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迷走日記 2月13日 走禅一如 2
JUGEMテーマ:癒し・ヒーリング
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迷走日記 213日 走禅一如の可能性について その2

釈迦のヨーガから考える

 

 風呂上りに鏡で自分の体を見ると苦行時代の釈迦牟尼(シャーキヤ・ムニ)を思わせるような体形になってきた。ガンダーラから出土した像に筋肉を付けていったような感じですが、足だけは別の生き物のようになっています。足には立派な筋肉が付いていて、ふくらはぎは大きく盛り上がっています。ユニクロのスリムのジーンズではふくらはぎが引っかかって脱ぐのに手間取ります。

 シャーキヤ・ムニのムニとは黙々と修行に勤しむ行者のことを言います。シャカ族出身の行者のことです。仏陀(ブッダ)とは一般名詞で「悟った人」という意味です。サンスクリット語のガウタマ・シッダールタのガウタマとは「最上の牛」という意味です。シッダールタはバーリ語でシッダッタと言い「目的を達したもの」という意味です。サルバァールタ・シッダとの名も見られる。「いっさいの徳を備える」という意味です。

 この2週間に歴史書を読み漁りました。その結果、私には仏陀はモンゴロイドに思えます。そのことは今回のブログでのテーマではないので後日にしたいと思っています。

 

釈迦は偉大なヨーガの行者だった。仏教が興る前後にヨーガという行の体系が成立しています。ウパニシャッド聖典群の初期から中期にヨーガの体系が明らかになってきますが、釈迦の存在はそのあたりの時代となります。釈迦はジャイナ教のジナと共に広く大衆にヨーガを開いたと考えてもいいようです。釈迦はカースト(身分制度)やバラモンの神や輪廻を否定した。当時の権威からは異端の思想だったが、それは時代の先端の思想でもあった。ヨーガの本来の姿もそのような反バラモン・反権威的なものでした。

 

銅器の時代から鉄器の時代になると狩猟や農耕も変ってきますが武器も変り、社会の姿も変ってくる。ガンジス川とジャムナ川の中間地域は肥沃な土地であった。氏族制農村社会から都市社会へ移行していく。

 新しい時代には新しい思想が登場します。バラモンによる支配の強化、もう一方に原住民と融和を図る反バラモンの思想。強権的な支配はどんな時代でも理解しやすいが、融和的な思想は説明するのに少し解説が必要になります。当時の原住民の小さな集落群には、その集落ごとの独特なシャーマニズムがありました。多種多様なシャーマニズムに彩られていましたが全てに特徴的なのはそのシャーマニズムが集落の人々の生活に深くかかわっていたということです。融和にはこのシャーマニズムが障壁になることがあります。妄信している人々を説得するのは大変なことです。ヨーガという方法は「認識としての自己」「大いなる自己」「静寂な自己」を反復する回路を作り、自己が囚われている古い因習から解き放つことを説いた。心は洗脳の中にあるかもしれない。シャーマニズムには幻覚物質を使った祭事もあるので、そこからの解脱は並大抵のものではない。理屈での解脱は殆ど不可能と言っていい。農耕による余剰穀物が交易を発達させる。交易を盛んにするには理解しあえることが必要となる。それには、どのようにすればよいだろうか。

 「息のコントロール、感覚器官の抑制、瞑想、精神の集中、熟慮、そして沈潜」ヨーガはゆっくりと語りかける。絶え間なく静かに、心の動きの全てを停止する。そこには自己がいる。神に囚われた者ではなく、精神の働きを持った個体的原理(アートマン)がある。

 シャーマニズムからの開放には「西遊記」という玄奘三蔵の話が分かりやすい。玄奘は山の神である孫悟空と、森の神である猪八戒と、河の神である沙悟浄を守り神にして妖怪を退治しながら経典を中国に伝えるのですが、この妖怪というのが各地のシャーマニズムのことです。ヨーガも仏教も精神世界を説いて、人々を暗闇の恐怖から解く必要があった。

 

もし、宗教が世界を救えるとしたら、ヨーガかも知れない。勿論、フィットネス系ヨーガではありません。人々を金融資本主義の妄想から眼を覚まさせることが出来るのは、ヨーガという方法かも知れない。あらゆる既成宗教や宗派の枠を超え、人類の存在意義を覚醒させることが出来るのは、今の日本の仏教では垢に塗れすぎている。ヨーガにも神はいます。しかし、そのシバ神はヨーガを無事に修行することを願う「ヨーガの始祖」として崇敬される存在です。ヨーガには師弟という関係があっても、自覚と自立的な態度が基礎となります。ヨーガでいう聖なるものとは弁別智のことです。弁別智とは「心の働きの完全な停止」を実現した上での、自分を見る眼(プルシャ)のことではないかと思えます。「プルシャのかなたに何ひとつ存在しない。これが目標である。これが最高の歩みである。」(カタ・ウパニシャッド 湯田豊 訳)

 

 仏陀は苦行を捨てた。6年間の沈思黙行の末に、苦行でもない放逸でもない中道を悟った。そして四諦・八正道を説いた。

 中道とは弦楽器の弦の張り具合にも喩えられます。分かりやすい喩えです。インドといえばシタールという弦楽器があります。ラビシャンカール(1920年〜2012年)という名前に聞き覚えのある方も多いと思います。モントレーやウッドストックでの演奏に刺激を受けた中高年の音楽ファンには馴染み深い。ジャズシンガーのノラ・ジョーンズの父でもあります。ビートルズファンにはジョージ・ハリソンのシタールの師であることも知られています。実はジョージ・ハリソンにシタールを指導したのはラビシャンカールの日本人の弟子でした。彼はヨーガをヨーギと発音していました。シタールの演奏もヨーガであるらしく、ヨーガにもカーストがあるという話を35年程前に聞いたことがあります。ヨーギーとは男性のヨーガ行者で女性ヨーガ行者はヨーギニーといいます。観光客の前でヨーガを披露するヨーガ行者はカーストの最下層で、シタールの演奏者は中の層で、上位の層は山奥の人目に付かないところで修行をしているとの話は興味深く聞かせていただきました。古いヨーガはカーストを否定するものでしたが後年にはバラモンの価値世界に取り込まれたようですね。

 

 釈迦の四諦とは

苦諦(くたい)・・・人生は苦である

集諦(じゅうたい)・・・苦には原因がある

滅諦(めつたい)・・・苦を制してなくしてしまう

道諦(どうたい)・・・苦を制してなくしていくには道がある

 

 釈迦が苦行を捨てた理由が四諦から自ずと読めるではありませんか。わざわざ苦行をしなくても人生は苦難に満ちている。

 

 八正道とは苦を制して無くしていく道のことです。

正見(しょうけん)・・・正しい見解

正思(しょうし)・・・正しい思考

正語(しょうご)・・・正しい言葉づかい

正業(しょうごう)・・・正しい行為

正命(しょうみょう)・・・正しい生活

正精進(しょうしょうじん)・・・正しい努力

正念(しょうねん)・・・正しく記憶に留める

正定(しょうじょう)・・・正しく精神を統一する

 

 では、何を持って正しいというのだろうか?

 中道という修行、静かに安楽に坐ることで「正の姿」を悟ってみなさいということなのでしょう。精神が静寂の中で整っている、それは脳を究極にリラックスさせることで得られるバランス感覚だとしたら、脳科学的にも理に適っています。釈迦がヨーガによって得た境地は、人の脳のあり方を見透かしたものであったのです。

 

 ヨーガスートラにはヨーガの実践を8階梯で示しています。

禁戒(マヤ・きんかい)・・・道徳的自己コントロール

勧戒(ニヤマ・かんかい)・・・修行の心得・精神、準備

坐法(アーサナ・ざほう)・・・坐り方、姿勢・ポーズ

調息(プラーナーヤーマ・ちょうそく)・・・呼吸のコントロール、気の調整

制感(プラティヤーハーラ・せいかん)・・・感覚器官をそれぞれの対境から切り離す

凝念(ダーラナー・ぎょうねん)・・・心を一点に集中する、想念の固定

静慮(ディヤーナ・じょうりょ)・・・固定されていた想念を限りなく広げる

三昧(サマーデ・さんまい)・・・空という別次元

 

 私は禁戒と勧戒と坐法はヨーガのための準備段階だと思えます。調息、制感、凝念、静慮は一体のもののように思えます。調息を中心に制感、凝念、静慮は反復していくもののように思えます。解体、検証、再生を繰り返すことで、三昧という創造的世界が獲得できるのではないでしょうか。

 調息とは吐く息と吸う息を出来るだけ細く長くする。吐ききって止め、吸いきって止める。大宇宙の気を吸い込んで、生命のエネルギーにする。呼吸を腹の奥を意識して「細く長く」を繰り返すと、脳からα2波が出る。セロトニン神経が活性化されて脳が覚醒していきます。覚醒した脳で三昧という宇宙との一体感を楽しんでみてはいかがでしょうか。

息を吐ききり。感覚器官を止める。想念を止める。息を吸いながら想念を広げる。止める。吐く、止める。吸う、止める。「ヨーガとは心の働きの止滅」。

その後の13世紀頃のハタヨーガが私たちが知るヨーガの祖形となります。

 

走禅一如を釈迦のヨーガから考えてみると、やはり呼吸の工夫が必要でしょう。

呼吸のリズムを大切にして走ってみると分かったことがあります。どこかに無理な力みがあると呼吸が乱れやすい。呼吸が乱れるような力みのある走り方では故障しやすい。呼吸を意識して走ると、走りの組み立てに無理が生じない。呼吸は走りの命なので、呼吸のリズムで走りを考えることが必要でしょう。この呼吸で42.195キロのベストパーフォーマンスを実現できるだろうか?「頭を使って走る」とは呼吸を考えて走ることであるように思います。

苦行のような練習は故障の元になります。走りの八正道を考える。正しい努力をしているだろうか・・・。今日も黙々と走っています。

 

写真は姫路市豊富の善寿寺で撮影したものです。








 

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 迷走日記 | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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