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大災害に思う。2011.03.14 Monday
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JUGEMテーマ:大地震
大災害に思う。姫路のまちづくりについて。
あまりにも大きな被害に、今後の復興の困難さを思わざるをえない。私は多くの友人や恩師を喪った阪神の大震災を、どうしても思い返してしまう。特に、復興途中の、とても多くの自殺者や孤独死を思い返してしまう。防ごうと思えば防げた次の災害・・・人災かもしれない、について考えさせられてしまう。「がんばれ」では解決のできない問題も多い。それ以上何をがんばれというのか・・・。東北地方太平洋沖地震での復興には、阪神大震災の教訓を活かして欲しい。
阪神大震災では様々な記憶がある。災害そのものの記憶も多く残っているが、その周辺の記憶もまだ新しい。
阪神大震災の際には御握り作り等で協力させていただいた。後で御握り代を請求して下さいということなので、こういうことで利益を出してはいけないということで、一個60円で、それでも遠慮して出させていただいたのだが、一個90円で請求を出してくださいと指導があったので、驚いたことがあった。
阪神大震災から半年近くが過ぎて六甲山へ行ったときに、街の復興がまだまだであるときに、崩れた登山道が見事に復旧されていたことに驚いた。六甲登山がいかに住民から愛されていたのかを、しみじみと思った。
帰りに西宮北口の友人のバーへ寄ったが、ドアがちゃんと閉まらないままで営業していたので、ここの復旧は時間がかかりそうだと、笑い話になったこともあった。
震災前日の夕方に六甲山の岩場から落ちて、骨折して動けずに一夜を過ごしていたところへ地震に遭ったという内科医と山頂小屋でお話をしたことがある。その年の12月の初旬の頃だった。その方の話によると、何が起こったのか分からずに山中で不安な日を重ね、次第に寒さと空腹で体力も無くなり、幻覚で苦しんだことを言われていた。運よく捜索に来た兄弟に救われたという、お話だった。
今なお、瓦礫の中におられる方も同じような苦しみの中におられるのだろう。私も雪山で想定外の豪雪に、小さな小屋に閉じ込められたことがあったが、やはり幻覚に悩まされた経験がある。自力で脱出したが、その不安は思い出すだけでも身震いするほどに、いまだに怖い。
県内の水害で言えば、豊岡円山川の堤防の氾濫を思い出すが、地域住民の方からショッキングなお話を聞いたことがある。人災だと言うのです。決壊した堤防には以前から問題があり、改修の陳情を県に3回お願いしていたが、無視されていた。指摘していた箇所が決壊したのだと言われていた。
電力会社に勤務されている方は、作用の水害も人災だと言われていた。両方の災害とも、私には真実の程は分からないが、地域の財政が厳しい折だけに、土木工事の優先順位の判断が難しいところだったのではないのか、と思える。
想定外の豪雨だったということですが、あらゆる災害において、想定の基準を見直さなければならない事例ではなかったのだろうか。
不景気が及ぼす地域の沈没は、悪循環を生むことも事実なのだろう。
前回の「環境考古学に学ぶ」では、自然の猛威に対しては防災意識だけでは無力だと述べた。人が自然に対しての考えを根本的に改める姿勢が求められる時期がきているのでは無いだろうか・・・と思える。
前回の続きということで・・・ECO JAPAN
環境考古学が予言する地球温暖化の行く末
急速な温暖化がもたらす大洪水と文明の危機
の後半で述べられていることを簡単に紹介すると、
循環型かつ持続型社会を実現するには、
1つ目は「人が自然を信頼し、人を信頼すること」
2つ目は「命の水の循環系を守ること」
3つ目は「利他の心、慈悲の心を持つこと」
4つ目は「(自己の)欲望をコントロールすること」
と述べて、
地方在住の人は、森と美しい川のある場所で淡々と生きていくことの喜びをかみしめるべきです。都市部の人は今後、食べるものがなくなってしまうでしょうね。今の繁栄は、今後20年も続くものじゃない。つかの間の“享楽”だと思います。
と言っている。
そして、
5つの掟の最後は何でしょう?
安田:それは「女性が頑張れる社会であること」なんです。
女性は命を生み出す存在であり、女性が頑張れる社会は、生きとし生けるもの命が輝く世界です。
男性社会は、どうしても競争社会になります。
そうですか・・・
・・・私は日ごろ戦闘的な女性に悩まされていますが・・・。
縄文時代は、「女性の時代」でもあった。一番えらいのはおばあさんというわけです。その後、弥生時代から現代へと長く続いてきますが、実はずっと女性が“主役”だったのですよ。女性社会が日本を支えてきたのです。
結論はこうです。
森林を破壊することで歴史そのものが変わってしまうことも、環境考古学で明らかにされています。
つまり、
森の持つポテンシャルが、持続可能な文明を育てる、というわけです。
自然の「ありよう」をよく学んで、自然の法則を取り入れた未来の「まちづくり」が必要なのだろう。大自然の前に人間はあまりにも無力だ。ですから、自然を母として、自然の懐で如何にすれば人間は安寧に暮らすことが出来るのかを考えなくてはならない。
姫路は災害が少ない所です。過去の記録を見ても、壊滅的な被害にあった記録は無い。そのことは以前に、とても親しくさせていただいていた、新日鉄の副社長をされてから太平工業の社長になられた方も言われていた。
姫路に大きな災害の記録が無かったことも、新日鉄の拠点のひとつになった理由だそうです。
しかし、日照りによる水不足の記録は残っている。瀬戸内海気候は、将来予想される気温上昇に対して、慢性的な水不足になることが報告されている。過去に平均気温が2度ほど高かった時期がある。その、縄文時代の地層を調査すると、人が安住できるような状況ではないほどの乾燥した土地に特徴的な植物の種子が見つかっている。夏場になるといつも水不足になる四国北西部の事例は瀬戸内全体に警告を発しているのです。
姫路は水不足に対して、きちんとした対策を立てなければいけない。姫路は災害も少なく温暖な気候なので、水不足さえ対策を立てていれば、楽園であることが出来る。
温暖な気候、緑豊かな環境、安心・安全なまちづくり、を目指して、東京の大学や東京の国立がんセンター等は姫路に誘致するほどの政策立案が理想的です。
姫路の中途半端な街と周辺の田舎が、実は日本有数の楽園となれる可能性を秘めているのです。街でありすぎても、田舎でありすぎても人は住みにくい。
東北地方太平洋沖地震で被災された方には、現地で復興を考えておられる方が多いと思いますが、これを機会に土地を離れたいと思われている方も多いと思う。
公債を利用して、姫路の楽園へお招きをしてはいかがだろうか。人口の増加は経済の良い循環にもなる。
グリーン・ニューディールでは、再生可能エネルギー(RE)が情報技術(IT)や電気自動車(EV)などの技術と相関すれば相乗効果としてブレークスルーへとつながり、世界を変える新たな引き金になるのではないか、といわれている。
しかし、温室効果ガスは見えにくいので、様々なトリックが隠されているように思われる。グリーンファンドも危ない気がする。見えないものへの対策は難しい。その点、緑は見える。緑豊かな環境を整備すれば、温室効果ガスも減る。
姫路では、「温暖な気候、緑豊かな環境、安心・安全なまちづくり」を相関させて、相乗効果をねらう、姫路版グリーン・ニューディールを目指してはどうだろうか。
グリーン産業革命という言葉にはファンドマフィアの暗躍が見え隠れしているので、素直に喜べないが、「緑の楽園化」計画として、姫路がその先頭に立つことは出来ないだろうか。
姫路は田舎力を高め、自然の調和と、そこそこの片田舎の産業集積力との連携で、社会のインフラごと、まちづくりの価値観もそっくりと作り変えてしまおうということです。
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環境考古学に学ぶ2011.03.12 Saturday
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JUGEMテーマ:大地震
昨日から続いている、あまりにも大きな地震の被害に驚いています。人は自然の猛威の前には、あまりにも無力であることをつくづくと見せつけられています。津波の凄まじさに、人の暮らしと海洋環境の関係について改めて考えさせられました。
テレビで映し出されている映像を私たちは決して忘れてはならない。自然の大きな時の流れから見ると、このような災害はしょっちゅう起こっていることです。人々の災害への備えという考え方だけでは限界があることも見ておかなければなりません。
人が自然に対する考え方を見直す時期が来ているのでしょう。人は自然にもっと畏怖の念を抱いた、文明を築く必要があるのでしょう。文明を研究している多くの学者が指摘していることでもあります。
地球の温暖化による海面の上昇は、津波の被害をもっと大きくするものです。現在の気温の上昇が、人間の為せるものか自然の周期的な変動によるものなのかは分かりませんが、確実に気温の上昇期にあるようです。
「気温の上昇は急速なものになる」こと、と「海洋環境の悪化」の関係が環境考古学からの警告として発せられているので、覗いて見ましょう。
環境考古学の第一人者、国際日本文化研究センター教授 安田喜憲先生の著書、『森林の荒廃と文明の盛衰』(思索社、1988年)を読んでとても感動した覚えがある。私は以前にシベリアから北海道から北米の先住民の、木の文様と樹木に関する伝説の関係について研究していたことがあり、文明は南に下り、その後に北上したのではないかという仮説を立てていました。研究は途中で挫折しましたが、私の仮説はまんざら的外れではなかったのではないのか、という思いを強くしたものです。
国際日本文化研究センターとは・・・のホームページで
研究域・研究軸を以下のように紹介している。
研究域・研究軸は、日本文化について種々の観点から総合的な研究を行うため設けられた研究活動の枠組みを示すもので、それらが示す方向にそって共同研究を組織し研究活動を行うものである。
研究域・研究軸を研究活動の枠組みとした原則は、日本文化の全体像を把握するための視座として、まず研究域を設け、次にそれらを分節して研究軸を設けたものであり、研究軸は研究域の示す視座の中で、いくつかの方向を特定するものである。安田喜憲先生は以下のように紹介されている
専攻は、環境考古学。古代文明の比較研究。「環境考古学」という新たな分野を日本で初めて確立した。
1980年には、日本文化が森の文化であったことを初めて実証した。古代文明の盛衰と環境変動とのかかわりを世界的スケールから研究し、自然科学と人文科学の学際的研究に取り組んでいる。2007年11月には紫綬褒章も受章されている。
先生の本は是非に読んでもらいたいが、
インターネットでも先生の論の概略が紹介されています。
ECO JAPAN
環境考古学が予言する地球温暖化の行く末
急速な温暖化がもたらす大洪水と文明の危機
このホームページの記事で簡略化して紹介すると、
○環境考古学とは、
一言でいえば「過去から現在を見通して、未来を知る」学問です。
人の心、暮らし、文明、文化、すべては過去に強く“規制”されます。未来を予測する時も、過去はどうだったかでその方向が決まります。
○過去を調べる方法は、
21世紀になって、さらに私たちは新たな“道具”を手に入れました。「年縞(ねんこう)」の発見です。
これは、湖などの底の堆積物の層なんですが、「珪藻」(ケイソウ)という植物の状態によって堆積物の色が変化しているんです。珪藻が繁茂する春から夏の間は珪藻の白い色の層が出来て、珪藻が繁茂しない秋から冬の間は有機物や粘土の黒い色の層が出来ており、木の年輪のように、きっちり1年ごとに縞模様が出来るんです。
ボーリングして掘り出してみると、見事に縞模様が分かります。
○具体的に分析対象にするのは何ですか。
一番分かりやすいのは花粉の化石です。暖かいところと寒いところでは育つ植物の種が違いますから、花粉を見ることでその時の気候が分かります。年縞の層の中にある花粉を、顕微鏡で1個ずつ数えていきます
○先頃、ノーベル平和賞を受賞したIPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)は、今世紀末に地球の平均気温は6.4度上昇するといっています。
しかし、その急速な気温の上昇に生態系が適応できず、安定した生態系が確立するまでの500年間は、生態系が不安定になって、干魃(かんばつ)や洪水などが頻繁に起こるはずです。
○このまま温暖化が進むとどうなるでしょう?
私が描いているシナリオは次のようです。
平均気温が3度上がると、北極の氷が全部溶けます。すると、大量の冷たい淡水が海に流れ込むことで、北大西洋の海水の循環が止まります。先ほど説明した「ヤンガー・ドリアス」小氷期が生じた理屈と同じです。それで氷河時代に逆戻りしてくれれば人類は生き延びることができます。
しかし、北極の氷がなくなり北大西洋で海水が摂氏4度にまで冷やされなくなると、酸素を含んだ水が深層に移動しなくなってしまう。水は摂氏4度のときが一番重くなります。そこで4度に冷やされた表層の水が酸素をいっぱいに含んで海底に沈みこみ、深層水の循環を維持しているのです。
ところが4度に冷やされないと酸素を含んだ表層の水は深海にもぐりこめません。すると海中の酸素濃度が不足して様々な生物の死滅につながります。生物の死骸が海底に蓄積することで次第にメタン(CH4)が発生し、ますます温暖化が進むことになります(編集部注:メタンは二酸化炭素に比べて、同じ放出量で約23倍の温室効果をもたらす:IPCCによる2001年の報告書より)。
○これは何も荒唐無稽な想像ではありません。実際に1万5000年前から9000年前にかけて、地中海で起きたことなのです。ナイル川の源流のビクトリア湖の水位が急上昇してナイル川にあふれ、膨大な淡水が地中海に流れ込んだ結果、地中海の海水における酸素濃度が低くなり、生物は大量死しました。その証拠が、現在も海底に残っているサプロペル層です。
○同じことが地球規模で起こるのです。
よろしいですか。今よりも5度も6度も平均気温が高い気候といえば、かつての白亜紀やジュラ紀、もっと分かりやすく言い換えれば「南極海で泳げた時代」の気温なのです。海はドブのようになって、大気はメタン(CH4)、二酸化炭素(CO2)、硫化水素(H2S)などが今よりも多い。そうした環境下では、人類は生きていけないような気がします。 ・・・中略・・・
またこの過程で、世界中のあちこちで大洪水が発生します。温暖化による海面の上昇と気候の湿潤化は、降水量の増加の原因となります。分かりやすく言い換えるなら、皆さんの記憶にも新しい、2005年にアメリカを襲ったカトリーナの何倍ものハリケーン(暴風雨)が多発するでしょう。
逆に、温暖化により気候の乾燥も進み、干魃(かんばつ)も起きて砂漠化が急速に進む地域も出てきます。そうなると作物もどんどん育たなくなります。
○現実味があるということにぜひ気づいていただきたい。
これは、1万5000年前から1万1000年前にかけての気候変動を詳しく調べて分かったことですが、私たちの暮らすモンスーンアジアは、ヨーロッパや西アジアに比べて、温暖化の影響をいち早く受けます。
○今、人類に足りないのは、自分たちの欲望をコントロールする知恵です。今の市場原理主義社会では、欲望が知恵に勝っています。それでは持続型社会の実現は無理です。
○後編に続く、安田先生が主張される「稲作漁労文明」が人類を救うことになりそうです。
後編は
●地球温暖化の影響をまっさきに受けるのは我々日本人が住むモンスーンアジア地域である。大洪水や旱魃による食糧の不足や疫病の流行は、深刻な問題を引き起こす。しかし人類が気候変動を経験するのははじめてではない。15000年前の温暖期に、我々の祖先は、木の実を採取し川の魚を採って暮す定住革命をなしとげ、その危機を乗り越えた。
●再び温暖化が予測される今こそ、祖先の知恵に学び、持続的社会を維持していくことが大切だ。西洋の物質的豊かさにおされて忘れかけていた稲作漁労民の生き方は、日本人の祖先が粛々と繰り返してきた日々の営みそのものである。それは、生きとし生ける者すべての命に畏敬の念を持ち、大切にする心からはじまる生き方だ。と始まっている。
今、皆で環境考古学に少し興味を持っていただいて、地震の怖さも念頭に入れて、これからの町づくりや国づくりを考えていかなければならないでしょう。
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孤独死を考える2010.11.29 Monday
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JUGEMテーマ:病気
「孤独死を考える」2010年11月29日 こじま
※ マンション需要に警戒せよ!!
『ひとり誰にも看取られず』を読む NHKスペシャル取材班&佐々木とく子
阪急コミュニケーションズ 2007年8月12日初版
2005(平成17)年9月24日午後9時から放送されたNHKスペシャルで「若年孤独死」に焦点を当てた番組が放送された。『ひとり団地の一室で』。
「孤独死」といえば「一人暮らしの高齢者がひっそりと亡くなっていく」というふうに思っていたのだが、40代50代の中年男性の孤独死が増えているということで話題になった番組だった。私の世代でのことであり、友人の会社の倒産による失踪や、詐欺まがいの不動産取引の保証人になったばかりに商売も家も失った友人がいたり、私自身のビジネスの失敗や、若いころに友人の自殺の後処理を経験していたり、ボランティアでの体験等で身につまされるように見た記憶がある。
その番組での放送や、放送時間枠の都合上で放送されなかった部分、高齢者の孤独死やその他の多くの事例や、その後の追跡やケースの違う実情や対策も含めて本になっている。
プロローグでは「孤独死に関しては目に見えているのはまだ氷山の一角であり、誰も全体像をつかむところまではいっていない。しかし孤独死が、団塊の世代のリタイヤなどを受けて、今後ますます大きな社会問題になっていくであろうことは間違いない。しかしそれは、誰の身にも起こり得ることなのだ。」と記されている。
私の個人的な見解で言えば、団塊の世代は団塊ジュニア世代の補助が期待できることで、まだ救われるところや解決策があるように思えるのだが団塊ジュニアの世代はその後の急速な人口減少により、救いようのない悲劇が待っていると考えている。その彼らが高齢化した時代のためにも、今、取り組んでおかなければ取り返しのつかないことになるだろう。団塊ジュニア世代が40代になり住宅需要も旺盛なようだが、そのマンションは彼らが高齢者となるときには歯抜けになり、全てのマンションが空洞化し、廃墟同然となって、孤独死が珍しいものでは無くなっているだろう。人口が1年で100万人ずつ減少する日本の社会保障は必ず崩壊する。それは20数年後というもうすぐそこにある問題なのだ。国や地方の積み重なる借金はサイの河原で石を積んでいるようなもので、この石積みが崩れ、そのしわ寄せは団塊ジュニアの世代が最も大きな被害を受けることになるだろう。
話が別のところへ行かないように、本書を読み進めてみたい。
『孤独死』の定義とは。(第4章)
東京都新宿区は06年9月に全庁的な「孤独死対策連絡会議」を立ち上げている。
その新宿区の定義によると、
186p 孤独死対策の対象を「2週間に一度以上、見守りがない独居、または高齢者の世帯」とし、死後の発見が遅れても「介護保険や行政サービスを利用していた」「通院していた」「家族ら他者と一定の接触があった」「自殺」などのケースは孤独死に含まない、と定義している。新宿区では区内の1年間の孤独死は100件に上り、そのうち3分の1が65歳以下と推定している。そのため孤独死対策の対象を高齢者のみに限らず、「独居または高齢者」としているのだ。
その孤独死の数は全国での自殺者の数を超えていると言われている。また都会だけではなく地方でも激増している。予備軍の数は途方もないものになっている。孤独死の問題は孤独であることが問題であって、独居の高齢者が増えれば、その数は確実に増えていく。
高齢者の人口を見てみよう(第3章)
団塊の世代が65歳になる2012年頃から一気に高齢者は増えていく。
65歳以上人口
05年 2576万人 20.2% 5人に一人
12年 3075万人 24.3% 4人に一人
22年 3613万人 29.8% 3人に一人
42年 3863万人 がピークに後は減少するが総人口も減るので割合は増える
団塊ジュニア世代が70歳を超える頃である
50年 3764万人 39.6%
55年 3646万人 40.5% 〜2人に一人が高齢者になっていく
高齢者が増えれば独居の高齢者も増えていく。国立社会保障・人口問題研究所の「日本の世帯数の将来推計」によると独居世帯数は25年には4割近くにまで増加すると推計されている。家族の形が変わり、孤独死大量発生の時代へとなっていく。
先ほどに団塊ジュニア世代のマンション購入に触れたが、以下に紹介する事例が更に事態を悪化させることになる。人口の急激な減少による需要過多と相まってマンションは「炭坑跡の軍艦島」となる。住人が廃墟の亡霊然として存在するマンションが大多数を占める。
第3章91p〜 孤独死が起きた場合、その部屋以外の住戸にも風評被害が及ぶ。平たく言えば、「あのマンションで孤独死があったらしい」と噂されただけで、マンション全体の資産価値がさがると言われているのだ。さらに、・・略・・滞納金のある状態で競売にかけられると、価値はさらに下がる。マンションと高齢化の問題に詳しい高崎健康福祉大学教授の松本恭治さんによれば、「競売価格は滞納金額を考慮して決まるために、中古相場を大きく下回っての競売となる。するとこの価格が新たな標準価格になりがちで、価格低下のスパイラルを引き起こしてしまう」のだ。
現在でもマンションの孤独死は確実に増えているが、資産価値が下がるからと実態は隠されたままになっているので、対策の講じようがない状態となっている。
私の友人が自殺した後の片付けのさいにも、「周りに分からないように、ただの引越しのように、お願いします」と管理人から何度も念を押された。死後の日にちが経っていたので、凄惨な現場となっていた。
97p〜 都心すなわち交通の便などのよい場所に新築マンションがどんどんできれば、ある程度の経済力があって新たにマンションを購入する人は、そちらを買う。郊外マンションの売り値が下がってしまっても、買い替えるだけの経済力がある人は、より便利で快適なマンションに移っていく。ところが収入の少ない人や、新たにローンを組むことのできない高齢者は売った金額で新たな物件を買うことが出来なければ、そこを動くことはできない。その結果、郊外の中古マンションには収入が少ない人や、新たにローンを組むことのできない高齢者ばかりが取り残される。そして価格が安いために、空き住戸には収入の少ない人や高齢者が新たに入居してくることになる。
その結果、特定の階層が集積する“フィルタレーション”という現象が起きる。しかし、その問題は郊外型に止まらない。大規模化、高層化するマンションは立体化されるほど住民が社会的孤立していくので高層階の高齢者の孤立が大きな問題となる。住民が高齢化すると空き住戸も多くなり、自治会どころか管理組合さえ機能しなくなってしまい、管理費や修繕積立金の徴収もできないところが出現する。交通至便な場所であっても居住者意識の低い住人が多ければ、コミュニティの形成も難しく、隣の住人が亡くなっていても気がつかないことは十分にあり得る、と本書は指摘している。
では介護付きマンションはどうなのだろうか。私は医療や介護のボランティアをしているので、多くの情報が耳に入ってくるのだが、トラブルが激増している現実がある。いざ介護が必要になってみると契約書と全く違った対応であったり、思っていた介護の質には遠く及ばなかったり、医療を伴う介護が必要になった時には無力であったり、という相談が多く寄せられている。これは詐欺だと思える物件も多く、多くの人が泣き寝入りしている現実がある。弱者を喰い物にする悪徳不動産業者があまりにも多い。死期が近づいた高齢者が訴訟することのないことも業者は見透かしている。介護付きマンションは業者の選定を厳密にしなければならない。9割の物件は信用が出来ないと言える。2017年頃から、問題は本格化してくる。実際に介護が必要な人たちが激増してくるからだ。業者の謳い文句が全て無責任なセールストークであったことが暴かれる。
孤独死は無くならない。死亡時からの発見の時間を短くすることはできても、孤独死を無くすことはできない。個人情報という大きな壁があるからだ。命より大事な個人情報があるとでもいうのだろうか。しかし高齢者をよく観察してみると大半の独居高齢者は悪質業者に高額商品を売りつけられている。高齢者の孤独な寂しさも尋常のものではないが、悪質業者への警戒感も尋常なものではない。悪質業者の高齢者への押し売りがある限り個人情報の問題は大きな壁のまま残る。つまり、悪質業者の高齢者へのワンtoワンマーケティングは殺人と同じ程の犯罪行為と考えても間違いはない。
「見守り協力員」「ふれあい訪問」「よろず相談」等の取り組みも必要だが、マンション管理室を談話室として、管理人を中心としたコミュニケーションの場を提供することも自然な形で有効だろう。管理人としては、私のような、酒は飲まない・タバコは勿論吸わない・喧嘩はしない・ギャンブルもしない・政治や宗教にも中立で・無駄なものを決して売りつけたりしない、そして趣味は哲学と詩作とボランティアという人間が適当だろう。又はそういう人間を中心にして複数のマンションや自治会を管理する組織も考えられる。
管理人室を食事もできるデイケアセンターにすることも有効だろう。私は料理人で美味しいものを作ることには自信がある。そして、福祉にも詳しい。知り合いの医師が言っていたことだが、高齢者の場合、栄養管理というよりも、美味しいものを食べるということの方が重要であるらしい。
ヨーロッパではコミュニケーションのしっかり形成された中古マンションの方が新築マンションよりも価格が高いことが往々にしてあるそうだ。日本でもそうなっていくだろう。
第4章170p〜にこういう指摘もある。
国交省が建て替えの目安は築60年と言っているためにそれが近づくと逃げ出す人がいる・・略・・。そうなるとマンションの空洞化が起きてしまい、管理組合が機能しなくなるような事態もおきてくる。国交省でも「現時点で築30年以上のマンションは全国に約56万戸あり、10年後には3倍の約162万戸になる。古いマンションほど管理組合の重要性は高まるが、居住者の高齢化や賃貸住戸の増加で、機能不全に陥る組合が急増する」という見通しをふまえて、民間の管理会社が、理事会も含めた管理組合の機能そのものを請け負えるような制度の検討を始めた。
しかし、デメリットも大きいようだ。171p〜
管理組合や理事会の機能を管理会社に委託してしまったら、管理費の値上げや修繕、建て替えなどが、管理会社の思惑通りにできるようになってしまう。
管理会社の存在意義の哲学も問われるようだ。企業の社会的責任(CSR)という以上の企業の姿勢が求められることになりそうだ。
高齢者の対策は「居住者の相互理解と管理の質」でありそうだ。
176p〜176pの指摘にも耳を傾けたい。
一人暮らしの親のことを気にかけていても、遠くに住んでいる場合など、心ならずも孤独死させてしまうケースもあるのだ。
「マンションの部屋の中には、家族以外は入れません。管理人も民生委員も入れないから、住んでいる人が自分で警報を鳴らすしかない。たとえ煙がでていても、ドアは隣の人も開けられない。消防と警察を待つしかない。人が動くと感知するセンサーを、公的機関が取り付けるようにしないとだめではないでしょうか。認知症が発症しているのかどうかが本人も周囲も分からないケースがすごく増えてきているように感じます」
電話をしたりたまに訪ねたりするくらいでは、認知症はなかなか発見できない。人が来ると、そのときだけしっかり受け答えをすることが、往々にしてあるからだ。
東京都には関連団体に「財団法人 東京都防災・建築まちづくりセンター」があり、有料で見守り窓を請け負う「あんしん入居制度」を行っている。
契約出来ることは
見守りサービス(利用料を毎年払う、年間利用料44100円)
葬儀の実施(10年間費用を預かって実施 30万円)
残存家財の片付け(10年間費用を預かって実施 15万円)
事務手数料も必要なようで55650円
全部頼むと契約時に54万9750円
見守りには24時間電話相談受付も含まれる。
この金額だと1000人程の契約者があれば民間でも相応のことができそうだ。
田舎にも孤独死はある。私は山歩きが好きで時々山へ行くのだが、兵庫県と鳥取県の県境の山懐の村で捜索隊と出会ったことがある。お年寄りが行方不明だということだった。田舎にも「崖から転落」「山中で持病の発症」「畑作業中」という孤独死もある。
阪神・淡路大震災の時に孤独死が大きく取り上げられたことがあった。震災で家を失い、住み慣れた土地を離れなければならなくなった高齢者が、生きる気力を失ったまま、ひっそり息をひきとったというケースや、仮設住宅でのアルコール依存による若年孤独死の問題だった。
仮設住宅で寂しさを紛らそうと過度の飲酒を続け、アルコール依存症に陥り、肝硬変を患ったあげく発作による意識混濁を引き起こして、救急車を呼ぶことができずに死に至ったことがままあったということです。中年男性のアルコール依存者らは孤独死する危険性の高い、孤独死予備軍であるらしい。
当時、神戸の病院に勤務していた医師の話を聞いたことがあるが、自殺者の数も尋常ではなかったと聞いています。関東や東南海の大きな地震も予想されており、対策は急がれる。
経済協力開発機構(OECD)加盟21カ国の調査では日本人男性は世界一孤独であるらしい。団塊の世代の一斉退職が始まっている。仕事を失い、社会的つながりを失って、生きがいを失っていくと、一層の孤独が進んでいく。元来、競争にさらされてきたこの世代は、自立が基本原理のようになっており、「依存下手」になっている。
イギリスの精神分析学者フェアバーンは『人間は依存から自立に向かって発達するのではなく、未熟な依存から成熟した依存へと発達する』と述べているらしい。人間は群れで生きる社会的な存在であるので、この認識を心しておきたい。
現在、入院(85%)または在宅(15%)で医師の治療を受けている患者のうち、年間の死亡者数は約100万人。団塊の世代になると年間に170万人になる。医療や介護の需要は高齢者の寝たきりや認知症や癌適齢期になると、一人当たり14倍になるために、倍増では間に合わない。
生活援助員(ライフサポートアドバイザー=LSA)の配置を本格的に考えなければならない時期に来ている。LSA民間委託の可能性も探らなければならないだろう。悪貨は良貨を駆逐するとも言うので、悪質業者が蔓延らないうちに取り組みを本格化させなければ多くの犠牲者が出ることになる。
高齢者の孤独をビジネスチャンスに考えている輩の出鼻をくじいておかなければならない。彼らの立ち入る隙のないコミュニケーションの良いマンションや地域を実現しなければならない。
対話のある社会。コミュニケーションは対話から生まれる。中高年の健康管理とコミュニケーションを同時に行える体制を確立したい。
ご近所の力も必要だろう。
ご近所福祉のマップ作りは必要な対策だろう。ご協力していただける「世話焼きさん」「連絡屋さん」等の存在は大きい。
最期に、常盤平団地の取り組み等は大いに参考になる。221p〜223p、49p〜56p、59pは必読だろう。
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第10回医療と介護の勉強会2010.08.25 Wednesday
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JUGEMテーマ:病気
第10回医療と介護の勉強会
性感染症対策(エイズウイルス感染を含む)と子宮頸がん対策の現状と課題
地域での取り組みのあり方
9月5日(日) 10時30分12時まで 姫路市民会館 4F 第3会議室
講師 白井 千香 先生
現職 神戸市保健福祉局参事(医務担当部長)
略歴
昭和61年筑波大学医学専門学群卒
東京都衛生局、江戸川保健所などを経て平成3年から神戸市衛生局勤務
平成22年3月大阪大学大学院社会人修士課程終了にて公衆衛生修士取得
平成22年4月から現職
主な役職日本性感染症学会 倫理委員会委員
大阪市立大学大学院医学研究科公衆衛生学・神戸市看護大学助産学科 非常勤講師誰でも自由に参加できます。聴講無料。
主催 医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会
姫路の医療と介護を考える部屋 管理人
医療と介護の問題に取り組む地域リーダーの会 代表
入院患者と障がい者に笑顔とコンサートを贈る市民の会
小嶋隆義
学習会開催に向けて
平成22年8月24日
とある病院の産科に、高校生と保護者が中絶の相談に訪れた。保護者は娘がHIV感染者であることと、中絶を希望することを泣きながら医師に伝えたが、医師の説明は保護者の納得できるものではなかった。
私はこの話を聞いたときに、保護者にも娘にも、それぞれに違う「命の軽さ」が存在していることを感じた。そして、「命の教育」がちゃんと行われていれば、誰も不幸にはならなかったのではないかと、強く感じた。個人情報の問題もあって、詳しく触れることはできないが、私の言わんとしていることを感じてもらいたい。
日本国内でも、HIV感染者数は爆発的に増えている。
教育にできることがある。学校教育や社会教育で、伝えなければならないことがある。
子供たちに命の大切さを知ってもらいたい。
青少年に人間の尊厳を知ってもらいたい。
成人になったら社会貢献の必要性を知ってもらいたい。
母になったら、父になったら、次世代に伝えなければならないことを考えてもらいたい。
第2、第3の人生で、善について取り組んでもらいたい。
残りの人生で、人生の美徳について語ってもらいたい。
みんなで、幸せと感謝について考えてもらいたい。
そんな、機会となるような、世代別の
「人の一生と医療のかかわり」という小冊子を作りたい、と考えています。
医療は2020年になるまでに崩壊します。
超高齢社会による医療需要が増えること(団塊の世代がガン適齢期に入ることも含む)で、医師や医療スタッフ、医療や介護施設、福祉予算が足りなくなるからです。人口の波で考えると高齢者人口は40%以上増えます。高齢者は複数の病気を罹患することから、3倍近い医療の必要性が出てきます。人・もの・金を倍増しても追い付きません。もっと、早い段階で行政や立法責任者にも考えてもらえていれば良かったのですが、もうすでにどんな取り組みをしても間に合わない段階になってしまいました。坐して死を待つ、位に酷くなっています。医療も介護も、多くの犠牲者が出ます。
しかし、多くの犠牲者が出る前に地方は地方の責任において、できることがあります。
「医療と介護の、これからの行政の取り組みの設計図を明らかにした地域条例を作ること」
「人の一生と医療のかかわり、という小冊子を作り徹底的な啓発を行うこと」
「在宅介護支援プロジェクトを立ち上げて、大型の予算を付けること」
以上3点を直ちに実行していただければ、地方の状況も少しは変わります。
自殺実態白書を見てもらえれば分かりますが、姫路では姫路警察署管内の自殺実態で、病苦を理由に自殺した人が、姫路は全国で2位であることも、考慮しなければならないでしょう。
県に対しても同じことが言えます。
が、更に県はしなければならないことがあります。
大学での医学部新設の動きを作ることです。
兵庫県は県民人口当たりの医学部定員数が全国の下から2番目で、兵庫の医師不足を深刻化させています。医学部をあと2つ新設すると全国平均になります。兵庫県立大学医学部新設が急がれます。
私は過去9回の学習会で多くのことを学びました。医療や介護の崩壊を、危機ぐらいにはできることも確信しています。2020年までの崩壊を2025年まで持ちこたえれば、混乱は5年で済みます。2030年から高齢化率は増えますが、高齢者の数は少なくなっていくからです。
医療や介護の現場を見てください。女性の多いことに誰でも気がつきます。女性の力がなければ医療や介護は支えられないことが分かっていただけるでしょう。医療や介護の危機が深刻化していく中で女性の健康を守る政策の必要性が、更に重要な課題になっていることも分かっていただけると思います。
前回の子宮頸がん予防の学習会も今回の性感染症対策の学習会も、女性の幸せを考えるだけではなく、社会全体の幸せを考えることである、と私は考えています。
少子高齢化、団塊の世代の大量退職による産業労働人口の減少、世代会計で見る世代間格差の広がり、等は女性の元気を応援し、社会参加しやすくすることで解決できることが多くあります。
国がしなければならないことも多くあります。福祉を支える税制改革や規制緩和、政府の役割の再考も急がれます。しかし、残された時間はもうほんの少ししかありません。
国や地方のことを少し述べましたが、地域住民の意識改革も必須の課題です。
地域住民の意識改革なしに、国や地方の政策が効率よく機能することはないでしょう。
日本の社会保障制度は「見えない社会保障制度」で支えられてきました。行政が積極的にならなくても、家族が支えてきました。日本の福祉は家族が財政的にも実際の行動面も支えてきましたが、高齢者の増加や家族の変容で、福祉が家族の下支えで成立しなくなってきています。
また雇用の変質で「家族賃金」の性格を持っていた年功賃金や、手厚い企業福祉も期待できない時代になりつつあり、社会の仕組みが大きく変わろうとしています。
社会保障制度を根本的に見直す時期が来ていることは、皆さんの考えられている通りです。
今後も勉強会を重ねて、議論を深化させていきたいと考えています。
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「生と死を考える」11 高齢者帝国2010.07.22 Thursday
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「若者奴隷」時代 山野車輪 著 普遊社
“若肉老食”(パラサイトシルバー)社会の到来
を読んでその強烈な表現に驚いた。
191p
日本は・・・高齢者の支配がすみずみにまで及ぶ「高齢者帝国」となってしまっているんだ!!
194p
働く若者が高齢者の奴隷となってしまっている・・・日本の社会は腐りきっている!!
212p
あなた方高齢者は働かず掛け金の数倍の年金を受給している「年金ニート」であり
国家に寄生する「パラサイト・シルバー」なんです!!
213p
高齢者は現役世代の納めた年金保険料や国民の納めた税金
さらには今後若者や将来世代が納める税金にまで寄生し・・・
800兆円を超える借金を積み上げています!!
220p
自分たちだけが豊かな生活をするために未来へ借金を回すことに何のためらいもない
お前たち高齢者は・・・
何も生産せず若者や将来世代を苦しめたあげく日本を滅亡に追い込む寄生虫なんだよ!!
ゴミ以下のう●こ製造器だ!今すぐ姥捨て山に行って死ね!
221p
お前たちはあまりに欲深すぎるんだよ!
・・・・・
過激な表現に唖然としてしまう。
本の内容は著者がよく勉強していることを窺わせる。多くの資料に目を通し、統計データや図表を使い、分かりやすく説得力のある内容になっているだけに、過激な表現に戸惑いを覚える。
主要参考文献や主要参考ウェブサイトを見ただけでも、その膨大な量に、彼が只者ではないことが分かる。故に、この本の過激な表現は危険だ。
高齢者の福祉の問題は、高齢者の増大に福祉予算がついていかないのはもう誰の目にも明らかになっている。対策らしい対策は何も立てられていないのが現状です。
団塊世代の一斉退職で労働人口が減り、内需は一層冷え込むことが予想されるので、税収が増える見込みも無く、福祉の問題はより厳しくなっていくだろう。
高齢者は多額の資産を近い将来の医療と介護の為に蓄えたままで、消費には回らない。退職金で国債は売れるので、国家予算が今しばらく赤字でもギリシャのようになることはない。しかし、この団塊の世代の資産が医療や介護の為に使われ始め国債が大量に売られるようになったときのことを誰も考えていない。また、死亡したときの相続税に当てるために国債の売却が始まると、売却は留まるところを知らなくなり、日本の国債はデフォルトされる以外に道は無くなる。20数年後に日本はギリシャよりも危機的な状況を向かえることは間違いが無い。
高齢者に資産が集中していることが問題なのだ。1000兆円の大半を高齢者が持ち、800兆の国の赤字が支えられていることが危険水域にあるということです。大量の債券が高齢者層によって買い支えられていることは、売られるときも一斉であることを念頭に入れておかなければならない。高齢者が国債を現金に変える時が一時期に津波のように訪れる。
先ずしなければならないことは、相続税を無くす。現役世代に資産を分割し、資産を保有する層を広げなければいけない。
高齢者の安心の為に、介護を充実したものにする。公的保険の負担分は増やす。高額医療介護療養費保険を設計し、将来の医療と介護にかかる費用を計画しやすいようにしておく。必要以外は現役世代に相続して、消費してもらう。
高齢者の持つ資産を医療介護に投資してもらう。医療介護ファンドを設計し、高齢者に投資をしてもらい、その資金で設立した施設を高齢者に利用してもらう。また福祉に限定したスモールビジネスに資金を提供しやすい環境を作る。
要するに高齢者の資産を内需に向ける工夫がなければ、消費税を上げても税収は増えない。また、埋もれた女性の労働力を活用しなければ内需は冷え込む一方だ。稼ぎがないと、消費もない。
地域の女性が組んで介護グループを作り、自分たちの空いた時間を利用して地域の介護支援をスモールビジネスにして、収入にする。介護用品のレンタルをし易くして、必要な資金も低金利で提供する。複数のグループを統括するコーチングマネジメントを設定し、経営管理をしやすくしておく。地域の業者や施設や医療機関と高齢者の健康情報を共有化し、ケアマネージャーとマネジメントコーチの連携を密にしておくことがポイントとなるだろう。ビジネスに参加する地域の女性たちへの教育プログラムも計画しなければならない。
近い将来に深刻な医師不足から、絶望的な医師不足になっていく。高齢者の増加数に医学部定員増が追いつかないからです。医師が増える数が少なすぎて高齢者の医療需要に全く追いつかない。医療難民が大量に発生する。団塊の世代が政治的に医療を縮小させてきたので、自業自得ということだが、見殺しにも出来ない。期限付きで海外からの医師も必要になるかもしれない。が、言葉の問題もある。介護において、特別に教育された看護師の仕事の領域を広げる法整備が必要になるだろう。
病気にならないようにしなければならない。運動を中心にして、高血圧と糖尿をコントロールする健康管理が行われなければならなくなる。しかし、それも限界がある。
医療を効率的に行うには、介護老人保健施設の規制緩和と、特別養護老人ホームでの専門看護師による医療ケアを可能にしなければ、医療施設は持たない。
もうすぐそこに、高齢者の地獄が待っている。医師一人に対して、医療秘書、マネージャー、専門看護師のチームを作って、一日に診察できる患者の数を倍増させなければならない。国や地方の対応には危機感がない。どこかに姥捨て山があるのだろう。
消費税増税をしても、日本の高齢者人口の増加に社会保障費が追いつかない。世界一の長寿国は諸外国の前例では対処できない。北欧のような福祉を実現しようとすれば日本の消費税は30%を超える。もはや消費税増税議論では福祉は支えられなくなっている。高齢者を守るには、高齢者の資産が必要だということです。国債のデフォルトが起これば、高齢者自身が犠牲になる。自分の資産の社会的価値を考えてほしい。
・・・・・
マンガの話に戻るが、このマンガでは「世代会計」が紹介されている。
214p〜
アメリカの財政学者ローレンス・J・コトリコフ教授が1991年ごろから提唱している「世代会計」という考え方があります!!
世代会計とは現役・将来世代の負担によって成り立つ年金・医療制度などの社会保障における
分配政策の支出・収入の損得勘定を世代ごとに計算したものです
215p
秋田大学の島澤諭氏が算出したこの世代会計を見てください
(インターネットで世代会計の紹介を参照してください。表も出ています)
1940年生まれの65歳の高齢者は受益額が2901万円で負担額が1492万円だから1409万円の黒字
1985年生まれの20歳の若者は受益額が1947万円で負担額が4441万円だから2494万円の赤字
つまり高齢者と若者の間には最大3903万円もの世代間格差があるのです!
216p
高齢者は自分たちの世代が働かずに豊かな生活を営むために・・・
若者や将来世代から膨大な額の富を搾取しているのです!
そして下の方にある1億2171万円という数字は・・・
政府の将来純資産を将来世代一人当たりが背負わされる金額です!
・・・・・
世代会計入門 (インターネットで世代会計の紹介を参照してください。)
シルバー・ポリティクス
例えば、現在、消えた年金や後期高齢者医療制度が政治問題化していますが、2005年に生まれたばかりの世代と将来世代の負担の差は、現在の価値に直して1億円以上ある(1億円以上損をしている)わけですから、将来世代にとっては、純受益世代が消えた年金(ぐらいの金額のこと)で大騒ぎするのだったら、自分たちの負担削減についてももっとまじめに議論してくれ!となるでしょう。
しかし、わが国では、有権者の高齢化が進んでいるため(頭数だけではなく実際に投票に行く人数も)、高齢者に不利な政策は採用されない傾向が今後も続いていくと思われます。まとめ
結局、現状のような若い世代に負担を押しつける状況が継続していけば、(不毛な)世代間対立が激化してくことが容易に予想されます。世代会計にはさまざまな批判はありますが、世代間の負担の格差、という観点から(ともすれば高齢者に迎合しがちな)政治に規律を与える、つまり若い世代をもっと大切に扱えという圧力を与えるという役割を果たせると考えられます。
要すれば、世代会計を用いることで、政府の行うべき世代間の所得再分配政策の範囲を確定させ、特定の世代に過度な負担を負わせずに持続可能な社会保障制度を検討することができるのです。
繰り返しになりますが、世代会計とは、結局、損をする世代、得をする世代を特定化することで世代間対立を煽るのが目的ではなく、全ての世代が共存可能な、持続的な財政・社会保障制度を構築するための材料を提供するのが目的なのです。
・・・・・※ 詰まりは、高齢者の福祉は高齢者の資産を運用することでしか支えられない。
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「生と死を考える」10 3万数千個の落とし穴2010.07.16 Friday
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JUGEMテーマ:病気
穴がある。社会のあちらこちらに落とし穴のようなものがあって、誰かが不意に落ちていく。その穴に呼び名がついていて、自殺と名付けられている・・・。そんな穴が有るんだ・・・。
『「闇の中に光を見いだす」貧困・自殺の現場から』
清水康之 湯浅誠 岩波ブックレット780
57pを読んで、主張の確かさが心に染みた。
『・・・自殺は、極めて個人的な問題であると同時に、社会構造的な問題でもある。この12年間、自殺者数は毎年コンスタントに、ほぼ32000人から34000人という一定のレンジで推移しています。もし個人的な事情で自殺が起きているのであれば、ある年は20万人ぐらいで、翌年は2000人というような、増減があってしかるべきです。これはつまり、社会の中に3万数千個の落とし穴があって、穴に落ちた人、落とされた人から亡くなっていると解釈すべきだと。
だから、対症療法的に、穴に落ちた人を穴から引き上げる支援策だけでなく、社会のどこに穴があるのかを検証して、穴に落ちないようにセーフティネットを張っていくこと。埋められるのであれば穴を埋めてしまえばいいし、穴ができた原因を明らかにして、二度と穴ができないようにすることも重要です。そうやって、穴に落ちる人が出ないように、社会的な対応を取っていく。社会の仕組みとして、なぜ多くの人が不本意な死を強いられているのか、問題の根源にまでも追っていく。自殺だけではなく、孤独死や病院で亡くなる人もそうですし、もっと死から学び、学んだことを社会づくりに生かせるようにしていかなければならないと思います。』
56pにはこう述べられていた。
『・・・社会の豊かさの指針としてGDPやQOL(クオリティ・オブ・ライフ)が言われますが、みんなが死ぬという前提を踏まえれば、社会を測る当然の尺度として、豊かな死別体験を送られているかどうかというQOD、クオリティ・オブ・デスが必要なのではないでしょうか。』
なるほど、QOD、クオリティ・オブ・デスですか・・・。必要ですね。
どうも日本の現状はQODが低そうだ。
『「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ』
清水康之 上田紀行 講談社文庫
77pで上田は語る。
『上田―――「あんなふうに《負け組》になってはいけない」という恐怖感でみんなを駆り立てていけば、経済の再生が成り立つだろうというのがここ10年来の体制でした。
実は僕は、自殺問題を考えるときに、この恐怖心というものが強く社会の人の意識に働きかけているのではないかと思うんですよ。つまり、「自殺をしていく人のあの惨めな様子を見ろ」「あんなふうにならないよう、お前もせいぜい頑張れよ」という、見せしめとして自殺を扱う。
社会が自殺を、《負け組》の象徴として扱ってきた側面があると思うんです。
単純に「生産性」という側面から考えるならば、その「生産性」を生み出せない人間は悲惨な末路をたどるということを、言ってみれば見せしめとして「公開処刑」したほうが効果的なわけです。「ああならないよう、みんな働け、働け」というように。』
自殺が「公開処刑」になっている現実があるのか・・・。「見せしめ」とされているのか・・・。
湯浅は、こう語っている。
『1995年 未了の問題圏』中西新太郎 編 大月書店
149p
『・・・90年代後半に野宿者がどんどん増えていくのを見て、当時私は「日本社会に層として生活困窮者が生まれている」と言っていた。これだけ野宿が増えているということは、貧困層ができているはずだ、と。だから、ここを把握しなくてはならないのですが、野宿は野宿、DVはDV、シングルマザーはシングルマザー、障害者は障害者……とやっていると、それだけでは見えてこない。そこに一定の固有性はあり、成果も意義もあるとしても。』
153p
『・・・人間の定義がどこかで変わってしまったということです。つまり市場原理のなかで生き残っていけてはじめて、ないしはそのために努力するのが人間だ、という価値観です。そうでないものは、とくに何もしなくてもそれだけで秩序を乱す存在で、排除の対象になる。
新自由主義とはつまり、市場化されていない領域を市場化していく運動ですから、あらゆるものが市場化されていくなかで人間も市場化されてしまった。だから、リスクをとらない人間、自立のためにがんばらない人間は人間としての価値がない。』
敗者と勝者という区分けを作って、敗者を見せしめにしていく社会。自殺者がもっとも敗北した者の底辺に置かれる国のQOD、クオリティ・オブ・デスは低いだろう。
人生がうまくいかなかったり、失敗したりしても、再チャレンジが出来るサポート体制がある社会が人を活かす社会で、「死から学ぶ」ことでもあるだろう。「生きる」とは「生が生き生きしている」ことを言うのだろう。
『「うつ」を治す』大野裕 著 PHP新書
を読んでもらいたい。
123p 学習性無力感の研究
『・・・コントロール感覚が持てないと心身ともに疲れ切ってくるのは、動物一般に見られる現象です。そのことは、うつ病のモデルのひとつとしても注目されている、心理学者セリグマンの学習性無力感の研究からもわかります。これは、「自分が何をやっても無駄だと思うと動物は何もしなくなる」ということを動物を使って実証した研究です。
まず、犬をハンモックに縛り付けて電流を流します。犬に、電気ショックをかけるのです。そのときに、鼻でスイッチを押せば電流を止めることができるようにしたスイッチ群と、電気ショックの機械とつながっていない偽のスイッチを使って、何をしてもショックを止めることができないようにした偽スイッチ群とに犬を分けて実験します。
電気が流れて脚にビリッとショックがくると犬は何とかそこから逃げようとします。そのときにスイッチを鼻で押すと、電気ショックが止まります。そのことを発見した犬は、「あ、これはいいものを見つけた」と、電気ショックが流れても自分の力でそれを止めることができるということを学習するようになります。ビリッとくると鼻でスイッチをボンと押して電気ショックを止めることを学習して、自分がある行動をすれば良い結果が出ると思えるようになるのです。
ところが、偽のスイッチしか使うことができない群は、どうしても電気ショックの苦痛から逃げることができません。ビリッときたときに、偽スイッチを鼻で押しても全然なんの反応もないと、自分が何をやってもその危機的な状況は乗り越えられないと思うようになります。そうすると、次第に犬の動きが鈍くなってきます。何をしても無駄だという感覚になっているからです。この犬は、自分が無力だということを学習したことになります。』
無力というのは学習して得られる感覚なのだということが分かる。そして犬は、弱々しくうち震えながら苦痛に耐えるだけとなる。
「自分が何をやっても無駄だと思う」社会ではいけないのです。
自殺対策支援センター ライフリンク のホームページを見てもらいたい。
現代日本社会の自殺の多くは、
社会的な対策があれば「避けることのできる死」です。
その意味で、
自殺対策とは「生きる支援」「いのちへの支援」でもあると言えます。誰も自殺に追い詰められることのない社会。
自殺で大切な人を亡くした人が安心して悲しむことのできる社会。
それはきっと、自殺とは無関係と思っているひとりひとりにとっても
生きていて心地の良い社会であるはずです。と書いてある。
ライフリンクの活動の柱は大きく分けて5つあるらしい。
1、自殺対策の枠組みをつくる
「自殺対策基本法」「自殺対策100日プラン」
2、自殺の実態調査
「警察が持っているデータの分析」
自殺対策には、[地域別の実態」と「自殺に追い込まれていくプロセス」の両方のデータとその解析が必要です。プロセスの調査は我々がやっているからいいのですが、地域のデータは警察しか持っていません。
3、自殺対策の都市型モデルづくり
足立区と協定
4、行政への監視
行政がきちんと「自殺対策基本法」に謳われている地方公共団体の責務に基づいて、対策を行っているかをチエックするものです。もしやり方が分からないというのであれば、我々が行っている実態解明やモデルづくりを参考にしてもらい、対策を立てることができます。
5、あらゆる活動を啓発に繋げる
私たちとしては足立区のモデルを研究してみたい。
『「自殺社会」から「生き心地の良い社会」へ』にはこんなことも書かれてあった。
211p
『・・・たとえばローンを組んで家を購入した後にリストラされてしまった人が、借金を返済するために購入した家を売ろうとしても、そのときにはすでに物件価格がガタ落ちになってしまっていて、もはや売ることもできない・・・、ということが普通に起きてくるわけです。購入時の何分のーかの価格でしか売れない、ということになったら、組んだローン分には到底届かずマイナスにしかなりませんから、物件を手放すこともできずに、呆然と立ち尽くすしかない。
そこで、そうならないための手段として、すぐに思い浮かぶのが生命保険です。
自分に掛けていた生命保険さえ下りれば、そのローンの返済に充てることができる。そうなれば、少なくとも今一緒に住んでいる家族は救うことができると。』
213p
『清水―――つまり、「人に迷惑をかけたくない」という責任感が強い人ほど、「自分が死にさえすれば、すべては解決するんだ」と思ってしまう、思わされる仕組みになっているわけです。
ですから、そうやって人を自殺に追いやるような制度や慣習は変えていかなければなりません。』
自殺対策とは人を生かす・活かす対策です。念頭に入れて取り組みましょう。
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