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映画「ザ・コーブ」に物申す。
JUGEMテーマ:映画館で観た映画
 

映画「ザ・コーブ」を見て一カ月が過ぎた。とてもよくできた映画だったが、釈然としないものが残って悶々としていた。何が言いたいのか、何が目的なのか、なぜアカデミー賞が与えられたのか?

 

パンフレットのレビューを見ると

「これは本物の恐怖だ」

 (ウォールストリートジャーナル紙)

「スパイ・スリラーのような展開で、驚くほどよく作られたドキュメンタリー。」

 (ニューヨーク・タイムス紙)

「パワフルで面白い。サスペンス・テイスト。近年稀に見る映画。」

 (ボックス・オフィス・プロフィッツ)

「ぞっとするようで美しい。悲劇のバレエのような作品。」

 (ゴア・ヴァービンスキー/パイレーツ・オブ・カリビアン監督)

「信じられないくらい感動的で、恐ろしくて、わくわくする素晴らしい作品。

ここ数年見たドキュメンタリーの中でもベストのうちのひとつ。」

 (クリス・コロンバス、ハリーポッターと賢者の石 監督)

 

ここに書かれているレビューの通りだ。これほど周到に計算された、ドラマティックに撮られたドキュメンタリー映画を今までに見たことがない。私がアメリカ人だったら、手放しで褒めていたが、日本人だから、何かが引っ掛かった。

 

この映画がアカデミー賞を取ったのは、オバマ大統領の政策と大いに関係がある。環境政策と社会起業家支援です。グリーン・ニューディールと社会起業家庁や社会投資基金ネットワークの設立によって、シリコンバレーはグリーンバレーと呼ばれ、IT革命はグリーン革命と呼ばれるほどの環境市場ビジネスが隆盛している。「キャピタリズム マネーは踊る」マイケル・ムーア監督が描いた世界は、すでにアメリカにとっては過去のものだったのです。ITバブル、住宅バブル、怪しげなファイナンスから未曾有の金融危機と至ったアメリカンドリームは、今度は「スピリット・イン・ビジネス」を語り始めた。

 

ナチュラルステップという言葉を聞いたことがあるだろうか?解説は後日にするとしよう。

ビジネスは人(People)、地球(Planet)、そして利益(Profit)の3つのPを統合することで生み出すメリットを見つけた。ただ只管に利益を求めることから、利潤追求を超えた社会的使命を経営に取り入れていくようになった。人権、地球環境、利益のトリプルボトムラインに献身することが、企業が生き残れる条件になったのです。地球をより住みやすい場所にするために、社会的利益を増やすビジネスを創造し、目的意識と満足感に満ちた人生を歩むことが、ビジネスマンの理想となったのです。手っ取り早く言えばビジネスに「善意」の二文字が必要となった。

 

『ソーシャルビジネス入門』を読んでもらいたい。

「社会起業で稼ぐ」新しい働き方のルール 日経BP

ベン・コーエン/マル・ワーウィック=著 斎藤槙/赤羽誠=訳 

155p

セブンス・ジェネレーションには、核となる価値観が6つある。それは、ブランドに対する信頼感の醸成、「あっ!」と言わせるサービスの提供、社会的・環境的責任の推進、業務を通じたスタッフの人間的成長の機会と達成感の提供、コミュニティの質の向上、そして企業のリーダーシップにおけるお手本となること、すなわち同社が事業展開する市場において、社会変革の原動力になることである。セブンス・ジェネレーションは自らが信じる価値観を表明すること、そしてその価値観と一致しながらビジネスができているかどうかを確かめることに多くの時間を割いている。』

 

今までのソーシャル・エンタープライズのイメージで言うと、とにかく社会的なイノベーションがあればよい、という非営利的なものが中心だった。そこに企業と非営利組織のパートナーシップを結んだものがあった。しかし、今は上記のセブンス・ジェネレーションのような利益獲得と社会的目標を調和させるハイブリッド型が主流となっている。そこに、人類がもたらした環境破壊への反省が加わり、「クリーンな地球を次世代へ、社会環境を整備し、エネルギーの転換を図る」事業が、「優しさと、尊厳と、正義」によって行われる、ハイブリッド型ソーシャル・エンタープライズとなっていく。

 

映画「ザ・コーブ」が言わんとしたことは、人口3千数百人の小さな町・和歌山県太地町で行われている、全長20メートル弱の小型漁船十数隻、20数名で行われているイルカ追い込み漁が、ビジネスとして許されるのか?という問い、である。オバマが誕生した後だからこそ、この問いが生きた。単なるイルカが可哀相だという主張ではない。イルカがビジネスになっている、そのビジネスは「優しさと、尊厳と、正義」に貫かれているかと問いかけて、罰を与えられることを望んで作られた、巧妙なロジックで武装した映画である。クジラは環境保護の世界的シンボルであることも射程距離に入れた文化戦争といって良い。しかしこの戦争は、初めから日本の敗北は決まっている。映画の世界で、数々の映画祭という法廷で受賞という有罪判決を受けたが、日本側に敏腕な弁護士がいない。

 

太地町の追い込み漁師達は、降って湧いたような災難としか言いようのない、有罪判決に戸惑っている。しかし、かろうじて一人、気を吐いて、追い込み漁を正しく伝えている科学者がいる。

 

イルカやクジラの解剖作業を無形文化財に登録し保存すべきだ、と言い。「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されているが、これに追加登録をすることは考えられないだろうか、と言い。クジラ肉を松阪牛のようなブランドに育てたいと言う、剛の科学者がいるのです。

 

『イルカを食べちゃダメですか?』 光文社新書

科学者の追い込み漁体験記  関口雄祐著  が面白い。

 

映画の制作側のOPS(海洋保護協会)は「この映画は、太地町の漁師たちを攻撃するために撮影したのではない」と語っているが、関口氏によると・・・

 

202p

・・・映像の中のショッキングなシーンは、現実よりもリアル感がある。つまり、デジタル技術による映像処理は臨場感に欠かせないものだろう。たとえば、捕殺作業によって海面が赤く染まるシーンがある。この映像自体が10年近く前に撮影されたもののようだが、さらに「赤さ」を後処理しているのではないかと疑いたくなる。捕殺作業で流血するのは当然なのだが、現場は何頭ものイルカと人が泳ぎまわり、海底の砂を巻き上げ混濁した海水となる。そこへ血が流れ込んでも濁ったような赤さになるのであり、私が経験した限りでは映画で描かれた「鮮血」のような赤さにはならないのだ。

 

あえて、過去の、より残酷な補殺映像を持ち出して、CGで色付けをする。明らかに太地以外のイルカ漁の映像、そして撮影場所の確かめようのない映像を張り合わせている、過剰な演出は太地町の漁師たちを攻撃するためとしか、言いようがない。「日本人には知る権利がある。そして、映画で語られる事実について考えてもらいたい。ただそれだけだ」と制作側は言っているが、それは違う。「日本人自身がイルカ漁に罰を与えよ、でなければ日本人全体が共犯者である。」とこの映画は言っている。最後の交差点でTV画面を持って立っている、リック・オリバーの姿の意味は、行きかう人々の無関心が、この罪をのさばらせている「行動せよ、日本人」という、メッセージです。

 

イルカ漁は、法に従い、許可された鯨種を許可された範囲で捕獲していることは、反捕鯨団体にとって関係がない。反捕鯨は彼らにとって「正義」なのだ。

 

『これから「正義」の話をしよう』 早川書房

いまを生き延びるための哲学 マイケル・サンデル著 鬼澤忍訳

というとても饒舌な本がある。

340p

市場は生産的活動を調整する有用な道具である。だが、社会制度を律する基準が市場によって変えられるのを望まないならば、われわれは市場の道徳的限界について公に論じる必要がある。

344p

道徳に関与する政治は、回避する政治よりも希望に満ちた理想であるだけではない。公正な社会の実現をより確実にする基盤でもあるのだ。

 

つまり、アメリカのエリートの多くは、イルカをアミューズメントパークで見世物にすることやイルカの肉を食うことが道徳的ではなく、日本人は世論によって政治的な決着を図るべきだ、と思っているということです。

 

イルカが自殺をしたり、見世物になったストレスで胃潰瘍になったり、子も妊娠したメスも無差別に追い込む漁や、水銀で汚染された肉は、「善」なのか、と問い詰めてきている。では、日本に投下された原子爆弾は善なのか、中東での戦争は善なのか。イルカの知能が高いから、人間の勝手なビジネスの道具にしてはいけないというのなら。彼らにとって、日本人やイスラムの民はイルカ以下だということになる。野生動物が世界共通の資産だというのならば、日本人やイスラムの民は野生動物以下ということになる。アングロサクソンの優生思想は、賢いイルカを殺してはいけないが、馬鹿な日本人やイスラムの民は無差別に殺してもよいということになっている。難癖をつけているわけではない。彼らの正義とは所詮そんなものだと言っているのです。

 

決められたルールの中で、ルールに従って行われている漁に難癖をつけているのは映画制作側だ。この映画はアメリカのソーシャルビジネスブームの提灯持ちをしている映画に過ぎない。

 

でなければ、もっと事実に忠実に、偽りなく映画が作られていたはずであり、民の生活も描かれていたはずだ。彼らはアメリカの先住民族にしてきたことを何の反省もしていない証拠が、この映画だと言える。彼らの正義は所詮、彼らだけの正義にしか過ぎない。この映画のルイ・シホヨス監督は「反日映画ではない」と言っているが、それはその通りだ。この映画は「行き過ぎた啓蒙主義による、理性の履き違い映画」である。環境保護思想を唯一絶対の神的存在としてとらえた人々にとって、海獣をも神とする多神教の自然と暮らす民の文化がわかるはずもない。

 

監督はこうも言っている。「私は伝統というものを理解していますが、イルカを殺すという伝統はどのレベルで考えても必要だとは思えません。」

イルカと暮らすという伝統を、イルカを殺すという伝統に作り替えた監督の伝統とは、「帝国主義による、少数民族への迫害」であるから、彼らは彼らの伝統に則った映画制作であったのです。

 

『イルカを食べちゃダメですか?』の188pを紹介したい。

『くじらの文化人類学』

「捕鯨者も自然の生態系の一部であるという考え方の存在は、捕鯨考たちが、捕鯨技術と鯨の繁殖、回遊、索餌行動に関する広い知識をもっていることを示している。つまり鯨と自然と人間の間に存在する親密な関係を熟知しているのである。これは単に海洋生物に関する『幼稚な』知識ではなく、何世紀もかけて学習された文化的知識であり、人類全体にとっても価値のあるものである。この生態系的知識は信仰によって強化されている。それは、『子鯨を連れた母鯨を捕獲しようとしたために』111人もの鯨捕りが死んだ太地の大遭難のような、海難事故の受け止め方とその原因帰属のとらえ方にも明瞭に表われている。この出来事は、今日捕鯨コミュニティーの世界観の中にしっかりと組み込まれている。われわれの考えでは、このような信念は、正当な土着の資源管理体制の一部とみなされるべきである」

 

映画は813日まで大阪 第七芸術劇場で上映されている。後、数日しかないが、見ることを勧めたい。そして『イルカを食べちゃダメですか?』は必ず読んでもらいたい。

 

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 映画レビュー | 15:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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