので9円高いことになりますが、本は読まれた形跡が全くなく新品同様だったので、9円の価格差にもかかわらず、お徳感はありました。定価400円の本なので、新品で買っても大きな価格差はないのですが、貧乏性というものです。渡辺淳一さんの本を読むのはこれが始めてです。
文章も優しく、文字も大きめで読みやすい。読みながらさまざまなことを考えました。どんなことを考えたのか、記してみたい。
「いい意味での楽天主義が自分の心を前向きにし、したたかな鈍感力を培う」6p
現実を生き難いものだと感じる人は少なくない。嫌な気分をコントロールして、穏やかな人生を歩んでいくには確かに鈍感力は必要なものだと思えます。
鈍感と無神経はどう違うのか?「いい意味での楽天主義」が鈍感力を培うもので、悪い意味での楽天主義が無神経ということなのでしょう。落ち込んでも、へこたれても、所詮は一過性のものなので、深刻に受け止めることはない。大切なのは「自分は今、どこへ向っているのか」ということなので、向う先にある障害は、楽しみながら乗り越えていきたいものです。それには想定外の障害も多くあるので、躓かないようにヒザを柔らかく使う「したたかな鈍感力」も防具として身につけておきたいと思います。
其の壱、「成功をおさめた人々は、才能はもちろん、その底に、必ずいい意味での鈍感力を秘めているものです。」(25p)
成功をおさめた人々とはどのような人々のことなのだろう?社会的なステータスのことだけなのだろうか?
私の考える成功をおさめた人々とは、自分が何者なのかを知っている人々だと思います。「自分の思考法を知っている」そして「自分のすべきことを知っている」。「自分の人生に必要なものを知っている」そして「人生の可能性に挑戦している」。「人生の楽しみと生きがいを知っている」そして「人生の質を上げることに前向きである」。「幸福とは何かを知っている」そして「自尊心や愛情、創造性といった心の健康について真摯に取り組んでいる」。「感動を大切にしている」そして「感動を分かち合うことをもっと大切にしている」。「自分の最大の敵は自分の中にあることを知っている」そして「唯一無二の自分の大切さも知っている」。そんな人が「自分が何者なのかを知っている」人々なのだろうと考えています。「自分が何者なのかを知っている」ので、人生の成功者となるのではないでしょうか。成功者とは誰が決めることなのでしょうか?「自分が何者なのかを知っている」人は「成功者とはどのような人なのかも知っている」ものです。
ちなみに私は「自分が何者なのか」まだ知り得ていません。まだその旅の途中です。旅の道標に以上のようなことが書いてあったように記憶していますが、道に迷ったままです。
其の弐、「健康であるためにもっとも大切なことは、いつも全身の血がさらさらと流れることです。」(28p)
私は脳梗塞患者で顔と足に運動障害があります。血がどろどろしていては再発の可能性があるので、血がさらさらと流れることには人一倍気を使っています。再発すると歩けなくなる後遺症が残るようになるかもしれないと医師からそう言われています。その後、4年近くをかけて血の滲むような努力で少しずつでも回復してきたのを台無しにすることはできません。
血がさらさら流れることの大切さはよく分かりますが、本書では人間の身体になぞらえて人間関係のさらさらについて書かれています。
自分が否定されても落ち込まずに、さらさらと受け流すこともできる。亡き父の言葉を思い出します。「自分がどんなに努力をしていても、分かってくれる人が半分、分かってもらえない人が半分。世の中はそんなもんだ。私は分かってくれる人の為に努力をしている。」
分かってくれない人に不満をぶつけても批判をしても何にもならない。前向きに生きるには、今は何に目を向けることが必要かを知ることだろう。分かってくれる人の為に努力をするのも一つの方法だと思えます。人それぞれに自分のやり方があって良いのですが、自分のやり方をつかむまでに一苦労しなければならないのでしょうね。
其の参、「穏やかでリラックスした状態。たとえば楽しいとき、嬉しいとき、気分が爽やかで笑ったり、さらには周りが温かいときなどに、血管は開きます。」(42p)
自分を肯定的に生きることができれば、不快なストレスも直ぐに発散させて、充実した気分で平穏に生きることができるはずですが、それが難しい。人生は難問だらけだ。しかしそれを難問と思わずに、ストレスをパワーに変える方法もある。問題を難しくしているのは誰あろう、自分自身であることが多い。行動的に生きることに突破口がありそうだ。爽やかな汗をかいていると血管も開いてくるように思えます。
探検家のスタインは「人生は旅である」と言っている。そこへ行って見なければ何も分からない。旅は難行路ではなく、楽しくありたいものです。のんびりと山あり谷ありの景色を楽しみながら自分の足で汗をかきながら歩いていくのが良い旅のように思えます。
其の四で五感が鋭すぎるのもマイナスだと言われている。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚を五感といいます。「鋭い人より鈍い人のほうが、よりのんびりとおおらかに健康で、長生きできることは間違いありません。」(67p〜)
私は料理人として多くの方々に料理を提供してきました。味覚に敏感な人たちに共通の職業があります。最も鋭いと思ったのは音楽家の方々でした。特にクラシック音楽で一流と言われた方々の舌は確かなものでした。しかし、その方々は料理の楽しみ方も一流でした。音楽の豊かさは感覚の鋭さだけで生まれるとは思えません。料理を楽しむ豊かな心が音楽を豊かにしているのだとおもえます。
名前は言えませんが、誰もが知る日本のロックミュージシャンの方にこんなことを言われたことがあります。紹介で来られたお客様で、一人で静かに食事をされていました。見ると涙をこぼされているので、どうしたのか訊ねると、「こんなに美味しいものが世の中にあったんですね。」と言われたのでとても驚きました。曲の内容からは想像もつかない一言でした。今は亡きその方の曲を聴くたびにそのことを思い出します。実はとても繊細な方だったのですね。
味覚が敏感だと言われる評論家の多くが、料理を舌先でしか味わうことができず、口先三寸のことしか語れない方が多い中で、この方は本物だと思わせた方がおられます。「おいしすぎる料理は飽きが来る。飽きずにもっと食べさせてほしい、と思う料理が本物の美味しさでしょう。私には家内と料理を楽しみたい店が日本には2軒あります。ここはそのひとつです。」
本当に鋭い感覚をお持ちの方は、その感覚との付き合いかたも知っている。実はたいして鋭くもないのに、鋭さを装っている人は疲れると思います。そんな方は、のんびりとおおらかに健康で、長生きできることはないでしょう。
其の五、「数ある鈍感力のなかでも、その中心になるのが、よく眠れることです。」(71p)
中高年にはこのことが大問題である方々が多いと思います。私は眠れずに布団の中でゴロゴロしているときに、これは寝る禅なのだと思い呼吸を整えて瞑想していると、いつの間にか眠っています。それでも眠れない日があります。暑いときに気合を入れて走ると足が炎症を起こして眠りにくい。そんな時は解熱鎮痛剤を呑みます。薬が効くころには眠っています。
其の六、「才能がある人のまわりには、必ず褒めた人がいて、次にその本人が、その褒め言葉に簡単にのる、調子のよさをもっています。」(95p)
NHKのラン×スマ〜街の風になれ、という番組をたまたま見たときに思ったことです。コーチの金哲彦さんは褒めることがとても巧い。地域にこういうコーチが一人ずつでもいたら、日本の医療費は半分以下になるに違いない。褒め方が巧いから、のるほうものりやすい。
「其の七 鈍い腸をもった男」
年齢に健康年齢というものがありますが、それに関係する年齢に、血管年齢・骨年齢・腸年齢というものがあります。腸が健康であることは重要なことです。
渡辺淳一さんがここで言わんとすることはそのことではなく、最近の日本人は抵抗力がなくなってきていることを言われています。過酷な登山や、秘境への旅を経験してきて思うことは、胃腸が丈夫でないと話にはならないことです。快眠、快便は生きる力そのものではないでしょうか。
「其の八 愛の女神を射とめるために」「其の九 結婚生活を維持するために」「其の十四 恋愛力とは」
私には男と女の間には深くて暗い川がある、としか思えません。エンヤコラ今夜も舟をだす。という黒の舟歌に、振り返るなRow〜とあるように、振り返ってはいけないのです。
とある高齢者の施設の職員に、利用者の困った愛憎劇の相談を受けたことがあります。「スイマセン、相談する相手が間違っています。」とお答えしました。「つらいことがあったんですね。」と真顔で返されたので、笑うに笑えなかった。
若い頃の恋愛はファンタジーで、大人になるとサスペンスになって、中高年になるとミステリーになって、その謎は迷宮入りするが恋愛であるように思えます。
♪ 極楽見えたこともある
地獄が見えたこともある
Row and Row
Row and Row
振り返るな Row Row
私は長谷川きよしのフラメンコ調のギター伴走での弾き語りが好きです。
「其の十 ガンに強くなるために」で「ガンの予防から治療、そして社会復帰したあとまで、すべての点で大切なのは気持のもちよう、すなわち鈍感力です。」(146p)と言われています。
以前に私が主催した市民向けの医療問題の勉強会で、講師の医師がガンについて語られたことがあります。このようなお話しでした。「ガンが増えたのは、長寿社会になったからです。悲しむことではありません。みんなガンを持っていると考えなければならない時代なのです。発症するかしないかだけの差です。ですからみんなガンの準備をしておくべきなのです。」心の準備が最も大切なように思えます。
其の十一、十二で女性の強さのことが書かれています。
「女性の強さによって、人類は誕生し、この素敵な鈍さがあるかぎり、人類が容易に滅亡することはないのです。」(172p)
女性は強いように思いますが、そのことで大切なことがあります。
人間という群れが社会を形成するのは、社会進化史上で研究すると母系であることが自然なことがわかります。現代の私たちは狩猟生活をしているわけでもなく、素朴な農耕による家父長制も崩れているので、父系である必要はどこにもありません。母系の原点に返って、社会を作り直す必要があると思います。ここを語ると長くなるので、さわりだけにしておきます。
「其の十三 嫉妬や皮肉に感謝」「嫉妬されるのは、その人自身が優れているからで、相手はそれが羨ましくて嫉妬しているのです。」(179p)
世の中が暮しにくいのは嫉妬が渦巻いていることが原因の一つです。人生を勝ち組と負け組みに分けると、負け組みが勝ち組に嫉妬するのでしょう。しかし、勝ち組の中でも勝ち組と負け組みがあり、更にその勝ち組の中でも勝ち組と負け組みがあり、本当に勝ち組に入る人はほんの一握りしかいません。大半の人は負け組みにいることになります。
勝敗にこだわらない人がいます。そんな人に「君は幸せな人だね」と言われているのを聞いたことがありませんか?そうなのですその人は幸せなのです。大半の人は負け組みに入るので、負けにこだわることはありません。自分の弱点を知って、向上心はあるが争うこともなく、のんびりと充足した人生を歩む人が幸せなのです。不幸な人は無理を重ねて、ストレスが溜まり、あくせくとした時間がすぎて、自分を取り戻せない人なのです。そんな人は大きく深呼吸をして、静かに自分を見つめて、していることを減らしてみましょう。自分を主張することから少しはなれて、みんなの話の聞き役になってみる。自分が絶えず何かをしていなければならないという呪縛に囚われていないだろうか?よい人間関係が幸福への第一歩だと気付いたときに、見える景色は違ってきている。
何でも言うことは簡単だが実行することは難しい。世の中が面白いのは嫉妬が渦巻いているからなのかも知れない。嫉妬を上手に活用する方法もあるのだろう。
ただ一つだけ言えることがある、挫折感のない一握りの勝ち組の人に、人の気持は分からない。そんな人が上に立つと、犠牲者が多くなる。
其の十五では、「さまざまな不快感をのみ込み、無視して、明るくおおらかに生きる、そんな鈍感力を身につけた人が、集団のなかで勝ち残るということです。」といわれています。
勝ち残ることが必要かどうかは価値観の問題でしかないが、明るくおおらかに生きることは大切なことだと思います。勝利を手に入れることは素晴らしいことだが、それで幸せになれるということはないことを知ることのほうが大切なのではないだろうか。
勝つことが大切なのではなく、努力の中に素晴らしい宝物があることを知るべきでしょう。惜しまない努力を続けてきた人々の中で、運よく勝利をつかんだ人には、素直に拍手を送りたい。その拍手は「私が私であってよかったといえる」惜しまない努力を続けてきた人々への拍手でもある。
「其の十六 環境適応能力」
「これから全世界に羽ばたき、新しい時代を切り拓いていこうと思う人は、まず自らの鈍感力をたしかめ、あると思う人はそれを大切に、ないと思う人はそれを養うよう、さまざまな環境にとび込み、強くするよう鍛えるべきです。
そしてそのためには、なにごとにも神経質にならず、いい意味で、すべてに鈍感で、なにごとにも好奇心を抱いて向かっていくことです。」(225p)
その通りだと思います。私は粉末のうどんスープの素と根昆布とろろがあれば、大抵の環境に飛び込んでいける自信があります。温かい湯に粉を溶かして、根昆布とろろを入れて、ゆっくりと味わうと、どんな時にでも自分に返ることができる。これは長持ちして軽いので携帯に便利です。ホッとする味と余裕があれば、大抵のことは何とかなるものです。雪山の頂で飲むのが最高に美味しいのですが、砂漠のど真ん中で味わったのも良い思い出になっています。
「母性愛 この偉大なる鈍感力」が最終章になります。序文に「おおらかなお母さんに褒められて育つことが、鈍感力を身につける第一歩である。」とあります。
お母さんが、おおらかでいられるような社会をみんなの鈍感力で築くことが必要なのでしょうね。お父さんも褒められて育つように思います。褒めてあげてください。
本書を読み終わって、売れる本は共感力が違うことを知りました。渡辺淳一さんの鈍感力で書き上げた本書は軽快でてらいのない共感力溢れる作品だったのです。
本書を読んでいて宮澤賢治の〔雨にもまけず〕という感動的な詩を思い出しました。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
と続き・・・
最も感動的なラストへ向います。
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
・・・と結ばれます。
「デクノボー サウイウモノニ ワタシハナリタイ」
私はこの言葉に、「デクという、とても硬い木の棒」に打ち据えられたような思いがします。デクとは木偶(木彫りの人形)のことですが、その木には菩薩が眠っているのかもしれません。木彫家に「木の中に形が見える、それを形にしているだけだ。」と言われる方が少なくありません。宮澤賢治のデクノボーには、仏道修行の本来の姿が見えて、この詩を読んで涙ぐむこともあります。
私はデクノボーとまではいかなくても、無理をしないで、できれば毎日を、諦めない粘りの鈍足力で夏の後半を乗り切っていきたいと考えています。
鈍感力やデクノボーの究極の姿があります。私がなく、とらわれがなく、ことさらな作為もない、それを無為といいます。
荘子 第3冊 〔外篇・雑篇〕 金谷治訳注 岩波文庫
外篇(承前) 至楽篇 第十八 より
漢文と読み下し文は本書で味わっていただいて、訳だけを紹介したい。
・・・14p
大空は無為であってこそそれによって澄みわたり、大地は無為であってこそそれによって安泰である。そこでこの二つの無為が合わさって、万物のすべてが生み出されてくる。おぼろげでとらえどころがないが、どこからか〔万物が〕出てくるではないか。とらえどころがなくおぼろげであるが、そこになにかの形があるではないか。万物は次々と生まれて、みな無為のはたらきで育っている。だから「天地は無為で〔ことさらな作為をしないで〕いて、それですべてのことをなしとげている」と言われている。人間のばあい、いったいだれがこの無為を身につけることができるだろうか。
究極の鈍感力を人間が身につけることは出来ないかも知れないが、「無為に入る」という言葉があります。仏門に入ることをいいます。究極の鈍感力が解脱の境地ということになるのですね。〔雨にもまけず〕に「慾ハナク」とあるように、欲を少なくすることが大切なのでしょうが、それが難しい。もっと速く走りたい・・・
写真は、鱧の焼き物、真子と白子の御飯、ちり鍋です。