PR
Search
Calendar
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
New Entries
Recent Comment
  • 入院患者と障がい者に笑顔とコンサートを贈る市民の会 日々是幸日
    shopss (11/19)
Category
Archives
Profile
Links
mobile
qrcode
RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

posted by: スポンサードリンク | - | | - | - | - | - |
リンカーン 人民という法廷の偉大な判決
 

映画 リンカーン を観る 2

日本をどうする?国民が学ばなければ、政治は動かない。 70

エイブ・リンカーン 吉野源三郎著 童話屋 

リンカーン演説集 高木八尺・斉藤光訳 岩波文庫 を読む

 

 この映画はアカデミー美術賞も取っている。美しい映画なのだが、その光の使い方が抜群に鋭い。中世絵画を思わせる光のデザインは、よく見るとそれはリンカーンと神の対話をイメージしている。それは啓示でもあったりするのだが、リンカーンが静かに神を感じている様子が実に上手く表現されているのも、この映画の見所だろう。

リンカーンのこの言葉を頭の片隅において映画を観ることをお薦めします。

(エイブ・リンカーン)177p

「わたしの心ははがねの板のようだ。ちょっとひっかいたくらいでは、なかなかあとが残らないが、その代わり、いったん、あとがついたら、こんどは容易に消すことができない。」

 本書ではこう続いている。

・・・都会そだちの人びとから見ると、彼は感じのにぶい男に見えましたし、たしかに彼の心は、ものごとに応じて軽快に、しなやかに動いてゆくほうではありませんでした。しかし、彼はものごとをどっしりと深く経験してゆく男でした。心の表面ではなく、魂のしんで経験してゆく男でした。このしんまでひびいてくるほどの経験はめったにありませんが、その代わり、このしんまでしみ通った以上は一生心から消しとることができない思いとなって残ります。

 南方のドレイ州で見たドレイのあのあわれな状態―――彼は、それを忘れてはいませんでした。現在、何十万という人間が、不正を受けて苦しんでいる。一日としていたましい涙の流されない日はない。このことは四十歳のなかばを越えた年になっても、鋼鉄の板に打ちこまれたあとのように、彼の心に残っています。

 

リンカーンの生涯を思うと逆境と試練の人であった。その人生は極貧の中で始まり、まだ幼少の頃に心労困苦で死んでいった母への思いを胸にしまい。その後に姉の遺影を自分の影に織り込んだ。このときの悲しみが、繋がれし者の悲しみと重なったのではないだろうか。リンカーンは西部で開拓者の魂を育て、独学で建国の礎である正義を学び、聖書で慈しみという安らぎを得た。そして、魂と正義と慈しみは働くことで支えられていることを知った。労働は神から与えられたもので、その喜びも神から与えられるものだった。

(リンカーン演説集)110p

スプリングフィールドを去ってワシントンに向う別れの挨拶(1861211日)

・・・今私はこの土地を去ります。いつ帰れるか、果して再び帰れるか、わかりません。ワシントンに委された事業よりも、もっと困難な事業を前にして行くのです。彼を常に援け給うたかの聖なる者の守護がなければ、私はとうてい成功できません。神の護りがあれば、失敗はありません。私とともに行き、また皆さんとともに留り、どこにでも、いつもいることのできる神に信頼して、一切のことはよくなるものと今も確信いたしましょう。皆さんを神の御手に委ね、どうか皆さんも、祈りの中に私を神に委ねて下さることを願って、心をこめたお別れを申し上げます。

 

「ワシントンに委された事業よりも、もっと困難な事業」の「もっと困難な事業」とは、神から委ねられた事業のことを言っている。

 

 ワシントンに渡ってから、彼の試練はより激烈なものとなった。

(リンカーン演説集)序より

・・・政治家としての公生涯も、失敗、誤解、悪評、叛逆等々をつぶさに体験した、まことに狭きいばらの道を物語るのである。

彼の死を悼む詩人ホイットマンが、疾風怒濤の難航海を終り、ついにデモクラシーの巨船を港に導いた時、倒れた殉職の船長にたとえて、「あゝ船長よわが船長よ、われらの恐ろしき旅路終りぬ」(“Captain! my Captain! our fearful trip is done,)と歌った真率な言葉に現われるように、じつに、彼の一生は恐ろしき嶮難の行路であった。

 そのような生涯を貫くリンカーンの指針ともいうべきものを求めて、私はそれを、『正義をして成らしめよ、たとい天地は壊るゝとも〕の古語に合致する彼の精神―――利害を超絶して正義と真理とをひたすらに求むる態度―――に見出しうるように思う。それはまた換言すれば、神を畏れ、良心の声に傾聴して、その至上命令に服そうとする自主なる平民の至誠ということができよう。

 

 神の事業は難行路であった。しかしリンカーンにとって神から与えられた大統領という仕事を全うする以外のことは考えていなかった。

(エイブ・リンカーン)389p

リンカーンは、ある時ひとりの牧師さんが「神さまが北部の味方をしてくがさるように。」といったときに、すぐこう答えました―――「いや、わたしには、それはどちらでもいいのです。神さまはいつも正しいものの味方だ、ということを知ってますからね。それよりも、むしろわたし自身と国民とが神さまの味方に立つように―――と、わたしはしょっちゅう心配していますし、祈ってもいるのです」また、こんなことをいっていたこともありました――「もしも神さまがわたしに何かあることをしてほしいとかお思いになったばあいには、神さまは、それをわたしに知らせるのにおこまりになるはずはない。そう思って、わたしはまんぞくしているわけです。」

 

「わたし自身と国民とが神さまの味方に立つように」

 

第一次大統領就任演説ではこのように論じている。

「その真理とその正義とは、かならず、このアメリカ人民という法廷の偉大な判決をつうじて支配することになる」

(エイブ・リンカーン)304p

「人民に最後の正義がある、ということを、なぜ、われわれはしんぼうづよく信頼しないのでしょうか。これ以上の、もしくはこれと同じくらいの希望がほかにあるでしょうか。現在のわれわれの意見の対立にあたって、どちらの側も、じぶんが正しいと信じています。しかし、諸国民を支配するあの全能の神が、北部の側に立たれるか、あるいは南部の側に立たれるか、いずれにしても、その真理とその正義とは、かならず、このアメリカ人民という法廷の偉大な判決をつうじて支配することになるにちがいありません。

 不満をいだいている同国民(南部)の諸君! 内乱が起こるかどうかの重大な問題点は、あなた方の手中にあって、わたくしの手にあるのではない。政府は、けっしてあなた方を攻撃することはしません。あなた方自身からしかけないかぎり、衝突はありえないのです。政府を破壊するという、あなた方のちかいは、天にいれられないでしょうが、わたしのほうは『政府を維持し、守護し、防衛する』というもっとも厳粛なちかいを、ちゃんと守リとおすでしょう。」

 

第二次大統領就任演説ではこのように論じている。

「神がわれらに示し給う正義に堅く立ち、われらの着手した事業を完成するために努力いたそうでは有りませんか。」

(リンカーン演説集)187p

 全能の神は彼自らの目的を持ち給います。「この世は躓物(つまづき)あるによりて禍害なるかな。躓物は必ず来たらん。されど躓物を来たらす人は禍害なるかな」(マタイ伝)もしもわれわれが、アメリカの奴隷制度は神の摂理により当然来たるべきつまずきの一つであり、神の定め給うた期間続いて来たものであるが、今や神はこれを除くことを欲し給うのであると考え、また神はつまずきを来たらせた者の当然受くべきわざわいとして、北部と南部とに、この恐しい戦争を与え給うたのであると考えるとしますと、それは活ける神を信ずる者が当然持ってもよい考えではないでしょうか。われわれがひたすら望み、切に祈るところは、この戦争という強大な笞(むち)〔天からの惨禍〕が速やかに過ぎ去らんことであります。しかし、もし神の意思が、奴隷の二百五十年にわたる報いられざる苦役によって蓄積されたすべての富が絶滅されるまで、また笞によって流された血の一滴一滴に対して、剣によって流される血の償いがなされるまで、この戦争が続くことにあるならば、三千年前にいわれたごとく、今なお、〔われわれも〕「主のさばきは真実にしてことごとく正し」(詩篇一)といわなければなりません。

 なんぴとに対しても悪意をいだかず、すべての人に慈愛をもって、神がわれらに示し給う正義に堅く立ち、われらの着手した事業を完成するために、努力をいたそうではありませんか。国民の創痍を包み、戦闘に加わり斃れた者、その寡婦、その孤児を援助し、いたわるために、わが国民の内に、またすべての諸国民との間に、正しい恒久的な平和をもたらし、これを助長するために、あらゆる努力をいたそうではありませんか。

 

 正義と自由と民主主義を実現するための奴隷解放という神の事業であっても、リンカーンは当初は急激な改革を目指しているわけではなかった。

(エイブ・リンカーン)180p〜

・・・合衆国が分裂すれば、ドレイ制度は廃止されるどころか、かえっていまよりもぬきがたいものになってしまう恐れもあるのでした。南部がうるさい北部と手を切って合衆国から独立しようとすれば、おそらくイギリスは喜んで手を貸すでしょう。南部はイギリスの紡績工場の原料たる綿の重要な産地であり、これをじぶんの勢力の下におくことは、イギリスにとっては願ってもない好都合なことだからです。そして、もしイギリスのうしろだてによって南部が完全に独立してしまえば、合衆国政府は、もう南部の政治に口だしができなくなります。同時にドレイ制度にも、もはや手をつける機会がなくなってしまいます。南部の人びとは、北部の干渉から離れて、ドレイ制度をつづけてゆくことになるでしょう。

 して見れば、けっきょくドレイ制度をやめさせるためにも、合衆国の分裂をひきおこしてはならないわけです。あくまで南部諸州を合衆国にとどめておいて、やがて合衆国全体の意志で、それをやめさせるようにしむけてゆかねばならないわけです。・・・

・・・彼の考えでは、いまは、南部諸州のドレイをただちに解放しろと主張すべき時ではない。従来のドレイ州はしばらくそのままにしておいて、それをひろがらないようにおさえつつ、新たに設けられる州を、順々に自由州にしてゆくことにつとめなければいけない。こうしていって、やがて合衆国の大部分が自由州になったとき、そのときこそドレイ制度の死滅するときで、また、進んでこの悪制度にとどめを刺すべきときだというのです。急激なドレイ解放運動はけっしてドレイを救うことにはならない、かえってぎゃくな効果を生むことになる、というのが彼の考えでした。

 

 戦争は思ったよりも長引いて戦死者や犠牲者も増えていった。国家の費用も莫大なものになり、戦争終結が急がれた。南部の奴隷達を味方につけて、南部に大きな打撃を与えるにも奴隷解放宣言は必要だった。

「1863年1月1日以後、南部諸州のドレイは、ドレイの束縛から永久に解放されて、自由の身となる。軍と政府とは、責任をもってその自由を保証するであろう。」リンカーンはこの時にこういっている。「この文書に署名するときほど、じぶんがいま、正しいことをしているのだと安んじていえる気持ちになったことは、生まれてからまだ一度もない。」

 

(エイブ・リンカーン)385p

・・・しかし、そうしているうちに、経済力の競争がますますものをいってきました。北部には小麦があまるほどできる広大な農業がひらかれていましたし、南部にない近代的な商工業も発達していました。長い大戦争をつづけるとなると、北部が南部よりもずっと大きな財政力を待ち、また、何十万の軍隊の衣服、食糧、武器、弾薬をじぶんの手でまかなってゆける工業力があるということは、たいへんな強みでした。その上、ヨーロッパから、たえず希望をもってアメリカに渡ってくる人がありましたから、人口の点でも南部よりは上でした。時がたつにしたがって、北部は大男のように強くなってきました。

 

ゲティスバーグ演説はこう締めくくられている。(リンカーン演説集)

「われらがここで堅く決心をするため、またこの国家をして、神のもとに、新しく自由の誕生をなさしめるため、そして人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため、であります。」

 

その人民についてリンカーンはこう言っている。(エイブ・リンカーン)

「神さまは、よほどふつうの人間(コンモン・ピープル)がおすきなんだね。さもなければ、こんなにたくさんふつうの人間をおつくりにはならなかったろうから―――。」

 

 奴隷を使い自らが働くことを恥と考える「南部的な諸君!」。君達の神は、君達の神により、君達を裁く日が来ることを、心得ておくべきです。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日本の政治を考える | 09:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
スポンサーサイト
posted by: スポンサードリンク | - | 09:50 | - | - | - | - |









この記事のトラックバックURL
http://kojimataka.jugem.jp/trackback/230
トラックバック