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政治と金の問題について
 

昨年度の姫路の建設会社の経営内容を、とある大手企業の方から見せていただいた。それは中身を一言も外部に漏らせないほどの酷いものであった。私は10年後の土地価格が現在の半分になる予想をしているので、土地が安くなれば建設需要が増えるのではないか、と思っていたのですが、そう甘くはなかった。10年先まで存在していると、はっきりと言える会社は一つもなかった。土地が安くなっても、内需が回復していなければ、更地が増えるだけなのだ。この夏に見た戦争をテーマにした映画の、絨毯爆撃による焼け野原の映像が浮かんだ。

 

道路も駅前再開発も結局は未来に負担を押し付けているだけなのだ。駅周辺にできるショッピングセンターも過剰供給を上塗りしているにしか過ぎない。郊外の道路整備は郊外の大型店に客足を増やすだけの効果しかない。ほんの少し消費税収入が増えても、デフレを加速させる政策でしかない。商品力もない価格競争もできない駅前商店街が尚一層寂れて、街が空洞化していくだけだ。なぜこんなことになるのか?行政の都市計画や経済政策が行き当たりばったりの杜撰なものであるからだ。もともと、予算委員会もなければ、使われたお金の監査委員会もなく、予算も決算も説明があるだけで議論のない議会に何かが出来るわけもなく、市長の顔も建設業者の方を向いたままで、なんとか45年の間建設会社の連鎖倒産を回避するだけの政策しか持ちえていない。姫路は新日鐵等の大企業があるから無策でも持ちこたえたが、これからはそうはいかない。円高で大打撃を受けるからだ。

 

私には策がある。その私の夢物語を聞いてやろうという、大手企業がいくつか現れた。行政には残念ながら、行動力がない。企業にも、思ったほどの体力がない。

「駅前商店街がなくなれば姫路城がもっと良く見えるようになるからだろう。」と冗談を言ったら、課長がコーヒーをこぼした。テーブルを拭きながら、唐突に彼が切り出した。「菅さんと小沢さんとどちらが首相になった方が、日本が良くなるのでしょうね」

「菅さんの経済財政のトータルな話を聞いたことがないから、分からないね。とりあえずみんなでイギリスの財政改革とドイツの福祉とニュージーランドの医療を勉強する会をしようと言っているのですがね。」と答えて、本題に入って行った。本題の内容は今の段階では話せない。

 

帰りのエレベーターの中で植草一秀の816日のブログを思い出していた。

 

・・・・・

2010816 ()

小沢一郎氏周辺の刑事問題に関する五つの真実

 メディアは小沢氏攻撃を続けているが、ネットを通じて小沢氏に関する五つの事実をすべての国民に徹底的に周知させてゆく必要がある。
 
 第一は、小沢氏に関する「政治とカネ」問題の詳細である。

秘書大久保隆規氏が政治献金を受けた政治団体名を正しく記載して報告したのに「虚偽記載」だとされて逮捕された事案である。大久保氏のこの問題での無実は早晩明らかにされると思われる。
 2004年10月に小沢氏の資金管理団体が不動産を購入した件について、
ー支報告書での記載が2005年になったこと、
一時的な資金繰りをした資金の出入りが記載されなかったこと、
の2点が問題にされているが、
,砲弔い討鷲堝飴催亠が2005年にずれたこと、
△呂海譴泙任留人僂濃餠盞りの記載が省略されていたこと、
が背景であり、本来、刑事事件として立件するような事案ではない。
 
 第二は、検察審査会の審査補助員を務める弁護士の選任方法が不透明であることだ。検察審査会の審査では、審査補助員の弁護士および事務局が提供する基礎資料が決定的に重要な役割を果たす。審査補助員を恣意的に選定すれば、検察審査会の決定を誘導することが可能になる。

・・・・・

というように第五まである。

 

小沢さんが有罪だとはっきりと言い切れるのか?

マスコミの報道の雰囲気だけで判断しているということはないだろうか?

検察審査会の判断は公正なものだったのだろうか?

私には分からないが、有罪だと確証出来る話も持ち合わせていない。

 

831日の植草のブログでは

菅さんと小沢さんの基本政策を比較している。 

 

・・・・・

菅政権の基本政策は、
‖佇椴貘
官僚利権温存
市場原理主義
ず眄再建原理主義
シ糞い茲蠅盧眄である。

 これに対して、小沢一郎氏は、
‖佚な日米同盟
官僚利権根絶
6生重視主義
ず眄の無駄排除の徹底
ス駝韻寮験茲第一を基軸にしている。
 
 代表選では沖縄普天間問題が重要争点として浮上する。

・・・・・

植草はとても秀才だが、例の事件が少し冷静さを失わせている。

強烈な小沢支持者の植草のことは置いておいて、

民主党は菅さんと小沢さんの政策の違いを国民に分かりやすく示さなければならない。

党内の権力抗争の選挙にしてはいけない。

国民に両者の政治的立脚点の違いまで明らかにしなければならない。

 

本屋によって、『田中角栄の昭和』保阪正康著 朝日新書

2010730日 第一刷 を買って帰った。

 

まえがきに『民主党には田中政治に相通じる三つの特徴があるように思う。』

と書かれていたからだ。

・・・・・

1点は人間の幸福感を物量による尺度においていること。

 日本列島改造論などその典型であった。田中は、きれいごとを言うより、金をもって豊かな生活を過ごそうと、国民の欲望を政治化するのにもっとも力を発揮した政治家であった。

2点は、その政治姿勢がリベラルな立場にあること。

 政治的には東西冷戦下で西側陣営に属することは明確にしていても-----

 実業家としての目で見る中国市場の可能性に賭けるという方向を常に意識していた。結果的にそれはリベラルな立場に立つことを意味していたのである。

3点 政治家生活には多額の政治資金を投入した。

 

田中政治が日本社会で受け入れられたのは、欲望肥大の物量社会、その体制を支えるリベラリズムにあるが、それはとりもなおさず意識する社会主義者と意識せざる社会主義者との結合であった。社会主義体制が崩壊したがゆえに、リベラリズムという社会民主主義的な政策で、田中派と社会党は結びつくことができたのであった。それは歴史上の皮肉な結合でもあった。

 

-----田中が金権政治で批判されて政治の正面から退場するとき、そしてやがてロッキード事件で逮捕されたとき、田中の価値観や人生観に国民は鋭い批判を浴びせた。いや、なかには嘲笑することが流行のような様相を呈した。つまり田中は日本人の道徳や倫理のもっとも低次元な領域を代弁させられ、そして同時代史の上では巧みに国民自身の弁解のために利用させられてきたと、私は見ているのである。あえて言えば、そこに田中角栄という政治家の悲劇があった。

・・・・・

 

というようなことがまえがきに書かれていた。

 

ロッキード事件と言えば、田中角栄はエアバス導入の見返りとして受け取った5億円が問題とされたのだが、韓国の軍隊や自衛隊への戦闘機売り込みのための巨額の闇資金のスケープゴートにされた事件として、私は認識している。立花隆によると牛1頭が極上のステーキ1枚に矮小化された事件ということになる。

 

著者は第3章でこう述べている。

・・・・・

露骨に政治資金を生みだす中心円とそれを固く守っていた田中ファミリーの円輪そのものが官僚を軸にした政治家と財界人、それと連動したアメリカの国益とによって狙い打ちされたという歴史的な見方が出来る。

・・・・・

なぜ狙い打ちされたのか。田原総一郎がいうところの「アメリカの虎の尾を踏んだ田中内閣」、田中のナショナリズムにもとづいた資源外交(石油)が国際的な枠組みでは、アメリカを軽視した「虎の尾」を踏むことになったということなのか。

著者は終章でこうも述べている。

・・・・・

-----もし田中が政界、財界、官界の中にあって、政治資金をこれまでの自民党の領袖のように財界から集めていたら、田中はロッキード事件でひっかかることはなかっただろう。だが田中は財界、官界とは一線を引いて、自らの力で自らの才覚で、土地転がしや不動産売買(それも立法府にあって立法とからませて)によって政治資金をつくり、官僚を手なずけた。そういう意味では、田中はまさに日本社会の亜流そのものであった。つまり田中の言うところの「アメリカのメジャー」などから見ると、「何をやるかわからない男」ということになった。

 田中はその意味では日本の亜流叩きのターゲットにされたのだ。

・・・・・

では何故、土地転がしや不動産売買によって政治資金をつくったのか。

無罪になったが、炭管汚職事件で得た教訓であったようだ。

2章 裁判から得た三つの教訓

『政治資金は自前で調達し、他人からの献金には頼らないという哲学である。献金はつねに贈収賄の危険性がある。』

 

田中は亜流として、土地転がしや不動産売買によって政治資金をつくった。では主流はどうか?田中以降の主流派は政治資金が73年のオイルショック等で財界から集まりにくくなっているために75年から国債を発行し、官僚の既得権益を増やしていくことで官僚をコントロールしようとしているではないか。亜流の田中と国民の税金を湯水のように使い、政治資金代わりにした政治家とどちらが、健全な発想をしていると言えるだろうか。

 

民主党は鳩山さんと小沢さんの金がなくて、結党できただろうか。労働組合系以外の議員の選挙を支えることができただろうか。小沢、鳩山の政治と金の問題は、亜流の問題で、真の政治と金の問題は、増え続ける国債にあるのです。政治と金の問題を言うなら、来年度予算の概算要求の大きさにこそ、目が向けられなければならない。

 

日本の国債がいかに巨大になって行ったのかは、猪瀬直樹の「日本国の研究」を読めばよく分かる。政治と金の巨悪は他にいる。国民は錯覚に陥ってはいけない。

日本の政治は多大な資金を必要とする。解決方法は国民が政治哲学を持つ以外にはない。

「小沢さんの政治と金の問題はどうなったんでしょうね」と国民が言っている間は何も変わらないだろう。

 

『田中角栄の昭和』は田中を擁護している本ではない。国土開発、電子立国、資源獲得、日中国交の問題も含めて、日本の戦後とは何かを象徴的に描いた作品であり、必読の書である。現在的にいえば、世界のエネルギー転換の時代の、日本の技術力を封じ込めて競争力を削ごうとしている、諸外国の円高容認といかに戦わなければならないのかを考える、歴史書でもある。

 

しかし、田中が日本の政官の質を落としたことも事実だ。

 

同著の第3章の一節を最後に紹介したい。

・・・・・

187p〜

-----昭和30年代の保守政治には政財官の癒着構造が当然なこととして存在した。財界の献金は主に官僚出身の政治派閥に優先的に撒かれていて、党人派の系譜に連なる派閥は政治資金集めに頭を悩ませなければならなかった。もともと政治に多大な資金を要するというのは、この国の政治風土として明治期から続いていたことで、それは議員自身の責任に加えて、有権者の側の意識が、議会政治のありうべき姿を求めるよりも、家業としての代議士誕生を補佐し、そこに利権構造をつくりあげようとする風土そのものにもつながっていた。そのことに気づくなら、確かに田中ひとりのみに「金権」の汚名を浴びせることは妥当とはいえないだろう。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 政治 経済 | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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