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原発と復興を考える 44 地域の活力 その1
JUGEMテーマ:大地震
 

44 原子力問題と復興への提言

 被災による貧困と子どもの問題「地域の活力 その1」

 

 昨日に東京へ行ってきました。フラガールを姫路の祭りにお招きをしたい、ということでお城祭りと良さ恋まつりと青年会議所のイベントの資料を持って、東日本橋にある常盤興産株式会社・スパリゾートハワイアンズの営業部を訪ねてきました。

 担当者はIさんで、30代半ばぐらいの色黒の爽やかな好印象の青年でした。

名刺には、営業部 海外グループとあり、バルネオセラピスト(温泉保養士)とも書かれていました。

バルネオセラピスト(温泉保養士)とは?

いわき湯本温泉旅館協同組合とスパリゾートハワイアンズが共同で運営しているページを見るとこう紹介されていました。

・・・・・

温泉療法を活用した健康づくりのエキスパート
温泉保養士とは?
【日本温泉保養士協会の役割】
温泉(温泉地)の利用者と提供者、そして温泉地の住民が共に温泉を深く理解した
温泉地づくりを目指します。

 

温泉保養士協会マークの意味
【湯気3本】
 昭和23年に温泉法が制定されたときに作られた温泉マークで
 温泉の正しい入り方を表したものです。
 (反復入浴法)
 ほどほど(5分) じっくり(8分) さっと(3分)
 湯気の長さでこれを表しています。
【3人の意味】
 自然からの贈り物である温泉を利用させてもらい、
 本来の温泉の利活用を実現するには
 ()温泉事業にたずさわっている方 (温泉事業者)
 ()温泉を利用する方 (温泉利用客)
 ()温泉地に住んでいる方 (温泉地の住民)
 ()()の三者が温泉と温泉地の資源をしっかり理解することがかかせません。

「バルネオ」とは、どんな意味ですか?

バルネオ(Balneo)とは、温泉という意味で、温泉療法を英語でBalneo therapy、ドイツ語でBalneo therapieといいます。

 

バルネオセラピスト(温泉保養士)とは、どのような方ですか?

バルネオセラピスト(温泉保養士)とは、温泉医学、予防医学に基づき、温泉の持つ保健的機能を引き出す知識、技術を習得し、温泉療法を活用した健康づくりを安全かつ適切にアドバイスできる人材のことです。
具体的には、「温泉の利・活用の仕方」と「温泉地の健康的な過ごし方」を提案できる人材ということになります。

・・・・・

以下、

バルネオセラピスト(温泉保養士)の資格を取得するにはどのようにすればいいのですか?

どのような方が資格を取得されているのですか?

資格を取得された方は、どのような感想を持っていますか?

いつ講習会はありますか?

日本温泉保養士協会は、どのような組織ですか?

 

と続いていきますので、御覧になってみてください。

温泉保養士協会マークもページに掲載されています。

 

私の母は75歳になります。昨年に階段から落ちて腰の骨を折って、腰痛持ちなので、このような温泉保養士のいる温泉で、ゆっくりと保養をさせてやりたいな、と思います。

 

Iさんと話した内容には、私が阪神大震災でのボランティアで感じたことも少しお話をさせていただきました。

 

「マスメディアで伝えられることは復興に成功した方々のお話で、復興から零れ落ちた方々の話は殆ど紹介されていない。私が現場で見てきたものは、復興格差でした。インフラ整備は積極的に行われてきましたが、被災者の暮らしを支えるのは不十分だったように思える。そういう状況を見てきて私なりに感じたことは、市民感覚の提案を積極的に行政に出していける、市民の繋がりでしょう。

これから長くなるだろう東日本大震災の復興にも、行政にクレームを言い対立することではなく、提案する・学び行動する市民の繋がりが必要なのではないでしょうか。」

 

 常盤興産株式会社を後にして、「県八重洲観光交流館」を訪ねた。

 

店舗は15坪ほどで、アンテナショップとしてはこれぐらいの大きさが適当に思えた。私は今、70坪の店舗、50坪の店舗、30坪の店舗、25坪の店舗、13坪の店舗の候補の中からどの店舗にしようかと悩んでいましたが、このアンテナショップを見て13坪の店舗が適当ではないだろうか、と思えました。

 置いている商品は、姫路のスーパーでも見かけるものや、インターネットで簡単に手に入るものが殆どで、お土産的なもので、行政や百貨店や大型の店舗でのイベントでは有効だろうが、個人商店としての息の長い商売をする上での商品構成としては、不十分だと感じました。いかにも、観光地へいたる道の駅的で、生活の場へ持っていくには余りにも嗜好品的過ぎるのです。地方の商店街へ持っていくには、その地域に溶け込める「暮らし」を提案できるものが必要だと感じました。

 

 また、私が考えていることは、このような県単位では大きすぎて、総花的な紹介しか出来ないような店舗ではない。

 市町村の、出来れば町村単位の小さな地域と充実した、じっくりとお付き合いをさせていただく店舗を考えています。同一地域で複数店舗を考えるときは、全て違う地域とお付き合いをさせていただきたいと考えているのです。

 

 この日記を書いているときにMSNマネーの次のような記事が目に入った。

・・・・・

天災の後は人災だ 壊れゆく地域社会

相場英雄の時事日想:

 宮城県石巻市に、水浜という小さな集落地がある。この地は津波に飲み込まれ、その後の支援が遅れ地域社会が崩壊してしまった。なぜ被災者は天災だけでなく、“人災”にも遭ってしまったのだろうか。

 514日、筆者は当コラム震災特別ルポとで取り上げた宮城県石巻市雄勝町の水浜という海辺の小さな集落を再訪問した。同地出身の大学院生Aさんから、水浜が重大な岐路に立たされていると知らされたからだ。同地区が直面していたのは、集落の解散という異常事態だった。600年続いた地域社会が壊れたのは、津波による天災が主因だ。しかし生き残った人々は、支援の遅れという本来なら回避できたはずの人災にも遭っていた。

仮設住宅

 5月初旬、Aさんから、水浜地区の高台で仮設住宅の建設が始まったと教えられた。同地区のほとんどの住宅は津波によって流され、土台のみが残る惨状だった。住民の大半は家を失い、不自由な避難所生活、あるいは慣れない周辺地域での仮住まいを強いられていただけに、筆者は仮設住宅の報せを手放しで喜んだ。

 だが、Aさんからは意外な反応が返ってきた。同地区に残りたいと望む住人全てに仮設住宅が用意されていないというのだ。加えて、同地域の自治会組織が解散すると聞かされ、絶句してしまった。

 ルポでも触れたが、同地は津波によって壊滅的な被害を受けたが、先人の教えを守り、いち早く住民が高台に避難。他の沿岸地域と比較して人的な被害は奇跡的に少なかった。

 住民たちが迅速に避難した背景には、家族同然の隣人とのつながり、絆があったからに他ならない。平時でも“陸の孤島”と称される雄勝町だけに、互いに助け合わねば生活ができない。このため、市街地に住む人々とは比べ物にならないほど、住民たちの絆が強いのだ。

・・・・・

興味深い記事が続く。地域崩壊の危機は深刻だ。

被災地だけではなく、地方の田舎は高齢による崩壊寸前となっているところが多い。

このような田舎の原風景が失われていくことを私はとても残念に思っています。

小さな町、村を応援していくことが私の使命のように思えます。 

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 大災害 | 10:26 | comments(0) | - | - | - |
原発と復興を考える 43 トレーサビリティという方法
JUGEMテーマ:大地震
 

43 原子力問題と復興への提言

 被災による貧困と子どもの問題「トレーサビリティという方法」

 

昨日のNHKニュースでは

「農漁業被害で全国初仮払いへ」との記事があった。

この記事を読んで気になったのは

・風評被害へは仮払いは出ないようだ・・・

 ・農業や漁業への影響は長引きそうだが・・・

 ・4億円とは、多分この金額はとても少ないのでしょうね・・・

 ・JAなどの団体に何らかの理由で参加していない人には出ないのですね・・・

 

531 431分)

福島第一原子力発電所の事故の影響で被害を受けたとして、茨城県のJAなどが東京電力に請求している損害賠償のうち、およそ4億円が、31日、仮払金として東京電力から支払われることが分かりました。仮払いの額はいずれも請求額の半分となります。

今回の事故に伴う農業や漁業のなどの被害で東京電力が仮払いを行うのは、これが初めてです。茨城県のJAや酪農団体、それに漁業団体などは、福島第一原発事故のあと、国の指示による出荷制限などで被害を受けたとして、これまでに合わせておよそ88億円の損害賠償を東京電力に請求しています。東京電力は、3月分の請求のうち、出荷が制限された原乳についてはおよそ1億9000万円を、県から漁の自粛要請が出た漁業関係についてはおよそ2億1000万円を仮払金として31日に支払うことを決めました。仮払いの額はいずれも請求額の半分となります。今回の事故による損害賠償を巡って東京電力が農業や漁業の被害で仮払いをするのは、これが初めてです。東京電力は「国の指針に基づく出荷制限や、自治体の要請による漁の自粛などについて過去の事例から半額を支払うことを決めた」と話しています。今回の事故による農業などの被害を巡っては、関東のほかの県や福島県でも東京電力に損害賠償を請求しています。

 

 こういった記事を読んでいて思うのは、風評被害のある地域の第1次産業は復活できないかも知れないという心配です。東電や政府の保証が十分なものになるとは、考えられないからです。

 

 例えば漁業だと・・・

 

「日本の食卓から魚が消える日」小松正之著

日本経済新聞出版社 2010年6月25日発行

・・・・・

152p〜

 日本周辺の海はまだまだきれい

 日本のシロザケは海外に高く売ることができる魚の象徴のような存在だ。事実、シロザケはドイツやフランスで好評を博し、今は中国でも売れ始めている。それは安全・安心という日本のイメージから来ているものに他ならない。ヨーロッパの北の方のバレンツ海などはまだきれいかもしれないが、ベルゲン(ノルウェー)は北海、バルチック海やヨーロッパ大陸に近い。北海やバルチック海はどうしても汚染が進んでいるというイメージが根強い。またデンマークやアイルランドのサケよりは日本の方がまだましだと思われるのだろう。日本の海域はきれいなのだから、資源管理をきちんとすればもっと魚は売れる。

 

自然力を活用するサケの増殖を

サケのふ化放流も環境の収容力や遺伝子の多様性を考えながら行う必要がある。そのふ化

放流も天然に近い方法ではカナダやアメリカでいう河川でのエスケープメント(河川床産卵)といったやり方がある。エスケープメントというのは、河川に魚を逃がすことだ。河川床を天然に近いように整備しておいて、そこで産卵させる。厳密にはふ化放流ではない。ふ化流というのは、約五グラムくらいの大きさにしてから河川に放流するものである。やはり天然とは言い難い。五グラムなら五グラムまで人が手を加えて育てたものなのである。

 エスケープメントのような自然の力を使ったやり方を活用し、できるだけ自然に近づける努力を、外国もやっているわけだから、日本も取り入れるべきである。そうすると河川も天然海域も有効に生態系として利用することができるのだ。河川の環境整備をするときは河川床だけではなくて、周りの森林も維持するなどトータルで考えた方がいい。

・・・・・

 

 福島第一原発の事故以来、安全・安心という日本のイメージが崩壊しています。自然力を活用するサケの増殖を、という提案が活かされる道も閉ざされてしまうのだろうか。

 

 例えば、漁業復活に何が必要だろうか?

 例えば、魚のトレーサビリティによる安全表示なども急がれるでしょう。

 安全表示を政府が裏付ける仕組みが必要なのではないでしょうか。

 

・・・・・

同書 178p〜

魚のトレーサビリティは?

トレーサビリティというのは、食品などの生産、流通及び加工の段階を追跡し情報化するシステムのことである。水産物は日本全国に散らばる産地からさまざまな業者や卸売市場を経て集められている。店頭に並んでいる水産物が、果たしてどこから来たものなのか、知ることは容易ではない。そのため、近年問題になっている産地偽装のようなことが起こるのである。そういったことを未然に防ぐため、漁業者や流通業者が中心となり、商品の情報を伝える仕組みが確立された。たとえば最近だと、買った魚のラベルに表示されている番号をインターネットのホームページに入力すると、その魚がいつ、どこで、誰によって養殖されたのか、どのような人の手を経て流通したのかがわかるようになっているのだ。こういったシステムのおかげで、何か問題が起こった際の原因究明の手がかりとすることができるのである。

しかし、このトレーサビリティ、よく使われる言葉だが、水産物の場合も他の食品の場合も、それほど浸透していないのが現状である。多くの企業はトレーサビリティをしっかりしているというが、ではどういうふうにしているのか、具体的にはあまり聞いたことがない。クジラでもマグロでもやろうとしたし、青森県十三湖のシジミでもやっているという話は聞いたことがある。しかしながら、その後進展しているとは聞いていない。

・・・・・

 

 放射能風評被害を収めるには、トレーサビリティにしっかりと予算をつけることも必要でしょう。

 しかし・・・政府は

・・・・・

海外での放射能風評被害が収まらず、新規輸出開拓難しく

 [東京 31日 ロイター] 東京電力<9501.T>福島第1原子力発電所の事故に伴う、海外での放射性物質に対する風評被害は工業製品にも広がりを見せており、事故から2カ月以上経っても収まる兆しがない。

 政府は1次補正で、工業製品にも検査補助金を計上して対応を始める計画だが、運用はまだ始まっていない。海外での説明会も実施しているものの、その内容は風評問題を抱える企業の納得のいくものとはなっていないようだ。このため、日本商工会議所の発行する簡易証明への申請は増加している。検査にかかる費用や税関で留め置かれる保税コストなど企業負担増に加え、専門家からは新規の輸出開拓が難しい状況になっているとの指摘もある。・・・略・・・

・・・・・

という記事の中に

・・・・・

ロイター企業調査によれば、放射性物質の風評被害が企業活動の障害要因となっているとの回答は、4月調査よりも5月調査で増加。全体の2割が障害要因として挙げている。

 このため、日商や企業は、政府に対して放射性検査の拡充や証明書の円滑な発給を要望してきた。政府も重い腰を上げ、1次補正で輸出品の放射線量検査に要する経費を補助するために6.7億円を計上。予算計上した経済産業省では、現在、15社程度の検査会社を選定中で実施は6月中旬以降を目指すという状況にあり、まだ運用に至っていない。しかも検査自体に時間がかかるのが実情だ。

・・・・・

 

ということも書かれていた。

現在のこれだけ大きな風評被害になると、

民間での安全証明は非力だろうし、必要な設備投資も困難だろう。

製品自体の放射能そのものの検査証明書を発行するのは

現実的ではないかも知れないが、

トレーサビリティにつけるバーコードを工夫して、

農水省による調査・発表した放射線量を知ることができる

仕組みは可能ではないだろうか。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 大災害 | 15:19 | comments(0) | - | - | - |
原発と復興を考える 42 多様性
JUGEMテーマ:大地震
 

42 原子力問題と復興への提言

 被災による貧困と子どもの問題「多様性」

 

 昨夜に久しぶりにテレビを見た。NKHでアフリカのマラウイ湖の様々な魚が映し出されていた。素晴らしい番組だった。

 ウィキペディアで自然、魚類を見てみた。

 

魚類 []

マラウイ湖はが豊富で、伝統的にマラウイの国民の食料源となってきた。もっとも有名な魚はチャンボで、シクリッド(カワスズメ)科の4種類の魚の総称である。またカパンゴという大型のナマズも有名である。

マラウイ湖は特にシクリッド科に属する魚(アフリカン・シクリッド、特にムブナティラピアなど)が豊富なことで知られ、多くの固有種を含む800種以上のシクリッドが生息している。これは同じ大地溝帯にあるタンガニーカ湖ヴィクトリア湖のそれを上る種数である。・・・

 

この番組の中で魚種豊かなマラウイ湖と対照的に、ヴィクトリア湖の悲劇も少し紹介されていた。

 

 ウィキペディアでヴィクトリア湖はこのように紹介されている。

 

ナイル川の主流の一つ、白ナイル川の源流となっている。世界第3位の湖水面積を誇り、湖の中にはウガンダ領のセセ諸島 (Ssese Islands) をはじめとする約3000の島々がある。ビクトリア湖は代表的な古代湖であり、およそ100万年の歴史をもち、多くの固有種が進化し生息する『ダーウィンの箱庭』としても有名だが、近年ナイルパーチというスズキ亜目アカメ科の全長2mを超す肉食の外来魚が食用として放流されて定着し、湖の固有種が激減している。これまでにハプロクロミス亜科のシクリッド数百種が姿を消し、そのうちの多くは絶滅したと考えられている。また、「ンゲゲ」(ngege)と呼ばれる固有種のティラピアOreochromis esculentus)も絶滅した。食用に加工されたナイルパーチはヨーロッパや日本へ輸出されており、ヴィクトリア湖周辺の地域にとって重要な外貨獲得源となっている。ナイルパーチによる生態系の破壊とその輸出で支えられている近郊の社会の貧困と荒廃は、ドキュメンタリー映画ダーウィンの悪夢』にも取り上げられた。

 

ナイルパーチは日本でも、白身魚として、お弁当や回転すしにも出されているらしい。

 ダーウィンの悪夢とは、同じくウィキペディアで、

 

『ダーウィンの悪夢』(Darwin's Nightmare)は、2004に公開されたドキュメンタリー映画

フーベルト・ザウパー監督。78回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞にもノミネートされた。アメリカのインターナショナル・フィルム・サーキット配給。

東アフリカビクトリア湖に繁殖した巨大魚ナイルパーチを通して、タンザニアから、ヨーロッパ、日本への加工品輸出を軸に、11ドル以下で生活する具体例を通して、「グローバル経済の引き起こす現実」を描きだしている。武器輸出への嫌疑、生態系の破壊、外国に良い食材を輸出しながら、その残骸を非衛生的な状態で食す人々、その中で育つ子供たち、売春エイズなど、さまざまな側面から描き出している。

2004トロント国際映画祭で初リリース。2005山形国際ドキュメンタリー映画祭で、コミュニティシネマ賞、審査員特別賞を受賞した。

日本での劇場公開前の、200635には、NHKBS1BS世界のドキュメンタリー枠で『ダーウィンの悪夢 アフリカの苦悩(前・後編)』として放送された。

 

 私はヴィクトリア湖の悲劇で次のことを思い出した。

 以前にも紹介しましたが、

 「祝福を受けた不安」ポール・ホーケン著 バジリコ

172p〜

 世界にはさまざまな地域があり、生物種も多様だが、言語もまた同様に多様だ。しかるに、種の消滅よりも加速して、多くの言語が消えているのである。西洋人による征服以来、世界の半分の言語が消失した。そして現存する「使用され生きている言語」もまた、3000以上の言語が絶滅の危機に瀕している。全体で362種の鳥類や動物が危機に瀕し、438の言語が、僅か50人に満たぬ話し手しか持たない。アメリカ大陸を始め、世界中の現存する約6800の言語が存亡の危機に瀕し、何とか生き残ろうとしている。それはちょうど家族や社会が同様の目に遭った時そうするのと同じ動機だ。あなたは言語を生き物に擬してあたかも自らの意思があるかのようにとらえることに抵抗があるかもしれない。しかし、かく言うあなたが考えているように、言語は自力では活動できないモノではないのである。「生きている言語」という表現は実は的を射た表現なのである。言語というものは、文字通り生きている。言語の細胞とも言うべき単語の一つひとつが刻々と相互連結し、文法上意味ある生命形態を形成していくのである。次の世代の子どもたちに口伝されなくなったとき、言語は死ぬ。現在われわれ人類が直面している現象面でいえば、一つの世代で生きた文化遺産の半分が潰えている。文化が年間30個ずつ消失している現状の速度がこのまま続けば、人類の文化はますます貧しく干からびてしまうだろう。

 

 181p〜にはこのようなことも書かれている。

 

・・・コロンブスと仲間たちが現代の私たちからすれば人間性に対する犯罪というべき悪行三昧をしたのである。ジェノサイド(大虐殺)、レイプ、殺人、拷問、略奪……。文化への軽蔑心からだけではなく、ネイティブの人々はヨーロッパ文化に対して不遜で非礼だという理由から、それらの犯罪は行われた。奴隷や、金発掘という目的で彼らネイティブを扱う時は例外だったのだが。

 征服者たちのこころのありようを如実に記述している例がある。

 ある日、バートロム・デ・ラス・カサス神父の目の前で、スペイン人たちは3000人の人々をレイブし、首を刎ねた。

 

 「逃げようとする子供たちの足を切り取った。口に煮えたぎるスープをあふれるまで流しこんだ。剣のひと振りで人間を真っ二つに切ることができるかどうかで賭けをした。犬を放った。視界に入ったら最後、犬は『インディアンを、まるで豚肉のように瞬時に口に頬張った』。乳児をドッグフードとして使った」

 

 多様性とは何か?

「対論 文明の風土を問う」安田喜憲 麗澤大学出版会

第3部           服部英二/安田喜憲

文化の多様性と生物の多様性を破壊する市場原理の超克

188p〜

「人類にとっての文化の多様性は、自然界における生物多様性――bio diversityとまったく同様に、人間の生存にとって重要なものである。」

 自然界は、バイオ・ダイバーシテイー(bio diversity)という自然の多様性、生態系の多様性が大きなサイクルになっている。そのうちのどこかが切れると、鎖が切れたようにズタズタになります。そのように、多様性を持つ多くの生物が、互いに食べ、食べられて連鎖している。その自然界の姿が、おそらくそのまま文化の姿でもある、と言っているわけです。「人間は文化的な動物である」というためには、多様性が必要なのだ、・・・

 

そして、以下のMSNニュースの「全球一体化」という言葉が気になった。

20110529

世界経済は歴史的転換期、ドル基軸変質の可能性も=内閣府リポート

 [東京 28日 ロイター] 内閣府は28日、世界経済の現状と見通しを分析した「世界経済の潮流2011年」をまとめた。リポートでは、市場の一体化が世界的に進む「全球一体化」と、新興国の台頭で、現在の世界経済は大きな構造変化が進行する「歴史的な転換期にある」と指摘。

 ・・・略・・・ 内閣府は「財」、「資本」、「労働」市場などで一体化が世界同時に進行している状況を「全球一体化」と名付け、単なる国際化を含意する「グローバル化」と区別して定義。・・・略・・・

 

 世界はますます多様化を失っていくように思える。

 そして以下の記事、

県・市町村単位の復興特区を提言へ…構想会議

読売新聞 529()214分配信

 菅首相の私的諮問機関「東日本大震災復興構想会議」(議長・五百旗頭(いおきべ)真防衛大学校長)は29日、首相官邸で第7回会合を開き、被災地での規制見直しや税財政上の優遇措置を認める「復興特区」の創設を政府に求めることで合意した。
 ・・・略・・・
 

 復興特区は東北の各地の特徴を活かした、多様なものであって欲しいと願っています。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 大災害 | 06:55 | comments(0) | - | - | - |
原発と復興を考える 41 グループホーム
JUGEMテーマ:大地震
 

41 原子力問題と復興への提言

 被災による貧困と子どもの問題「グループホーム 花みずき」

 

 被災地から大変な状況が日々伝わっている。

 下記の記事のような内容の報道も多くなってきている。

 このような記事を読むにつけ思い出すのは、

阪神大震災での復興格差です。

 それは、神戸の救急医から聞いた、

とても多くの自殺未遂者の実態でもありました。

 

 MSN 産経ニュースから

貯金尽き生活困窮「食べていけない」 70日以上 缶詰中心の食生活

2011.5.28 00:04

 70日以上、缶詰中心の食生活が続いている。津波でアパート2階の自宅が流された宮城県石巻市の雁部富士子さん(56)一家は貯金が尽きた。市役所から罹災証明書は交付されたが、義援金の給付は「7月以降になる」と担当者に言われた。「もう食べていけない。死ねと言ってるのと同じ」。唇をかみしめた。

 「サバ、サンマ。もう見たくもない」。高血圧に悩む雁部さんだが、おかずは缶詰だけの偏った食生活が続く。一家は、以前に自衛隊から支給された缶詰で食いつないでいる。

 住まいは仙台市に避難した知人が借りていたアパート。運送業を営んでいた夫の勝博さん(61)、長女の理紗さん(24)、次女の由紀さん(18)の4人で暮らす。

 アパートには毎日、避難所から弁当が支給されるが、雁部さんは町内会が違うので支給されない。

 勝博さんは震災前の2月末、840万円の13トントラックを買い替えたばかり。2月の売上金250万円を積んだまま津波に流された。雁部さんが働いていた水産加工会社ももうない。

 運転手の仕事を探す勝博さんだが、ハローワークで年齢を告げると「60歳まで」と断られる。理紗さんも、高校を卒業して魚市場の事務職に内定していた由紀さんも仕事を失った。

6月からは県の民間賃貸住宅借り上げ制度を利用して市内のアパートに一家で引っ越す予定だ。敷金や礼金などの初期費用計24万円は県が支給してくれるはずだったが、「いつ県が入れてくれるか分からない。すぐ入金しなければ契約しない」と言われ、知人から借金してかき集めた。

 3月末に市から借りた10万円の無利子融資はアパートの修理代や生活費に消えた。海水に漬かった畳を剥がし、漏電を防ぐためコンセントの差し込み口を交換しただけで1万8000円。震災で無料だった医療費も6月からは有料になる。高血圧の治療費、月約6000円が重くのしかかる。

 雁部さんは「仕事も金もなくては生きていけない。一刻も早く義援金を支給してほしい」と話す。

 

 一刻も早い義援金の支給が必要なことも、更に多くの義援金が必要なこともわかる。 しかし、義援金は一時的なものに過ぎないことも、被災者の暮らしを支える具体的な施策や支援が急がれることもわかる。

東日本大震災の復興は、日本の復活でもあることに皆の気持ちがひとつになっている。

 

私が気になっていることのひとつに介護を必要とする高齢者をどう支援するのかということがあります。

 高齢社会に、災害による医療と介護の資源をも失い、不安と涙に明け暮れるお年寄りのこれからをどうするのか?

 上記記事で紹介されている雁部さんの家族に介護が必要な高齢者が一緒に住んでいたらどうだろう?

 

そんな問題の糸口をつかむために

グループホーム「花みずき」を訪ねてきました。

 

だいとう循環器クリニックのホームページを御覧ください。

ページの始めにこう書かれています。

「自分こそが主治医」・・・目から鱗の一言があります。

・・・・・

だいとう循環器クリニックでは、高血圧、心筋梗塞、動脈硬化などの循環器疾患の方、
がんの手術後に腕や脚がむくまれる方のリンパ浮腫を治療しております


自分こそが主治医

「医療」が、変動しています。
◇慢性疾患や長期の療養が課題となってきた
◇「がんで死ぬのも悪くない」という治療・療養の方法を創る
◇「ぼけてもいいじゃない」というケアの体制を生み出す

◇患者にとって「自分こそ、自分の身体と人生の主治医」

◇市民にとって「医療は買い物、自分で選択を」

◇医療者にとって「自分こそが、このひとの主治医」

・・・・・

 院長の紹介では、

 院長 大頭 信義(だいとう のぶよし)

 資格 医学博士

 経歴 昭和614月 だいとう循環器クリニック開設
(特定)日本ホスピス・在宅ケア研究会 理事長
 播磨ホスピス・在宅ケア研究会 事務局

 

 大頭先生が

 姫路市豊富の田園地帯に、およそ800坪の2階建て

2棟をつないだ形の建物で運営されているのが

 【 グループホーム 花みずき 】です。
 関連事業 デイサービス 花みずき ケアプラン  花みずき  

 

 それぞれの生活能力を大切にする。

 ご家族と同じような環境の中で、少人数の認知症高齢者が

 スタッフの援助を受けながら、楽しく共同生活します。

 

 というグループホームです。

 規模 全室個室 定員27名 各ユニット9名が生活できる棟が3

 

大頭先生にはこのような著作もあります。

私はこの書を読んで、末期ガンの父を在宅で看取る決意をしました。

「がん患者は家に帰ろう」

編著:だいとう循環器クリニック 大頭信義
発行所:(株)エピック社
仕 様:B5判 198頁

定 価:本体1,200円(税別)

専門病院で自分が望む手術や治療を
やってもらったら、あとは家に帰ろう。
自分こそが、主治医であるという意識を
強くもって、「がんで死ぬのも悪くない」を実現しよう

 

先生の提案で以前から注目していることに

自分でつくる病歴カードがあります。

・・・

初めての病院で自分の病歴をうまく伝えることができずに、困った経験はありませんか。
あるいは、運悪く救急車に乗らなければならないような緊急の場合にも、このカードを携帯・提出していただければと、当院では病歴カードの作成をお勧めしています。
ご自分の過去の病歴、アレルギー、日頃不安に感じていることなど、一枚のカードにまとめてみましょう!

2009
9月現在で、407名が作成しています。
作成のお手伝いを致しますので、受付にお尋ね下さい。

・・・・・

 

被災者の住宅問題を考えたときに、

介護が必要な高齢者のグループホームの建設も急がれるように思います。

私は子どもと高齢者を結びつけた施設の提案書を、書いています。

花みずきのような素晴らしいグループホームに、子どもの支援を組み合わせていく。

近いうちに紹介したいと思います。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 大災害 | 08:49 | comments(0) | - | - | - |
原発と復興を考える 40 フラガール
JUGEMテーマ:大地震
 

40 原子力問題と復興への提言

 被災による貧困と子どもの問題「フラガールが全国巡回」

 

 昨日に「フラガールが全国巡回」との情報が入った。

 以下のような情報です。

・・・映画「フラガール」のモデルにもなった、いわき市の大型リゾート施設「スパリゾートハワイアンズ」のフラガールたちが、全国巡回をスタートした。全国を巡るのは1964年以来という。

施設は震災で休業中だが、フラガールたちは復興を願い、今月3日から県内の避難所で慰問公演を始め、21日には、東京・新宿で華やかにフラダンスを披露した。

震災後、避難所以外でお始めての公演。冒頭、リーダーのマルヒア由佳里さんが「地元いわきのためにできるのは、元気に踊ること」と笑顔であいさつ。観客から「がんばれ!」の掛け声も。フラガールたちは観客の温かい拍手に涙ぐんでいた。

 

このフラガールを、姫路の8月6日のお城祭りのパレードと8月7日の「良さ恋まつり」にお招きしようという計画を立てることにした。

 

スパリゾートハワイアンズのホームページのフラガール特集を覘いてみた。

 

あらすじ

舞台となるのは、昭和40年の福島県いわき市の炭鉱町。今や石炭から石油へとエネルギー革命が押し寄せ、閉山が相次いでいるなか、町の危機を救うため、人々は「常夏の楽園」をつくろうと立ち上がる

炭鉱の娘たちに、誰も見たことがないフラダンスを仕込むためにハワイアンセンターの吉本部長(岸部一徳)は東京から平山まどか先生(松雪泰子)を招く。

 

元花形ダンサーの彼女は、最初は田舎町を軽蔑し、まったくのど素人に嫌々ながら教えていたが、紀美子(蒼井優)をはじめ炭鉱娘達(しずちゃん、池津祥子、徳永えり他)のひたむきな熱意にいつしか忘れかけていた情熱を再燃させる。
ひとりひとりの厳しい現実を抱えながらも、炭鉱娘たちは友情を支えに強く美しくフラダンスの真髄を体の中に染み込ませてゆく。そして

 

実話をもとに、常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾートハワイアンズ)の誕生を支えた人々の奇跡の実話を、ハワイアンミュージックと本場を超えるフラダンスで感動の映画化!

 

映画『フラガール』公式ブログでは

2007-02-17 05:08

皆さんありがとう!日本アカデミー賞最優秀作品ほか5冠達成しました!

いつも『フラガール』応援ありがとうございます!そんな皆様、事件です!
すでにテレビ中継やYahoo!ニュースなどでご存知の方も多いと思いますが、な、な、なんと昨日発表された第30回日本アカデミー賞にて、我らが『フラガール』5冠達成致しました!!

最優秀作品賞:「フラガール」
最優秀監督賞:李相日

最優秀脚本賞:李相日、羽原大介

最優秀助演女優賞:蒼井優

話題賞(作品賞):「フラガール」

ニッポン放送「オールナイトニッポン」での一般投票により選出していただきました!)

最優秀賞作品賞を受賞した時、松雪泰子さん、富司純子さん、蒼井さんをはじめ、登壇された皆さんホント嬉しそうで、今回新人俳優賞を蒼井優さんとともに受賞したしずちゃんこと山崎静代さんは、うれし泣きをされていました。
この喜びをまずは本作をご覧頂き、応援してくださった皆様とわかちあいたく、授賞式&打ち上げパーティ終了後のこの深い時間にブログを書いております!眠い!でも嬉しいー!
今後、受賞コメントなど少しずつご報告していきますので、どうぞご期待ください!ひとまず、皆様、ありがと〜な〜〜〜い!!!

映画の公式サイトでは、フラ指導者の紹介もある。

――  松雪泰子が演じた平山まどか先生のモデル ――

常磐ハワイアンセンターのオープンに控え、素人の炭鉱娘たちにダンスを教え込んだのは、カレイナニ早川。早川先生は幼少の頃からバレエを習っていたが、昭和31年、37年と二度にわたってハワイに行き、ポリネシア民族舞踊を学んでいる。昭和40年には常磐音楽舞踊学院講師となり、常磐ハワイアンセンターのショーの構成・演出・振付を、実に32年の歳月にわたってこなした。同時に、日本初のフラスタジオである「早川洋舞塾」を昭和51年に開塾、更に各カルチャー教室フラ講座を持ち、フラを通してハワイとの日米文化交流を努めるなど、多方面にわたって活躍を続けている。フラ人口50万人とも言われる現在のブームを作り上げた重鎮なのだ。現在は常磐音楽舞踊学院最高顧問でもある。

  

この「スパリゾートハワイアンズ」のフラガールの方々をお招きしようという計画です。

 

姫路良さ恋まつりとは

NPO法人 姫路コンベンションサポートのホームページで

以下のように紹介されています。

 

「街を元気に、人を元気に」をコンセプトに平成12年から活動しています。地域を発信するイベント企画・運営のほか、地元農家と消費者をつなぐたまちゃん街の駅を運営しています。人と人、都会と農村、心と心をつなぐ発信基地でありたいと願っています。

「町を元気にしたい」という思いを持ったメンバーが集まり、
ひめじ良さ恋まつりは 2000年に誕生しました。姫路コンベンションサポート設立メンバーの出会いの多くが、この「ひめじ良さ恋まつり」であり、私たちの「原点」と言っても過言ではないでしょう。

 元来、よさこい祭りは高知が発祥です。それが約50年間で、札幌のYOSAKOIソーランが開催されたことから一斉に全国へ飛び火しました。
ひめじ良さ恋まつりは毎年さまざまなドラマがあります。

そんなドラマを乗り越えて、ステージで演舞する踊り子のみなさんの晴れ舞台をサポートしたい。そんな思いを持ってまつり運営に取り組んでいます。

「まちづくり、人づくり、心づくり」がテーマの姫路コンベンションサポート。
毎年その思いを具現化したいと思います。

 201186()7() 第12回ひめじ良さ恋まつり開催決定!

 

姫路お城祭りについては

昨年の神戸新聞の記事を紹介したい。

 

黒田家臣団、勇壮に 姫路お城まつりに13万人 

 第61回姫路お城まつり(同まつり奉賛会主催)は7日、2日目を迎え、姫路市の大手前通りで歴史パレードや総踊りがあり、約13万4000人(市発表)でにぎわった。播磨出身の戦国武将黒田官兵衛や二十四騎の家臣団、千姫ら姫路ゆかりの人物を演じる行列が、時代絵巻を繰り広げた。

 行列は、播磨の黒田武士ファンでつくる顕彰会が2006年から企画。官兵衛役は黒田家の第16代当主黒田長高さん(58)=東京都=が5年連続で務めた。

 世界文化遺産・国宝姫路城では「平成の大修理」が本格化。総踊りでは、素屋根(工事用建屋)で覆われ始めた大天守をバックに総勢1500人が踊りの輪を広げた。

 最終日の8日は、城周辺で「ひめじ良さ恋まつり」などがある。

(山岸洋介)

(2010/08/07 22:23)

 

 昨日には実行委員会の鎌谷さんや、

 姫路市行政の河原さんにお話をさせてもらいました。

 皆さんは大歓迎で、楽しみにしたいと言われています。

 

 私は早速に、こちらの祭りの資料をそろえて、

 来月早々に、福島へ伺わせていただきます。

 

 復興には長い時間が必要なようです。息切れがしないように、できることから、コツコツと取り組んでいきたいと考えています。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 大災害 | 10:25 | comments(0) | - | - | - |
原発と復興を考える 39 地域再生の罠
JUGEMテーマ:大地震

 39 原子力問題と復興への提言
 被災による貧困と子どもの問題「地域再生の罠」

「株式会社 応援しよう東北!」の設立準備のために忙しく走り回っています。良い店舗物件はないかと、姫路の商店街をじっくりと見て回ったのは初めてでした。様々な地域再生の本を読んで、失敗事例として紹介されている地域と、あまりにもそのままに進められている開発の様子に驚きました。駅前再開発は今のままでは大きな負の遺産になるでしょう。工夫が必要なことを痛感しています。
 
「地域再生の罠」なぜ市民と地方は豊かになれないのか?
久繁哲之介著 ちくま新書 2010年7月10日発行
・・・・・ 
162p〜
 「地域再生の罠」を解き明かす
 第1章から第4章にかけて、宇都宮市、松江市、長野市、福島市、岐阜市、富山市の6都市が、どのような問題に直面しているのかをつぶさに検証してきた。本章では、前章までの考察を整理して、「地域再生の罠」を解き明かす。
 まず、論点をわかりやすくするために、「地域再生関係者」「土建工学者」「自治体」いう3者の視点から問題の所在を整理してみよう。

地域再生関係者
1)大型商業施設に依存し、大都市への憧れが高い。すなわち、地域に「ないもの」をねだり、経済的な豊かさばかり求める。その結果、地域資源や心の豊かさを見失う。
2)経済的欲望の高さから、成功事例などハウツー論に飛びつく。

土建工学者
3)地域再生関係者に成功事例の模倣を推奨する。だが、その多くが「実は成功していない」し、稀にある成功事例は、市民のニーズや価値観とは違う「遠い過去か異国」のものである。
4)自らの理想とする都市政策や器を先に造り、市民がそれに合わせることを強要する。

自治体
5)専門家の上から目線による「成功事例」に価値を置き、市民目線と顧客志向に欠ける。
6)前例主義で、「実は成功していない」前例を踏襲して、地域を衰退させる。
7)縦割り主義で、各組織は連携せず、各組織の目的だけを叶える、効果の出ない施策を  つくる。しかも、他組織の他施策との整合性に欠けて弊害を生む。その結果、地域は疲弊する。

「地域再生の罠」を理解するには、1)〜7)の論点を個別に考えるより、すべてに共通する本質をまず探ることが有効だ。本書をここまで読み進めてこられた読者は、右に示した7つの論点には2つの本質的な問題が通底していることにお気づきになるだろう。

ア)「目に見える」「誰でもわかる」ものを偏重し、とりわけ「数値や力の大きい」ものや権威に依存する。
イ)「目に見えにくい」「気がつきにくい」ものを軽視する。

 まずア)に関しては、第4章までに指摘したことを整理しよう。

ア)−1 見た目は立派な箱物を次から次へと造る。
ア)−2 109など有名ブランド店を安易に誘致する。
ア)−3 権威ある学者の言うことを盲信する。
ア)−4 それぞれについて前例があれば安心して模倣・追随する。

 次にイ)を整理する。

イ)−1 「顧客・市民の心理」に、提供者志向だから気がつかない。
イ)−2 「女性・若者の心理」は、おやじ目線には見えない。
イ)−3 「人の心、地域の文化」が、経済的豊かさに固執しているので見えない。

 こうした「重要なのに気がつきにくいもの」が軽視され、「目に見える」ものばかりを安易に追い求めると、地方都市の衰退はさらに加速する。

167p
土建工学者は「人の心を捉えるソフト事業」には目を向けず、「器づくり、箱物づくり」を推奨してきた。自治体はこれに倣い、地域再生の予算配分も「器と箱物」に集中させた。ここに日本の地方都市が衰退し続ける構図があることは再三指摘してきたとおりだ。
 「器づくり、箱物づくり」に邁進してきた地方都市はいまだ活性化しない。むしろ、器や箱物だけは立派な地方都市ほど疲弊している。
 一方、市民が主役となって「人、顧客の心を捉えるソフト事業」を地域再生の核に据え、土建工学者や自治体など上流が関与しない地域は活性化している。
・・・・・
「人の心を捉えるソフト事業が導いた活性化は、持続可能性がきわめて高く、いずれの事例も今なお賑わっている。」
「人の心を捉えるソフト事業」このことを一生懸命に真面目に考えてみたい。
 本書には多くのヒントがある。工夫して物にしたい。

 姫路駅前の商店街を自転車を押して歩いてみてが、自転車を押して通らなければならない邪魔くささに閉口した。歩いていても面白い個性的な店があるわけでもなく、大型量販店の方がよほど刺激的だ。
 大型量販店なら近くに駐車場があり、買ったものをカートに乗せられるが、商店街では手でぶら下げて重い思いをしなければならない。よほどの用事がなければ二度と通ることは無いだろう。無料の駐輪場を整備して、カートを使える商店街は無いのだろうか。
 というわけで、自転車を店に横付けできる場所に出店することに決めて、店舗物件を探した。更に、観光客の目にも触れて、イベントが行いやすい環境を求めることにした。
 姫路の商店街には何が足りないのだろうか?店舗の個性が無い、お客さんとの双方向性もない。日差しや雨を避けることのできるアーケードのある通りでしかない。

 以前にも紹介した、
「地域再生の経済学」神野直彦著 中公新書 では
86p
 ヨーロッパはそうではない。異質で個性的な地域社会から国民国家が形成されている。スペインでいえば、バスクはバスクなのであり、アンダルシアはアンダルシアなのであり、ガリシアはガリシアなのである。地域文化の象徴である言語も大切にする。バスク語、アンダルシア語、ガリシア語を守っていくことによってアイデンティティを確認しようとする。

 姫路は何故に姫路なのか?姫路が姫路であるためには何が必要なのだろうか?姫路は姫路で無ければならない理由はあるのか?などという問いを発するのは、姫路では当会の話し合いの場でしか聞いたことがない。
87p
 パリでは20に分かれた区が、それぞれ業務地区や商業地区として特色をもった機能を担っている。とはいえ、表通りから少し入れば、子供が遊べる路地があって、どの通りにも深夜まで開いている小さな商店や、その通りに住む人々が目に何度も顔を出すカフェがある。カフェはただの喫茶店ではない。地域の人々が集まり情報がやりとりされるカフェはひとつの公共圈で、生活にとって欠かせない場所になっている。一つ一つの区が、玉野井芳郎の言葉で表現すれば、「生活細胞」となっている。

 「生活細胞」と言うと、生命体のような生き生きとした感じがしますね。
88p
スウェーデンのストックホルムから100キロほど離れた小さな町にある職業訓練所を訪ねたことがある。ヨーロッパのどこにでもあるような小さな商店街がある田舎町で、町の住人たちはみな、田舎だから物価が高いとこぼしていた。ここからストックホルムはそんなに遠くないのだから、どうしてストックホルムに買い物に行かないのかと訊くと、そんなことをしたら地元の商店が潰れてしまう。商店街が消えて困るのは町の住人で、なかでも車に乗れない子供やお年寄りだ、だから少々高くても日用品は地元の店で買う、と住人たちはいうのである。地域共同体が生きていれば、町は空洞化することはない。

 地域住民が守らなければならないと思える商店街があるとするならば、どんな商店街なのだろうか。商店街全体の課題だと思うから、自分の課題だと考え難くなっているのではないか?むしろ、一店一店の問題なのではないだろうか。 

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 大災害 | 21:02 | comments(0) | - | - | - |
原発と復興を考える 38 スローシティ
JUGEMテーマ:大地震
 

38 原子力問題と復興への提言

 被災による貧困と子どもの問題「スローシティ」

 

 私の夢は日本中の田舎をつぶさに見て回ることです。

 「田舎の活用」と「街コミュニティの再生」というコラボレーションに日本の未来があるように思っているからです。

 大量生産・大量消費を否定しているわけではありません。大量生産・大量消費というエンジンがあるのなら、もう一方に「田舎の活用」・「街コミュニティの再生」というエンジンがあっても良いのではないかと考えているのです。

 

 「地域再生の経済学」豊かさを問い直す

神野直彦著 中公新書 2002年9月25日初版

 

にこのようなことが書かれている。

20p〜

 工業社会とは都市の時代である。十九世紀から二十世紀の世紀転換期には、都市には世界の人口の10パーセントが居住しているにすぎなかった。しかし、二十世紀から二十一世紀への世紀転換期には50パーセントに上る人口が都市に居住している。

 とはいえ、そもそも都市とは「生産」の場というよりも、「交流」の場ということができる。すでに十八世紀の重商主義者、イギリスのジェームズ・スチュアート(James Denham Steuart)が指摘しているように、農業では「住居」は「農耕の場所」に定着する。つまり、農業では生活の「場」は生産の「場」と一致する。そのため市場社会以前の封建時代のような農業社会では、生産機能は都市周辺の農村に配置されている。

 農業社会の都市とは、農村の余剰生産物が取引される市場であり、周辺に配置されている農村の交流の場ということができる。つまり、そもそも都市とは市場という周辺の農村の交流の「場」なのである。

 

 私が現代的に再生してみたい課題がここに書いてあった。

「つまり、そもそも都市とは市場という周辺の農村の交流の「場」なのである。」

 

 22p

 ・・・市場の機能する「場」である都市とは共同体的人間の絆が切れたところで形成されたといってよい。

 都市は交流の場であり、継続的な人間の接触は乏しい。都市は交流の場であるがゆえに、共同体的人間の絆は脆弱である。つまり、都市では自発的な協力にもとづく人間の共同生活を支える相互扶助や共同作業が作用しにくいのである。

 そこで都市では共同体的絆の脆弱さを補完するために、自治が実現する。つまり、都市の構成員の共同意志決定にもとづく、強制的協力が自発的協力の脆弱さを補完することになる。それが「自治」という都市のもう一つの顔である。

 

 都市の自治を考えたときに、行政と住民による協働の自治が理想的です。その住民による自治とは、主にコミュニティの再生ではないだろうかと思っています。

 

89p

 日本から地域共同体が姿を消してしまっているのは、日本では個人が自立しているからではない。逆である。人間は自立するがゆえに連帯する。日本では個人が自立していなかったがゆえにコミュニティが崩され、中央集権体制を明治国家が築いたのである。

 中央集権体制こそが地域共同体を崩し、地域社会を同質化してしまった。それは政治システムだけでなく、経済システムも社会システムも中央志向性を備えるまでに日本社会を規定していくことになる。したがって、地域社会の再生は地方分権なしにありえない。

 地方分権とは人間にエンパワーメント(権限を付与)することだといいかえてもよい。政治システムの意志決定空間を身近なところに創出すれば、個々人の権限は拡充することは間違いない。政治システムの意志決定空間が身近なところに設定されれば、地域住民は政策決定過程だけでなく、政策執行過程にも参加することができるからである。

 

 私達は現状を政治や行政の責任にする前に自立する必要があるのではないだろうか。市民が自立し、政治や行政にもの申していくことで、真の地方分権が確立していくのではないか。中央に頼りすぎているがために地方が空洞化・衰退しているような気もしています。

 自立、そして自律と連帯という地域社会の再生を目指していく。

 

164p

 ・・・地域社会で自給自足の生活を営むことは困難だとしても、地域社会にはそれぞれの地域社会を包摂している自然と共生した固有の生活様式が存在している。そうした地域社会に固有な生活様式を文化と呼んでおけば、地域文化に根差した生活を営む上で地域社会の外部から購入しなければならない財は本来、そう多くはないはずである。それぞれの地域社会が生産する特産物を相互に交換し合えば、地域文化に育まれた生活を営むことは容易である。ところが、大量生産・大量消費を実現した工業社会は、地域文化を破壊してしまった。つまり、地域文化にもとづく生活を破壊し、大量生産された生産物を、大量消費する生活機能を強制することになったのである。

 それぞれの地域文化にもとづく生活様式からは、大量生産される画一的生産物を消費する需要は生じない。自発的に発生した需要ではない需要に駆り立てられ、地域社会の外部から大量に財を購入していくことになる。

 そうなると、地域社会の生産機能を強化しなければならない。地域社会は大量消費を実現するために、地域社会の特産物だけの交流では需要を満たすことは困難となり、地域社会の外部から生産機能を呼び寄せようとする。地域社会は工場誘致合戦を繰り広げ、生産機能を誘導することが地域社会の発展だと思われるようになってしまったのである。

 ところが、工業が衰退し始め、工場誘致に奔走してきた地域社会が荒廃し始める。工業を誘致し、工業に「職」を求め、生活機能を維持してきた地域社会が瓦解し始める。しかも、地域社会の生活を包んできた自然環境そのものが破壊され始めたのである。

 

     地域社会を包摂している自然と共生した固有の生活様式

     地域文化に根差した生活

     地域社会が生産する特産物を相互に交換

 

 この3点について考えてみたい

 地域社会を人間の生活の「場」として、共生、循環型の社会として再生していく。

 その姿は「スローシティ」という提案でもある。

 

「田舎力」ヒト・カネが集まる5つの法則 NHK出版 生活人新書

金丸弘美著 2009年8月10日発行

192p〜

イタリアでは、スローフードとはまた別に、「チッタ・スロー(スローシティー、ゆっくりした町)」という新しい地域づくりの活動が生まれている。

 その動向を知りたくて、2008年11月、豊岡市の訪問のあと、イタリアに飛び、チッタ・スローを推進しているブラ市役所を取材した。

 チッタ・スローの構想は、スローフード協会の会長カルロ・ペトリーニ氏と、スローフード協会の本部があるブラ市と、オリビエート市、グレベーキャンティ市、オリビエート市の4市の市長が、スローフードのイベント「サローネ・デル・グスト(味のサロン)」で出会ったことから生まれたという。

 チッタ・スローの活動は1998年に始まり、現在、イタリア全土の、人口5万人以下の50市に、さらにドイツ、ノルウェー、ニュージーランドなど海外20か所に広がっているという。それぞれの市長が協議を行い、環境に配慮した町づくり、小規模の農業を守ることなどが、方針に掲げられている。

 具体的には、公共交通を優先し、できるだけ車を中心地に入れないといった取り組みや、商店街の地域の店を優先しふれあいのある町を作るといったことだ。

 「スローフードの哲学を、自分たちのまちづくりにどう生かせるかを考えました。まずは食と農の分野において、伝統を再評価することから始めようということになりました。

 ただ、最初に集まった4つの市は北と南にあり、地理的条件も、産業構造も違っていた。それでも、食と農の文化を再評価するにあたって、共通のテーマをもって取り組もうと考えたときに、『ボン・ビーベレ(よりよく生きやすい町)』という概念が浮かび上がってきた。さらに、どんな町が生きやすいかということを考えた結果、『チッタ・スロー』というコンセプトが生まれました。

 

196p

「チッタスローに完成形はない。目標として向かっていくものなんだ。これまでは『早く効率よく』を目指したが、これからは『ゆっくり、古いものを大切に』という方向になるだろう」との話だった。

 

私が考えていることは、このチッタ・スローによるボン・ビーベレがヒントになっています。「田舎の活用」と「街コミュニティの再生」という循環型の市場形成なのです。 

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 大災害 | 09:14 | comments(0) | - | - | - |
原発と復興を考える 37 私が東北を応援したいわけ
JUGEMテーマ:大地震

37 原子力問題と復興への提言

 被災による貧困と子どもの問題「私が東北を応援したいわけ」

 

 私が「株式会社 応援しよう東北!」を立ち上げたのには3つの理由があります。

 

ひとつは、棟方志功と宮澤賢治という東北の巨人二人に、自分の人生に大きく影響されたことがあります。

私が絵を描いていた高校生の頃に、倉敷の美術館へ行ったときに、棟方志功の作品に出会い、アーティストに生きようと決意したことがありました。

大きな版画で、それは切り立った緊張感のある線で、仏の姿が貼り付けられていました。津軽三味線の高橋竹山の太棹が聞こえてくるようで、東北を乞食していく仏道修行者の姿とは、こういう厳しいものではないのだろうかと思えたのです。白黒の版画は雪明りの中を裸足で歩く僧の、崇高な命を感じたのです。

 

棟方志功記念館のホームページに

棟方志功を知るというコーナーがあります。

御覧になってみてください。

例えばこういう感じです。

 

版画の道に志す

「雑園」の入選する前から、版画に心をひかれていましたが、川上澄生氏の「初夏の風」という版画を見て感激し、同郷の下沢木鉢郎氏に連れられて平塚運一氏を訪れ、初めて版画の道に入りました。昭和4年に春陽会に版画4点が入選し、翌5年には、国画会に出品した版画4点が全部入選しました。この頃から「版画」一筋に行くことを決心しました。昭和114月に、国画会に「大和し美し」(版画巻)を出品して日本民芸館に買上げられ、柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司氏らの知遇を受けるようになりました

 

ボランティア活動を長いことしていると、とても疲れることがあります。このときに宮澤賢治の雨ニモ負ケズをいつも口にして頑張ってきました。

 

宮沢賢治記念館のホームページに

賢治と農民という記述がありました。

 

 賢治は宮沢政次郎・イチ夫婦の長男として生まれました。そのころの家業は質屋・古着屋でした。しかし、この家業が、後の賢治の心に重苦しい負担となって残りました。
 高等農林学校を卒業後、しばらくして花巻農学校の教諭になったときから賢治と農民との直接の関わりが始まりました。花巻農学校内に開設された岩手国民高等学校で、農民芸術という科目を担当したことから、自ら農民の中に入っていくことになります。そして、担当した農民芸術の講義の内容がほぼそのまま「農民芸術概論綱要」となりました。概論の冒頭で賢治は「おれたちはみな農民である ずゐぶん忙しく仕事もつらい もっと明るく生き生きと生活する道を見付けたい」と言っています。
 賢治は農学校の職をやめ、下根子桜(現花巻市桜町)の別荘で一人きりの自炊生活を始めるとともに、「本統の百姓」になるため自ら畑を耕しはじめました。その賢治のまわりに近くの農家の青年やかつての教え子が集まってきて、レコードコンサートを開いたり、器楽合奏をしたりしました。この集まりが「羅須地人協会」のはじまりです。賢治は、農事講演や肥料相談のため、近くの村々をまわったり、協会の建物で農業や芸術の講義をしました。
 賢治は「農民芸術概論綱要」を通じて、農民の日常生活を芸術の高みへ上昇させようと試みたのです。しかし集まってくる若者を除いて、一般の農民の反応は冷やかだったと言われています。この「羅須地人協会」の活動は、昭和3年に賢治が「両側肺浸潤」の診断を受け、豊沢町の実家で療養生活を余儀なくされた時に終わりを告げました。

 

 私は柳宗悦の民芸の思想に自然に引かれていったことには、この二人の影響があります。

 

 二つ目の理由はこの民芸の思想にあります。

 工業製品のような大量に生産するものではなく、工芸品という高価なものではなく、民芸、その民の日常に根ざす芸術に引かれたのです。

 

 日本民藝館のホームページに、民芸と宗悦について触りだけですが説明があります。

民芸の発見

 下手物(げてもの)とは、ごく当たり前の安物の品を指していう言葉として、朝市に立つ商人たちが使っていたものであった。この下手物という言葉に替え、「民藝」という言葉を柳をはじめ濱田や河井たちが使い始めたのは、1925年の暮れである。「民」は「民衆や民間」の「民」、そして「藝」は「工藝」の「藝」を指す。彼らは、それまで美の対象として顧みられることのなかった民藝品の中に、「健康な美」や「平常の美」といった大切な美の相が豊かに宿ることを発見し、そこに最も正当な工芸の発達を見たのであった。 また、柳は独自の民藝美論を骨子とした初の本格的な工芸論『工藝の道』(1928年刊)を著し、工芸美の本道とは何かを説き、そして来るべき工芸のあり方を示した。また、1931年には、雑誌『工藝』を創刊する。この雑誌は、「暮らしの美」を啓発する民藝運動の機関誌として重要な役割をはたしていった。


民藝美論と直感

 自然の恵みや伝統の力といった、他力をも味方につけた工人(職人)の虚心な手仕事によって生まれた民藝品がなぜ美しいのかを、柳は「民藝美論」と呼ばれる独自の理論によって説いた。他力の力をも受け取ることによって、はじめて生まれ出るものであると説くこの独自の美論は、仏教の他力本願の思想になぞらえて、「美の他力道」という言い方もされる。なお、柳が生涯をかけて構築したこの仏教思想に基づく新しい美学は、柳自身の美的体験に深く根ざすものであった。柳は美の本性に触れるには、何よりも「直観」の力が不可欠であると説いた。「直観」とは、人間が本来持っている美を感受する本能的な力であり、知識や先入観によるのではなく、囚われのない自由な心と眼によって純に対象物を観ることである。この「直観」の重視は、初期の思索より一貫している柳の最も特徴的な方法論で、生涯にわたる思索と行動の原理となった。

 

 「直下にみる」という観念にも興味を持ちましたが、「手仕事日本」にも大いに興味を持ったものです。

 私はこの民藝を生かした仕事がしたいとずっと考えていました。民藝の宝庫である東北にも強い興味があったのです。

「民」の力、「民」の知恵、「民」の心、を生かした地域再生の道を模索したいと考えていたのです。田舎の活用による街コミュニティの活性化・個性化というマネジメントを考えているのです。

 

3つ目の理由は、以上のように私は仏教思想に生きる者なので、菩薩道に生きる証しとして、私のボランティアがある、ということに由来するものです。

全ての仏道修行は菩薩道にある、と考えています。

 

 このような3つの理由で共感・協働・共益のための

 株式会社 応援しよう東北!を起業したいと考えたのです。

 

 民謡をひとつ紹介したいと思います。

福島県の「原釜大漁祝い唄」です。

ソーリャ 

相馬沖から 走り込む船は  明神丸よ

アリャエ エーエ エトソーリャ

今日も大漁だネ ハア大漁 大漁

 

ソーリャ

 沖に見ゆるは 鰹か鯖か 早く出て見よ

アリャエ エーエ エトソーリャ

 今日も大漁だネ ハア大漁 大漁

 

ソーリャ

 角網大漁で 前祝い貰うた 今日も大漁だえ

アリャエ エーエ エトソーリャ

 明日も大漁だネ ハア大漁 大漁

 

ソーリャ 

沖に見ゆるはありやなに船か たいや鮪船よ

 アリャエ エーエ エトソーリャ

 今日も大漁だネ ハア大漁 大漁

 
posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 大災害 | 09:39 | comments(0) | - | - | - |
原発と復興を考える 36 株式会社 応援しよう東北!
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36 原子力問題と復興への提言

 被災による貧困と子どもの問題「株式会社 応援しよう東北!」

 

 当初はNPOで始めようと考えていましたが、

 思うところがあって株式会社で始めることにしました。

 

西日本に「東北のアンテナショップ」を作る

「株式会社 応援しよう東北!」(仮称)    起業者:小嶋隆義 

時期:5月中 開業資金1千万程度     素案 NO.4  平成23年5月吉日

 都会には地方のアンテナショップはたくさんにありますが、小さな街では見かけることがないので、東北のお役に少しでも立ちたいとの思いで、

「応援しよう東北!」(仮称)という、小さなアンテナショップをわが街「はりま」から始めたいと思います。目標西日本100店舗。

 

どのような企業を目指すのか

 トリプル・ボトムライン(ヒト、地球、利益)を考える。

共感、協働、共益の人々の感情に向き合う企業。

 

以下のことに留意したい。 

  復興の進展状況や問題点を伝えていきたい。

  助け合うことの大切さを提言していきたい。

  東北の人々が求めていることを伝えたい。

風評被害について正しい理解を訴えていきたい。

みんなのアイデアを東北に伝えたい。

  東北の復興(笑顔)をみんなの元気に繋げたい。 

  そして、できるだけ、

※有名な特産品ではなく埋もれたものを見つけて、

応援していくことを心がけたい。(復興格差是正の提案)

 ということで、共益を追求する企業に挑戦してみたい。

 

 当初はNPOで考えていましたが、事業体に影響する感情的システムを考えたときに、日本における現状でのNPOは感情ヒューリスティックがネガティブなイメージを持つことが分かり、「大きく育てる意志が無い」とのバイアスがかかる可能性が否定できない、との判断で株式会社とすることにしました。

 

事業計画 素案NO.1(株)田舎ぐらし を発展的に考えています。

 田舎暮らしコンセプト(後述の「食堂を伴った店舗」を参照してください)

 シンプル イズ ベスト

 スモール イズ ビューティフル

 市街地の空き地利用と、田舎の活用というコンビネーション。

 

 とりあえず、姫路・加古川・明石等で小さな3店舗を今年中に考えています。

 来年には、関西圏で協力者を募り10店舗以上は目指したい。

 西日本での、東北の営業マンとして頑張ってみたい。

 

加工能力と積極的な販売網を育てる、という6次産業的な取り組みも考えています。

 

 日本各地の地方の経済の疲弊は激しい。地方をいかに活性化していくのかが各地の大きな課題になっています。私はその条件が最も厳しい被災地の復興に協働していくことで、地方の活性化について、多くのことを学び、ヒントを得ることができるのではないかと思っています。地方は変われるか?地方力とは何か?を問いかけていきたいと考えています。

 

※これから起業するので、協力者を募集します。

  

※協力者とは販売店を募集することです。

○私共も販売店を計画いたしますが、東北へ仕入れに行った折にできるだけ多く仕入れたいので、協力していただける店舗をお願したいわけです。

○また、仕入れてきたものを加工して販売する折にも、少しでも多く作れば、お客さまへの価格の負担が少なくなっていきます。

○一地域で限定させていただいた協力店と考えています。地域10万人規模で1店舗、例えば姫路でお考えになっていただけた方には、私共は姫路では人口が50万人なので、5店舗以上の展開はいたしません。

○私共では私共の仕入れたものを強制的に押し付けたりはしません。協力者の良い情報やアイデアは積極的に取り入れた、協働者として考えています。

○商店街の活性化にもお役に立てるような工夫も考えていきたいと考えています。

○近い将来に東北仕入れ事務所の開設も考えています。

 

     協力者とはスタッフのことでもあります。

スタッフ若干名の雇用を考えていますので、ご応募をお待ちしております。

スタッフ間で価値観を共有する。

・ビジネスに関わる人々が、公正さ、思いやり、尊厳、自然に対する敬意など、人間が本

来持つ根源的な善意の価値観を持って、忠実に仕事をしていきたい。

※よき隣人になるということ、

 ※次世代のために価値をもたらす、

 等を考えて起業していきます。

 

最近にあった質問

○被災地では生産が停止しているので、販売できるものは無いのではないか?

 被害の少なかった地域のものから仕入れていきます。復興が進むにつれ被害の大きかった地域のものを優先するように考えています。そのことで復興がどのように進んでいるのかをお客さまにも見ていただけると考えています。

○東京では被災地の野菜が販売されていましたが、殆ど売れていないようでしたが?

 生鮮類の販売は売れ残るリスクのないように最小限に考えています。例えば野菜ならば煮込みや御浸しにして真空パックでの加工品として考えています。お土産や贈答品としても利用できるような加工品の生産体制も準備しています。

現時点での加工場は下記住所で考えています。是非に立ち寄って現場を見てください。

○風評被害で売れないのでは?

 何が危険で、何が安全なのかを正確に伝えることも仕事のひとつだと考えています。売れないものを無理やりに売ることはできません。先ず、正確な情報を提供しながら、少しずつ販売を増やしていくことを考えたいと思います。

 正直に言って、当面の間は汚染の公表された地域の食料品等の販売は難しいと思います。

将来的に食堂を伴った店舗を考える

東北の

 おもしろ グッズ

 おいしい 食品

 ちょっと お土産  等の販売

 

東北の

物産販売=店舗+協力店舗+贈答品の外商と

シンプル昼食と

お餅の販売の3本柱で事業ができれば理想的です。

 

東北の産物と地元の産物のコラボレーションを考えた食事 

 物産を利用した昼食

 ポイントはおいしいお汁とシンプル昼食

  昼食メニューは日替わりで、最大5品目までが無理のないところでしょう。

  「田舎の手弁当」の販売 

 

お餅の販売(幸助餅)

 お店の前でお餅をついて、つきたてお餅の販売。

おやつの時間 

 お餅を使った小腹を満たすメニュー

  きなこ餅とお茶

  大根おろし餅とお茶 等

  「田舎自慢 焼きもち」やぜんざいの販売

 白小餅の販売(販売益は被災地等にプレゼントします)

 

場所 駅前周辺・・・場所や協力者を探しています。

 

670−0941 兵庫県姫路市若菜町1丁目25−21千石

079 223 7157 (千石)

ryourinin@live.jp  

小嶋隆義のプロフィール:地域SNSひょこむ での 

「姫路の医療と介護を考える部屋」を参照してください。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 大災害 | 07:58 | comments(0) | - | - | - |
原発と復興を考える 35 渋沢栄一
JUGEMテーマ:大地震

35 原子力問題と復興への提言

 被災による貧困と子どもの問題「渋沢栄一」

 

 昨日は朝の3時半からお弁当を作っていました。お弁当を作りながらずっと悩んでいました。私が始めようとしている「応援しよう東北!」という事業がNPO法人で良いのだろうかということで悩んでいました。

 私が始めようとしている社会貢献は非営利法人ででは無く、企業として成功することに意味があるのではないか。地域の活性化を考えるなら、ビジネスと考えることで育てることが、必要なのではないかということを考え続けていました。資本主義の原点、それは勤勉で善良な倫理観を持つがゆえに発展してきた資本主義文化を取り戻すことも、事業の目的としたいという考えもあったからです。

 共感・協働・共益は企業理念に成りえないのか?という問であったのです。企業が求める利益は金銭だけのものではないはずだ、社会的利益を求めることはできないのか?

 

 仕事が終わった昼過ぎから一冊の本を手にした。

「現代語訳 論語と算盤」渋沢栄一/守屋淳 訳

 ちくま新書 2010年2月10日発行

 

渋沢栄一とはどんな人なのか?

渋沢栄一記念財団のホームページによると、

 

・渋沢栄一は1840(天保11)年213日、現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれました。

・家業の畑作、藍玉の製造・販売、養蚕を手伝う一方、幼い頃から父に学問 の手解きを受け、従兄弟の尾高惇忠から本格的に「論語」などを学びます。

・「尊王攘夷」思想の影響を受けた栄一や従兄たちは、高崎城乗っ取りの計画を立てましたが中止し、京都へ向かいます。

・郷里を離れた栄一は一橋慶喜に仕えることになり、一橋家の家政の改善などに実力を発揮し、次第に認められていきます。

・栄一は27歳の時、15代将軍となった徳川慶喜の実弟・後の水戸藩主、徳川昭武に随行しパリの万国博覧会を見学するほか欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に広く通ずることができました。

・明治維新となり欧州から帰国した栄一は、「商法会所」を静岡に設立、その後明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。

1873(明治6)年に大蔵省を辞した後、栄一は一民間経済人として活動しました。そのスタートは「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)でした。

・栄一は第一国立銀行を拠点に、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、また、「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。

・栄一は、約600の教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力し、多くの人々に惜しまれながら1931(昭和6)年1111日、91歳の生涯を閉じました。

 

 という記載があった。

 

 そのホームページに

 渋沢栄一と関東大震災が掲載されている。

 

このたびの震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災されたすべての皆様に心からのお見舞いを申し上げます。

 未曾有の災害からの復興を考える中で、関東大震災で自らも被災した渋沢栄一が、震災後に何を考え、どのような行動をとったのかを知ることは、現代を生きる私たちにとっても参考となることでしょう。

 渋沢栄一記念財団では、テーマ展 シリーズ平和を考える「渋沢栄一と関東大震災 復興へのまなざし―」(渋沢史料館 2010年)の開催を通じ、大災害に対する渋沢栄一の行動や考えを紹介してきました。

 ここでは、このテーマ展の内容を中心に、渋沢栄一が関東大震災からの復興に関してどのように尽力したかに関する論考や講演、資料などを順次掲載していく予定です。

掲載日 2011516

 

■ “の力を結集して震災復興を - 渋沢栄一に学ぶ / 研究部・木村昌人

渋沢栄一は経済界の重鎮として、長期的かつ国際的な視野からの力を結集し、政府に協力しながら、震災復興に尽力しました。(公益法人協会『公法協メール通信』より転載)

[ はじめに / 1. 震災と向き合う渋沢栄一 / 2. 復興へ向けてのの力 - 協調会と大震災善後会 / 3. 米国からの支援 / 4. 東京を軍都から商業都市へ / 5. 「精神の復興」 - 徳のある社会を目指して / 参考文献 ]

 

 その「はじめに」では、

 

2011(平成23)年311日に東日本を襲ったマグニチュード9.0の大震災は、米ソ冷戦後の漂流し続けた日本社会の行く末だけでなく、人類の生活のありかたを根本から改めさせるほどのショックを全世界に与えました。大地震・大津波・原発損傷による放射能汚染のトリプル・パンチは、日本人が今まで歩んできた道を見直さざるを得ない状況に追い込みました。私たちは、この未曽有の危機を乗り越え、新しい日本社会を創造し、世界に対して貢献することができるかどうかが問われています。

 この課題を克服するのは容易なことではありません。まず政府に多くを期待することは難しいでしょう。1995(平成7)年の阪神大震災の時とは異なり、今回は国家財政に余裕はありません。もちろん復興の大方針は政府が示さなければなりませんが、復興事業を実質的に支えるのは、の力です。公益を追求する強い意志と新しい社会を創造しようという企業家精神を合わせ持ったが主役になります。まさしく日本のシヴィル・ソサエティの実力が試される時です。

 このような時、真っ先に思い出されるのが、約90年前の関東大震災で活躍した渋沢栄一です。経済界の重鎮として、長期的かつ国際的な視野からの力を結集し、政府に協力しながら、震災復興に尽力した渋沢栄一のリーダーシップとその活動に学ぶ点は数多くあります。

 

 ここで、「復興事業を実質的に支えるのは、の力です。公益を追求する強い意志と新しい社会を創造しようという企業家精神を合わせ持ったが主役になります。」

 という“民”がとても、気になった。

 皆さんもホームページを読んでみられてはいかがでしょうか。

 

「現代語訳 論語と算盤」

165p

第8章 実業と士道

武士道とは実業道だ

 武士道のもっとも重要な部分とは、次のようなよき習わしを足していったものに外なら

ない。

「正義」― みなが認めた正しさ

「廉直」― 心がきれいでまっすぐなこと

「義侠」― 弱きを助ける心意気

「敢為」― 困難に負けない意志

「礼譲」― 礼儀と譲り合い

一口に武士道といっても、その道徳の内容はなかなか複雑なのだ。

 この武士道に関して、わたしがとても残念に思うことがある。それは武士道が日本の代表的な長所だったにもかかわらず、古来もっぱら武家社会だけで行われ、経済活動に従事する商工業者の間では、重んじられなかったことである。

 昔の商工業者たちは、武士道をひどく誤解していて、「正義」「廉直」「義侠」「敢為」「礼譲」などを大事にしていては、商売は立ち行かないと考えていた。

 「武士は喰わねど高楊枝」

 というような気風は、商工業者にとってはあってはならないものだったのだ。思うにこれは、当時の時代状況がそうさせた側面もあったのだろう。しかし武士には武士道が必要であったように、商工業者にも商業道徳がないと真の豊かさは実現不可能なのだ。商工業者に道徳はいらないなどというのは、とんでもない間違いだったのである。

 一般的に封建時代において、武士道と経済活動とは、お互い相容れないように解釈されてきた。これは、社会正義のための道徳と、経済活動の結果である富とが並び立たないと、儒学者たちが信じていたのと同じ誤りに外ならない。この二つが決して背を向けあうようなものではないのは、今日みなさんにはおわかりのことと思う。

・・・・・

 私も“民”の一人として、及ばずながら東日本大震災復興に協力をしたい。

 そしてNPOではなく、株式会社として「応援しよう東北!」を立ち上げることを決意しました。私は、私の武士道を試してみたいと考えています。

 

 朝早くから作っていたお弁当は姫路剣道連盟からの注文でした。

 何か、偶然以上のものを感じています。
  お弁当の写真も添付しておきます。

 

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 大災害 | 21:59 | comments(0) | - | - | - |