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迷走日記 10月1日 心とは何?
JUGEMテーマ:ジョギング

迷走日記 10月1日 心とは何?

 

 心とは何か?大切なことは簡潔に話すのが良いでしょう。心とは人間本来が持っている音楽にきわめて近い感性です。

リズムは心臓の鼓動や呼吸です。心臓や呼吸が持つ律動を基本にして、心の躍動感になります。身体的な感性の基にもなっています。

メロディーは環境への適応です。人間は他の動物に比べて寒いところから暑いところまで、暮らしている範囲が広い。その気候や場所に適応していけるように、その場その時節に主旋律を置いて暮らしています。

ハーモニーとはバランス感覚です。思考と身体感覚がバラバラになったりすると不快なものです。人間は類的な生き物なので社会性というバランス感覚もあります。

 

身体の音楽は実際の音楽と違って、音が出ません。これを禅の言葉で言うと没絃琴(もつげんきん)という言葉になります。絃の無い琴です。「百千万語を費やしても説きえない禅の妙旨を、象徴的に簡潔に提示することを、没絃琴を弾ずるといい、そこにこめられた妙旨を没絃琴の調べというのである」(芳賀幸四郎著 新版 禅語の茶掛 上巻)

身体の音楽は脳だけで作り出すことが出来ません。禅では先ず、原初的な身体感覚を取り戻すことが、心の音楽を健やかなものにすると考えます。

・・・・・

“息身佛 ただ、息をする。ただ、生きる”板橋興宗著(角川SSC新書)

127p〜128p

 なぜ、坐禅をするのか。これも、頭を空っぽにするためです。坐禅をすることは、大自然と一つに息づいていることです。

 自分の息づかいに親しみ、無心に坐禅をすることを道元禅師は「只管打坐」と言いました。音読みをすると「しかん」ですが、その文字の意味は「ただ」「ひたすら」です。

 ひたすら坐るとは、ただあたりまえに坐っていること。ひたすら息をするとは、ただあたりまえに息をしていることです。何事であれ、一つのことにひたすら専念することは、人生の極意である「ただ」に通じるのですね。

 しかし、ここで言う「ただ」は、ただボンヤリしているとか、ただ遊んでいる「ただ」とは違いますよ。何の構えもない、ごくあたりまえの、風鈴のような状態です。大自然と響きを共にしている生き方です。

・・・・・

「大自然と響きを共にしている生き方」

大自然のリズムやメロディーやハーモニーと響きあうことで、心の奥底から湧いてくる人間の音楽を知ることになるのです。

 

野呂昶(のろ さかん)という方が“良寛詩抄 無絃の琴”(すずき出版)を編著されています。良寛詩の根幹を「無絃の琴」というタイトルで表されている。私の知る限りにおいて、良寛詩を最も理解されている方ならではだと思います。

その冒頭に紹介されているのが、この詩です。

・・・・・12p〜13p

静夜草庵裏  静夜 草庵の裏(うち)

独奏没絃琴  独り奏す 没絃(もつげん)の琴

調入風雪絶  調べは 風雲に入りて絶え

声和流水深  声は 流水に和して深し

洋々盈渓谷  洋々 渓谷に盈(み)ち

颯々度山林  颯々(さつさつ) 山林を度(わた)る

白非耳聾炭  耳聾(じろう)の漢(かん)にあらざるよりは

誰聞希声音  たれか聞かん 希声(きせい)の音

 

【現代語訳】 静夜、草庵にあって、ひとり無絃の琴を弾いている。その調べは、天空高く風雲にまでとどき、その音は、流水に調和して深く、渓谷に満ち山林を渡る。なんと微妙な琴の調べ、これを聞けるのは、無音の世界に住む聾の人よりほかない。

【語句注】 没絃琴・・・絃のない琴、空想上の琴である。不立文字(ふりゅうもんじ)を示す禅話でもある。

【詩の風韻】 無紋の琴のかなでる音は、自由自在どんな音楽にでもなり、またどんなに遠くまでも届く、限界というものがない。良寛の心境を暗示している。

・・・・・

良寛の詩や書が面白いのは、音楽的だからです。音楽的なリズムやメロディーやハーモニーを感じさせます。

 ハーバード・リードは「全ての芸術は、音楽の状態に憧れている」と言っていますが、言い換えれば「全ての芸術は、人間本来が持っている音楽にきわめて近い感性で創られている」ということになります。

 

「没絃琴の無声の霊響」が悟りだということになります。

私は歩いたり、走ったりしながら、無限の琴を奏でたいと思っています。

 

写真は雪彦山の木の表情です。












 
posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 料理日記 | 17:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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