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迷走日記 8月3日 走禅一如 5−2
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迷走日記 8月3日 走禅一如の可能性について その5−2

荘子の思想から考える 2

 

朝の6時をすぎると、セミの鳴き声が暑さを一層に厳しいものに感じさせる。まだ風は涼しいが全身汗でびっしょりと濡れて、ランパンとシャツが肌に張り付く。夜明け頃から15キロを走っただけなのに頭は朦朧としてバテ初めているのが悔しい。重い足取りが疲れの溜まっていることを感じさせる。夏は疲れが抜けにくい。これが歳をとる、ということなんだ。しみじみとそう思う。先日に長男から白髪が増えたな、と言われたことを思い出す。リンスで徐々に染まっていくという毛染めもあるようだ。染めてみようかなと思ったが、染めて見掛けが変わっても中身は何も変わらないことを思うと、染める労力がもったいないように思えて、思いの堂々巡りはそこで終わった。

朝の7時をすぎると日差しが肌に痛い。無理はしない。そそくさと退散する。帰って、シャワーを浴びると蚊に刺されたあとが何箇所かある。最近、蚊に刺されても以前ほど痒いと感じなくなってきた。足に擦り傷ができているが、どこで出来たのかもわからない。歳のせいなのか疲れのせいなのか、感覚が鈍くなってきたようだ。

私は以前から一流といわれるスポーツ選手に偏見を持っている。彼等は痛みを感じる神経の数が少ないに違いないと考えているのです。痛みを感じる神経の数が少ないから、暑さにも寒さにも、厳しい追い込んだトレーニングの苦痛にも耐えられて、一流になれたのではないか。彼等は鈍感なのだ。実際に解剖学的に神経の数を比べて、「ほら、言ったとおりだろう。マラソンを2時間で走る選手は我々より0.5%も痛みを感じる神経が少ないだろう。最速とは人類で最も鈍感な人であるということなのだ。」と、言ってみたい。どんな感覚にも個体差はある。嗅覚の鈍い人、味覚の鈍い人、オンチの人、がいるのなら、痛みに鈍い人がいても不思議ではない。私はこれを仮説だとは思っていません。だから偏見なのでしょう。

 これは、私は繊細だから速くなれないと、戯言を言っているのではなく、私も鈍感になりたいと思っているのです。特に、老いに鈍感になりたい。どんなトレーニングもヘッチャラで、どんな暑さにもヘッチャラで、どんな疲れも屁とも思わない鈍感に憧れているのです。

 

 7月1日の転倒による打撲はまだ癒えてはいません。左膝や鼻には痕が残っただけではなく変形も見られます。膝も鼻もまだ痛いので、満足に走ることはまだ出来ません。元々満足に走ることは出来ていなかったので、あまり気にはしていませんが、痛むのは辛い。暑さと痛みに苛まれながらでも一日20キロは走っています。ゆっくりと走っていても暑いときは脈拍数があがっているので、思ったよりトレーニング効果は上がっています。

 夏は疲れが抜けにくいので、走りに出る前には心の準備に1時間近くかかります。「さあ、出るぞ」「でも、こんなに疲れている」、「さあ、出るぞ」「足が痛いから止めようか」、「さあ、出るぞ」「暑いから、つらいなあ」と気持がぶれるが、静かに坐って、ぶれ幅を次第に小さくして、走りにでます。嬉々として、走りに出ているわけではありません。鈍感になって、何も思わずにサラリと走りに出たいものです。

 本を読むときは本を開く、文章を書くときは机の前に座る。走るときは靴を履いて外へ出る。ただ、それだけのことだがそれが難しい。ダラダラとしている時のまどろみが心地よいものです。元気の良いときは気持の切り替えも直ぐにできますが、疲れが抜けにくい年齢になると、自分への言い訳も巧みになっていることもあって、なかなか気持の切り替えが難しい。老いに鈍感になりたいと強く思うのはこんな時です。

 

 そういえば、少し前にミリオンセラーになった“鈍感力”という本があったことを思い出しました。読んでみたくなったので購入することにしました。誰が書いた本なのか調べると、渡辺淳一さんでした。近所の書店にはなかったので、ブックオフにて文庫本を260円で購入。アマゾンだと1円で送料が250円なので9円高いことになりますが、本は読まれた形跡が全くなく新品同様だったので、9円の価格差にもかかわらず、お徳感はありました。定価400円の本なので、新品で買っても大きな価格差はないのですが、貧乏性というものです。渡辺淳一さんの本を読むのはこれが始めてです。

 文章も優しく、文字も大きめで読みやすい。読みながらさまざまなことを考えました。どんなことを考えたのか、記してみたい。

 

「いい意味での楽天主義が自分の心を前向きにし、したたかな鈍感力を培う」6p

 

現実を生き難いものだと感じる人は少なくない。嫌な気分をコントロールして、穏やかな人生を歩んでいくには確かに鈍感力は必要なものだと思えます。

 鈍感と無神経はどう違うのか?「いい意味での楽天主義」が鈍感力を培うもので、悪い意味での楽天主義が無神経ということなのでしょう。落ち込んでも、へこたれても、所詮は一過性のものなので、深刻に受け止めることはない。大切なのは「自分は今、どこへ向っているのか」ということなので、向う先にある障害は、楽しみながら乗り越えていきたいものです。それには想定外の障害も多くあるので、躓かないようにヒザを柔らかく使う「したたかな鈍感力」も防具として身につけておきたいと思います。

 

其の壱、「成功をおさめた人々は、才能はもちろん、その底に、必ずいい意味での鈍感力を秘めているものです。」(25p)

 

成功をおさめた人々とはどのような人々のことなのだろう?社会的なステータスのことだけなのだろうか?

 私の考える成功をおさめた人々とは、自分が何者なのかを知っている人々だと思います。「自分の思考法を知っている」そして「自分のすべきことを知っている」。「自分の人生に必要なものを知っている」そして「人生の可能性に挑戦している」。「人生の楽しみと生きがいを知っている」そして「人生の質を上げることに前向きである」。「幸福とは何かを知っている」そして「自尊心や愛情、創造性といった心の健康について真摯に取り組んでいる」。「感動を大切にしている」そして「感動を分かち合うことをもっと大切にしている」。「自分の最大の敵は自分の中にあることを知っている」そして「唯一無二の自分の大切さも知っている」。そんな人が「自分が何者なのかを知っている」人々なのだろうと考えています。「自分が何者なのかを知っている」ので、人生の成功者となるのではないでしょうか。成功者とは誰が決めることなのでしょうか?「自分が何者なのかを知っている」人は「成功者とはどのような人なのかも知っている」ものです。

 ちなみに私は「自分が何者なのか」まだ知り得ていません。まだその旅の途中です。旅の道標に以上のようなことが書いてあったように記憶していますが、道に迷ったままです。

 

其の弐、「健康であるためにもっとも大切なことは、いつも全身の血がさらさらと流れることです。」(28p)

 

私は脳梗塞患者で顔と足に運動障害があります。血がどろどろしていては再発の可能性があるので、血がさらさらと流れることには人一倍気を使っています。再発すると歩けなくなる後遺症が残るようになるかもしれないと医師からそう言われています。その後、4年近くをかけて血の滲むような努力で少しずつでも回復してきたのを台無しにすることはできません。

 血がさらさら流れることの大切さはよく分かりますが、本書では人間の身体になぞらえて人間関係のさらさらについて書かれています。

 自分が否定されても落ち込まずに、さらさらと受け流すこともできる。亡き父の言葉を思い出します。「自分がどんなに努力をしていても、分かってくれる人が半分、分かってもらえない人が半分。世の中はそんなもんだ。私は分かってくれる人の為に努力をしている。」

分かってくれない人に不満をぶつけても批判をしても何にもならない。前向きに生きるには、今は何に目を向けることが必要かを知ることだろう。分かってくれる人の為に努力をするのも一つの方法だと思えます。人それぞれに自分のやり方があって良いのですが、自分のやり方をつかむまでに一苦労しなければならないのでしょうね。

 

其の参、「穏やかでリラックスした状態。たとえば楽しいとき、嬉しいとき、気分が爽やかで笑ったり、さらには周りが温かいときなどに、血管は開きます。」(42p)

 

自分を肯定的に生きることができれば、不快なストレスも直ぐに発散させて、充実した気分で平穏に生きることができるはずですが、それが難しい。人生は難問だらけだ。しかしそれを難問と思わずに、ストレスをパワーに変える方法もある。問題を難しくしているのは誰あろう、自分自身であることが多い。行動的に生きることに突破口がありそうだ。爽やかな汗をかいていると血管も開いてくるように思えます。

探検家のスタインは「人生は旅である」と言っている。そこへ行って見なければ何も分からない。旅は難行路ではなく、楽しくありたいものです。のんびりと山あり谷ありの景色を楽しみながら自分の足で汗をかきながら歩いていくのが良い旅のように思えます。

 

 其の四で五感が鋭すぎるのもマイナスだと言われている。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚を五感といいます。「鋭い人より鈍い人のほうが、よりのんびりとおおらかに健康で、長生きできることは間違いありません。」(67p〜)

 

 私は料理人として多くの方々に料理を提供してきました。味覚に敏感な人たちに共通の職業があります。最も鋭いと思ったのは音楽家の方々でした。特にクラシック音楽で一流と言われた方々の舌は確かなものでした。しかし、その方々は料理の楽しみ方も一流でした。音楽の豊かさは感覚の鋭さだけで生まれるとは思えません。料理を楽しむ豊かな心が音楽を豊かにしているのだとおもえます。

名前は言えませんが、誰もが知る日本のロックミュージシャンの方にこんなことを言われたことがあります。紹介で来られたお客様で、一人で静かに食事をされていました。見ると涙をこぼされているので、どうしたのか訊ねると、「こんなに美味しいものが世の中にあったんですね。」と言われたのでとても驚きました。曲の内容からは想像もつかない一言でした。今は亡きその方の曲を聴くたびにそのことを思い出します。実はとても繊細な方だったのですね。

 味覚が敏感だと言われる評論家の多くが、料理を舌先でしか味わうことができず、口先三寸のことしか語れない方が多い中で、この方は本物だと思わせた方がおられます。「おいしすぎる料理は飽きが来る。飽きずにもっと食べさせてほしい、と思う料理が本物の美味しさでしょう。私には家内と料理を楽しみたい店が日本には2軒あります。ここはそのひとつです。」

 本当に鋭い感覚をお持ちの方は、その感覚との付き合いかたも知っている。実はたいして鋭くもないのに、鋭さを装っている人は疲れると思います。そんな方は、のんびりとおおらかに健康で、長生きできることはないでしょう。

 

 其の五、「数ある鈍感力のなかでも、その中心になるのが、よく眠れることです。」(71p)

 

 中高年にはこのことが大問題である方々が多いと思います。私は眠れずに布団の中でゴロゴロしているときに、これは寝る禅なのだと思い呼吸を整えて瞑想していると、いつの間にか眠っています。それでも眠れない日があります。暑いときに気合を入れて走ると足が炎症を起こして眠りにくい。そんな時は解熱鎮痛剤を呑みます。薬が効くころには眠っています。

 

其の六、「才能がある人のまわりには、必ず褒めた人がいて、次にその本人が、その褒め言葉に簡単にのる、調子のよさをもっています。」(95p)

 

 NHKのラン×スマ〜街の風になれ、という番組をたまたま見たときに思ったことです。コーチの金哲彦さんは褒めることがとても巧い。地域にこういうコーチが一人ずつでもいたら、日本の医療費は半分以下になるに違いない。褒め方が巧いから、のるほうものりやすい。

 

「其の七 鈍い腸をもった男」

 年齢に健康年齢というものがありますが、それに関係する年齢に、血管年齢・骨年齢・腸年齢というものがあります。腸が健康であることは重要なことです。

 渡辺淳一さんがここで言わんとすることはそのことではなく、最近の日本人は抵抗力がなくなってきていることを言われています。過酷な登山や、秘境への旅を経験してきて思うことは、胃腸が丈夫でないと話にはならないことです。快眠、快便は生きる力そのものではないでしょうか。

 

 「其の八 愛の女神を射とめるために」「其の九 結婚生活を維持するために」「其の十四 恋愛力とは」

 

私には男と女の間には深くて暗い川がある、としか思えません。エンヤコラ今夜も舟をだす。という黒の舟歌に、振り返るなRow〜とあるように、振り返ってはいけないのです。

 とある高齢者の施設の職員に、利用者の困った愛憎劇の相談を受けたことがあります。「スイマセン、相談する相手が間違っています。」とお答えしました。「つらいことがあったんですね。」と真顔で返されたので、笑うに笑えなかった。

 若い頃の恋愛はファンタジーで、大人になるとサスペンスになって、中高年になるとミステリーになって、その謎は迷宮入りするが恋愛であるように思えます。

 ♪ 極楽見えたこともある

   地獄が見えたこともある

   Row and Row

   Row and Row

   振り返るな Row Row

 私は長谷川きよしのフラメンコ調のギター伴走での弾き語りが好きです。

 

 「其の十 ガンに強くなるために」で「ガンの予防から治療、そして社会復帰したあとまで、すべての点で大切なのは気持のもちよう、すなわち鈍感力です。」(146p)と言われています。

 

 以前に私が主催した市民向けの医療問題の勉強会で、講師の医師がガンについて語られたことがあります。このようなお話しでした。「ガンが増えたのは、長寿社会になったからです。悲しむことではありません。みんなガンを持っていると考えなければならない時代なのです。発症するかしないかだけの差です。ですからみんなガンの準備をしておくべきなのです。」心の準備が最も大切なように思えます。

 

 其の十一、十二で女性の強さのことが書かれています。

「女性の強さによって、人類は誕生し、この素敵な鈍さがあるかぎり、人類が容易に滅亡することはないのです。」(172p)

 

 女性は強いように思いますが、そのことで大切なことがあります。

 人間という群れが社会を形成するのは、社会進化史上で研究すると母系であることが自然なことがわかります。現代の私たちは狩猟生活をしているわけでもなく、素朴な農耕による家父長制も崩れているので、父系である必要はどこにもありません。母系の原点に返って、社会を作り直す必要があると思います。ここを語ると長くなるので、さわりだけにしておきます。

 

 「其の十三 嫉妬や皮肉に感謝」「嫉妬されるのは、その人自身が優れているからで、相手はそれが羨ましくて嫉妬しているのです。」(179p)

 

 世の中が暮しにくいのは嫉妬が渦巻いていることが原因の一つです。人生を勝ち組と負け組みに分けると、負け組みが勝ち組に嫉妬するのでしょう。しかし、勝ち組の中でも勝ち組と負け組みがあり、更にその勝ち組の中でも勝ち組と負け組みがあり、本当に勝ち組に入る人はほんの一握りしかいません。大半の人は負け組みにいることになります。

 勝敗にこだわらない人がいます。そんな人に「君は幸せな人だね」と言われているのを聞いたことがありませんか?そうなのですその人は幸せなのです。大半の人は負け組みに入るので、負けにこだわることはありません。自分の弱点を知って、向上心はあるが争うこともなく、のんびりと充足した人生を歩む人が幸せなのです。不幸な人は無理を重ねて、ストレスが溜まり、あくせくとした時間がすぎて、自分を取り戻せない人なのです。そんな人は大きく深呼吸をして、静かに自分を見つめて、していることを減らしてみましょう。自分を主張することから少しはなれて、みんなの話の聞き役になってみる。自分が絶えず何かをしていなければならないという呪縛に囚われていないだろうか?よい人間関係が幸福への第一歩だと気付いたときに、見える景色は違ってきている。

何でも言うことは簡単だが実行することは難しい。世の中が面白いのは嫉妬が渦巻いているからなのかも知れない。嫉妬を上手に活用する方法もあるのだろう。

ただ一つだけ言えることがある、挫折感のない一握りの勝ち組の人に、人の気持は分からない。そんな人が上に立つと、犠牲者が多くなる。

 

其の十五では、「さまざまな不快感をのみ込み、無視して、明るくおおらかに生きる、そんな鈍感力を身につけた人が、集団のなかで勝ち残るということです。」といわれています。

 

 勝ち残ることが必要かどうかは価値観の問題でしかないが、明るくおおらかに生きることは大切なことだと思います。勝利を手に入れることは素晴らしいことだが、それで幸せになれるということはないことを知ることのほうが大切なのではないだろうか。

 勝つことが大切なのではなく、努力の中に素晴らしい宝物があることを知るべきでしょう。惜しまない努力を続けてきた人々の中で、運よく勝利をつかんだ人には、素直に拍手を送りたい。その拍手は「私が私であってよかったといえる」惜しまない努力を続けてきた人々への拍手でもある。

 

「其の十六 環境適応能力」

「これから全世界に羽ばたき、新しい時代を切り拓いていこうと思う人は、まず自らの鈍感力をたしかめ、あると思う人はそれを大切に、ないと思う人はそれを養うよう、さまざまな環境にとび込み、強くするよう鍛えるべきです。

 そしてそのためには、なにごとにも神経質にならず、いい意味で、すべてに鈍感で、なにごとにも好奇心を抱いて向かっていくことです。」(225p)

 

 その通りだと思います。私は粉末のうどんスープの素と根昆布とろろがあれば、大抵の環境に飛び込んでいける自信があります。温かい湯に粉を溶かして、根昆布とろろを入れて、ゆっくりと味わうと、どんな時にでも自分に返ることができる。これは長持ちして軽いので携帯に便利です。ホッとする味と余裕があれば、大抵のことは何とかなるものです。雪山の頂で飲むのが最高に美味しいのですが、砂漠のど真ん中で味わったのも良い思い出になっています。

 

「母性愛 この偉大なる鈍感力」が最終章になります。序文に「おおらかなお母さんに褒められて育つことが、鈍感力を身につける第一歩である。」とあります。

 

 お母さんが、おおらかでいられるような社会をみんなの鈍感力で築くことが必要なのでしょうね。お父さんも褒められて育つように思います。褒めてあげてください。

 

 本書を読み終わって、売れる本は共感力が違うことを知りました。渡辺淳一さんの鈍感力で書き上げた本書は軽快でてらいのない共感力溢れる作品だったのです。

 

 本書を読んでいて宮澤賢治の〔雨にもまけず〕という感動的な詩を思い出しました。

 

 雨ニモマケズ

 風ニモマケズ

 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

 

 と続き・・・

 最も感動的なラストへ向います。

 

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイウモノニ

ワタシハナリタイ

 

南無無辺行菩薩

南無上行菩薩

南無多宝如来

南無妙法蓮華経

南無釈迦牟尼仏

南無浄行菩薩

南無安立行菩薩

 

・・・と結ばれます。

「デクノボー サウイウモノニ ワタシハナリタイ」

私はこの言葉に、「デクという、とても硬い木の棒」に打ち据えられたような思いがします。デクとは木偶(木彫りの人形)のことですが、その木には菩薩が眠っているのかもしれません。木彫家に「木の中に形が見える、それを形にしているだけだ。」と言われる方が少なくありません。宮澤賢治のデクノボーには、仏道修行の本来の姿が見えて、この詩を読んで涙ぐむこともあります。

 

私はデクノボーとまではいかなくても、無理をしないで、できれば毎日を、諦めない粘りの鈍足力で夏の後半を乗り切っていきたいと考えています。

 

鈍感力やデクノボーの究極の姿があります。私がなく、とらわれがなく、ことさらな作為もない、それを無為といいます。

荘子 第3冊 〔外篇・雑篇〕 金谷治訳注 岩波文庫 

外篇(承前) 至楽篇 第十八 より

 

 漢文と読み下し文は本書で味わっていただいて、訳だけを紹介したい。

・・・14p

大空は無為であってこそそれによって澄みわたり、大地は無為であってこそそれによって安泰である。そこでこの二つの無為が合わさって、万物のすべてが生み出されてくる。おぼろげでとらえどころがないが、どこからか〔万物が〕出てくるではないか。とらえどころがなくおぼろげであるが、そこになにかの形があるではないか。万物は次々と生まれて、みな無為のはたらきで育っている。だから「天地は無為で〔ことさらな作為をしないで〕いて、それですべてのことをなしとげている」と言われている。人間のばあい、いったいだれがこの無為を身につけることができるだろうか。

 

 究極の鈍感力を人間が身につけることは出来ないかも知れないが、「無為に入る」という言葉があります。仏門に入ることをいいます。究極の鈍感力が解脱の境地ということになるのですね。〔雨にもまけず〕に「慾ハナク」とあるように、欲を少なくすることが大切なのでしょうが、それが難しい。もっと速く走りたい・・・

 

 写真は、鱧の焼き物、真子と白子の御飯、ちり鍋です。








posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 迷走日記 | 12:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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