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迷走日記 8月3日 走禅一如 5−2
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迷走日記 8月3日 走禅一如の可能性について その5−2

荘子の思想から考える 2

 

朝の6時をすぎると、セミの鳴き声が暑さを一層に厳しいものに感じさせる。まだ風は涼しいが全身汗でびっしょりと濡れて、ランパンとシャツが肌に張り付く。夜明け頃から15キロを走っただけなのに頭は朦朧としてバテ初めているのが悔しい。重い足取りが疲れの溜まっていることを感じさせる。夏は疲れが抜けにくい。これが歳をとる、ということなんだ。しみじみとそう思う。先日に長男から白髪が増えたな、と言われたことを思い出す。リンスで徐々に染まっていくという毛染めもあるようだ。染めてみようかなと思ったが、染めて見掛けが変わっても中身は何も変わらないことを思うと、染める労力がもったいないように思えて、思いの堂々巡りはそこで終わった。

朝の7時をすぎると日差しが肌に痛い。無理はしない。そそくさと退散する。帰って、シャワーを浴びると蚊に刺されたあとが何箇所かある。最近、蚊に刺されても以前ほど痒いと感じなくなってきた。足に擦り傷ができているが、どこで出来たのかもわからない。歳のせいなのか疲れのせいなのか、感覚が鈍くなってきたようだ。

私は以前から一流といわれるスポーツ選手に偏見を持っている。彼等は痛みを感じる神経の数が少ないに違いないと考えているのです。痛みを感じる神経の数が少ないから、暑さにも寒さにも、厳しい追い込んだトレーニングの苦痛にも耐えられて、一流になれたのではないか。彼等は鈍感なのだ。実際に解剖学的に神経の数を比べて、「ほら、言ったとおりだろう。マラソンを2時間で走る選手は我々より0.5%も痛みを感じる神経が少ないだろう。最速とは人類で最も鈍感な人であるということなのだ。」と、言ってみたい。どんな感覚にも個体差はある。嗅覚の鈍い人、味覚の鈍い人、オンチの人、がいるのなら、痛みに鈍い人がいても不思議ではない。私はこれを仮説だとは思っていません。だから偏見なのでしょう。

 これは、私は繊細だから速くなれないと、戯言を言っているのではなく、私も鈍感になりたいと思っているのです。特に、老いに鈍感になりたい。どんなトレーニングもヘッチャラで、どんな暑さにもヘッチャラで、どんな疲れも屁とも思わない鈍感に憧れているのです。

 

 7月1日の転倒による打撲はまだ癒えてはいません。左膝や鼻には痕が残っただけではなく変形も見られます。膝も鼻もまだ痛いので、満足に走ることはまだ出来ません。元々満足に走ることは出来ていなかったので、あまり気にはしていませんが、痛むのは辛い。暑さと痛みに苛まれながらでも一日20キロは走っています。ゆっくりと走っていても暑いときは脈拍数があがっているので、思ったよりトレーニング効果は上がっています。

 夏は疲れが抜けにくいので、走りに出る前には心の準備に1時間近くかかります。「さあ、出るぞ」「でも、こんなに疲れている」、「さあ、出るぞ」「足が痛いから止めようか」、「さあ、出るぞ」「暑いから、つらいなあ」と気持がぶれるが、静かに坐って、ぶれ幅を次第に小さくして、走りにでます。嬉々として、走りに出ているわけではありません。鈍感になって、何も思わずにサラリと走りに出たいものです。

 本を読むときは本を開く、文章を書くときは机の前に座る。走るときは靴を履いて外へ出る。ただ、それだけのことだがそれが難しい。ダラダラとしている時のまどろみが心地よいものです。元気の良いときは気持の切り替えも直ぐにできますが、疲れが抜けにくい年齢になると、自分への言い訳も巧みになっていることもあって、なかなか気持の切り替えが難しい。老いに鈍感になりたいと強く思うのはこんな時です。

 

 そういえば、少し前にミリオンセラーになった“鈍感力”という本があったことを思い出しました。読んでみたくなったので購入することにしました。誰が書いた本なのか調べると、渡辺淳一さんでした。近所の書店にはなかったので、ブックオフにて文庫本を260円で購入。アマゾンだと1円で送料が250円なので9円高いことになりますが、本は読まれた形跡が全くなく新品同様だったので、9円の価格差にもかかわらず、お徳感はありました。定価400円の本なので、新品で買っても大きな価格差はないのですが、貧乏性というものです。渡辺淳一さんの本を読むのはこれが始めてです。

 文章も優しく、文字も大きめで読みやすい。読みながらさまざまなことを考えました。どんなことを考えたのか、記してみたい。

 

「いい意味での楽天主義が自分の心を前向きにし、したたかな鈍感力を培う」6p

 

現実を生き難いものだと感じる人は少なくない。嫌な気分をコントロールして、穏やかな人生を歩んでいくには確かに鈍感力は必要なものだと思えます。

 鈍感と無神経はどう違うのか?「いい意味での楽天主義」が鈍感力を培うもので、悪い意味での楽天主義が無神経ということなのでしょう。落ち込んでも、へこたれても、所詮は一過性のものなので、深刻に受け止めることはない。大切なのは「自分は今、どこへ向っているのか」ということなので、向う先にある障害は、楽しみながら乗り越えていきたいものです。それには想定外の障害も多くあるので、躓かないようにヒザを柔らかく使う「したたかな鈍感力」も防具として身につけておきたいと思います。

 

其の壱、「成功をおさめた人々は、才能はもちろん、その底に、必ずいい意味での鈍感力を秘めているものです。」(25p)

 

成功をおさめた人々とはどのような人々のことなのだろう?社会的なステータスのことだけなのだろうか?

 私の考える成功をおさめた人々とは、自分が何者なのかを知っている人々だと思います。「自分の思考法を知っている」そして「自分のすべきことを知っている」。「自分の人生に必要なものを知っている」そして「人生の可能性に挑戦している」。「人生の楽しみと生きがいを知っている」そして「人生の質を上げることに前向きである」。「幸福とは何かを知っている」そして「自尊心や愛情、創造性といった心の健康について真摯に取り組んでいる」。「感動を大切にしている」そして「感動を分かち合うことをもっと大切にしている」。「自分の最大の敵は自分の中にあることを知っている」そして「唯一無二の自分の大切さも知っている」。そんな人が「自分が何者なのかを知っている」人々なのだろうと考えています。「自分が何者なのかを知っている」ので、人生の成功者となるのではないでしょうか。成功者とは誰が決めることなのでしょうか?「自分が何者なのかを知っている」人は「成功者とはどのような人なのかも知っている」ものです。

 ちなみに私は「自分が何者なのか」まだ知り得ていません。まだその旅の途中です。旅の道標に以上のようなことが書いてあったように記憶していますが、道に迷ったままです。

 

其の弐、「健康であるためにもっとも大切なことは、いつも全身の血がさらさらと流れることです。」(28p)

 

私は脳梗塞患者で顔と足に運動障害があります。血がどろどろしていては再発の可能性があるので、血がさらさらと流れることには人一倍気を使っています。再発すると歩けなくなる後遺症が残るようになるかもしれないと医師からそう言われています。その後、4年近くをかけて血の滲むような努力で少しずつでも回復してきたのを台無しにすることはできません。

 血がさらさら流れることの大切さはよく分かりますが、本書では人間の身体になぞらえて人間関係のさらさらについて書かれています。

 自分が否定されても落ち込まずに、さらさらと受け流すこともできる。亡き父の言葉を思い出します。「自分がどんなに努力をしていても、分かってくれる人が半分、分かってもらえない人が半分。世の中はそんなもんだ。私は分かってくれる人の為に努力をしている。」

分かってくれない人に不満をぶつけても批判をしても何にもならない。前向きに生きるには、今は何に目を向けることが必要かを知ることだろう。分かってくれる人の為に努力をするのも一つの方法だと思えます。人それぞれに自分のやり方があって良いのですが、自分のやり方をつかむまでに一苦労しなければならないのでしょうね。

 

其の参、「穏やかでリラックスした状態。たとえば楽しいとき、嬉しいとき、気分が爽やかで笑ったり、さらには周りが温かいときなどに、血管は開きます。」(42p)

 

自分を肯定的に生きることができれば、不快なストレスも直ぐに発散させて、充実した気分で平穏に生きることができるはずですが、それが難しい。人生は難問だらけだ。しかしそれを難問と思わずに、ストレスをパワーに変える方法もある。問題を難しくしているのは誰あろう、自分自身であることが多い。行動的に生きることに突破口がありそうだ。爽やかな汗をかいていると血管も開いてくるように思えます。

探検家のスタインは「人生は旅である」と言っている。そこへ行って見なければ何も分からない。旅は難行路ではなく、楽しくありたいものです。のんびりと山あり谷ありの景色を楽しみながら自分の足で汗をかきながら歩いていくのが良い旅のように思えます。

 

 其の四で五感が鋭すぎるのもマイナスだと言われている。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚を五感といいます。「鋭い人より鈍い人のほうが、よりのんびりとおおらかに健康で、長生きできることは間違いありません。」(67p〜)

 

 私は料理人として多くの方々に料理を提供してきました。味覚に敏感な人たちに共通の職業があります。最も鋭いと思ったのは音楽家の方々でした。特にクラシック音楽で一流と言われた方々の舌は確かなものでした。しかし、その方々は料理の楽しみ方も一流でした。音楽の豊かさは感覚の鋭さだけで生まれるとは思えません。料理を楽しむ豊かな心が音楽を豊かにしているのだとおもえます。

名前は言えませんが、誰もが知る日本のロックミュージシャンの方にこんなことを言われたことがあります。紹介で来られたお客様で、一人で静かに食事をされていました。見ると涙をこぼされているので、どうしたのか訊ねると、「こんなに美味しいものが世の中にあったんですね。」と言われたのでとても驚きました。曲の内容からは想像もつかない一言でした。今は亡きその方の曲を聴くたびにそのことを思い出します。実はとても繊細な方だったのですね。

 味覚が敏感だと言われる評論家の多くが、料理を舌先でしか味わうことができず、口先三寸のことしか語れない方が多い中で、この方は本物だと思わせた方がおられます。「おいしすぎる料理は飽きが来る。飽きずにもっと食べさせてほしい、と思う料理が本物の美味しさでしょう。私には家内と料理を楽しみたい店が日本には2軒あります。ここはそのひとつです。」

 本当に鋭い感覚をお持ちの方は、その感覚との付き合いかたも知っている。実はたいして鋭くもないのに、鋭さを装っている人は疲れると思います。そんな方は、のんびりとおおらかに健康で、長生きできることはないでしょう。

 

 其の五、「数ある鈍感力のなかでも、その中心になるのが、よく眠れることです。」(71p)

 

 中高年にはこのことが大問題である方々が多いと思います。私は眠れずに布団の中でゴロゴロしているときに、これは寝る禅なのだと思い呼吸を整えて瞑想していると、いつの間にか眠っています。それでも眠れない日があります。暑いときに気合を入れて走ると足が炎症を起こして眠りにくい。そんな時は解熱鎮痛剤を呑みます。薬が効くころには眠っています。

 

其の六、「才能がある人のまわりには、必ず褒めた人がいて、次にその本人が、その褒め言葉に簡単にのる、調子のよさをもっています。」(95p)

 

 NHKのラン×スマ〜街の風になれ、という番組をたまたま見たときに思ったことです。コーチの金哲彦さんは褒めることがとても巧い。地域にこういうコーチが一人ずつでもいたら、日本の医療費は半分以下になるに違いない。褒め方が巧いから、のるほうものりやすい。

 

「其の七 鈍い腸をもった男」

 年齢に健康年齢というものがありますが、それに関係する年齢に、血管年齢・骨年齢・腸年齢というものがあります。腸が健康であることは重要なことです。

 渡辺淳一さんがここで言わんとすることはそのことではなく、最近の日本人は抵抗力がなくなってきていることを言われています。過酷な登山や、秘境への旅を経験してきて思うことは、胃腸が丈夫でないと話にはならないことです。快眠、快便は生きる力そのものではないでしょうか。

 

 「其の八 愛の女神を射とめるために」「其の九 結婚生活を維持するために」「其の十四 恋愛力とは」

 

私には男と女の間には深くて暗い川がある、としか思えません。エンヤコラ今夜も舟をだす。という黒の舟歌に、振り返るなRow〜とあるように、振り返ってはいけないのです。

 とある高齢者の施設の職員に、利用者の困った愛憎劇の相談を受けたことがあります。「スイマセン、相談する相手が間違っています。」とお答えしました。「つらいことがあったんですね。」と真顔で返されたので、笑うに笑えなかった。

 若い頃の恋愛はファンタジーで、大人になるとサスペンスになって、中高年になるとミステリーになって、その謎は迷宮入りするが恋愛であるように思えます。

 ♪ 極楽見えたこともある

   地獄が見えたこともある

   Row and Row

   Row and Row

   振り返るな Row Row

 私は長谷川きよしのフラメンコ調のギター伴走での弾き語りが好きです。

 

 「其の十 ガンに強くなるために」で「ガンの予防から治療、そして社会復帰したあとまで、すべての点で大切なのは気持のもちよう、すなわち鈍感力です。」(146p)と言われています。

 

 以前に私が主催した市民向けの医療問題の勉強会で、講師の医師がガンについて語られたことがあります。このようなお話しでした。「ガンが増えたのは、長寿社会になったからです。悲しむことではありません。みんなガンを持っていると考えなければならない時代なのです。発症するかしないかだけの差です。ですからみんなガンの準備をしておくべきなのです。」心の準備が最も大切なように思えます。

 

 其の十一、十二で女性の強さのことが書かれています。

「女性の強さによって、人類は誕生し、この素敵な鈍さがあるかぎり、人類が容易に滅亡することはないのです。」(172p)

 

 女性は強いように思いますが、そのことで大切なことがあります。

 人間という群れが社会を形成するのは、社会進化史上で研究すると母系であることが自然なことがわかります。現代の私たちは狩猟生活をしているわけでもなく、素朴な農耕による家父長制も崩れているので、父系である必要はどこにもありません。母系の原点に返って、社会を作り直す必要があると思います。ここを語ると長くなるので、さわりだけにしておきます。

 

 「其の十三 嫉妬や皮肉に感謝」「嫉妬されるのは、その人自身が優れているからで、相手はそれが羨ましくて嫉妬しているのです。」(179p)

 

 世の中が暮しにくいのは嫉妬が渦巻いていることが原因の一つです。人生を勝ち組と負け組みに分けると、負け組みが勝ち組に嫉妬するのでしょう。しかし、勝ち組の中でも勝ち組と負け組みがあり、更にその勝ち組の中でも勝ち組と負け組みがあり、本当に勝ち組に入る人はほんの一握りしかいません。大半の人は負け組みにいることになります。

 勝敗にこだわらない人がいます。そんな人に「君は幸せな人だね」と言われているのを聞いたことがありませんか?そうなのですその人は幸せなのです。大半の人は負け組みに入るので、負けにこだわることはありません。自分の弱点を知って、向上心はあるが争うこともなく、のんびりと充足した人生を歩む人が幸せなのです。不幸な人は無理を重ねて、ストレスが溜まり、あくせくとした時間がすぎて、自分を取り戻せない人なのです。そんな人は大きく深呼吸をして、静かに自分を見つめて、していることを減らしてみましょう。自分を主張することから少しはなれて、みんなの話の聞き役になってみる。自分が絶えず何かをしていなければならないという呪縛に囚われていないだろうか?よい人間関係が幸福への第一歩だと気付いたときに、見える景色は違ってきている。

何でも言うことは簡単だが実行することは難しい。世の中が面白いのは嫉妬が渦巻いているからなのかも知れない。嫉妬を上手に活用する方法もあるのだろう。

ただ一つだけ言えることがある、挫折感のない一握りの勝ち組の人に、人の気持は分からない。そんな人が上に立つと、犠牲者が多くなる。

 

其の十五では、「さまざまな不快感をのみ込み、無視して、明るくおおらかに生きる、そんな鈍感力を身につけた人が、集団のなかで勝ち残るということです。」といわれています。

 

 勝ち残ることが必要かどうかは価値観の問題でしかないが、明るくおおらかに生きることは大切なことだと思います。勝利を手に入れることは素晴らしいことだが、それで幸せになれるということはないことを知ることのほうが大切なのではないだろうか。

 勝つことが大切なのではなく、努力の中に素晴らしい宝物があることを知るべきでしょう。惜しまない努力を続けてきた人々の中で、運よく勝利をつかんだ人には、素直に拍手を送りたい。その拍手は「私が私であってよかったといえる」惜しまない努力を続けてきた人々への拍手でもある。

 

「其の十六 環境適応能力」

「これから全世界に羽ばたき、新しい時代を切り拓いていこうと思う人は、まず自らの鈍感力をたしかめ、あると思う人はそれを大切に、ないと思う人はそれを養うよう、さまざまな環境にとび込み、強くするよう鍛えるべきです。

 そしてそのためには、なにごとにも神経質にならず、いい意味で、すべてに鈍感で、なにごとにも好奇心を抱いて向かっていくことです。」(225p)

 

 その通りだと思います。私は粉末のうどんスープの素と根昆布とろろがあれば、大抵の環境に飛び込んでいける自信があります。温かい湯に粉を溶かして、根昆布とろろを入れて、ゆっくりと味わうと、どんな時にでも自分に返ることができる。これは長持ちして軽いので携帯に便利です。ホッとする味と余裕があれば、大抵のことは何とかなるものです。雪山の頂で飲むのが最高に美味しいのですが、砂漠のど真ん中で味わったのも良い思い出になっています。

 

「母性愛 この偉大なる鈍感力」が最終章になります。序文に「おおらかなお母さんに褒められて育つことが、鈍感力を身につける第一歩である。」とあります。

 

 お母さんが、おおらかでいられるような社会をみんなの鈍感力で築くことが必要なのでしょうね。お父さんも褒められて育つように思います。褒めてあげてください。

 

 本書を読み終わって、売れる本は共感力が違うことを知りました。渡辺淳一さんの鈍感力で書き上げた本書は軽快でてらいのない共感力溢れる作品だったのです。

 

 本書を読んでいて宮澤賢治の〔雨にもまけず〕という感動的な詩を思い出しました。

 

 雨ニモマケズ

 風ニモマケズ

 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

 

 と続き・・・

 最も感動的なラストへ向います。

 

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイウモノニ

ワタシハナリタイ

 

南無無辺行菩薩

南無上行菩薩

南無多宝如来

南無妙法蓮華経

南無釈迦牟尼仏

南無浄行菩薩

南無安立行菩薩

 

・・・と結ばれます。

「デクノボー サウイウモノニ ワタシハナリタイ」

私はこの言葉に、「デクという、とても硬い木の棒」に打ち据えられたような思いがします。デクとは木偶(木彫りの人形)のことですが、その木には菩薩が眠っているのかもしれません。木彫家に「木の中に形が見える、それを形にしているだけだ。」と言われる方が少なくありません。宮澤賢治のデクノボーには、仏道修行の本来の姿が見えて、この詩を読んで涙ぐむこともあります。

 

私はデクノボーとまではいかなくても、無理をしないで、できれば毎日を、諦めない粘りの鈍足力で夏の後半を乗り切っていきたいと考えています。

 

鈍感力やデクノボーの究極の姿があります。私がなく、とらわれがなく、ことさらな作為もない、それを無為といいます。

荘子 第3冊 〔外篇・雑篇〕 金谷治訳注 岩波文庫 

外篇(承前) 至楽篇 第十八 より

 

 漢文と読み下し文は本書で味わっていただいて、訳だけを紹介したい。

・・・14p

大空は無為であってこそそれによって澄みわたり、大地は無為であってこそそれによって安泰である。そこでこの二つの無為が合わさって、万物のすべてが生み出されてくる。おぼろげでとらえどころがないが、どこからか〔万物が〕出てくるではないか。とらえどころがなくおぼろげであるが、そこになにかの形があるではないか。万物は次々と生まれて、みな無為のはたらきで育っている。だから「天地は無為で〔ことさらな作為をしないで〕いて、それですべてのことをなしとげている」と言われている。人間のばあい、いったいだれがこの無為を身につけることができるだろうか。

 

 究極の鈍感力を人間が身につけることは出来ないかも知れないが、「無為に入る」という言葉があります。仏門に入ることをいいます。究極の鈍感力が解脱の境地ということになるのですね。〔雨にもまけず〕に「慾ハナク」とあるように、欲を少なくすることが大切なのでしょうが、それが難しい。もっと速く走りたい・・・

 

 写真は、鱧の焼き物、真子と白子の御飯、ちり鍋です。








posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 迷走日記 | 12:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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迷走日記 7月8日 走禅一如の可能性について その5

荘子の思想から考える 

 

 荘子(約2300年前)に料理人の御話があります。その御話の中にこのような言葉があります。

 

良包歳更刀(内篇 養生主)

 良包(りょうほう)は歳(とし)に刀(とう)を更(か)う。

 

料理人が牛をさばくのに、たいていの料理人は刃こぼれをさせて一月ほどで包丁を変える。腕の良い料理人でも一年に一度は包丁を変えますが、私の包丁は数千の牛を19年もさばいてきたにもかかわらず、いまだに使っている。それは刃先を動かすのにゆとりを持って、なおかつ細かいところに気を配り、無理な使い方をしないからです。

という件の中にある言葉です。

 

私は鳥やスッポンをさばくことはありますが、牛をさばいたことがないのでその難しさは分かりませんが、言わんとしていることはつかめます。私の包丁は河豚引きも骨切り包丁も20年近くは使っていますが、刃こぼれはありません。玉鋼の手打ちの包丁なので、大変に高価なこともあって大切に使っています。自分では天下の宝刀だと思っています。荘子の時代の包丁は切れ味の良いものだとは思えないので、「数千の牛を19年もさばいた」というのは、おそらく途方も無い数字なのだろうと思えます。

包丁にはそれぞれに癖があるので、長く使わないと使い勝手の好い自分のものにはなりません。どうしても反りが合わない包丁もあります。包丁の切れ味というのは、料理人の心に沿ったものなので、料理人にそれなりの心構えがないと、切れ味の鋭さは生まれません。料理は、はかりおさめるものですが、包丁は道理で仕事をします。無理に切ろうとしても包丁は言うことを聞きません。

 

私の鱧の仕事は料理人仲間から名人といわれていますが、そこには門外不出の秘伝があります。もう既にその秘伝を知るものは、私しか残っていないのですが、誰にも伝える気持ちはありません。教えても、技を習得する辛抱のできる者がいないからです。京都でも淡路でも骨を感じたら御代はいらないという店がありますが、秘伝を知らないので、やっぱり骨だらけです。2ミリに三つの骨切りが理想だといわれていますが、私は気合が入っているときは4つ入れます。

 

梅雨時期なのであまり使わない包丁には錆が浮いたりします。錆を砥ぎながら、もう自分の体は錆だらけなんだな、との思いが浮かんできます。大した地金でもないので、すっかりなまくら(鈍刀)になってしまっていることを日々痛感しています。包丁を使うように、自在には自分の体を動かすことが出来ません。しのぎを削る程の気力もなく、病気を克服したいとの抜き差しならない事情もあって、付け焼刃のジョギングをしていますが、トンチンカン(頓珍漢)なことになっているのではないかとの懸念もあります。

自分に焼きを入れてやろうと懸命に走ったら、7月1日につんのめって大怪我をしました。歳に太刀打ちは出来ない。立ち往生して気持もやさぐれていましたが、ようやく元の鞘に納まろうとしています。無理をしない、無理をしない、と言い聞かせています。

 

 刃物にまつわる言葉も多いのですが、食べ物にまつわる言葉はもっと多い。それは暮らしの中で、とても大切なものであるからでしょう。

 

朝も7時を過ぎて陽が高くなると暑い。中高年のジョギングは暑いときは無理をしない、というのが鉄則でしょう。風が涼しく感じても、曇っていても、気温が25度を超えていると、汗をかく量はかなり多くなります。

豆腐は煮れば締まるとも言いますが、中高年のトレーニングは煮崩れてしまわないように注意したい。のんびりと無理なく、風呂桶で大根を洗う(物事がゆるゆるしていること)ようでも良いのではないでしょうか。

走った後の沼地に沈むような倦怠感や、ジンジンと全身に漂う熱っぽい疲労感は辛い。青菜に塩のようにしおれてしまいます。ライバルに教えたくない対処法として水シャワーと葛根湯が症状を軽くしてくれます。夏場に頑張ったときに、足が炎症を起こして眠り難いときがありますが、解熱・鎮痛剤が効きます。ビタミンCやクエン酸飲料も有効です。

 一に養生、二に薬なので、先ずはオーバートレーニングにならないように養生が大切だと思います

私は血圧が高めなので一日に3回、血圧を測って記録しています。走った後に、あまりにしんどいときに血圧を測ると、高いほうが100程のときがあります。血圧の低下は中程度の脱水症なので、電解質と水分の補給を心がけて、少し横になります。血流量が減ると内臓機能の低下もあって疲労が抜けにくくなります。無理をすると豆腐にかすがいというような、無駄な努力になってしまいます。

電解質が失われると筋肉痛も残りやすい。集中力も落ちます。人参よく人を生かしよく人を殺す、という言葉もあり、健康によいと思っているジョギングも毒になることがあります。

脱水症とは水分と電解質が失われた状態のことです。水だけを補給しても電解質が失われていれば脱水症なのです。症状が進むと熱中症になります。体温の調節機能が働かなくなり、体温上昇、めまい、倦怠感、けいれん、意識障害が起こることもあります。

しかし、冷たいものばかりガブガブ飲んでいては体調を崩しかねない。夏は熱いものが腹の薬とも言うので、注意したい。

私が以前に熱中症になって、味噌を付けた(失敗する)ときには、炎天下なのに汗がぴたりと止まり、寒気がしました。目が回り、気分が悪くなり、船酔いしたような感じで倒れこみました。家まで2キロの距離を這うようにして帰りましたが、その辛さは並みのものではありませんでした。

よくなる時は土も味噌、悪くなる時は味噌も土。体調のよいときは何をしても効果がありますが、悪いときは何をしても悪いほうにしか行きません。体調が落ちているときに熱中症になりやすいので、冷静に体調を判断したい。いが栗も内から割れる(時期が来る)ので、あせってはいけない。熱ものに懲りて鱠を吹く(注意しすぎる)くらいでちょうど良いのかもしれない。

更に症状が重いものが熱射病で、死亡することもあります。

脱水症は、みそこしで水をすくう、という効果のないトレーニングになってしまいます。

走っているときに急に落ちるように走れなくなることがありますが、脱水が進んで身体がオーバーヒートしていることが原因であることが多いのです。他にも血中酸素濃度が低下していることもあります。鉄分、カルシュウム、マグネシュウム、カリュウム、等のミネラルの不足やビタミン不足に気をつけましょう。医食同源、食事の大切さは言うまでもないことでしょう。蛇の鮨でも食うぐらいに好き嫌いなく食べたい。食後の一睡は万病丸とも言い、食後の休息は栄養の吸収を促進させるのには有効です。

これもライバルには教えたくない情報ですが、ツールド・フランスに参加する自転車の選手は積極的に蜂蜜を摂っています。これはかなり有効だということを実感しています。しかし、蜂蜜の値段が高い。安物は効果が薄いと、蜂蜜屋が言っていることなので、手前味噌もあるのではと思わせてしまいます。採れる季節や花によっても効果が違うらしい。味噌に入れた塩はよそへ行かぬというので、高い蜂蜜に投資をして自分に戻ってくるのなら、少し奮発してみますか。私には蜂ごと食べるのが一番いいのかも知れないとも思えます。

とりもなおさず、中高年のジョギングは無理をしないことが大切だと思っています。無理をしないといっても、どの程度に無理をしないのかという匙加減が難しい。

 提灯で餅をつくような、いつまでたっても埒のあかないトレーニングもしたくはない。棄糧沈船という決死の覚悟での戦いも出来ない。中途半端で役に立たないことを、煮え湯に水を差すとも言いますが、中途半端ではない自らの適を探ることが難しい。コンニャクの裏表のようにならないメリハリも必要なのでしょうね。

 荘子に「自適其適」(内篇 大宗師)という、自分に本当に適したものを求めるという言葉があるように、先ずは自分に適したトレーニングとはどのようなものかを知ることが出来るようになるまで走ってみるしかないのでしょう。美味い不味いは塩加減ですね。塩加減をつかむ勘所を養いたい。

「桃栗三年柿八年、柚子は九年になりかかる、梅はすいとて十三年」というような時間的な余裕のない中高年には悩ましいところです。腹八分目に医者いらず、というたとえもあり、八分目のトレーニングが一粒万倍という、得るものの多いものとなるように思えます。

 無理なトレーニング計画は、沖のハマチのように必ず漁が出来るとは限らない。羊頭狗肉という内実が伴わない計画を立てていないだろうか。それは、ないものねだりのタコのあら汁になってはいないか。自分の実力に尾鰭をつけていないだろうか。徳利に味噌を詰めるような無理強いをしてはいないだろうか。塩を踏むような辛い計画は続かない。貪欲で無節操なことを出鱈目とも言います。絵に描かれた餅は、白豆腐の拍子木のように役には立たない。牡牛の角を定規にするような、出来るはずのない計画や、不味いものの煮え肥りという、ただ大きくなっただけで味の悪い計画になっていないことや、すりこ木で重箱を洗うような大雑把で行き届かないことも注意したい。腑に落ちるまで良く考えることが必要ですが、呑まない酒には酔わないので経験も必要。どんなことでも、とろろで麦飯を食べるようにスムーズにはいかない。

 大根には大根の味があり、えぐい渋いも味のうちなので、自分の持ち味を見つけたい。猫の手に餅のように不器用であっても、納豆も豆なら豆腐も豆、速くても遅くても気にしない。実入りが悪くても、実らないよりは好い。麦飯を炊くような、のろまな人であっても何が悪いのか。いつかは、漿を請うて酒を得たり、というような予想以上のことが起こるとも限らない。成すべきことを成すことを、湯を沸かして火を引くという。網にかかるのは雑魚ばかり、と腐らない。味噌塩(身のまわり)の世話をしてくれる人を大切にして、夢に牡丹餅(良い夢)を分かち合いたい。

 調子が上がってくればそのタイミングは逃さない。美味いものは宵に食え、食えるときにしっかりと平らげる。そのときまでロング・スロー・ジョギングを茶飯事にしながら、辛抱強く待つ。始めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣いてもふたは取らない。

 

荘子の養生主に「包丁(ほうてい)の言(げん)を聞きて、養生(ようせい)を得たり。」という言葉があります。それは、料理人の話を聞いて養生とは何かを知った惠王(紀元前370−319在位)の寓話「包丁解牛」の中にあります。

料理の名人には、その技術だけでは語れないものがある。「技よりも進めり」という、技よりも道を窮める者の話を聞いて、生命を養うことは自然の理に遵(したが)うことだと悟る、という御話です。包と言うのは料理人のことで、丁は人名です。包丁というのはここから来ています。

 

 NHKに100分de名著という番組があります。番組は時々に観ますが、テキストも読んでいます。本を読むガイドとして、とても素晴らしい企画だと思っています。番組で紹介される本の大半は読んでいますが、内容を忘れてかけている箇所もあるので、思い出すのに良い機会になっています。5月は荘子の放送でしたが、用事のある時間帯だったので残念ながら番組を見ることは出来ませんでしたが、テキストは読みました。

 

 そのテキストの著者、玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)さんが内編の養生主「包丁解牛」の寓話の内容を簡潔に現代文にされているので紹介したい。

 

・・・53p〜

・・・自在の境地に遊ぶ料理人庖丁のエピソードを、養生主篇から紹介しましょう。

庖丁は魏の恵王(文恵君 ぶんけいくん)のために牛を料理していました。その牛刀さばきは音楽的とも言えるほど見事なもので、「嘻(ああ)、善いかな」と感嘆する恵王に、庖丁は自分が求めているのは技ではなく道なのだと言って、次のように語ります。

「牛の解体をしはじめた時、目に映るのは牛ばかり(どこから手をつけたらいいのか分かりません)でしたが、三年経つともう牛の全体は目につかなくなりました。近頃では、どうやら精神で牛に向き合っているらしく、目で見ているのではありません。感覚器官による知覚のはたらきは止み、精神の自然な活動だけが行なわれているのです。自然の筋目(天理)に従うと、牛刀は大きな隙間に入り、大きな空洞に沿って走り、牛の体の必然に従って進みます。牛刀が靭帯(じんたい)や腱(けん)にぶつかることもありませんし、大きな骨にぶつかることは尚更ありません」

 さらに庖丁は、自分の牛刀は刃こぼれもせず、もう十九年も長保ちしていると告げます。道を求め続けた庖丁には、刃先の厚みより遥かに広く、肉と骨の隙間が見える。だから刃を遊ばせるほどの余裕があるし、牛刀を動かすのもわずかで済むというのです。・・・

・・・

 

 そして、玄侑宗久さんはこのような解説を付けておられます。

 

・・・54p

・・・庖丁は、感覚ではなく心で牛と向き合っている。そして牛刀は、自然の筋目に従って動いている。この時、庖丁自身の「私」というものはなくなっています。つまり、無意識である時にこそ、牛を扱う方法が最もよく分かっているわけです。

・・・中略・・・

 無意識になるための方法は、反復練習しかありません。どんな行為も、それを何度も繰り返すことで無意識にできるようになります。ですから、茶道や華道など「道」のつくものには反復練習がつきものなのです。要するに、理屈は忘れる。忘れた時に、身に付く。逆に言えば、身に付いたら頭に置いておく必要がないので忘れるわけです。忘れることが、本当に分かるということなのです。

・・・

 

 料理を割烹とも言います。「割」は包丁の技のことで、「烹」は煮るという調理のことです。ですから、包丁の技と調理という程好さ、「中庸の道」をもって料理というのです。日野原重明先生は私の仕事を料理の技・アートと言ってくださいましたが、技は究めるとアートになります。私はアートというより、芸道という言葉の方がしっくりと馴染む言葉のように思えます。料理が芸道の域にあれば、マーケティングとは無縁の世界になります。

 

 私はプロの料理人の仕事には3つの大切なことがあると思っています。

人の脳は四つの傾向を持ち合わせています。新しいものを好む新奇探索性、リスクを避ける損害回避性、評価を求める報酬依存性、こだわるという固執性。

 この脳の傾向を把握した上で、料理人は提供する料理にも気を配らなければならない。

 

一つ目は、少し新しいこと。(新奇探索性)

新しさは、プロの料理のエンターテイメント性にとってとても重要な要素です。楽しみ、気分転換、気晴らし、は目新しいものとの相性が良い。遊びやレジャーは非日常の新しいものへの冒険的な期待感なしには退屈なものとなります。しかし、新し過ぎてもいけない。新しいが、リスクを感じさせない安定感が必要となります。それはゆとりにある。ゆとりが感じられる範囲内での新しさ、食べる方に挑むような新しさではなく、小さな驚きの後に息抜きが出来る優しい驚きです。アッと思った後に、ホッとする余裕を感じさせるものなんですね。

 二つ目は、アイデンテティー。(損害回避性、固執性)

 どういうわけでその料理になったのか、ということです。季節のものであったり、地域性であったり、歴史的背景であったりします。無農薬の野菜だとか、こだわりの素材は食べる方に安心感を与えます。理解が出来ないものにはリスクを感じるのが普通です。相当の理由があれば納得できる。たとえば、詩的感性を感じさせる季節感は納得できますが、変な創作料理は料理人の自己満足だとしか受け取られない、ということです。民藝のような素朴さを旨く表現したものには哲学を感じたり、地域の文化的背景を感じさせる工芸的な美味さもあります。料理人は古いところをくぐってこなければ、そのアイデンテティーの表現の仕方は分からないでしょう。口先や舌先で味わう料理ではなく、心に届くものでありたい。

 三つ目は、真心・誠意。(報酬依存性)

 最近は「おもてなし」という言葉が使われていますが、真心・誠意があってのおもてなしだと思います。裏も表もない真心とは何か?

荘子の内篇・逍遙遊(しょうようゆう)に「至人無己」、至人(しじん)に己(おの)れなし、との言葉があります。よくできた人には私心がないことを言います。欲得で動くようでは、真心があるとは言えません。真心は誠意から生まれます。嘘偽りのないことを誠意というので、裏表のない「おもてなし」とは誠心誠意を尽くすことで、「おもてなし」で利益を得ようとすることではありません。私心なく相手のことを思い遣って、喜んでいただいてこそ、その報酬が得られると考えるべきでしょう。欲望はきりがないので「足るを知る」ことも必要でしょう。

人は報酬を求めて行動しますが、報酬とは金銭だけのものではありません。労働への満足感や幸福感も報酬です。したがって、真心のある人とは、自分自身への満足感や幸福感という報酬のあるべき姿をも知る、自らへの誠意を持つ人でもあります。

 

荘子の内篇・大宗師(だいそうし)に、

「有眞人而後有眞知」

真人(しんじん)あって、而(しか)る後(のち)に真知(しんち)あり、とあります。

 真人とは至人と同じで、ありのままの真実から離れない人を言います。ありのままの真実とは無為自然のことです。

 「喜怒通四時」喜怒(きど)、四時(しじ)に通ず。

喜怒哀楽というものは四季のようなもので、春には春の暖かさがあり、秋には秋の涼しさがある。無為自然とは難しく考える必要はない。このようなものです。

 不自然な作為を持たない。このことを知る真人の心を真心というのではないでしょうか。「今だけ、ここだけ、あなただけ」という「おもてなし」は「うらだけ」のような気もしてきます。

 

 写真は鱧のお造りです。松皮、一枚落とし、油洗いとなっています。







posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 迷走日記 | 07:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
迷走日記 6月13日 走禅一如 4の5
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迷走日記 6月13日 走禅一如の可能性について その4

老荘の思想から考える 

 

 走っているときに転倒して手足に打撲と傷を負いました。去年の9月に走り始めてから4度目の転倒です。毎回、怪我をして血を流しています。昔、走っていたときに転倒して怪我をしたという記憶はないので、やはり脳梗塞による運動障害に原因があるように思います。高齢の母に「年だから気をつけなさい」と言われるのが、情けない感じに拍車をかけます。疲れが抜けない、いつもどこかの関節や筋肉が痛い、その上に足が縺れるとなれば情けなくなるのも無理はない。

 

傷の手当をしながら、自分をもう少し冷静に見てみよう。無理をしすぎているのではないのだろうか、と思えてきます。しかし、よく考えてみると「自分を冷静に見る」という、自分で自分を見ることが本当に出来るのだろうか。自分を見ているのは自分で、その自分を見るというのは見ているような気になっているだけのことなのでしょう。人は自分を特別なものだと思っている。それが個性というものなのですが、そのような偏向がある限り、自分で自分を見ることは難しい。

 

人の意識というものは、人が言葉を使うようになってからのもので、せいぜい10万年ほどしかたっていない。人は意識化されたものより、言葉にならない無意識の領域の方が圧倒的に大きい。その、無意識の領域にまで踏み込まない限り、「自分を見る」ということは出来ない。

 無意識と意識を繋ぐものは「直観」というものです。芸術も宗教も哲学も、直観という縦糸と意識という横糸を織ったもので、そのバランスが重要なのです。科学もスポーツも然り、直観に優れたものが結果を残しています。

 

無意識の中にまで深くはいり込める者に直観は鍛えられる。考えるという意識の世界だけでは掴めない物がある。ではどうやって無意識の世界へ入っていくのか?「無心」に取り組むしかない。自分を忘れるほどに一生懸命に取り組むことを「無心」といいます。「無邪気」や「虫になる」という言葉もあります。

 禅をしているから無心になれるわけではない。無心に禅に取り組んでいるから無心になれるのです。

  

 自分と自分を見るもう一人の自分には「距離感」というものがあります。

 

山登りの面白さの一つに展望があります。登っていくにしたがって人々の暮らしから離れていく。少し登ると町が見渡せる。もう少し登ると町が小さくなり、町が雲の下に消えていく。もう少し登るとそこには山の自然しかなく、天空の風が出迎えてくれる。山頂から見渡せる山々の何重にも重なる稜線を眺めていると、それを観ている自分が見える。

 雪山を一人で縦走していると、何度も死ぬかも知れないという状況に遭遇しますが、何とかその日を乗り越えてテントの中で風に煽られる音を聞きながら眠っていると、寝袋の中で自分が赤子になっているような気がしたことがあります。

 登山家のラインホルト・メスナー(人類史上初の8千m峰全14座完全登頂(無酸素)を成し遂げたことで知られる)は龍村仁監督の地球交響曲第一番で「自分がガラスのように透明になる」というようなことを言っていたと思うのですが、この感覚は分かります。これは過酷な単独行を経験したものに共通の超感覚的な体験だとも思います。

麓から、歩きながら無我夢中で大きく山全体を感じるようにします。地図や時計では測れない、位置感覚や時間があるからです。自分の能力を計算に入れた地図や時計を身体に持っていないと、いざというときには無力なものです。単独行は自分以外に頼るものがないから、触角が鋭くなります。歩き続けて、歩き続けて、自分の触角で山全体が感じられる頃には自分が消えているときがあります。多分、虫に近づいているのだと思います。

 直観が鈍い人の特徴は知識や情報に執着する人です。知識や情報に惑わされるのでしょう。

 

 私は虫のように感じることを、「直下に観る」という表現を使います。山に棲む動物は全てを直下に観ています。研ぎ澄まされた感覚の直ぐ下に行動がある。その行動はいつも自然の理に適っている。究極の無為自然というものです。

 

自分はもう死んでいるのに違いないと思いながら歩いていることもありました。その時は感覚が麻痺していたのですね。

 駄目なときは心から落ちる。頑張るというチャチな言葉は何の役にも立たない。命と心を繋ぐ一本のロープは簡単に強いものにはならない。何度も透明になって死を覗いた者のロープには不思議な弾力がある。しなやかで柔軟なもので、どんな結び方にも即応できます。

 

 「自分を冷静に見る」ということを別の言葉で言うと、「自分から距離をおいてみる」ということになるでしょう。そうすると、話がより具体的になる。どれぐらい冷静に、と考えても冷静を計る尺度がない。距離を置くとなるとどれ位の距離を置いて、ということになると、遠近が出来る。展望を楽しむ自分、赤子に帰る自分、透明になる自分、山全体を感じる自分、自然に溶け込む自分、死を覗いた自分、それぞれに微妙に違う距離感があります。

 

 元日本山岳会会長でもあった今西錦司先生は縮尺度の法則ということを言われています。

“自然学の提唱”(講談社学術文庫)

・・・112p〜

・・・縮尺度の法則というものがありまして、これはこの四十九年に出しました『生物社会の論理』という本に書いております。かいつまんで申しますと一枚の地図に何も彼も書込むことは出来ない。二万五千とかもっと一万とかいうふうな地図であったら割合詳しいところまで書込めるけれども、二百万分の一の地図になったら川でも一本線か入るだけであってですね、とても細かいことは記入出来ない。それと同じで個体差は誰でも適当の所から見たら見えるけれども、種社会になるとかっ少し縮尺度を小さくしなければ見えない。まして生物全体社会というのはちょっと手に負えない。地球全体を見渡すということになるから。

・・・

 

 種の個体と種社会と生物全体社会は縮尺度が違うということですが、縮尺度の違いで見えるものも違うのですね。

 

 例えば老荘と孔子の違いを修養法で観てみよう。

“中国哲学”宇野哲人著(講談社学術文庫)

・・・老荘の修養法

220p・・・絶対無差別の域に入る。之を名づけて坐忘(ざぼう)という。何をか坐忘という。曰く、「肢体を堕(こぼ)ち、聡明を黜(しりぞ)け、形を離れ知を去り、大通に同じ、此を坐忘という」と。肢体を堕つとは形を離るること、即ち肉体を忘るることであり、聡明を黜くとは知を去ること、即ち無知無欲となることであり、大通とは即ち万物一体、生死一如、是非得喪を同一視することである。

 要するに、老荘の修養法を一言にしていえば、喪我ということに帰着する。小さい自我というものがなければ、必ずよく天地自然の大道に法って、無為自然となることが出来るであろう。

・・・孔子の修養法

221p・・・「博く文を学び、之を約するに礼を以てする」という語は、『論語』の中に孔子の語として二ヵ所に見えて居る。孔門第一の高弟たる顔回も、「夫子循々然として善く人を誘う、我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす」といっている所から考えて、孔子の修養法は博文、約礼の二法であったと推定する。

222p・・・有子曰く、「礼は和を用(もっ)て貴しと為す」と。孔子の如きは荘敬にして礼を守ると共に、「申々(しんしん)たり夭々(ようよう)たり」で、決して窮屈でなかった。有子の言はよく孔子の意を得たものといえる。而して和ということは、即ち楽によって得らるるもので、礼と楽とは密接不離の関係を有するものである。

・・・

 

 「坐忘」という言葉や「和を用(もっ)て貴しと為す」という言葉が出てくるところにも注目したい。

 老荘の修養法と言っても、これは荘子の修養法です。老子は無為自然の道に生きることなので、修養自体が無為ではないので修養法はないことになります。生物的自然は体系的に完結したものに向っているので、その自己完結性にそっていれば、あえて人為を加えることもありません。自然の大きな流れに生きるのが老子の道となります。

 孔子の修養法と荘子の修養法は、その観点から縮尺度が違うことがわかります。孔子は「博文、約礼」という生活のコミュニティに沿った生態学的考察なので、住宅地図的だと言えます。荘子の修養法は絶対無差別の域に入ることなので、細かいことは捨て去るということになります。さしずめ広域道路地図といった感じでしょうか。老子と荘子は縮尺度が違います。老子は更に広域のステレオグラム(目の焦点を意図的に前後にずらして合わせることで立体的に見ることができる)のように思えます。

 地図(思想)のリアリティと現実のリアリリティにはどうしても差異が出てきます。その差を埋める考え方が孔子にも老荘にもあります。論語の「礼楽(れいがく)」の楽は音楽の楽だけではなく、心にも楽があり、人と人の関係にも楽があるということです。人の心の和を大切にすることで、形だけの礼ではないことを言っているのでしょう。

荘子は我執や妄念を去り、心を「遊」ばせることを説いています。そして老子は「愛以身爲天下」(十三章)、愛=徳をその根本としています。

 

思想と現実のつなぎ目には「楽」「遊」「愛」の柔らかなクッションがあります。

老子は愛=徳をこのように述べている箇所があります。

“老子”蜂谷邦夫訳注(岩波文庫)

・・・三十八章

上不、是以有。下不失、是以無。

上無爲、而無以爲。下爲之、而有以爲。

 ・・略・・

是以大丈夫處其厚、不居其薄。處其實、不居其華。故去彼取此。

 

上徳(じょうとく)は徳とせず、是(ここ)を以(もっ)て徳有り。下徳(かとく)は徳を失わず、是を以て徳無し。

上徳は為(な)すこと無くして、而(しか)も以て為すこと無し。下徳は為すこと無くして、而も以て為すこと有り。

 ・・略・・

是(ここ)を以て、大丈夫(だいじょうふ)は其(そ)の厚(あつ)きに処(お)りて、其の薄きに居(お)らず。其の実(じつ)に処(お)りて、其の華(か)に居らず。故に、彼(か)れを去(す)てて此(こ)れを取る。

 

高い徳を身につけた人は徳を意識していない。そういうわけで徳がある。低い徳を身につけた人は徳を失うまいとしている。そういうわけで徳がない。

 高い徳を身につけた人は世の中に働きかけるようなことはせず、しかも何の打算もない。低い徳を身につけた人は世の中に働きかけるようなことはしないが、しかし何か打算がある。

・・略・・

そういうわけでりっぱな男子は、道に即して純朴なところに身をおき、誠実さが欠けた薄っぺらなところには身をおかない。道に即して充実したところに身をおき、華やかなあだ花には身をおかない。だから、あちらの礼や、先を見通す知識を棄てて、こちらの道を取るのだ。

・・・

 

 上徳と下徳を述べていますが、徳のない人もいます。徳を愛と置き換えて読んでみてください。なお、老子の徳は貴ともイコールです。徳=愛=貴というのが老子の徳なのです。

 こちらの道を取る、と言っていますがどんな道なのでしょう。

・・・三十五章

漢文と読み下し文は省略します。

大いなる象(かたち)つまり道をしっかり守っていると、世の中の人々が心をよせるようになる。人々は心をよせ、道を守る者はその人々を損なうことはない。そこで、世の中は安らかで穏やかな状態になる。

 音楽とおいしい食べ物には旅人も足を止めるものである。だが、もとより道が語りかける言葉は、淡々として味がない。目を凝らしても見ることができず、耳を澄ましても聞くことができないが、しかしその働きは尽き果てることがない。

・・・

 

「淡々として味がない」と言っています。味気ないとは言っていません。食通でも有名な北大路魯山人(きたおうじ ろさんにん、と読むのが正しい。本人が濁らずに「に」と読んでほしいと言っているからです。)は、絶世の美食は「山に蕨」「海に河豚」だといっています。理由は味が無いからだとのことです。

 大いなる愛は淡々として味がないものなのかもしれません。

 

孔子と老荘を比較してみると、孔子は人間の行為を当為(まさになすべきこと)として意識化しようとして、荘子は前意識(意識と無意識の間にあって意識化の可能な領域)を拡大しようとし、老子は集合的無意識(ユングの言う、個人的な意識の領域を超えた、集団や民族、人類の深層に存在する先天的な元型)に踏み込もうとしているように思えます。

 

人間は言語によって意識を持ち、その意識によって社会を形成し、精神文化を育てています。しかし、人間の意識の歴史はまだ浅い。

“ダーウィンを超えて”今西錦司/吉本隆明 対談(中公文庫)

・・・23p

・・・人間が新たにつくりはじめた一つのシステム、それを人間生態系といってもええけれども、農耕の開始以後ある意味で人間は、自然のシステムに謀反して、人間のシステムというものに移っていったんです。

 いずれにしても自然のシステムは、三十二億年の進化史を背景にもった壮大な構築物であるから、これと比べたら、まだせいぜい一万年ぐらいしかたっていない人間のシステムには、いろいろな点で欠陥があってもやむをえない。

・・・

 

 しかし、その人間のシステムの欠陥を人間は修正できるのだろうか?環境考古学者が警告する、2040年頃から始まる地球的規模の気候変動期の大災害時代によって、強制的に修正を迫られるようになるのかも知れない。そのときは自然をよく知る、直観の優れたものだけが生き残るのかもしれません。

 

“自然学の展開”今西錦司著(講談社学術文庫)

・・・34p

川勝平太―――直観は無意識の世界から意識の世界へ人ってくると。

今西錦司―――自然というものは、中間存在で、無意識の世界と意識の世界と両方に重なっている。意識と無意識の中間とか、そういうどっちかに割り切ってしまわないとこら辺に、自然観というものがあんのや。この自然観というものは非常に深いとこに住んでますな。自分の体の中で言うたら、深いところは無意識と重なってんのや。表層のとこへ来れば意識です。

・・・

 

「自分を見る」というよりも、自然をよく見つめていると自分が自ずと見えてくる。そんなように思えます。考えすぎているんだな、ひらひらと舞っている蝶を観ていて、そう思えました。意識過剰によって意識と無意識のバランスを崩していたようです。

 「楽」や「遊」や「愛」を深いところで感じること。それは意識世界だけで割り切ってしまわない、大切なものは深いところで、「目を凝らしても見ることができず、耳を澄ましても聞くことができない」ものが重なり合ってできている。

 

・・・34p〜

川勝―――過去一万年ぐらいは、意識の世界の中に生きる人間が地球を支配してきたようにみえますが。

今西―――それはやね、地球上のごく一部分の文明人がそう思うてるだけであって、いまでも狩猟採取生活してる者もおる。そういうとこへ行ったら、やっぱり意識の世界は一部分で、無意識の世界が大部分です。

 だから、文明人を主体に考えるとか、あるいは都会人を主体に考える、東京人を主体に考える、そういう考え方で押していくと、えらい変なもんができるんです。インドの文明、それから中国でも孔子や孟子と違って老荘ですな、老荘の世界というのは、これ偉大なるものや。それ忘れとるね。偉大な文明が開けてるんです。それは意識文明と違いますよ。東西文明もバランスが崩れてんのや。日本なんか、何も西洋のまねせんでもええのに、西洋に一所懸命になってるわな。

・・・

 

 孔子の思想の継承者は系統的ですが、老子の思想を継ぐものは水平的です。荘子や禅の思想も横に広がっている。その広がりの中に、日本を代表する知の巨人の一人である今西錦司先生もおられる。

 1986年、80歳になられた今西先生は自然学についてこう言われています。

「自然学とはなんであるのか。それは自然を客観的に扱うことでなく、自然にたいして自己のうちに、自然の見方を確立することでなければならない。」

 もう少し老荘を読んでいきたいと思います。

荘子の思想から考えるに続きます。

 

写真は鱧の白子・真子、浮き袋、肝を使った料理です。







posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 迷走日記 | 13:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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迷走日記 6月3日 走禅一如の可能性について その4

老荘の思想から考える 

 

 公共経済学の本を読んでいて、これは学問なのだろうか?科学なのだろうか?と、ふと考えた。野口悠紀雄は「政府のさまざまな経済活動に共通する要素をとり出し、できる限り一般的な観点から分析する」分野として定義しています。「さまざまな」とは産業・農業・貿易・金融・都市・医療・環境等の政策を対象としているのです。公共部門の財政に関わる現象を主にミクロ経済学の方法で分析する学問なのですが、これでは経済学という科学なのか?学問なのかが判りにくい。財政学となれば、経済学的なアプローチだけではなく社会学・行政学・政治学・歴史学の学問体系によっても研究の対象となります。公共経済学の公共とは学問の対象となり、経済的分析は科学の対象となります。何故にこのような疑問が浮かんだのか?理由は簡単明瞭です。分析のための数式が複雑で頭を悩ませているからです。飽きてきたときに、好きではないから下らない疑問が浮上してくるというありがちなパターンです。

 公共経済学を学んでも空しいことが多い。私の住んでいる中規模の街を公共経済学的に分析してみると、非効率的な取り組みがあまりにも目立ちます。人口減少社会に持続可能な投資でないと将来世代の負担が増えるだけです。過剰投資の反動は大きい。このことを地方議員と話をしても、公共経済学を生きた政策として活用できるものが一人もいないという現状が空しい。もっとも空しいのは分析に必要な情報がガラクタばかりであることです。

公共経済学の行き着く先は再分配ですが、先進国と呼ばれる国の中で再分配後の格差が広がっているのは日本しかありません。理由が答えられますか?理由は複数ありますが、簡単なものばかりです。消費税の問題もあります。1億3千万人の中央集権は大きすぎて無駄の始末ができないことも原因の一つです。他にも多くの答えがあります。

日本では政府というと中央政府だけで地方政府というものがありません。地方分権の流れはありますが、諸外国に比べてその優位性が確保されているとはいえません。ティブーの理論というものがあります。ほとんどの公共財においてその便益の及ぶ範囲が地域的・空間的に限られているので、地域的な公共財供給の仕組みのもとでは、住民の「足による投票」の結果、公共財に対する選好が顕示されて効率的な供給が達成できるというものです。「地域のことは地域で決める」、大事なことだと思います。

 大阪で都構想に関する住民投票がありましたが、私としては残念な結果でした。今、地方に必要なのは、かつてなかった程の威力を持つ起爆剤と緻密な公共経済学的取り組みだと考えているからです。都構想という起爆剤が政争の具になったことが尚一層の悲哀を感じます。

 

老子にこんな言葉があります。

“老子”蜂谷邦夫訳注(岩波文庫)

・・・307p〜 第六十七章より

 

「我有三寶、持而保之。一曰慈、二曰儉、三曰不敢爲天下先。慈故能勇、儉故能廣、不敢爲天下先、故能成器長。」

 

我に三宝(さんぽう)あり、持(じ)して之(これ)を保(たも)つ。一に曰(いわ)く慈(じ)、二に曰く倹(けん)、三に曰く敢(あ)えて天下の先(せん)と為(な)らず、と。慈なり、故に能(よ)く勇(ゆう)なり。倹なり、故に能く広し。敢えて天下の先と為らず、故に能く器(き)の長となる。

 

わたしには三つの宝があり、しっかりと保持している。第一は慈悲、第二は倹約、第三は世の中の人々の先頭には立たない、ということである。慈悲深いから勇敢でありうるし、倹約であるから広くなりうるし、世の中の人々の先頭には立たないから万人の長になりうるのだ。

・・・

 

 公共経済学の前提にあるものは、慈悲の心、倹約の精神、公平平等であることです。

老子のこの言葉の前には小賢しいことを戒める言葉があり、後には慈悲が最も大切だというようなことが述べられています。

 

 学問と科学、科学には細分化と専門化があり、学問には全体化という大技もあります。

科学と学問は文化とよばれるものの範疇にあるものですが、文化とは今西進化論的に言うと人間の外付けの進化ということになります。

 “進化とはなにか”今西錦司著(講談社学術文庫)

・・・79p

・・・人間は、ある時期から以後、もう親ゆずりの身体を変えなくても、道具をつくることによって、これに代用さすことができるようになった。そういう人間のつくりだしたものをひっくるめて、われわれはこれを文化といっていますが、要するに人間というものは、そこのところが他の生物とひじょうにちがっているのでありまして、身体の外に自分の必要なものをつくって、それで人間は環境に適応してゆく。この文化による適応があったから、もうその身体を変える必要がなくなった。また変えるには時間が少し足りないのかもしれない。

・・・89p

・・・人類というものは、身体のつくりかえによって進化してゆくのではなくて、体の外に道具をつくり、機械をつくって、それによって、進化を遂げてゆく。だからそこまでくれば、もう生物の進化とは一応、その路線が違っているのです。生物進化のレールから、すでに別のレールにはいっているんですね。

 ひと口にいえば人類は文化によって進化してゆく。それにもかかわらずこの文化というもの自身が、人間がつくるものである以上、やはり進化の原理にしたがって、直進しているんです。そしてこの人間の誇る文化というものが、進化の結果、今日すでに一種の過適応におちいっているのではないか。というのは、たとえば熱核爆弾でありますが、それが保有量の競争ということになって、ソ連とアメリカの現在の保有量はですね、全人類を皆殺しにする量の七倍もの保有量になっているというが、これなんかやはり一種の過適応ですね。そんな必要は絶対にない。それにもかかわらずそういうところまで来ている。

・・・

 

 文化という人間の進化の過適応の最たるものは戦争だと思います。悲惨な戦いを目の当たりにした老子は、人間の知恵の浅はかさを見たのでしょう。「智慧出でて大偽あり」(十八章)、智慧の反面には大きな偽りを感じた老子は「学を絶てば憂えなし」(二十章)とまで言っている。

 

老子四十八章を読んでみよう。“老子”蜂谷邦夫訳注(岩波文庫)220p〜

・・・

爲學口益、爲道日損。損之又損、以至於無爲。無爲而無不爲。

取天下常以無事。及其有事、不足以取天下。

 

学(がく)を為(な)す者(もの)は日(ひ)に益(えき)し、道(みち)を為す者は日に損(そん)す。之(これ)を損し又(ま)た損し、以(もっ)て無為(むい)に至る。無為にして而(しか)も為さざる無し。

 天下を取るは、常に事(こと)無きを以(もっ)てす。其の事有るに及びては、以て天下を取るに足(た)らず。

 

学問を修める者は日々にいろいろな知識が増えていくが、道を修める者は日々にいろいろな欲望が減っていく。欲望を減らし、さらに減らして、何事も為さないところまで行きつく。何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している。

 天下を統治するには、いつでも何事も為さないようにする。なにか事を構えるのは、天下を統治するには不十分である。

・・・

 

 人間の進化の過適応には、人間の欲望を減らしていくしかないと私にも思えます。

老子の時代は自然村が諸々の国に吸収されていった時代でした。「小国寡民」(八十章)、国が小さく人民も少ない、という理想を老子は語っています。国という暴力装置で有事にあたるのではなく、文化による棲み分けが自然な国の姿であるのでしょう。

「大国は下流なり」(六十一章)・・・大国は、川で言えば下流である。細流、つまり小国が集まって大をなしている。国々を統帥する大国としては、強大さをほこらず、他国の下流にいて小国の流れ入るように心がけることが必要である。・・・諸橋轍次“中国古典名言事典”(講談社学術文庫)より。

 

国を今西進化論で語ればこうなります。

“自然学の展開”今西錦司(講談社学術文庫)

・・・107p

・・・種社会の完結性といい、また独立性といっても、それはそれ自体が気ままに、他のもろもろの種社会と無関係に、獲得した完結性でも独立性でもなくて、むしろ他のもろもろの種社会とともに、生物全体社会を構成し、その堅実な部分社会であらんがために発達さした完結性でもあり、独立性でもある、ということがいっておきたかったからである。多少観念的な表現に流れているきらいはあるけれども、つまり種社会を生物全体社会の部分社会とみる以上、全体にたいする部分の位置づけということも、進化の過程でおのずからきまってこないわけにはゆかないから、全体をはずれて、ある種社会だけが独走的に変化し、進化することは許されないはずである、ということである。

・・・

 生物全体社会を国際社会と置き換えてみよう。

国際社会において、諸国家の完結性と独立性は、それらの国々が堅実な国際社会の一員であらんがために発達した完結性と独立性ということになる。ある国だけが独走的に変化することは許されない。自然の道も国際社会の道も変わることはない。大国の欲望が諸民族の文化による棲み分けのバランスを崩してはならない。

 

 老子は愚民政策だといわれるが、はたしてそうだろうか?出所は第六十五章からです。よく読んでみよう。

“老子”蜂谷邦夫訳注(岩波文庫)298p〜

・・・

古之善爲道者、非以明民、將以愚之。

民之難治、以其智多。故以智治國、國之賊。不以智治國、國之含福。

知此兩者、亦稽式。常知稽式、是謂玄徳。玄徳深矣、遠矣、與物反矣、然後乃至大順。

 

古(いにしえ)の善(よ)く道を為(な)す者は、以(もっ)て民を明らかにするに非(あら)ず、将(まさ)に以て之(これ)を愚(ぐ)にせんとす。

 民の治め難(がた)きは、其の智多きを以てなり。故に智を以て国を治むるは、国の賊(ぞく)なり、智を以て国を治めざるは、国の福(ふく)なり。

 此(こ)の両者を知るは亦(すなわ)ち稽式(けいしき)なり。常(つね)に稽式を知る、是(こ)れを玄徳(げんとく)と謂(い)う。玄徳は深し、遠し、物(もの)と反(はん)す。然(しか)る後(のち)、乃(すなわ)ち大順(たいじゅん)に至(いた)る。

 

むかしの、よく道を修めた者は、人民を聡明にしたのではなく、愚(おろ)かにしようとしたのだ。

 人民が治めにくいのは、彼らに知恵があるからである。だから、知恵によって国を治めれば国が損なわれ、知恵によらないで国を治めれば国が豊かになる。

 この二つのことを弁(わきま)えることは、国を治める法則である。いつでもこの法則を弁えていることを玄徳(げんとく)−奥深い徳というのだ。玄徳は、まことに奥深く、まことに遠大であり、人々とともに真なる愚(ぐ)に返っていく。そうして後(のち)、はじめて大いなる順応にいたるのである。

・・・

 

 私たち庶民は暮らしに一生懸命で、政治に興味を持つことは余程の理由があるときです。何故にこんなに暮し難いのだろう?等の理由があると政治に感心が出てくる。暮しやすい世の中なら特に政治に興味を持つことはない。政治が人民を騙そうとすれば、人民は騙されまいと思って賢くなる。庶民の幸福とは今も昔も変らない。玄徳とまでは行かなくても、万民が特に不満を持たない政治が行き渡ることを望んでいます。ここでの「愚」とは民衆の自然で素朴な本性のことを言っているのです。道を修めたものが国を治めたならば、人民のこの本性を裏切ることはない。庶民が健康で心穏やかに安心して暮せることを大順と言うのでしょう。政治に知恵が必要なときは、政治に企みがあるときではないだろうか。というように私には読めました。

 

 老子の政治論を読んでいると、欲望渦巻く人間社会の政治の難しさをひしひしと感じます。政治という文化にも進化の過適応が見られます。今や、政治に正道なく、政治家に聖人はいない。老子を読む人がやりきれないメランコリーを感じるのも無理はない。

 

「其政悶悶、其民淳淳。其政察察、其民缺缺。」(五十八章)

政治がおおらかで寛容であれば、人民は純朴である。政治が細かなところまで立ち入ると、人民は狡猾になる。

政治が察察(さつさつ)として、人民が缺缺(欠欠 けつけつ)とするイタチごっこの泥仕合の始末を誰が?何時?どのように?つけるのか。悶悶(もんもん)として淳淳(じゅんじゅん)となる政治と人民の関係は既に幻となっているのだろうか。

この関係は卵が先か?鶏が先か?というようなものですが、やはり政治家や官僚が人民と政治の縺れた糸を少しずつ解していくしかない。

 

五十八章はこう締めくくる。「是以聖人方而不割、廉而不劌、直面不肆、光面不耀。」

 聖人は、方正(行いや心の持ち方の正しいこと)であっても、その角で人を傷つけない。切れ味鋭くても、人を刺さない。真っ直ぐであっても、押し通さない。光っていても、人の目をくらますことはない。

 政治家や官僚に聖人になっていただくしかないようです。すると、彼等を育てる今の教育のあり方が問われることになります。学を捨てるとまでは行かなくても、学とは何かを考え直す機会が必要であることは間違いがない。政治家や官僚には独善的で保身の術としての理論に囚われていないだろうか、くらいは常に反省してもらいたい。

 ここは皆さんにも老子を読んで考えてもらいたいとおもいます。

 

今日のブログは第四十九章を紹介することで終わります。

“老子”蜂谷邦夫訳注(岩波文庫)を読まれることをおすすめします。

・・・223p〜

聖人無常心、以百姓心爲心。

善者吾善之、不善者吾亦善之。善。

信者吾信之、不信者吾亦信之。徳信。

聖人在天下歙歙、爲天下渾其心。百姓皆注其耳目、聖人皆孩之。

 

聖人は常(つね)に無心(むしん)にして、百姓(ひゃくしょう)の心(こころ)を以(もっ)て心と為(な)す。

善なる者は吾(わ)れ之(これ)を善(よ)しとし、不善なる者も吾れ亦(ま)た之を善しとす。徳は善なり。

信なる者は吾れ之を信とし、不信なる者も吾れ亦た之を信とす。徳は信なり。

聖人の天下に在るや、歙歙焉(きゅうきゅうえん)として、天下の為(ため)に其の心を渾(こん)ず。百姓は皆、其の耳目(じもく)を注(そそ)ぐも、聖人は皆、之(これ)を孩(がい)にす。

 

聖人は、いつでも無心であり、万民の心を自分の心としている。

 善良な者については、わたしも善良とし、善良でない者についてもまた、わたしは善良とする。こうして万民の徳は善良なものとなる。

 誠実な者については、わたしも誠実であるとし、誠実でない者についてもまた、わたしは誠実であるとする。こうして万民の徳は誠実なものとなる。

 聖人が天下にのぞむときは、心おだやかにこだわりを持たず、万民のために自分の心から好悪の気持ちをなくしてしまう。万民は、みなその聡明さをはたらかせているが、聖人は、万民をすべて赤子のようにしてしまう。

・・・

 「百姓」とは人民一般のこと。「孩」とは赤子の笑い声のこと。

垢紡海

 

写真は鱧料理です。1は一枚落としのお造り。2は山葵焼き。3は五目餡かけです。


 





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迷走日記 5月24日 走禅一如 4−3
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迷走日記 5月24日 走禅一如の可能性について その4

老荘の思想から考える 

 

 5月に入って大きく変ったことがあります。トレーニングの効果が出て速くなった、というわけではありません。逆に遅くなっています。3月16日のトレーニングでは40キロ程を3時間で走っていますが、4月と5月は3時間20分を切っていません。5月は3時間を切ろうと思えば切れたと思いますが、あえてセーブしています。5月に入ってからは膝のサポーターを2枚重ねて走っていたものを外して走っています。腰ベルトも2枚していたものを1枚にしています。何が大きく変ったのかは、サポーターを外したことです。痛みに襲われることを恐れてセーブして走っていますが、今のところは問題がありません。徐々にスピードと距離を上げていく予定です。

 膝と腰の痛みは糖尿病による筋肉崩壊が大きな原因の一つでしたが、その一つの原因を克服できようとしていることが嬉しい。9ヶ月間のトレーニングは楽なものではありませんでしたがそれ故に嬉しさはひとしおです。去年の9月から12月までは筋力強化のために里山の坂道を何度も登り下りするトレーニングを中心にしていました。クッション性のよい靴に衝撃吸収力の高いソールを入れて柔らかく走ることを心がけていました。膝や腰に違和感があるときは恐々と様子を見ながら緩々と走っていました。今も大きくは変りませんがサポーターを外してみて少し違和感を覚える時もありますが痛みはありません。走る、そのことにようやく人並みにスタートラインにつけたように思えます。

 

以下、老子の言葉は

諸橋轍次“中国古典名言事典”(講談社学術文庫)を参照したものです。 

 

「自ら勝つ者は強し」(老子三十三章)

人に勝つよりも自らに勝つほうが難しい。

「千里の行も、足下に始まる」(六十四章)

千里の道も一歩から。

多くの人に知られた老子のお馴染みの言葉に励まされながら走っています。

また、こんな言葉もあります。

「柔弱は剛強に勝つ」(三十六章)

ゆっくり走っているほうが無理に速く走ろうとするより、結果的には故障もなく速く走れることになるのかも知れない。

「敢(かん)に勇なれば則ち殺し、不敢に勇なれば則ち活かす」(七十三章)

勇みすぎてもろくなことはない。じっくりと実力を溜めていくという目的の貫き方もある。

 

「大器は晩成なり」(四十一章)これは中高年のマラソンにとっては無縁な言葉ですね。(笑)

・・・・・

 

 老子は実在の人物であったのだろうか?高橋進著“老子”(人と思想 清水書院)はこう推測しています。

・・・57p

・・・『老子』書にもられている思想の首領は、戦国時代の李耳(りじ)であり、伝説中の実在不明なる「古の博大真人」(『荘子』天下篇にあり)といわれるのが老耼(ろうたん)であった。李耳は隠君子で自ら隠れて名なきをもって務めとなしたから、自己の名を出さず、伝説的人物、「博大真人」なる老耼にその思想を仮託したのだというのである。こうして、李耳は子遷(しせん)がその子孫の系譜を明示しているように実在の人物であったが、老耼は架空の人物で両者は同一人ではないとする。

・・・

「姓は李(り)氏、名は耳(じ)、字(あざな)は伯陽(はくよう)、諡(おくりな)して耼(たん)という」(『史記』三注合刻本 本書41p)

 「思想の首領は」というのは『老子』が一時期、一個人の手によって書かれたものではないということです。しかし、その思想の核となる人物は存在したであろうと思われます。老子には直観力の鋭さが垣間見えます。この天才的な鋭さは誰にでもあるものではない。

 

 李耳はやはり自然(おのずとそうなる)とは何かを直感的に知る人であったのでしょう。

 『今西自然学』で知られる今西錦司先生はこう言われています。

 “自然学の提唱”講談社学術文庫

・・・21p〜

・・・近い将来に誰かが翻訳なり何なりして、ぼくの「自然学」を広く外国に紹介すべきやという人もあるのやけれど、ぼくはそんなことせんでもええ、というている。ぼくの進化論によれば、しいて争わなくても、どうせ滅びるものは滅びるのやし、生き残るものは生き残るのやからな。生きている間に勝利をえなければいかんとか、それが名誉として帰って来なければいかんとか、そういうことは自然学とはおよそ無縁なことや。

・・・・・

 今西先生のもっちゃりとした関西弁を思い出してしまいます。

それが正しい論であれば自然に生き残る。

 「李耳は隠君子で自ら隠れて名なきをもって務めとなしたから、自己の名を出さず、伝説的人物、『博大真人』なる老耼にその思想を仮託した」とありますが、きっと今西先生風に「生き残るものは生き残る」と李耳は考えた。

 

諸橋轍次“中国古典名言事典”(講談社学術文庫)より

老子十章・・・319p

爲而不恃 ―― 為(な)して恃(たの)まず。

自分がいかに大きな仕事をしても、これを自然のなせるわざとし、自分の力によるとたのみ誇ることをしない。これこそが真の徳である。

 

このようにも考えたのでしょう。

六十六章・・・334p

江海所以能爲百谷王者 以其善下之 故能爲百谷王

――江海(こうかい)の能(よ)く百谷(ひゃっこく)の王為(おうた)る所以(ゆえん)は、其(そ)の善(よ)く之(これ)に下(くだ)るを以(もっ)て、故(ゆえ)に能く百谷の王と為(な)る。

大きな川や海は、あらゆる谷の王者となっているが、それは大きな川や海が谷々よりも常に低いところにいるからである。

 人間もまた、自分を最も低い位置におけば、そこにはあらゆる人の教えも人望も流れこみ、実力を蓄えることになる。

 

 隠者といえば世捨て人のような印象を受けますが、李耳は自分を低いところにおいて、もっと大きなものを見ていたのではないかと思えます。李耳が老子であった可能性は高い。

 

今西錦司先生はこういわれています。

“自然学の提唱”講談社学術文庫

・・・60p

・・・何分にも相手(ダーウィニズム)は父性原理にたち闘争原理にたっているのですから、優劣をつけ選択しないことには治まりません。私の方は母性原理であり、共存原理でありますから、進化論などいくらあってもかまわない、とおもっているのですけれども。それで無理をしないで機が熟するまで待ったほうがよいのではないか、とも考えています。二つの相容れない進化論が、東西にわかれて棲み分けしていたら、それでよいのじゃないでしょうか。

・・・

人間が人間中心の優性論に立つ限りは、進化論はダーウィニズムが主流となる。Geo-Cosmos(ジオ・コスモス)の生物全体社会にとって人間は一つの種であるに過ぎない。西洋の神は人間を選んだのかも知れないが、ダーウィニズム進化論は神が自然に入れ替わっただけの神学でしかない。このような価値観は人間にどのような未来をもたらすのだろうか?

老子の説く道徳とは共存原理です。人間の独善と強欲をいつまでも許すほど自然に仁慈の心があるわけではない。「天地不仁」(五章)。

 

「敢(あえ)て寸を進めずして、尺を退く」(六十九章)

押しても駄目なら引いてみな、という歌もあった。「無理をしないで機が熟すまで待つ」とはいかにも今西先生らしい。「自然は変るべくして変わる」のだから、なるようにしかならない。

「天下は神器(しんき)なり、為すべからず」(二十九章)

天下とはGeo-Cosmosのことです。神器とは不思議な器という意味です。人智はそのほんの入口に立っているにしか過ぎない。自然を科学でねじ伏せることはできないことを知ることが大切なように思います。「学を絶てば憂えなし」(二十章)、なまじな学を振りかざすがゆえに人間は思い上がった存在となっている。学を捨てるという原点もある。

科学を捨てた科学者である今西錦司先生の自然学と老子の道と徳には共通点の多いことが、とても面白い。「道は自然に法る」(二十五章)、私には「今西自然学を読め」というように聞こえます。

 

老子を読んでいると、どうしても今西自然学を思い起こしてしまいます。

今西自然学の自然は西洋的な自然観ではないからだとおもいます。

 

ダーウィンの進化論が自然選択説・自然淘汰の闘争原理にたったものであるのに対して、今西進化論は棲み分け説にたった共存原理の進化論です。

“自然学の提唱”ではこのように語られています。

・・・50p

・・・この最適者生存あるいは自然淘汰という考えは、生物にたいするなんという厳しい条件であることか。最適者が生きのこるということは、最適者でなかったら生きのこれない、ということである。自然とは生物にとって、ほんとうにそのように厳しいものだろうか。一神教の神さまは厳しい神さまであるという。ダーウィンはこの神さまのイメージを自然に投影することによって、神の創造説にかわる彼の自然選択説を、発想したのではなかったろうか。

 ・・・51p〜

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」というのは親鸞の有名な言葉でありますが、この豊かな自然を形づくっている草木も禽獣も、虫けらに至るまでが、その豊かさを楽しんでいるように見える。生きんがために四六時中あくせくとしているようなものは、どこにもいない。最適応しているもの以外は切り捨てられるという関門など、どこにもなくて、適応のできたものも生きよ、適応が少々できていないものも生きよ、この世に生をうけたものはみな生きよ、というすばらしく広い抱擁力をもっているからこそ、自然は仏にも通ずるのである。また後で触れますが、私の棲み分け理論も、私の進化論も、みなこうした自然観と矛盾するものではない。むしろこうした自然観に根をおろしたものである、といったほうがよいのかも知れません。私の進化論は選択なんて不必要だ、なにもかも抱擁したらよいではないか、というのですから。

・・・

 

「なにもかも抱擁したらよい」、これが母性原理です。

老子のいう道とは、天地の始め、それは「万物の母」だといっています。

 

第一章を読んでみたい。

“老子”蜂谷邦夫訳注(岩波文庫)

・・・

道可道、非常道。名可名、非常名。

無名、天地之始。有名、萬物之母。

故常無欲以觀其妙、常有欲以其徼。

此兩者同出而異名、同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。

 

 道(みち)の道とす可(べ)きは、常(つね)の道に非(あら)ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。

 名無きは天地の始め、名有るは万物の母。

 故に、常に欲無くして以(もっ)て其(そ)の妙(みょう)を観(み)、常に欲有りて以て其の徼(きょう)を観る。

 此(こ)の両者は同じきより(い)出でて而(しか)も名を異(こと)にす。同じきを之(これ)を玄(げん)と謂(い)う。玄の又(ま)た玄、衆妙の門。

・・・

 道とはこれが道とは示すことができない。名をつけることも出来ない。それは天地の初めであり、あえて名をつけるとすれば万物の母ということになる。

 無欲に見れば不思議なほどにすぐれているさまが観える。知ろうとすれば現象面しか見えない。

道や天地万物の始めとは言葉は違うが同じ原始創世の源である。源の源をたどれば、そこに人智を超えた不思議の門が観えてくる。

 

これは私の意訳なので、正確には“老子”蜂谷邦夫訳注(岩波文庫)を読んでみてください。

 

宇宙に地球が誕生して、その地に生物が現れた。道とはその歴史的変遷であるのだろう。

今西錦司先生はこういわれています。

“自然学の提唱”講談社学術文庫

・・・116p

 イギリスに哲学者でカール・ポッパーという人がおります。科学評論家の中ではなかなか厳しい人ですが、進化のような検証不可能なものは科学の対象にならんと言出したのです。人間の歴史と言えば精々三百万年位ですが、生物たちの歴史というのは数億年であります。最初に生物がこの地球上に現れた時から勘定すれば三十二億年になるといいます。そしてこれがですね、一回きりのものであって繰返しがない。検証出来るためには繰返しがなかったら駄目ですね。それがないんですから私もポッパーの考えに倣って進化は科学として取上けるべきものではなく、むしろ歴史とみなければならないだろうと思います。これは割合最近そういう風に思い付いたんで最後に出しました「主体性の進化論」あたりになって始めて出てくる考えです。進化を歴史として見て行こう。

・・・

 

進化とは?人間は進化しているのか?猿から人間に単に変わっただけなのではないだろうか。人間、その人間から観た価値観では進化ということになるのでしょう。

 

私には、老子のいう道とは、Geo-Cosmos(ジオ・コスモス)の生物全体社会の歴史的変遷の道筋というように観えてしまいます。

 

天地万物の始めが何故に「万物の母」の母なのだろうか?

人間の群れ、その群れのあり方から「母」が導きだされたのではないだろうか。

“人間社会の形成”今西錦司著(NHK books

・・・28p〜

・・・結びつきの軸になるのが血縁であるということがわかった。血縁の中でもとくに親子の結びつき、それも母と娘の結びつきであるということがわかりました。それから派生して、姉と妹の結びつきというようなことにもなります。つまり母系的な結びつきです。これはウマの群れだけでなくて、シカの群れにもサルの群れにもある程度までは当てはまることが確かになりました。

 群れの個体間の関係は、このように、その血縁を洗ってみることが必要であります。群れによって、いくつかの血縁を含む場合もありますが、そういう場合には、血縁で結ばれた個体の数が多いほど、その血縁は群れの中でより中核的位置を占めるようになります。だから、メスの子供を多産する血縁が、いつかは中核的位置にのしあがるようになるともいえるのです。・・・

・・・

 

メスの子供を多産する血縁が、群れの中核的位置になっていく。母とはそういう存在であるのですね。オスが中心ではない。

「万物の母」、生物全体社会とも相似の関係であることがわかります。

 

犬紡海

 

写真はこの土曜日に作ったお弁当です。

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 迷走日記 | 16:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
迷走日記 5月13日 走禅一如 4の2
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迷走日記 5月13日 走禅一如の可能性について その4

老荘の思想から考える 

 

 中高年のトレーニングの基本はスロージョギングです。LSD(ロング・スロー・ディスタンス)は医師でありコーチでもあったエルンスト・ファン・アーケン(Ernst van Aaken19101984)が持久力トレーニングの方法として確立したものです。

 

思い起こせば、友達同士で走る賭けをして10キロのマラソン大会に出場したことが走るきっかけとなりました。一分が千円だったのでそれなりに一生懸命に走りました。毎日酒浸り生活の中年でしたが51分で走り、友達との差は大きなものになりませんでした。皆のかけ金はその日の打上げの食事代になりました。不純な動機からですが走ることへの興味は深まりました。その後に書店で何気なく手にした佐々木功さんの“ゆっくり走れば速くなる”やアーサー・リディヤードの“ランニング・バイブル”は大きな驚きをもって読みました。しばらくは走ることに没頭していましたが、疲労骨折等の大きな故障を繰り返しているうちに、ランニングからは遠ざかりました。今はその反省に立って故障をしないことを第一に考えています。長いブランクからの再出発となったのです。

 

 ゆっくり走ればこんな身体機能への効果があるようです。

     循環器系機能の向上

     体温調節の機能の向上

・ 運動系の神経のみならず自律神経機能の改善

・ 毛細血管密度の向上

・ ミオグロビンやミトコンドリアの増大

・ 遊離脂肪酸使用率の向上

・ グリコーゲン貯蔵量の増大を促進

     骨格筋の酸化容量の増大することで、骨格筋の加齢に対する減少を抑制

・ 有酸素摂取量と最大酸素摂取量を向上

 中高年にとって最も気になるのは『最大酸素摂取量』です。身体的な衰えは筋力より、最大酸素摂取量の低下の方が大きいという医学的根拠があります。中高年は若い人と違って最大酸素摂取量の向上というよりも、出来るだけ低下を食い止めるというトレーニングが必要となります。また、老化はあらゆる故障を伴います。速く走ろうとすればするほど取り返しのつかない故障となったりもします。

 

 ロング・スロー・ディスタンスのスローといえばどの程度の速度をスローというのか?それは走る人の力量次第だと考えられます。自分でゆっくり走ってみて、このスピードだと毎日でも無理なく走れそうだ、と思える程度が自然なのではないでしょうか。

 私は、どれぐらいの距離を走ろうというような事前のトレーニング計画は作らない。その日その日の走り始めて判る体調に合わせます。無理はしない。疲れているときは直ぐに止める。走れるときは走る。自分の体と相談しながら、その日のトレーニングを行うのが良いと考えています。とりあえず外へ出て今日もボチボチ行こうか、という感じで始めます。自分の体とじっくり相談しながらなので、音楽や英会話を聴いたりしながらでは身体との相談に支障をきたします。練習仲間は作らない。黙々と自分を見つめて走るのが私流です。走っている間は一言も発しない、挨拶は手を少し上げるだけ、自分の体と徹底的に向き合うことを鉄則としています。

 

アーサー・リディヤードによれば「快適に速く」というのが基礎トレーニングには有効なようです。では、どの程度を快適というのだろう?自分の体に聞いて見なければ判らない。

私は一日に3時間程度のLSDを行っています。夜明け頃から、とりあえずゆっくり10キロを1時間ほどで走ってみてから、その日の練習内容を考えます。疲れていたり、身体のどこかに痛みがあるときはそのままゆっくりと3時間ほど走ります。呼吸と鼓動のリズムを感じ取りながら、リズム良く走ることに徹します。調子が上がってきた日にはリズムを崩さずに“快適に速く”を心がけて、調子が良い時にはリズムを崩さずに“出来るだけ速く”を心がけて、今は随分と調子が良いと感じた時はリズムを意識しながら“もっと速く、もっと速く”と追い込んでいきます。終始一貫してリズムを意識しています。走る距離は30キロから40キロ程度です。調子の良い日は少ないのでゆっくり走るだけで終わる日が殆どです。

最大酸素摂取量を上げていくにはどうすれば良いのか?

ご存知のように、運動には無酸素運動と有酸素運動があります。有酸素的エネルギーの産生過程に無酸素性代謝も参加してくる時点(無酸素性作業閾値)があります。その時点は中程度の運動負荷時に現れます(最大酸素摂取量【Vo2max】の55〜65%)。その運動を一時間以上継続すると最大酸素摂取量が増えるという効果が表れるようです。

Vo2max をあげていくには“自分にとっての、出来るだけ速く”という無酸素性作業閾値を少し超えたトレーニングも無理なく加えていく必要があります。

故障しないためにはリズムを大切にすること。自分の体と冷静に会話しながら、強引に走らない。その日の流れ次第というわけです。出来るだけ無理のない流れをイメージしています。

基本的には用事があってどうしても走れないという日以外は毎日走ります。「毎日でも無理なく走れる」、走れる人にとっては休養的トレーニング、それがLSDだと考えているからです。

理論より、自分が体感的に正しいと感じた取り組みが先にあります。トレーニングでの自分の体との対話はとても重要なことです。スポーツではほとんどの場合が理論は後からついてくるものです。理論に振り回されないことも心がけています。

鎌田實(かまたみのる)先生に“「がんばらない」けど「あきらめない」”という書籍がありますが、この「がんばらない」けど「あきらめない」という考え方が重用だと思います。どんな最新のトレーニング理論を取り入れても、中高年は急に速くなったりはしない。頑張っても怪我をするだけでしょう。気長に、のんびりやっていきましょう。

・・・・・

 

 禅の話をしているのに何故、老荘の思想が出てくるのか?と思われる方もおられるでしょう。それは老荘の思想が中国仏教に大きな影響を与えているからです。

 

仏教が中国に伝えられたのは漢時代(紀元前後)の西域との交流が活発化した頃です。

それ以前の周(紀元前1046年頃〜)から春秋戦国時代(紀元前770年に周が都を洛邑へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代)は青銅器時代から鉄器時代へ移行する時代です。鉄器農機の発達で牛耕も行われるようになり、大規模な灌漑工事も進んで農業生産力が飛躍的に向上しました。商工業者も富を築くようになり諸国に大都市が形成され、社会が大変動する時期になります。

 

新しい時代には新しい思想が生まれる。孔子・孟子・荀子などの儒家、老子・荘子の道家、墨子の墨家、管仲・韓非子の法家、農本思想の農家、公孫竜の名家、陰陽五行説の陰陽家、百科全書的な雑家、故事を語り伝える小説家、蘇秦の縦横家、軍略や政略の兵家等の諸子百家の登場した時代です。この時代の中国では知識層と民衆の間には大きな階級差がありました。諸侯が自国の強化発展のために知識層を求めたからです。

 

民衆の間には道教が広まっていました。道家と道教は何が違うのか? 民衆は現世利益を求める多神教であったのに対して、老荘は無神論的でした。

 道教のそのルーツは漢民族の土着的・伝統的宗教です。神仙方術による不老不死を究極の目的とします。道教は神との神秘的合一を目的としています。道教は老子の道の思想(万物の宗・天下の母)を神秘的に変容させたので、道教の中心概念の道(タオ)と老子の言う道とは思想上に大きな差があります。道教はタオによって宇宙と人生の真理を説き、更に陰陽五行や儒教や仏教の要素を吸収していくこととなり、多神教的諸宗混淆の宗教となったものです。道教側から老荘をみると道教の「肉体の不死」と老荘の「精神の不死」は同じものと見えたのでしょうが、老荘の「精神の不死」は思想上の事件であったと、私は考えています。(老子と荘子は思想上に少し違いがあります。老子と老荘と分けて書いてあるのはそのためです。)

 

 諸子百家の思想と民衆の現世利益を求める多神教の中国社会の中に仏教が伝来した。1世紀頃、初期仏教は「理解できないが、ありがたい神様に違いない」という多神教の神の一人として祀られた。4世紀の初め頃に知識層によって老荘思想と結びついて仏教は理解されるようになりました。

 

インドにおける仏教経典を中国語に翻訳することは大変な困難を伴ったと思われます。翻訳に正確さを求めることは不可能に近いことではなかったのではないでしょうか。自国での言語で最も近いものを当てはめても、別の意味を孕んでしまうこともあります。自国の言語の枠組みは思想の枠組みでもあった。当然のことながら、自国固有の思想信仰に即して仏教を解釈することになります。例えば「空」は「無」で理解された。老荘思想の概念や用語が仏教を解釈するのには近似するものが多く、当時の思想家はその接点で仏教の核心へ近づこうとしていった。それを格義仏教といいます。

 釈 道安(しゃくどうあん 314385)は中国仏教の基礎を築いた人です。道安は、仏典とは仏教本来の概念や用語によって解説されなければならないと言っています。その道安にいたっても「五失本、三不易」と、意訳を可とする失本と、原本に忠実でなければならない不易を主張しています。原本の形が変容しても仕方がないではないかという失本が5、原本を改変させてはいけないという不易が3、と変容しても仕方がないとする割合が多いことが気になります。

  

 中国で仏教が受容された理由には、他に大きな理由があった。

 森 三樹三郎(もりみきさぶろう 19091986)著“無為自然の思想 老荘と道教・仏教”(人文書院)を読んで、ハッ!としました。

 仏教がもたらした「輪廻説」「三世報応」の説に鍵があった。

・・・・・

89p〜

・・・「三世報応」の説に、強く心をひかれたかと申しますと、これは従来の「儒教的な人生観」に、一つの大きな欠陥があったのでありますが、この「三世報応」の説が、その欠陥を補うことに役立ったからであります。

 その「儒教的人生観の欠陥」と申しますのは、儒教はなるほど人間の「道徳的な要求」に答えるものでありますが、人間の「幸福に対する要求」には、はなはだ不十分にしか答えることができないからであります。たとえばよく引かれる例でありますが、孔子の門下で最高の弟子とされる顔回は、学問、修養にたいへん励んだにもかかわらず、一生、貧乏生活を続け、しかも三十数歳の短命で終っているのであります。

・・・略・・・

90p〜

・・・儒教では「死後の霊魂」などは信じないのでありますから、死ねばすべてが終りであります。結局、人生の幸・不幸は、すべて天命・運命としてあきらめるほかはないのでありまして、その意味ではたいへん救いがないことになります(つまり儒教は「道徳論」の教えであり、「幸福論」には冷淡でありました)。

 このような儒教の人生観に疑問をもった例は、すでに紀元前二世紀の前漢の司馬遷などが挙げられます。・・・

・・・略・・・

90p〜91p

・・・ところが、儒教にとっての難問が、仏教の「三世報応」説によれば、一挙に解決することができるのであります。たとえば先の顔回【略のところに顔回や司馬遷の例があげられています】が、生涯を不幸に終えだのは、彼が前世で犯した悪業の報いが現世に現れたものであり、そのかわり彼は現世で善業を積んだのであるから、来世にその報いとして幸福が得られるわけであります(北周の道安『二教諭』)。つまり儒教が幸福の問題を解決できなかったのは、もっぱら「現世」だけしか考えなかったためであり、仏教のように「三世」を考えれば、この問題は容易に解決することができるというのであります。このため六朝の士大夫の間では、「仏教は三世報応を説く教えである」という理解が広く行われ、これが常識となっていたと申してもよいのであります。

 ところで、このように「三世報応」の説を中心に据えると、どういう結果が現れるかと申しますと、それは「来世」に救いを求めることに重点をおくということであります。前世のことはどうすることもできませんから、この現世においてできる限りの善業を積み、その報いを来世に期待するという方向であります。

・・・・・

 なるほど、(儒教は「道徳論」の教えであり、「幸福論」には冷淡でありました)とは納得の高説です。今の仏教ブームも現代日本人の幸福度の低さが起因しているようにも思えます。また、大災害を目前にした無常観もあるのではないでしょうか。

 私は「輪廻説」や「三世報応」を受け入れることは出来ませんが、気持は分かるような気がします。この世で報われなかった努力が、せめて来世で報われてほしい。人情というものですね。

中国仏教はこのように受容されていくことになったのですが、老荘の影響のみならず、儒家や中国民族の太古からの天の信仰・霊魂不滅・先祖崇拝の文化的ルーツを持つ陰陽五行や道教等も取り入れてインド仏教とは趣の違うものとなったのです。仏教は中国で中国化し日本で日本化し、現代日本で商業化し、原形を留めないものになっています。仏教という種を考えたとき、種をどこまで品種改良しても種の域は出ませんが、商業仏教はその種の域の限界にまで来ていると思われます。

 

知識階層には禅、民衆には念仏として浸透することになった。思えば倫理や道徳や使命で縛られるよりも、禅や念仏で心を空にして自分を見つめ、自分が今、何をしなければならないのかを考えた方が人間的な幸福感を得やすいように思えます。

自分の幸せとは何だろう?ポンコツになった膵臓や腎臓であっても、走ることが出来ているだけで幸せなのかもしれない。

 

写真はこの日曜日に作ったお弁当です。



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迷走日記 4月30日 走禅一如 4−
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迷走日記 4月30日 走禅一如の可能性について その4

老荘の思想から考える 

 

 4月は1日にウイルス性胃腸炎に苦しめられました。1月からの疲れが溜まっていたのか、症状が強く出ました。高熱が出て、胃に激しい痙攣が起こり、吐くものに少し血が混ざった。二日ほどで熱は下がったものの、2週間程は胃痛が残ることとなりました。また、4月は雨の日も多く、思うようには走れなかった。一ヶ月の走行距離は778キロと低調なものとなり、ペースも上がらなかったが、4年前に脳梗塞で倒れて運動障害が残る中高年としては上出来ではないか、とも思えます。

 

調子が悪いときほど学ぶものは多い。かつて、水前寺清子が歌った三百六十五歩のマーチを思い出した。『しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね 一日一歩 三日で三歩 三歩進んで 二歩さがる 人生は ワン・ツー・パンチ ・・・』(星野哲郎 作詞)と続く。『三歩進んで 二歩さがる』と一歩前進となりますが、それほど上手く確実に前進できることはまれだと思います。むしろ、この一歩前進は絶好調の時だと思えます。

 

若いときに読んだレーニンの一歩前進二歩後退という書の組織論が頭に浮かんだ。一歩前進することで余儀なく強いられる後退がある。レーニンの場合は組織の分裂ですが、分裂することで自らの組織の目指すものがより明確になる。原則的な思想を貫くという方針がより強固なものとなる。

 

生物学的に、種社会の分裂は分離した種社会がそれぞれの独立した種社会として独自の道を歩み、長い間に違った種の枠組みを持つようになる。それを進化とよぶのです。生物学的に言うと、分裂は後退ではない。レーニンの組織論も結果的には後退ではない。どう捉えるかの主体の問題なのでしょう。生物の進化にも主体は存在します。

 

走るということは走るための脳と身体の組織論だとも思えます。私の4月における体調崩壊という二歩後退は、性急に結果を求めたが故の原則をはずしてしまった結果なのでしょう。この二歩後退を素直に受け入れて走れる体をじっくりと作ることに専念したい。当分、今よりもペースを落としてのんびりと走ることにします。その分、靴を重くしておこうと考えています。片方で40グラムを増量して、筋肉への負荷を少し高めておきたい。体重の1キロ程度はあまり問題になりませんが、靴の40グラムの差は大きい。10キロのランニングで2分は変ってきます。そして、来年の今頃には月間1000キロを無理なくコンスタントに走れる身体に仕上げていきたいと思っています。私は2時間半を切る女子選手の練習内容のデータを集めました。(中高年の男性の体力と女性選手の体力はほぼ同じだろうと思えます)。先ず、月間1000キロを走れる身体があって、それを基礎にした本格トレーニングが正攻法との結論を得て、自らの身体で実践してみたい。

・・・・・

 

 私が老荘の思想に出会うきっかけとなったのは、自然農法で知られる福岡正信さんとの出会いからです。

 今は亡き先代の丸天醤油の社長さんが、私の作った変り醤油を面白いと言われて播磨茶屋というシリーズを実験的に販売されました。土佐醤油や松前醤油の定番から、炒り醤油という割烹で使う醤油等を始めとして数十種類の醤油を作って御見せしました。そのうちの数種類を商品にされましたが、時代がまだついてきていない状況でした。その頃に社長さんが言われたのは、徹底的に野菜にこだわった店を作ってみてはどうだろうか、という提案でした。徹底的にこだわった野菜とは何か?辿り着いたのが福岡正信さんの自然農法でした。

 

 愛媛県伊予市で自然農法を実践する福岡さんはこう言われた。「人は自然を愛しているというが、本当は、自然を愛してるという自分を愛しているに過ぎない。本当の意味で自然を愛するということを現代人は失っている。そして、今、人はその自然から見捨てられようとしている。」

福岡さんの料理人への期待は小さくなかった。

 老子を読んでいると「聖人は常心なし。百姓の心をもって心と為す。」とあります。この百姓とは勿論、現代の農家ではない。

 福岡正信著“無 掘ー然農法”(春秋社)の序章にこう書かれています。

・・・6p

食糧を生産するというけれども、百姓が生命のある食物を生産するのではない。無から有を生む力をもつのは自然だけである。百姓は自然の営みを手伝うだけだ。近代農業は、肥料と農薬と機械という石油エネルギーで、自然食模造の死んだ合成食品を製造する加工業に堕落した。工業化社会の下請人夫に転落した百姓が、千手観音様でもむずかしい合成化学の農法で儲けようとするのだから、きりきり舞いをするのも当然だろう。

 農業の本来の在り方である自然農法は、無為自然――手も足も出さないダルマ農法である。八方破れに見えるが厳しい無手勝流で、土は土、草は草、虫のことは虫にまかす広大無辺・融通無礙の仏農法である。

 クモやカエルがごそごそしていて、大きな殿様バックがばたばた飛び立ち、田の真上の空にだけ赤トンボがいつも群がる。ウンカが大発生すれば、かならずクモの子が湧くほど発生する。この自然田は、まだ収量にばらつきが多いが、一平方メートル当たり300本の穂で、一穂に平均200粒の籾をつけ、10アール15俵どりの収穫をあげる。粟のように屹立する強剛な稲の穂波を見た人々は「こりゃ、まるでススキだ」と、その力強さ、多収量にびっくりするのである。

・・・

 自然農法とは何か?

 “わら一本の革命”(春秋社)に自然農法の四大原則が簡潔に記されています。

・・・48p〜49p

四大原則とは

 第一は、不耕起(無耕耘あるいは無中耕)です。

 田畑は耕さねばならぬものというのが、農耕の基本ですが、私は敢えて、自然農法では、不耕起を原則にしました。なぜなら大地は、耕さなくても、自然に耕されて、年々地力が増大していくものだとの確信をもつからです。即ち、わざわざ人間が機械で耕耘しなくても、植物の根や微生物や地中の動物の働きで、生物的、化学的耕耘が行われて、しかもその方が効果的であるからです。

 第二は、無肥料です。

 人間が自然を破壊し、放任すると、土地は年々やせていくし、また人間が下手な耕作をしたり、略奪農法をやると、当然土地はやせて、肥料を必要とする土壌になる。

 しかし本来の自然の土壌は、そこで動植物の生活循環が活発になればなるほど、肥沃化していくもので、作物は肥料で作るものだとの原則を捨て、土で作るもの、即ち無肥料栽培を原則とします。

 第三は、無農薬を原則とします。

 自然は常に完全なバランスをとっていて、人間が農薬を使わねばならないほどの病気とか害虫は発生しないものです。耕作法や施肥の不自然から病体の作物を作ったときのみ、自然が平衡を回復するための病虫害が発生し、消毒剤などが必要となるにすぎない。健全な作物を作ることに努力する方が賢明であることは言うまでもないでしょう。

 第四は、無除草ということです。

 草は生えるべくして生えている。雑草も発生する理由かあるということは、自然の中では、何かに役立っているのです。またいつまでも、同一種の草が、土地を占有するわけでもない、時がくれば必ず交替する。

 原則として、草は草にまかしてよいのだが、少なくとも、人為的に機械や農薬で、殲滅作戦をとったりはしないで、草は草で制する、緑肥等で制御する方法をとる。

・・・

 

 自然農法に異をとなえる人々の話も多く聞きましたが、その知識は中途半端なものであることがほとんどでした。実際には農協の資料でしか情報を得ていない方々が多い。農協には農協の論理があります。

 同書27pの一文を読んでみたい。

・・・

 先般も京大の飯沼先生と会って話したことですが、たとえば、千年前の農法というのは、田を鋤かなかった農法で、それが徳川時代になった三、四百年前頃から、田を鋤く浅耕農法が入ってきた。さらに西洋農法が入ってきて、深く耕す農法になってきたとしても、問題は未来で、私は次の時代は浅耕農法から不耕農法に還りますよ、と断言しました。

ところが、田を全く鋤かないと、これは一般には千年前の原始農法に見えるわけです。一見、昔の農法に還ったようにも見えますが、私のこの米麦連続の不耕起直播というのは、この数ヵ年の間に、各県の農事試験場とか大学あたりでとりあげて研究されてみると、一番近代的な省力な農法だということが実証されてきた。ということになれば、自分の農法は、近代科学を否定して、その反対の方向であるよりに見えて、実をいうと、近代農法の最先端の農法である、と言えなくもないんです。

 この自然農法が、全く科学否定の農法で、非科学的農法だというけれども、よく調べてみると、最も科学的な農法じゃないかと、びっくりして帰っていく大学の先生もいる。

 自分は科学を否定しますが、科学の批判にたえられるような農法、科学を指導する自然農法でなければいけない、ということも言っているわけなんです。

・・・

 

 自然農法が科学を指導するものでなければならない、ということは分かります。しかし、それよりも私は“無 掘ー然農法”(春秋社)に書かれている『農村のこころ』の一文が好きです。

 

・・・22p〜23p

ひっそりと木曽の峡谷に生きる百姓、南海の孤島で独り暮らす百姓、北国の雪深い僻地にしがみついて生きてきた百姓は、みな大自然の中に独立自給、孤高の生活を楽しんでいたと言えるのである。僻地に生れ、そして名も無く貧しく無言で死んでいった人々が、世間と隔絶した世界に居住して何の不平、不安もなかったのは、孤独に見えて孤独ではなかったからである。彼らは、大自然の一員であり、神(大自然)の側近として神の園を耕す喜びと誇りの日々があったからである。日出でて野に働き、日暮れて憩いのねぐらに帰る「日々是好日」の日々は、無限の一日であり、その一日は永遠の生命の中の一コマにすぎなかった。無為自然の生活の中に何ものにも侵されず、何ものも侵されない百姓の生き方があった。

・・・

 

 無為自然、「本当の意味で自然を愛するということ」とは無為であることであった。

無為とは何か?老子のあまりにも有名な言葉でその真髄を味わいたい。

・・・

上善は水の如し。水はよく万物を利し、しかも爭わず。衆人の悪むところに処る。故に道に幾し。

・・・

 無為とは水の流れのようなものです。ここで多くは語らない。

 

 「一本のわらは軽くて小さい。だが人々はこのわらの重さを知らない」福岡正信の言葉は重い。

 

 土手沿いの桜並木の下を走りながら、川の水の流れをしみじみと眺める4月でした。

 老荘の思想から考える 供△愨海。

 写真は“無 掘ー然農法”(春秋社)のカバーです。

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迷走日記 3月31日 走禅一如 3
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迷走日記 3月31日 走禅一如の可能性について その3

ダルマの禅から考える

 

ダルマという伝説は禅宗の祖としてのダルマと、民間信仰としてのダルマという二つの姿があります。

 

民間信仰としてのダルマは“ダルマの民俗学”吉野裕子著(岩波新書)が陰陽五行の思想から簡潔明快に解説しています。

ダルマは五行の「火」の象徴として日本では考えられた。農業における日照や、火の上方志向による開運と結びついた。一年の初めとしての正月を五行の理に適った方法で迎えることが、関東でのダルマ市となったようです。関西では商売繁盛の上方志向とも相性が良かったようだ。ダルマの「赤色。三角。巨大な目。物言わぬ口」それは五行の火気として感得された。その解説は本書を読んでもらいたい。

 

中国、春秋戦国時代(紀元前770〜紀元前221)の陰陽五行思想が現代日本の私たちの生活の隅々にまで浸透していることを思うと、歴史という業(行為は必ずその結果をもたらし、また現在の事態は必ずそれを生む行為を過去に持っているとする思想)と因縁(事物を生ぜしめる内的原因である因と外的原因である縁)を感じざるを得ない。

日本で陰陽五行思想が違和感なく受け入れられたのは、陰陽五行が発生した黄河流域と日本の緯度がほぼ等しく、日本の自然の推移によく見合った為と考えられます。日本の稲作漁撈文化の琴線に触れたのでしょう。

16世紀、室町期に生活文化の隅々にまで陰陽五行思想は構造化された。何故だろう?

吉野裕子は本書のあとがきでこう述べています。

・・・・・

209p

順当な五行循環、すなわち季節の推移は、人びとの生活安定の基本条件である。この五行の推移も一方的に白然にゆだねることなく、人間のほうも法則にしたがって果敢に参画する。そもそも撃つ、扶ける、などというのは戦略用語である。

 中国古代哲学の真髄を駆使して、災害の多い列島の自然に対処する。それが、かつての日本人の識者の心構えだったから、年中行事とは、ある意味では真剣な戦略行事なのであった。

・・・・・

災害の多い日本では、五行の法則の「相生、相剋、三合」を戦略的に取り入れたのですね。祭りや、神々の姿も易の理と五行の法則を駆使して種々様々に考案されてきた。

吉野裕子の著書の幾つかを読んでいますが、言えることは、日本文化の深層を語る上で、著者の論考は欠かせないものだということです。

 

 ダルマの「火の気」はスポーツをするものにとっても、見逃せないパワーとなるものと思われます。

 

 禅宗の祖としてのダルマが正当に評価されるきっかけになったのは、敦煌莫高窟で3世紀から10世紀の寫本時代の資料が1907年に発見されてからのことなので、古くはありません。その資料の中から、初期禅宗の全貌が露になり、ダルマの新しい側面も見えた。

 1900年に王道士という道教の僧侶が敦煌莫高窟の住職になり、偶然にタクラマカン砂漠の砂に封じられていた窟の一室でとても多くの古い書物を発見した。スタインやぺリオという東洋学で名の知れた探検家が王道士から買収して、イギリスやフランスへ送ったものです。その後、残っていたものは北京へ運ばれました。日本では1909年に敦煌古書のことは知られることになり、中国と日本とフランスでほぼ同時に敦煌学が始まったのです。イギリスでは大英博物館の地下室に放置されていたので、イギリスでの研究は少し遅れることとなりました。発見された膨大な量の仏教資料は学者を震撼させた。仏教研究の大きな転換点となったのです。

 

 私が敦煌莫高窟を訪れた時には、資料館の完成が間近な頃でした。莫高窟の壁画は模写の途中で、模写された後は模写したものを資料館で展示し、窟は保存のために密閉されるとのことでした。主席研究員の方が流暢な日本語で案内をしてくださった。彼は大阪の民族博物館で学んだと言われていました。まだ国交が断絶していた頃なので大変だったことを話してくださいました。彼の父が北京大学の教授で政府の高官だったこともあって、その後、日本との国交の橋渡し役ともなった研究員です。事情があって、名前は明らかにすることが出来ません。

当時に見た色鮮やかな壁画の現物は今も鮮明に思い浮かべることが出来ます。大きな感動は生涯の宝となりました。

 

 隋から唐中期にかけて新しい実践仏教の運動が盛んになるにつれて「ダルマの語録」と言われるものを、ダルマを初祖とする人々が生み出していった。

その頃の仏教はあまりにも経典の注釈を重視した硬直したものであった。故に、ダルマの実践による新しい仏教の革命が新鮮な驚きに満ちた新時代のものとなった。

 詳しく知りたい方には、柳田聖山著“ダルマ”(講談社学術文庫)、“達摩の語録”(ちくま学芸文庫)をおすすめします。

                                                                                                                                                         

ダルマの生涯は謎に包まれて、伝説化されているので正確なことはわからない。・・・南インドの出身ではあるのでしょう。般若多羅に師事し大乗禅を学んだ。般若多羅の宿願は中国における教化にあったので、ダルマはその遺志を継いで中国へと旅に出た。武帝はダルマを歓迎した。『碧巌録』第一側で有名な、梁の武帝との問答となる。その後、揚子江を北に渡り嵩山少林寺に至り、面壁を続けていた。

 

ダルマの「面壁九年」とは、壁そのものに向うことではなく、自分の心の壁に向うことであったようです。曇林はダルマの安心を壁観としています。ダルマの禅とそれ以前の禅とは大きく違う。

僧稠(480〜560)の禅は四念処(しねんじょ―――身念処・受念処・心念処・法念処の総称。それぞれの身は汚らわしく、苦であり、常に移ろいゆき、本質をもたない仮の姿であると観ずるに至る修行法。四念住。)大辞林 第三版

安心とは空観と考えてよいのでしょう。汚も苦も本質も妄想に過ぎない。裸の有りのままの心の奥底を見つめることが壁観であり、妄想や煩悩や呪縛から開放されてこそ安心が得られるということではないでしょうか。

 空という悟りを得た――それは妄想ではないか。修行を重ねて真理を得る――得ようとすることが煩悩では。坐禅によって本質を知る――坐禅に縛られてはいけない。壁観の安心はどこまでも心の奥深くへ入っていく。

 

面壁、この言葉は私を捉えた。私は何に向って走っているのだろう。心の壁に向って走っている。ひたすらに自分の壁に向って走っている。何も他に考えることは無い。目の前に見えているものは自分の心の壁だけだ。

 

不立文字(ふりゅうもんじ)・・・言葉にすれば嘘になるかも知れない。

以心伝心(いしんでんしん)・・・心に響いた。理屈はいらない。

直示人心(じきしにんしん)・・・迷っていても、しかたが無い。

見性成仏(けんしょうじょうぶつ)・・・心の壁に向って走っていこう。

自分流にダルマ禅を走ることでイメージしてみました。

 

 ダルマには「二入四行」という教えがあります。二入は「理入」と「行入」です。柳田聖山先生は「理入」を(本来にたちかえる原理)、「行入」を(本来にたちかえるための実践)とされています。

 四行とは四つの生き方のこと。第一は報怨行(ほうおんぎょう・前世の怨みにこたえる行)。第二は随縁行(ずいえんぎょう・今生の因縁に任せる行)。第三は無所求行(むしょぐぎょう・むくいを求めぬ行)。第四は称法行(しょうぼうぎょう・法の真実にかなう行)。

 理入とは理論から入ることでは無いようです。全ての理論を捨てたところに理があると考えられます。全ての偏りを無くす。妄想や煩悩や繋縛(けばく)に気がつくことが理であるようです。

 

ヨーゼフ・シュンペーターという経済学者は創造的破壊ということを言っています。絶えず新しいイノベーションで創造的破壊を行うことが重要であると述べています。心にも創造的破壊が必要なのかも知れません。

 行入とは新しいイノベーションで創造的破壊を行うことのように思えます。妄想や煩悩や繋縛を破壊して、心の新陳代謝を行う。そのことによって持続的な発展を見ることが出来る。理は創造の母であり、行はイノベーションという父のような関係で、そこにダルマの禅が生まれると考えました。

 

第一の報怨行について、前世という考え方は捨てて、怨みを問題解決ツリーとして考えてみる。WHYツリーは、問題を考えるとき「なぜ?」と考えながらツリーをつくる。「なぜ?」を繰り返すことで、原因(怨み)を探求していきます。

HOWツリーは、「どうやって?」と考えながらツリーをつくります。「どうやって?」を繰り返すことで、(怨み)の解決策を導き出します。前世とは、生まれ変わることではなく、いにしえから引き継いだ、環境や社会的な問題であったり、歴史的背景、あるいは遺伝的限界と捉えます。

 

第二の随縁行はマーケティングと考えます。

・ベネフィット――自分の勝手な思い込みや自我を捨てて自分の本来の価値を探り出す。

・差別化と強み――心を冷徹に観察するという壁観で、自分の特徴を知る。そして、応援してくれている人や力になってくれている人を強みとして大切にする。

・セメンテーションとターゲティング――文系か?体育会系か?体育会系だとするとチームプレイ派か?個人プレー派か?走るといっても、短距離か?中距離か?長距離か?

 ・4P――Product:マラソン。Price:2時間30分。Promotion:年齢による新記録樹立。Placement:陸連公認の大会。

 

第三の無所求行はコンプライアンスと捉えます。

「経云 有求皆苦 無求則楽 判知無求真為道行」とあります。

 “達摩の語録” 柳田聖山著(ちくま学芸文庫)によると

『経』に云く、「求むること有れば皆な苦なり、求むること無くんば、則ち楽し」と。判かに知んぬ、求むること無きは真に道行たることを。

(ある経典に、「希求すればすべて苦しい、希求せぬときこそ楽しい」と言っている。これによって、希求せぬことこそ、まことに真理の実践であることが、はっきりと知られる。)

 

 多くを求めると問題も多くなる。自由に生きるには「社会的規範を示す経」にもあるように、自分の利益を優先しないことです。真の人間の成長は欲を捨てることから始まる。とダルマさんは云われているように、私には思えます。

 

 第四の称法行はソーシャル・スキル(social skill)社会性だと思えました。

「此為自利 復能利他、亦能莊厳菩提之道」。人々の安住のために、人々を安楽ならしめるための布施を、報いを求めずに行う。この修行での悟りが自利にして他利。

菩提之道とは(僧肇の『涅槃無名論』に、「経にいう、菩提の道は、はかり知ることができぬ。この上もなく高くて、その高さを極めることもできず、この上もなく深くて、その深さを測ることもできぬ。大きいと言えば天地を包み、小さいといえば、どんなすき間のないところにも入り込む、それで道というのである」。)“達摩の語録”73p

 

 “達摩の語録”を、「二入四行論」を何度も読み返して、住みにくい現代での「心のありかた」を教えてくれるものとして「二入四行論」は活きている、活かさなければならないものと思えました。

 

 ダルマの禅から走禅一如を考えると、練習では「目の前に見えている自分の心の壁に向って走る」ということは有効だと思えますが、記録を狙うのは妄想であり煩悩・繋縛だということになり、完成しない。しかし、記録を狙うことは民間信仰の「勝達磨」からパワーをもらうことにしておけば良いではありませんか?

 

『五六 道とは何か』にこんな一文があります。“ダルマ”(講談社学術文庫)307p

「もったいぶった悟りを求めず、人の師とならず、法を師ともしないなら、自然に独歩する」

 

 何かの教えにすがろうとするのは「生身の気力に欠ける」との言葉もあります。充実した気力は六種のハラミツで完成させる。先ほどの称法行での布施と悟りのほかに、戒め・忍耐・努力・禅定とあります。(六波羅蜜――布施波羅蜜・持戒波羅蜜・忍辱波羅蜜・精進波羅蜜・毘梨耶・禅定波羅蜜)

 

 生身の気力を獲得するには、独歩という「戒め・忍耐・努力・禅定」が前提となるようです。生身の気力で練習に取り組めば、自然に記録が狙えるように思えます。精神論ではなく「何も考えるな、ただ自分に向え」ということです。しんどいときにはしんどいなりに、調子がいいときには調子がいいなりに、ゴツゴツと距離を重ねていくだけだと、そんな思いで走っています。

 

 終わりに、少林寺拳法はダルマがインドより伝えた、那羅延拳(ならえんけん)をつぐものということです。

 

 写真は姫路市豊富の善寿寺で1月半ばに撮影したものです。

 






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迷走日記 2月13日 走禅一如 2
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迷走日記 213日 走禅一如の可能性について その2

釈迦のヨーガから考える

 

 風呂上りに鏡で自分の体を見ると苦行時代の釈迦牟尼(シャーキヤ・ムニ)を思わせるような体形になってきた。ガンダーラから出土した像に筋肉を付けていったような感じですが、足だけは別の生き物のようになっています。足には立派な筋肉が付いていて、ふくらはぎは大きく盛り上がっています。ユニクロのスリムのジーンズではふくらはぎが引っかかって脱ぐのに手間取ります。

 シャーキヤ・ムニのムニとは黙々と修行に勤しむ行者のことを言います。シャカ族出身の行者のことです。仏陀(ブッダ)とは一般名詞で「悟った人」という意味です。サンスクリット語のガウタマ・シッダールタのガウタマとは「最上の牛」という意味です。シッダールタはバーリ語でシッダッタと言い「目的を達したもの」という意味です。サルバァールタ・シッダとの名も見られる。「いっさいの徳を備える」という意味です。

 この2週間に歴史書を読み漁りました。その結果、私には仏陀はモンゴロイドに思えます。そのことは今回のブログでのテーマではないので後日にしたいと思っています。

 

釈迦は偉大なヨーガの行者だった。仏教が興る前後にヨーガという行の体系が成立しています。ウパニシャッド聖典群の初期から中期にヨーガの体系が明らかになってきますが、釈迦の存在はそのあたりの時代となります。釈迦はジャイナ教のジナと共に広く大衆にヨーガを開いたと考えてもいいようです。釈迦はカースト(身分制度)やバラモンの神や輪廻を否定した。当時の権威からは異端の思想だったが、それは時代の先端の思想でもあった。ヨーガの本来の姿もそのような反バラモン・反権威的なものでした。

 

銅器の時代から鉄器の時代になると狩猟や農耕も変ってきますが武器も変り、社会の姿も変ってくる。ガンジス川とジャムナ川の中間地域は肥沃な土地であった。氏族制農村社会から都市社会へ移行していく。

 新しい時代には新しい思想が登場します。バラモンによる支配の強化、もう一方に原住民と融和を図る反バラモンの思想。強権的な支配はどんな時代でも理解しやすいが、融和的な思想は説明するのに少し解説が必要になります。当時の原住民の小さな集落群には、その集落ごとの独特なシャーマニズムがありました。多種多様なシャーマニズムに彩られていましたが全てに特徴的なのはそのシャーマニズムが集落の人々の生活に深くかかわっていたということです。融和にはこのシャーマニズムが障壁になることがあります。妄信している人々を説得するのは大変なことです。ヨーガという方法は「認識としての自己」「大いなる自己」「静寂な自己」を反復する回路を作り、自己が囚われている古い因習から解き放つことを説いた。心は洗脳の中にあるかもしれない。シャーマニズムには幻覚物質を使った祭事もあるので、そこからの解脱は並大抵のものではない。理屈での解脱は殆ど不可能と言っていい。農耕による余剰穀物が交易を発達させる。交易を盛んにするには理解しあえることが必要となる。それには、どのようにすればよいだろうか。

 「息のコントロール、感覚器官の抑制、瞑想、精神の集中、熟慮、そして沈潜」ヨーガはゆっくりと語りかける。絶え間なく静かに、心の動きの全てを停止する。そこには自己がいる。神に囚われた者ではなく、精神の働きを持った個体的原理(アートマン)がある。

 シャーマニズムからの開放には「西遊記」という玄奘三蔵の話が分かりやすい。玄奘は山の神である孫悟空と、森の神である猪八戒と、河の神である沙悟浄を守り神にして妖怪を退治しながら経典を中国に伝えるのですが、この妖怪というのが各地のシャーマニズムのことです。ヨーガも仏教も精神世界を説いて、人々を暗闇の恐怖から解く必要があった。

 

もし、宗教が世界を救えるとしたら、ヨーガかも知れない。勿論、フィットネス系ヨーガではありません。人々を金融資本主義の妄想から眼を覚まさせることが出来るのは、ヨーガという方法かも知れない。あらゆる既成宗教や宗派の枠を超え、人類の存在意義を覚醒させることが出来るのは、今の日本の仏教では垢に塗れすぎている。ヨーガにも神はいます。しかし、そのシバ神はヨーガを無事に修行することを願う「ヨーガの始祖」として崇敬される存在です。ヨーガには師弟という関係があっても、自覚と自立的な態度が基礎となります。ヨーガでいう聖なるものとは弁別智のことです。弁別智とは「心の働きの完全な停止」を実現した上での、自分を見る眼(プルシャ)のことではないかと思えます。「プルシャのかなたに何ひとつ存在しない。これが目標である。これが最高の歩みである。」(カタ・ウパニシャッド 湯田豊 訳)

 

 仏陀は苦行を捨てた。6年間の沈思黙行の末に、苦行でもない放逸でもない中道を悟った。そして四諦・八正道を説いた。

 中道とは弦楽器の弦の張り具合にも喩えられます。分かりやすい喩えです。インドといえばシタールという弦楽器があります。ラビシャンカール(1920年〜2012年)という名前に聞き覚えのある方も多いと思います。モントレーやウッドストックでの演奏に刺激を受けた中高年の音楽ファンには馴染み深い。ジャズシンガーのノラ・ジョーンズの父でもあります。ビートルズファンにはジョージ・ハリソンのシタールの師であることも知られています。実はジョージ・ハリソンにシタールを指導したのはラビシャンカールの日本人の弟子でした。彼はヨーガをヨーギと発音していました。シタールの演奏もヨーガであるらしく、ヨーガにもカーストがあるという話を35年程前に聞いたことがあります。ヨーギーとは男性のヨーガ行者で女性ヨーガ行者はヨーギニーといいます。観光客の前でヨーガを披露するヨーガ行者はカーストの最下層で、シタールの演奏者は中の層で、上位の層は山奥の人目に付かないところで修行をしているとの話は興味深く聞かせていただきました。古いヨーガはカーストを否定するものでしたが後年にはバラモンの価値世界に取り込まれたようですね。

 

 釈迦の四諦とは

苦諦(くたい)・・・人生は苦である

集諦(じゅうたい)・・・苦には原因がある

滅諦(めつたい)・・・苦を制してなくしてしまう

道諦(どうたい)・・・苦を制してなくしていくには道がある

 

 釈迦が苦行を捨てた理由が四諦から自ずと読めるではありませんか。わざわざ苦行をしなくても人生は苦難に満ちている。

 

 八正道とは苦を制して無くしていく道のことです。

正見(しょうけん)・・・正しい見解

正思(しょうし)・・・正しい思考

正語(しょうご)・・・正しい言葉づかい

正業(しょうごう)・・・正しい行為

正命(しょうみょう)・・・正しい生活

正精進(しょうしょうじん)・・・正しい努力

正念(しょうねん)・・・正しく記憶に留める

正定(しょうじょう)・・・正しく精神を統一する

 

 では、何を持って正しいというのだろうか?

 中道という修行、静かに安楽に坐ることで「正の姿」を悟ってみなさいということなのでしょう。精神が静寂の中で整っている、それは脳を究極にリラックスさせることで得られるバランス感覚だとしたら、脳科学的にも理に適っています。釈迦がヨーガによって得た境地は、人の脳のあり方を見透かしたものであったのです。

 

 ヨーガスートラにはヨーガの実践を8階梯で示しています。

禁戒(マヤ・きんかい)・・・道徳的自己コントロール

勧戒(ニヤマ・かんかい)・・・修行の心得・精神、準備

坐法(アーサナ・ざほう)・・・坐り方、姿勢・ポーズ

調息(プラーナーヤーマ・ちょうそく)・・・呼吸のコントロール、気の調整

制感(プラティヤーハーラ・せいかん)・・・感覚器官をそれぞれの対境から切り離す

凝念(ダーラナー・ぎょうねん)・・・心を一点に集中する、想念の固定

静慮(ディヤーナ・じょうりょ)・・・固定されていた想念を限りなく広げる

三昧(サマーデ・さんまい)・・・空という別次元

 

 私は禁戒と勧戒と坐法はヨーガのための準備段階だと思えます。調息、制感、凝念、静慮は一体のもののように思えます。調息を中心に制感、凝念、静慮は反復していくもののように思えます。解体、検証、再生を繰り返すことで、三昧という創造的世界が獲得できるのではないでしょうか。

 調息とは吐く息と吸う息を出来るだけ細く長くする。吐ききって止め、吸いきって止める。大宇宙の気を吸い込んで、生命のエネルギーにする。呼吸を腹の奥を意識して「細く長く」を繰り返すと、脳からα2波が出る。セロトニン神経が活性化されて脳が覚醒していきます。覚醒した脳で三昧という宇宙との一体感を楽しんでみてはいかがでしょうか。

息を吐ききり。感覚器官を止める。想念を止める。息を吸いながら想念を広げる。止める。吐く、止める。吸う、止める。「ヨーガとは心の働きの止滅」。

その後の13世紀頃のハタヨーガが私たちが知るヨーガの祖形となります。

 

走禅一如を釈迦のヨーガから考えてみると、やはり呼吸の工夫が必要でしょう。

呼吸のリズムを大切にして走ってみると分かったことがあります。どこかに無理な力みがあると呼吸が乱れやすい。呼吸が乱れるような力みのある走り方では故障しやすい。呼吸を意識して走ると、走りの組み立てに無理が生じない。呼吸は走りの命なので、呼吸のリズムで走りを考えることが必要でしょう。この呼吸で42.195キロのベストパーフォーマンスを実現できるだろうか?「頭を使って走る」とは呼吸を考えて走ることであるように思います。

苦行のような練習は故障の元になります。走りの八正道を考える。正しい努力をしているだろうか・・・。今日も黙々と走っています。

 

写真は姫路市豊富の善寿寺で撮影したものです。








 

posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 迷走日記 | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
迷走日記 2月4日 走禅一如 1
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迷走日記 2月4日 走禅一如の可能性について その1

 

坐禅は独楽にたとえられます。綺麗に回っているときは止まって見えます。ゆらゆらふらふらしている独楽は軸がぶれている。私は頭頂部に紐がついていて、天からぶら下がっているようなイメージをもっています。坐っていると脳を中心に体中に気のようなものを感じます。神経細胞を駆け巡る電気的な信号なのでしょうか。

 

 坐禅の起源はヨーガにありますが、その起源はインダス文明にみられるという説もあります。アーリア人のバラモンの中に組み入れられて、数千年の時を経ています。坐禅という瞑想の形になって二千数百年の時を刻んでいます。日本では聖徳太子の頃には伝わっていたらしい。その坐禅が何故に現代にまで生きているのか、そこに坐禅の持つ魅力があるのでしょう。

 

脳科学的にも幾つかのことが考えられます。

脳には内側前頭前野に自分の行動を評価する機能があります。静かに坐禅をして得られる自己評価もあります。良いとか悪いという道徳的な自己評価ではありません。道徳的な基準は道徳的に判断すればよいでしょう。自らをコントロールしている自己評価を一旦全否定してみましょう。何が表われるでしょう。自分は自分という妄想に囚われていないだろうか。

方向定位連合野という自分と他者の境界を認識する部分があります。瞑想などによる世界との一体感や、時間や空間を超越した調和と目的を感じるのはこの部分です。この感覚を神秘主義ではなく「無や空」の体験として禅は捉えます。

ミラーニューロンという運動神経細胞は他者との共感という同一化した感情移入を行うことができます。他者の思考や感情を認識し推論することで、他者を体験することが出来る模倣学習を可能にする。禅のいう仏の姿や、尊敬する始祖を真似ることで先達と一体化しようというのはこの働きによっても可能だと思えます。

また、禅で得られる達成感も脳の健康には良い影響があります。

新奇探索遺伝子による新奇探索傾向が日本人は低いといいます。日本人はフロンティア・スピリットには欠けるかも知れませんが、腰を落ち着けて物事を深く探求しようとすることや、学習することに能力を発揮する遺伝子を持っているようです。つまり、日本人の遺伝的精神性は禅と相性が良いようです。

認知的焦点化理論は潜在意識での配慮範囲が広いほど幸福度が高いことを述べています。より多くの協力的人間関係を持ち、未来に展望を示せる配慮範囲が広い、「助け合い」の精神で生きているほうが人間的に自然なのです。つまり、利他的な思考を持つ人は利己的な思考を持つ人より幸福度が高いのです。坐禅でいう安楽とは、この配慮範囲をより広く捉えることを言うのではないかと思います。

 

静かに自分の奥へ入っていく。脳細胞がプラスに生まれ変わるのもマイナスになっていくのも日々の積み重ねが大切なのでしょう。人間の脳は妄想に騙されやすく、錯覚しやすく出来ています。静かに時間をかけて物事を考える意思決定回路を鍛える習慣が必要です。

心理学に割れ窓理論というものがあります。心のどこかに壊れた窓があれば早く修理しておきましょう。静かに座っていると心に隙間風を感じることがあります。壊れている場所は判っています。坐っていると、答えはいつも自分の中にあることがわかります。

 

人の脳は向社会性を持っています。世の為、人の為というのは人間の本能だったことを脳科学は明らかにしつつあります。しかし、それが正義という原理主義に結びついては正義という妄想になりかねません。世の為、人の為と言っても何が「世の為、人の為」なのか、問い返す作業が常に必要です。和辻哲郎の倫理学も西田幾太郎の善の研究も仏教に拠るところが大きいことも頷けます。

 

道元禅師は『正法眼蔵』「行仏威儀」の巻でこう言われています。

行仏(ぎょうぶつ)の威儀(いいぎ)を覰見(しょけん)せんとき、天上人間のまなこをもちゐることなかれ、天上人間の情量をもちゐるべからず。これを挙して測量(しきりょう)せんと擬(ぎ)することなかれ。

 

 人間の科学的な眼や思量や価値観を見直すとき、万物を愛する気持で見直すことが仏道修行なのなのでしょう。道元禅師は「菩提薩埵四摂法」で四つの菩薩行を示されている。布施(皆と生きる)、愛語(皆を愛する)、利行(皆のために)、同事(皆の幸せ)だと私は理解しています。科学や哲学や芸術も菩薩行でありたい。脳科学や心理学も「菩薩行」の行の内にあることを信じています。

 

 道元禅は「行仏」という仏の修行法を行うことで仏性を観るという特徴があります。作仏というように仏になろうということではないようです。そもそも「行仏威儀」にあるように、仏を「測量(しきりょう)せんと擬(ぎ)することなかれ。」ということなので、仏という厳然とした姿を求めても確固たる姿は捉えようがないということなのでしょう。仏は仏のように生きようとすることで仏になれるという当為にあると考えられます。道元禅師は仏教の悟りとは「眼横鼻直」(がんのうびちょく)というような有りのままを知ることだといわれています。目が横に付き鼻が縦についているという、そのままの姿を知ることなのでしょうが、そこに眼や鼻は人によって形が違うという意味も込められているように思えます。

「朝朝日東出 夜夜月沈西」陽は昇り、陽は沈む、しかし同じ日は二度とない。毎日、坐禅をしていても同じ禅はない。仏は求めようとしてもいつも違う姿をしている。仏性とは、それぞれに、それなりの姿をして、いつも新しく生まれているものだと、言われているように思えます。

 新しく生まれているものだから、これが仏だと悟ったときにはもう古い。古いものに執着しては何も新しくならない。「空手還郷」(くうしゅげんきょう)中国から持って帰ってきても新鮮なものではないので、良いお土産にはならないだろう。悟りは新鮮であることも重要であるような気がします。「放てば、手に満てり」古いものを捨てなければ、手の中には新しいものが満ちる場所がない。人生は常に「有時」(うじ)の「而今」(にこん)にあるという、今ここにある生まれたばかりの仏性に気が付きなさいと言われているように思います。それが「行仏」なのでしょう。

 

 峯の色 谷の響きも 皆ながら 吾が釈迦牟尼の 声と姿と(道元禅師和歌)

 

峰の色はいつも同じではない。響きは沈黙の中にある。よく見て、よく聴いて御覧なさい。気がついただろうか、仏性との新鮮な出合に。坐るとは「出合う」ことだろうか。

 

人の脳は五感という刺激を脳で知覚し、認知したものを認識に変えていく。坐禅をしていると五感が鋭敏になっていくのが分かる。坐禅後に外の景色を見ると、とても新鮮に映る。「十八界之聚散」で言うところの六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)が外界からの刺激を六境(色・声・香・味・触・法)という知覚・認知にし、六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)という認識になる。六根を無にすると、今までと違った六境を体験する。六境を無にすると、今までと違った六識が出現する。六識を無にすると、今までと違った世界が観得る。ここに「釈迦牟尼の声と姿」があるのだろう。単に声だったものが釈迦の声になり、単なる姿形だったものが釈迦の姿になる。禅では脳の持つ特性をこれほど合理的に活用することが出来る。人は色あせない幸福・安楽を必要としているのです。

 

 道元禅師の禅を考えるときに、特に重要なキーワードがあります。

「無所得」「無所求」「無所悟」、坐禅を手段にしないということでしょう。得ようとするもがあるのなら、得ようとする所有欲が煩悩なのでしょう。求めるものがあるのなら、求めている自我に気が付かなければいけないのでしょう。自分が悟りの境地に入ったとしても、その時点での悟りでしかない。そもそもその悟りは本当の悟りだろうか。自問自答の坐禅や問答を繰り返すのも、悟りという妄想にならないようにするためのものでしょう。

道元禅師の「修証一等」という言葉は修行の姿に仏性が現れているということなので、修行をしようという心が仏心だということです。悟りとは、修行への志、そのものなのだと言われていると思います。

 脳は報酬系という内側前脳束に快感神経の神経繊維の束があります。この報酬系の快感を三毒(貪・瞋・癡)にまみれたものにしてしまえば、底無しの地獄が待っています。この報酬系の快感を菩薩道に活かせば極楽となるでしょう。人は自分でも意識しないうちに常にこの報酬系の神経を活性化させて要求を満足させようとしています。この神経を切ってしまうことは出来ないので、より高次な菩薩系の神経にしておきたいものです。

 

 道元禅から走禅は導き出せない。禅と走は別物です。一致させるとすれば、走る前に坐禅をして精神を整えてから走る、という組み合わせが無理の無いところだと思います。坐禅をするときは座禅に集中し、走るときは走ることに集中する。走りながら禅的な感覚は得ても禅にはならない、それが「只管打坐」という考え方です。走りながら悟りを得ようというのは「無所得」「無所求」「無所悟」にはなりません。

 道元禅から走ることを考えれば、走ることに集中できる環境を用意すること。走るときは「只管打走」。走ろうという志が大切。走ることがいつも新鮮であること。走ることが幸せであること。という当たり前のことを大切にすることなのでしょう。

 

写真は姫路市網干にある龍門寺境内です。次回からは姫路市豊富の善寿寺での写真になります。








posted by: 応援しよう東北!(雑華堂) 小嶋隆義 | 迷走日記 | 17:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |