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迷走日記 11月23日 伴走者
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迷走日記 11月23日 伴走者

 

 小川洋子さんという小説家を御存知でしょうか。私はまだ小川さんの小説を読んだことがありません。小説をあまり読まないからです。

小川さんの文学賞受賞歴・候補歴[編集]Wikipediaで見てみました。

1988年『揚羽蝶が壊れる時』海燕新人文学賞

1989年『完璧な病室』芥川賞候補

1989年『ダイヴィングプール』芥川賞候補

1990年『冷めない紅茶』芥川賞候補、野間文芸新人賞候補

1991年『妊娠カレンダー』芥川賞

1997年『ホテル・アイリス』泉鏡花文学賞候補

2004年『博士の愛した数式読売文学賞本屋大賞

2004年『ブラフマンの埋葬』泉鏡花文学賞

2005年『海』川端康成文学賞候補

2006年『ミーナの行進』谷崎潤一郎賞

2007年『ひよこトラック』川端康成文学賞候補

2010年『寄生』川端康成文学賞候補

2012年『ことり』芸術選奨文部科学大臣賞

2013 早稲田大学坪内逍遙大賞

 

 『博士の愛した数式』のタイトルだけは目にしたことがあります。

 小川さんは金光教の信者です。私は金光教のことも全く知りません。知りませんが、小川さんのこんな言葉がとても気になりました。

“私と宗教”渡邊直樹編(平凡社新書)

・・・・・

75p

何かある目的のため、宗教を求める必要はないのではないでしょうか。苦しい現実を自分の心に合うように変えてくれるのが宗教ではないはずです。宗教は苦しい現実を、自分の心の形に合うようにするため、隙間を埋めてくれるだけ。苦しみを排除する力はないと思うんです。過剰な期待をして宗教に解決や利益を求めるのではなく、宗教的なものと共に生きるほうがいい。自分より先の道の上に神様や仏様がいらっしゃるのではない。その方たちが自分の伴走者として走ってくださる、そのほうが日本の宗教のあり方として深まっていくと思います。

・・・・・

 

『伴走者』という言葉に深い意味を感じたのです。

伴走者とはデジタル大辞泉では、

・・・・・

ばんそうしゃ【伴走者】

視覚障害のあるマラソンランナーに伴走する人。競技者のそばについて走り、走路や給水所の位置を知らせ、安全に競技が行えるようにする。

・・・・・

 

 となっています。

金光教のホームページを拝見させていただきました。

 教祖の教え、にこのようなことが書かれていました。

・・・・・

・・・金光大神は、この世に生を受けたもののつとめとして、「人を助ける身になれよ」「人の難儀を助けるのが有り難いと心得て信心せよ」と、人を助ける人間になることを願いつづけ、人を助けるのが人間である、と教えています。

 「かわいい(ふびんでならぬ)という思う心が、神心である」との教えのように、難儀な人を見て、ふびんに思う神心は、だれにも神様から分け与えられています。この神心をもって、人を助ける使命に生き、そこに大きな喜びを見出していくのが、信心であります。

・・・・・

 

「人の難儀を助けるのが有り難いと心得て信心せよ」という教えを読むと、小川さんの言う伴走者の意味が分かるような気がします。

 

 伴走者は視覚障害者の目となるのですが、仏教には『慈眼』という言葉があります。

 

“傑僧説法 百八のことだま”日経BP

第3章 他者を愛する―――酒井大岳・曹洞宗長徳字住職

より

・・・・・

80p〜

『観音経』というお経の中には、「慈眼」(じげん)という言葉が出てまいります。「慈愛」の「慈」に「眼」と書いて、「慈眼」と言いますが、これは「慈しみの眼」のことです。

「温かい眼差し」のことを言います。この眼差しで人や物を見るのでなければ、慈眼とは言わないし、ましてや愛心などとは言いません。

 他者を愛するということは、理屈や努力でどうなることではありません。

 すべてのものが、またと有り得ない尊い時間の中を生きてきて、しかも、刻々と変化し、やがては消え去ってしまうものであるということ。かけがえのないいのちを持ち合わせて、今ここにこうして触れ合っているということ。この大きな事実に感動する心があって、初めて「他者を愛する」ことができるのだと思います。

・・・・・

 

マラソン等の伴走者は視覚障害者の「慈眼」となることが理想的です。

「自分より先の道の上に神様や仏様がいらっしゃるのではない。その方たちが自分の伴走者として走ってくださる」

私にとって神様や仏様は伴走者なんだろうか?ということに答えは出ませんが、金光教の方は良い伴走者となれるだろうな、と思います。

金光教では『神心』仏教では『愛心』、それは神と仏の違いはあっても「道は違えど不二の山」、同じ心のようにも思えます。

小川洋子さんの小説も読んでみたい、と思っています。

 

写真は、姫路市網干にある龍門寺の墓の奥にとても素敵な木が何本もあります、その内の一本です。








posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 迷走日記 | 19:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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