PR
Search
Calendar
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>
New Entries
Recent Comment
  • 入院患者と障がい者に笑顔とコンサートを贈る市民の会 日々是幸日
    shopss (11/19)
Category
Archives
Profile
Links
mobile
qrcode
RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

posted by: スポンサードリンク | - | | - | - | - | - |
「生と死を考える」9 あるスターの死
JUGEMテーマ:日常
 

韓流スター、パク・ヨンハさんの自殺が報じられている。韓国も競争が激しい国なので、自殺者は減らない。激しい競争社会を支えるには、支えるための論理が必要です。頑張れ、負けるな、追いつけ追い越せは、落ちこぼれた人にとって敗北感や挫折感も当然のように強くなる。競争社会が悪いと言っているわけではない。自分の競争意欲を高めるために、他人を非難する人が出てくることが問題だと思う。

 

競争社会に疲れた人が休養を十分にとって、再び社会に復帰できる仕組みが必要だとも思える。激しい競争に疲れた人を、無理やり引き摺り回す社会ではなく、暖かい皆の目で、「ゆっくりと休んでおいで」と休養を取り、再起が容易な社会が健全だと思えるのです。

 

儒教の国だから、仏教の国だから、キリスト教の国だからということは関係がない。その宗教が、疲れた時には休みにおいで、と十分な安息を与えてくれるように機能しているか、ということが問題です。人は休息が必要なのです。十分な休養が取れる社会は自殺も少ない。休息には良く寝たり、遊んだり、自分磨きに普段出来ないことに挑戦したり、勉強したり、と人によって様々ですが、「よく寝る」ということが、人の充電には最も大切なことです。死というリセットを選ばないためにも、十分な休養というリセットが必要なのです。

 

韓国の行政官は、最近韓国で自殺が増加している原因は主に2つあると言っている。「1つは景気後退によるもので、もう1つは相次ぐ芸能人の自殺が引き金になっている。」芸能人が自殺すると、自殺相談件数は普段の2、3倍に増加するらしい。

 

日本でも韓国でも行政官は、原因に行政の取り組みが不十分だという理由はあげないようだ。「眠れていますか」「十分に休養が取れていますか」と、疲れた人に休養が気兼ねなく取れる社会システムを作ることが必要です。疲れた人がいつでもどこでも相談できる体制が準備できていない、行政に責任があるのです、とは行政官は言わない。あくまでも世界的な不況や個人の問題に摩り替えていく。それはひとつの要因の入り口でしかない。

 

年代によって自殺の理由は異なるようだ。

高齢者の自殺は、一人暮らしの人は自殺が少ないようです。家族に迷惑をかけてはいけないとか、生命保険のお金を残そうと死ぬ人が多いと聞いて、悲しい思いをしています。そして、詫びながら死んでいくことが、とても悲惨だ。

 

最も悲惨なのは子どもがいじめを苦に自殺することだろう。

そして、人生の目的を失って、社会に絶望して死ぬ若者だろう。

 

働き盛りや若い世代のとても疲れた人に「弱気になるなよ、頑張ろうよ」という言葉は、自殺へ頑張らせてしまう。「今は無理をするときじゃないんじゃないか、休もう、ゆっくり寝られる時が必要なんだよ」と、義務感や責任感を軽くしてあげる必要があります。

とても疲れていても「頑張れ、頑張れ」という、時間を少しでも惜しむ気持ちや、少しの休養も勿体ないと思わせる社会の呪縛が問題なのです。

 

私が好きな歌に、昔に水前寺清子が歌っていた三百六十五歩のマーチがあった。

・・・・・

 

三百六十五歩のマーチ

星野哲郎 作詞
米山正夫 作曲

 

ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー

しあわせは 歩いてこない
だから歩いて ゆくんだね
一日一歩 三日で三歩
三歩進んで 二歩さがる
人生は ワン・ツー・パンチ
汗かき べそかき 歩こうよ
あなたのつけた 足あとにゃ
きれいな花が 咲くでしょう
腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ
ワン・ツー ワン・ツー
ワン・ツー ワン・ツー

 

・・・・・

 

とても良い歌なのだが、少し気になるところがある。

「休まないで 歩け ソレ」という部分です。

「少し休んで また 歩こう」としていただければ、高度経済成長期の歌ではなく。安定成長期の歌になるような気がします。

 

「あしたのあしたは またあした
あなたはいつも 新しい
希望の虹を だいている
腕を振って 足をあげて」

 

2番の歌詞ですが、いい歌詞です。

 

3番の歌詞を見ると、高度経済成長期を象徴するような歌詞になっています。

 

「しあわせの 隣にいても
わからない日も あるんだね
一年三百六十五日
一歩違いで にがしても
人生は ワン・ツー・パンチ
歩みを止めずに 夢みよう
千里の道も 一歩から
はじまることを 信じよう
腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
休まないで 歩け ソレ」

 

安定成長期版、三百六十五歩のマーチでは、こんな感じはいかがでしょう。

 

「しあわせの 隣にいても
わからない日も あるんだね
一年三百六十五日
一歩違いで にがしても
人生は そんな日もある
隣の笑顔と 手をつなぎ
千里の道も 一歩ずつ
励ましあって 夢みよう
腕を振って 足をあげて
ワン・ツー ワン・ツー
少し休んで また 歩こう」

 

星野哲郎先生、勝手なことを言って申し訳ありません。

 

「男はつらいよ」の主題歌も大好きです。

 

歌手:渥美清

作詞:星野哲郎

作曲:山本直純

 

「どぶに落ちても根のある奴は いつかは蓮の花と咲く
意地は張っても心の中じゃ 泣いているんだ兄さんは
目方で男が売れるなら こんな苦労も
こんな苦労も掛けまいに 掛けまいに」

 

 私は腰を痛めるまでは、冬山が好きで、一人で豪雪の山に登っていました。誰にもお勧めはできません。それこそ十分な経験のない人にとっては自殺行為だからです。

何のために。自分を徹底的に叩き潰すためにです。スノーシューを履いていても胸まで沈む深い雪や、アイゼンを跳ね返すような氷の峰で、ひとり、透明になっていく、恐怖感を掏りぬける時の虜になっていました。死ぬかと思うことも何度もありましたが、内緒にしていました。テントの中で三百六十五歩のマーチや寅さんの主題歌なども叫んでいました。

 

「この空の四方に門があるというこの雪山に扉はありや」

「埋もれたる深雪の闇に失いし空の行方風の行方」

「地獄へと重石を運ぶ道ずれに影や魔物をしたがえて往く」

 

という短歌を帰りの温泉で作ったりもしました。

 

 私にとっては良いリセットの時間でした。人生に調和を求める、自分なりの方法を身につけることが必要だと思えるのですが、そんな時間に余裕のある暮らしをしている人は多くない。

 人生が順風満帆に進む人のほうが少ない。地獄の苦しみに落ちることもある。そこに、決して切れないカンダタの糸が必要なのです。人は煩悩の塊なので、苦しい時は大きく受け止める、社会のゆとりが必要だと思えます。

 

 私は20代のころ、とても辛いことがあり、海へ行ったことがあり、空き家を借りて半年ほど漁師をしていたことがあります。私がとても真面目な社会人だったら、その海で死んでいたかもしれません。とても適当ないい加減な性格をしていたので、漁師をしながら立ち直ることが出来ました。本当につらい時は数ヶ月ぐらい休めることが、今になって必要なのではないかと思えます。長期休暇が気兼ねなく使える社会になると、自殺者の多くは救われるのではないでしょうか。

 

・・・・・

相談したら、反対していただろう

 

 

貧しい 小さな 港町に あばら家を 買って

漁師を することにした 相談したら 反対していただろう

 

都会の海で 沈んでしまった 俺を 釣り上げようと

小さな 船と 暮らすことにした 突然で 悪かった 

 

昔 雪山で 深海を 見たことがある

どんなに 深い 空にでも ほんの少しは 近づける

 

捨ててあった 網を 繕うことから 始めた

新しい 網で すくえないものがある そんな 海へ来た

 

いつも風が強い この港に住む人の 深い皺に引かれた

荒れた 海を見てきた 小さな灯台の 白いペンキの色が好きだ

 

浜辺の 錆びた 錨に 張り付いた 乾いた海草

少し千切って 口にすると この町が自分に 似合っているような気がした 

 

子供のころから カモメを見ていることが 好きだった

魚売りの ばあさんが 小魚を投げている そんな風景が好きだった

 

砂浜の 貝殻で足を切ったり クラゲに刺されたり 釣り針に引っかかったり

いたずらを叱られたり 少し痛い 思い出が 懐かしい 

 

朽ちた船を沈める 入り江がある 都会では この景色を

いつも見てきた 酒場だったり 公園だったり ビルの屋上だったり

 

いつも 海を懐かしいと 思ってきた

夜光虫や 船の灯を 思い出していた こんなヤワナ手で 漁師になれるだろうか

 

波が牙をむく 嵐の夜に この町に住みはじめたことを 実感した

怖くはなかったが トタン板が 泣いている 俺も思いっきり 泣いてみた

 

港の朝が好きだ 船のエンジンの音や 少しずつ明けていく空が

何もかもがひとつだ 海も 人も 生きていることも 死んでいくことも 

 

小さな船を ぼろな網を 町のみんなが心配してくれている

笑う人はひとりもいない 俺だけが俺を嘲っている だって俺は詩人だから

 

魚が獲れなくても 町の人たちが 魚をくれる だから飢えはしていない

夜はランプで暮らしている ゆれる火に 人生の後悔がすべて見える

 

漁師になって 今日 はじめて 魚が獲れた

気に入らないだろうが 干物を 少し送る

 

・・・・・

 

ギターをポロポロと弾きながら、朗読のように歌ったりしていました。

遠い昔の思い出です。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 日記 | 11:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
スポンサーサイト
posted by: スポンサードリンク | - | 11:16 | - | - | - | - |









この記事のトラックバックURL
http://kojimataka.jugem.jp/trackback/14
トラックバック